ABC理論 第10回「女にABCはあるのか?」

いきなり脱線から。ABC理論を語ってきた上で「いじめ」との関連性について考えてきました。私の個人的な意見としては、肉体的ないじめや、重い部類に入る精神的いじめ(例えば完全無視、汚いあだ名などを面と向かって言うなど)の域まで達してしまった場合、最早それはABC(スクールカースト)の範疇ではないと思います。表向きは平和(教師も問題にしない程度)だが、見えざる力によって階級差を思い知らされるという状態*1の範囲でこそ、ABC理論は成り立つのではないかと思うのです。そうでなければ、「嫌な思い出だった」といいつつもこんなブログで発表することなんてしません。

さて、本題です。
私は男なので、女性のことは当然分かりませんが、頑張って考えようかと。
女の場合、ABとCの区別と言うのはまあ・・・結構分かりやすい(ただ、女子の場合は「ブス山さん」というCでありながら自己主張が強く、なおかつその意見が通ってしまいがちなクラスが存在しますが)と思います。しかし、AとBとの区別が分かりにくいのです。フェイスランクで分類という方法もありますが、必ずしもクラス一の美人が主導的立場にいるとは限らず、また男ではかなり有効なスポーツレベルにおいても、女子の場合、むしろスポーツに打ち込んでいる人は周囲の動向に疎い(というか構ってられない)傾向もあり、やはりしっくりきません。やはり、コミュニケーションスキルが重要さを増してくるのでしょうか?何となく、小六病(キーワード参照)から抜け出し、その力を男に向け始めている傾向が強いほどAに近いのではないかと思うのです。
本来、小学生位までは男子のように「俺が一番強い」*2という無邪気な対抗意識とは対照的に、女子は性格で好き嫌いがあるものの、概して一致団結しやすいという傾向があったものが、「恋愛」という要素が加わると、どうしても他人よりも上にいたいという意識が芽生えてくるのではないかというのが上記の理由です。

*1:私の経験で言えば、席替えがAクラスの独断でいつの間にか決まっていたなど

*2:例:「俺、スカウターのパワー百億だから」「それならおれは千兆」「じゃあおれは百億兆倍」「俺は千億兆かける千億兆の・・・」と、飽きるまで繰り返す

余談

これも小六病の一種なのかもしれませんが、小学校を卒業する半年くらい前から、女子の多くが「おともだち帳」みたいなのを書き始めたんです。これはファンシー文具の一種で、名前や住所、血液型、好きな食べ物、好きなタレントなどの項目があり、これを友人たちで互いに書き合い、一つのアドレス帳とたいのを完成するというものです。
最初は親しい女子の間だけで行われていたんですが、次第に量的なものに満足できなくなってきたのか、その範囲が男子にも広がってきたのです。その頃はABCの厳しい統制下でもなく、その紙が私にも回ってきました。とりあえず「好きなタレント:高田純次」までは書けたものの、裏に紙の持ち主に対し「私に対してメッセージがあったら書いてね」というところをどうしようかと・・・。
女子たちは「中学に行ってもずっと友達だよ」とかクサいことを書いているのですが、私はその女子に対して別になんとも思っておらず、結局苦し紛れに「スト2エドモンド本田のコマンド表*1:←タメ→+Pでスーパー頭突き・・・」とか無意味に書いてしまいました。今は後悔してます。せめてリュウかガイルにしておくべきだったということを。

*1:当時、ゲームの下手で昇竜拳が出せなかった私にとって、ボタン連打の百烈張り手で何とかなるエドモンドばかり使っていた