穢される為の純潔  

http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051030#p1
http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20050823#p2スガシカオ『優等生』参照)
全く脈絡の無い話ですいません。
前回の非モテオフでお会いさせて頂いたid:hazama-hazamaさんのエントリを見て、何となく思うところがありましたので・・・。

注:これは師であるid:republic1963氏がよく用いられる、所謂「ファミ通系アイドル*1」を思い浮かべていただきながらご覧下さい。

性的経験の多い女性か、それとも男を知らない処女か。それだけを聞かれると私のようなC茂手内男は後者を選んでしまいがちです。しかし、現実*2には「処女破り」を標榜するヤリチンさんもいることですし、処女の需要は今の石油並に高止まりしているようにも思えます。

しかし、「大和撫子*3という女性の中に、宗教・信条の理由以外で処女を貫き通した人間はいるでしょうか?
非常に言葉は悪いですが、「大和撫子」って「松阪牛」と同じく、「消費」されてこそ価値があるブランドだったはずです*4。つまり、価値があるのは「純潔」そのものではなく、「消費*5」されるまでの過程が「純潔」である訳です。清純清純ともてはやされたものの、旬が過ぎて「行き遅れ」と揶揄されてしまった女性もいる訳で、純潔が永遠に続くわけでもありません。

追記:結論が無かったですね。

結論:「大和撫子」は、過程において処女性が重視されることはあるが、目的は決して「処女」ではない。処女の貴重性は(年齢的に)限定的であり、貴重性があるうちに「消費」されなければ「大和撫子」ではくなってしまう。

そこで、スガシカオの「優等生」に出てくる歌詞です。こういう屈折した感情にどことなく悦びを感じてしまうのはCならではですね。そうなんです、あの子は処女だの何だの言っているうちに、優等生みたいな女の子だって男を好きになり、処女ではなくなり、結婚してしまうんです。
ま、我々Cにできることは妄想の中で「純潔」を信奉し、そして自らも老いていくことに気付かないふりをしながら*6
生きていくしかないんです!と今自分に言い聞かせました。おしまい。

※文章がメチャクチャなのは筆者の能力不足もありますが、学生時代の個人的な感情が入ってしまったためでもあります。

*1:ファミ通の表紙を飾る女性芸能人は、得てして清純を売りにした地味目の子が多い。対義語は車雑誌系アイドル

*2:にいるかどうかは未確認だが、確実にいることは間違いないであろう

*3:イコール処女とは申しませんが

*4:このあたりは藤子・F・不二雄先生著「ミノタウロスの皿」にあてはめると分かりやすいですね

*5:何を指すかは敢えて申しません

*6:老いようが老いまいがダメなものはダメなのかもしれませんが