Re:Re:熱量

http://d.hatena.ne.jp/headofgarcia/20041107#p1
やさぐれ日記暫定版さんより。先日の「熱量」トラックバックを頂いたので、その返信を。いつもありがとうございます。
「『作家論』と『作品論』の対立」と書かれてあるけれども、この二つはその実対等な対立関係でないように思います。後者は前者の影みたいなもので、前者がなければ存在しないと言うか。「作品のみに焦点を絞って語ろう」という観点は、「作品と作者・時代背景・過去の作品群とを結びつけて考えよう」と言う立場を取る書き手による、力量不足が明らかなテキストに対する反発で成り立っている気がします。ここで言う「力量不足」と言うのは、自意識過剰で作品と書き手自身との距離を測る事が出来ていなかったり、バイオグラフィとディスコグラフィビブリオグラフィを結び付ける作業の中で恣意的に過ぎる歪みが生じていたり、時代性と同時代性の中で作品の座標を正しく捉えられていなかったり、根拠が薄弱なまま断言に終始していたり、単純に面白くない文章だったり、必要もないのに他の作家・作品を攻撃したり、等の理由で説得力が感じられないと言う事で、要するに「作品だけを見て判断すれば良いじゃん」って視点は、「不完全な『作家論』的解釈を書くなら、最初から当の作品の事だけ話す方がマシ」みたいな考え方が根っこにあるんじゃないかと。少なくとも俺にはある程度以上そういうところがあるし、まあ背伸びは止めて書ける事だけ書いことこうかみたいな考えもあって、ああいう感想の書き方になります。不完全でも出来が悪くても自分の視点と言うものをしっかり打ち出したい、と言う考えとは対極ですね。我ながら、あんまり積極性とか攻めの姿勢とかが無い書き方です。
ただ、広い知識と深い見識でもって適切に「作家論」的な評論・批評・レビュー・感想が書ければ、それは作品そのもののみを論じる文章よりもずっと優れたものになる、とは勿論思います。それに、多少歪だったり穴があっても、一本筋の通ったところがある評論ならきちんとした説得力は生まれるものだし。こうやって詰めて行くと、確かに、「作品論」はある意味で緊急避難的な、そうせざるを得ないネガティヴな理由(自身の無知とか狭量とか)が根底にあるやや消極的な方向性だし、「作品論」の立場を取ったところで「作家論」の弱点を完全に解消出来るわけでもない、と思います。
まあ、俺は感想を書く時「ひょっとしたらこれを読んで誰かが興味を持って実物を手に取ってくれるかも知れないし、そうだったらちょっと嬉しいなあ」くらいの事しか考えていないし、どっちかと言うと解釈よりも紹介に重心を置いているので、色々と固有名詞を出して関連性を論じるよりもなるべく予備知識無しで音が想像出来るシンプルな文章にしよう、と言う意識が働いているのもあって今みたいな書き方になってるんだと思います。でも実際は冗長になりがちです。まずい出来のデッサンみたいなもんです。
なんか、自分で書いておいて何だけど、これひょっとしてディスに見えるかなあ。だとしたら申し訳ない。全然そんな事ないです。むしろ自戒です。


Nasum/Shift (ASIN:B00063UEC0)

刃の雨。槍衾。一秒間に100発銃弾を撒き散らす重火器。火炎放射器。そう言った類のもの、目の前にあるもの全てを灰燼に帰すためだけに存在するものがそのまま音楽になったかのような、或いは地獄の釜を開いてしまったような。そういう激烈メタル。前作から軸は全くブレておらず、純粋な破壊力と殺傷力がどこまでも追求されている様はやはり潔い。
生身の人間が一人で叩いているとは思えない凄絶なドラムと、これまた非人間的な絶叫を絶えず放射する業火のようなツインヴォーカルのコンビネーションには聴いているだけで身体がバラバラに切り刻まれそうな凄まじい暴力性が宿る。日頃割とやかましくて乱暴な音楽を好んで聴くこの身としても、彼らの音楽は聴けるか聴けないかの限度ギリギリのところにある。唖然としてしまうほどのブルータリティ。
だが、にも拘らず、このアルバムは非常に聴きやすい。多くの曲にキャッチーで格好良いリフやメロディアスなフレーズが配されていて、それらがベースとドラムとヴォーカルとが作り出すノイズ一歩手前の轟音の中から浮かび上がって来るため、全体の音がかなりスムーズに入り込んで来る。音造りの面で、全体的に幾分クリアになりアングラ臭が薄れていると言うのも聴きやすい理由の一つだが、ギターが叩き出すフレーズが基本的にキャッチーであり、ギターをガイドとしてそれ以外の楽器隊とヴォーカルがブチ撒ける暴虐三昧が耳にストレートに飛び込んで来るような造りになっている、と言うのが本作がとにかく聴きやすくて解りやすい仕上がりになっている一番の理由だと思う。
規格外の暴力性とある種のキャッチーさが驚異的なバランスで両立されている本作からは、彼らのミュージシャンシップの高さが伝わって来る。ただ単に暴力を撒き散らすだけでなく、音に宿る殺傷力をより高めるためにメロディアスなリフを使い、テンポの上げ下げを駆使して楽曲にフックを作り出し、SEやナレーションを用いて曲間の繋ぎを劇的に演出してアルバム全体の流れを生む。そういった緩急を付けることで、重いパートは更にヘヴィに、速いパートは更に速く、より速く、もっと速く……と、体感速度が跳ね上がるような仕掛けが施されている。余りにブチ切れたドラムが全編で暴風雨のごとく暴れ回っているためにどの曲も同じに聴こえるようでいて、実のところしっかりと区別が解るようになっており、一曲一曲がそれぞれ格好良い。速くてブルータルならば何でも良い、と言うような身も蓋もない曲作りと演奏の姿勢を支えるのは、あまりに真っ当かつ真摯な、音楽に対する誠実な態度。聴いていて、暴虐極まりないバンドサウンドにただ立ち尽くす一方で、恐ろしくしっかりした曲作りがなされている、と強く感じる。
本作は前作と比べると泣きが入ったフレーズが多く、得体の知れない狂気じみた熱気よりも統率された激音に潜む冷気と哀しみを強く感じる辺り、違法改造で限度までチューンナップしたメロデスと言った印象も受ける。だが、どの曲でもバンドサウンドは常に暴発しているし、30秒前後の短い曲では曲構成も何もあったものではない一斉掃射を繰り返すので、勿論ヤワになったと言う感じは受けない。Nasum流のヘヴィロック#5「Wrath」、#7「The Deepest Hole」#19「Fury」の寒々しくも叙情的なメロディと慟哭の絶叫、1分に満たない曲ながらモーターヘッドがおかしくなったような#21「Ett Inflammerat Sar」等が特に印象的だが、全編とにかく格好良い、強烈無比かつ問答無用にして論客用無しな一撃。