過日、広野にて

 情報は降り積もり、
 しずかにしずかに浸透してゆく。
 地の一粒に沁み、
 細胞の一片に染み入るように、
 奥深いところまで。

 それは望ましいものではなく、
 喜ばしいものでもなく、
 奥底に眠っている、眠らせておくべきである、
 私たちの秘められた、あるいは秘められているべき、
 野蛮な感覚を白日の下へ引きずり出し、
 これが私たちの真の姿なのだと、
 顕わとなった姿なのだと、
 そんな風に囁くものだから、
 ときおり、気が滅入って、空を見上げる。

 人気のない常磐線広野駅は、それでいて確実に復帰の日を迎えるための準備を進めていた。
 草刈が終わった河川敷の土手、仮復旧された防波堤、津波で破壊された家屋を片付けるバックホー
 人影の薄いこの街で、そこに示された帰還への意思、それだけがかすかな灯火のように感じられた。

 静寂に包まれた商店街で、車両が走らない線路の上を歩く。
 まっすぐに敷かれたレールは、この先のどこかで途切れている。
 この先、この先、とは、いったい、どこの事なのだろうか。

 同行した客人の目に、この街は「このような街」として記憶されるだろう。
 のどかでも、平穏でも、退屈でもなく、
 放射能渦にさらされ、静まりかえった街として
 機動隊の警備車両と赤色灯に彩られた街として
 行く先を検問で阻まれた街として

 人のもたらした災厄に
 神の恩寵を待ち望むすべもなく
 祈る言葉ももたず
 消防団車両が斜めにうち捨てられたままの田に佇むのは
 祈る農夫よりも、警棒片手の警備員姿の方がふさわしい。

 空間線量最高値0.40μSv/h