非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

紅白歌合戦

毎年なんとなく見ている紅白。

今回もきちんと全部見ているわけではないが、去年の紅白は散漫な印象だった。
ネットではグダグダ、とも酷評されている。

ネットで見るスポーツ紙の記事を見ると酷評はせず、無難に書いているが、例年に比べるとあんまりいい出来とは思われない。
twitterでさらにみんなの評判を見ると、やっぱり散漫な出来、相葉くんの司会がぎこちない、某芸能事務所のメンバーばかりが目立つとか演出意図が不明、投票結果の集計が不明など、散々な評価。

司会の嵐の相葉くんは緊張しすぎていて、話を飛ばしていたし、女優と思われる女性の司会者もぎこちなく文章が棒読み。
紅白の司会には、女優が抜擢されるケースが多い。
たとえば仲間由紀恵だったり、綾瀬はるかだったり、吉高由里子などが司会をやっていた。
女優だから仕方ないが、あんまりうまくない。
綾瀬はるかなどは曲の紹介の前に泣き出してしまった。
それでも紅白の場にふさわしい女優としての風格があった。
今回の女性司会者にはそうした風格もなく、なぜこの人が?と思ってしまう。
大体、この女性司会者も女優としては注目されているのだろうが、私はこの人を知らない。

総合司会者のアナウンサーだけがしっかり司会を進行していたんだけど、でもちょっと地味だったような。

有働アナはNHKのアナウンサーにしては華やかで、さらに司会としてもスキルが高いので、安心して見ていられたのに、とつい前の紅白と比較してしまう。

そして演出も凝り過ぎて、意味不明と酷評されている。

特にタモリマツコ・デラックスがよくわからないとネットでは言われている。

タモリとマツコは、紅白の入り口で呼び止められたり、関係者以外は入れない楽屋や通路などを2人でウロウロする。
さらに、紅白の会場に座席まで用意されていたのに、その席に最後まで座ることはなかった。

これでは視聴者はなんなのかわからないだろう。

これは多分、紅白歌合戦という一つの物語があって、その物語の外側にタモリマツコ・デラックスがいて、外側から紅白の物語を視聴者に見せている、という設定なのではないかと思う。
だから、最後まで紅白の座席に座ることはなく、マツコが最後に「これなら家で寝転がっていたほうが良かった。」というのがオチなんである。
これはこれで凝った作りになっていたが、それが視聴者には伝わらなかったのだろう。
タモリとマツコはこの演出意図がわかっていたのかは不明。

さらに細かいところでシンゴジラが出てきたり、いろいろ凝った演出があったようだが、そういうところは見ていなかった。

紅白歌合戦という番組は、毎年その番組の企画意図があって、さらに演出意図があり、出場歌手がいて番組が進行する。
だから、司会者はその意図を読み取って、なぜこのタイミングでこの人物や演出がなされているのかを理解していないと、アクシデントがあった時にうまく対処できない。
それが相葉くんには理解できていなかったので、何かちょっとした行き違いで、「えっ?何なに?」とパニクってしまったんだろう。
女性司会者はその企画や演出意図が全く理解できていないので、司会進行だけを棒読みで読んでいただけなのだろう。

紅白はそんなに凝った演出などしなくてもいいと思う。
そして、凝った演出を理解できる人たちばかりではない。

特にPerfumeの歌は残念で、せっかくの歌もよく聞こえず、そして3人の踊りもバックのCGがうるさいのでよくわからない。
これならバックを黒にして、3人にスポットライトを当てたほうが、彼女たちのパフォーマンスがよくわかってよかったとさえ思うが、ネットでは演出が素晴らしい、と書いてあった。
人それぞれ、受け取り方はさまざまなんである。

男でよかったのは星野源で、歌も大ヒットして本人も紅白の舞台に立てたのが嬉しくてたまらない、という感じがよく分かった。

女で良かったの宇多田ヒカル
宇多田ヒカルは、紅白のステージではなく、ロンドンの録音スタジオで1人でヘッドフォンをつけて歌っていた。
服装も特別ドレスアップしている、というわけでもなかった。

宇多田ヒカルの歌った「花束を君に」という曲はNHKの「とと姉ちゃん」のテーマ曲だった。
ほとんど毎日見ていたのでよく知っている曲だ。
この曲は宇多田の母親で、演歌歌手だった藤圭子のために書かれた曲だという。
藤圭子は数年前に亡くなったそうだ。
「花束」は亡くなった人に捧げる花なのか。
この歌には、今はなき人に対する想いや後悔、喪失感や悼む気持ちが強く表れていて、いい曲だと思う。
藤圭子もその昔、紅白のステージに立ったことがあったのではないか。
藤圭子を育てた関係者はまだ生きているんだろうか。
そして、もしまだその関係者がいるとしたら、藤圭子のその娘がまた同じ紅白に出場する姿を見て、なんと思っただろうか。
藤圭子は昭和の一時代を代表するような演歌歌手だったようだが、案外早く引退してしまった。
藤圭子は結局、宇多田ヒカルという平成の不世出の歌手を生み出すためにこの世に生まれてきたんだろうか。

作曲家の小室哲哉宇多田ヒカルが出てきた時、自分の時代は終わった、と思ったそうだ。

CMで流れる彼女の歌を聞くと、この人には心の中に闇があって、それがきっと若い人たちにはわかるのではないか、という気がする。

紅白の華やかな舞台装置やバックダンサーの前で歌う曲よりも、ロンドンの録音スタジオでひっそりと1人で歌う宇多田ヒカルの曲が一番良かったのはなんだか皮肉な話だ。

紅白は、NHKでしか見られない歌手や曲が選ばれればいいと思う。
NHKは民放のように視聴率など気にしなくていいのだ。
1年の締めくくりに、ああこの曲を聞いてよかった、と思うような曲が選ばれてほしい。
前はそういった歌手や歌が選ばれていたように思う。
たとえば美輪明宏であったり、「千の風になって」の歌であったり、坂本九平井堅の「見上げてごらん夜の星を」のコラボ曲であったり。

本当は、最後に去年暮れに解散が決まったSMAPが大トリで歌ってほしかった。
SMAPの曲はみんなが知っていて、みんなが歌える歌だった。
むずかしい曲ではなく、そしてみんないい曲だった。
嵐の曲は部分的には聞いたことがあっても、嵐のファンでなければ多分知らない曲の方が多いだろう。
しかし、SMAPはもう歌いたくない、と思ったのだから仕方ない。

SMAPがいなくなって、紅白は変わらざるを得ない。
そして、みんなが口ずさめるような曲はもう出てこないのかもしれない。

今のテレビ局は、NHKに限らず一般の視聴者が見たいと思う番組を作ることができない。

たかが紅白だから、特別どうこういうことではないかもしれない。

しかし、NHKはどんどん劣化しているな、ということをつくづく思う紅白だった。