リモートのWindowsサーバが高負荷により接続できないときのメモ

先日、リモートのサーバがなんらかの原因で高負荷になってしまい、リモートデスクトップで入れなくて困ってしまった。UNIX系のサーバであればリモートの管理にはTelnetSSHのような軽量なプログラムで行われるので高負荷な状態でも手も足も出ない状態にはなかなかならないが、そのサーバはWindowsであったため困ったことになってしまった。

だが、最近はWindowsでもリモート管理の仕組みが充実してきており、基本的な操作であればコマンドラインから可能となっている。今回は以下のようにして対応した(ただし、開発用などでポートがある程度開いている状態が前提である)。

  1. ローカルマシンの「コントロールパネル」→「管理ツール」→「サービス」を立ち上げ「操作」→「別のコンピュータに接続」でリモートマシンのサービスコンソールに接続する。
  2. デフォルトでは無効となっているTelnetサーバを起動する。
  3. Telnetで接続し操作する。
    • 特定のアプリケーションが高負荷の原因であれば、tasklistコマンドとtaskkillコマンドで強制終了できる。
    • リブートしたい場合は、shutdown /r で再起動できる。

ポートが開いているとここまでむちゃくちゃなことができるという意味では危険極まりないと考えることもできるが……

関わるつもりはないけれど

山形先生の話って長いけど結論だけ見ると「データは用法・用量を守って正しくお使いください」ってだけの話のように思える(用量って何だ(w)。GDPを過小評価するのも過大評価のも同じくダメだと。

で、厨先生の話は長いし難しそうだしどうでもよさそうだし、という感じだがコメント欄の「『現在の福祉』を問題にしている人達に対して、ある種の人々は『成長と将来の福祉』の問題に話を摩り替えてしまうことでないでしょうか」という話にはちょっと噛み付きたくなってしまった。

今がパレート最適でないのであれば、パレート改善を目指すべきなのは福祉の観点から見ても正当化できる。なぜなら、福祉というのは資源配分の問題に他ならないからだ。すでにほぼパレート最適が満たされていると思われる状況ならば、どのパレート最適の状態が望ましいか議論することに意義はあるだろう。だが、パレート最適とは到底みなせない長期の不況下において「パレート最適になったなら俺はこの赤い扉を選ぶぜ」などと言ったところでそれはマッチ売りの少女のマッチ程度の意味しかない。

もちろん、論者が今をパレート最適性が満たせた状態であると考えているならば別だが、そのときはまず経済学を学ぶことから始めるべきであろう。