“文字芸術”--感情と意志をもつ書へと・・

今年のNHK大河ドラマ龍馬伝」の題字は書家紫舟さんの文字芸術だ。≪書≫の既成概念を超越している。
このところ「書道」を題材とした映画やドラマの公開が相次いでいる。書道の甲子園と云われる全国大会や国際書道展など注目されているが、それでも書道人口はそう多くない。

書道に門外漢のボクが縁あって都の高校書道会に10年間関わりをもった。その間しばしば自問した----
「ルーツは中国にあるとは云え、書道は日本固有の芸術・文化であるはずのなのに何故、音楽・美術・演劇・映画などに比べて人気がないのか?」
中高生の書道界でよく耳にしたのは“書写書道”“漢字かな混じり”なる言葉である。

“地味で固くて暗め”といわれる書の世界だが、ひたむきに書道に取り組む若者の中にも≪千字文≫や名高い漢書をベースにした遺産の伝承から独創へと進む傾向が強まりつつある。
近年の高校生の作品の中に大書一文字が目につく。抽象画にも似た作品や具象にまで進化させようとする試みが窺われる。書の原点は、白と黒のモノトーンにある。海外からやって来た高校生が想像以上に書道の授業に興味を持つのは書特有のモノトーン美にあるのではなかろうか。
号を持つ自称書家の先生は書道を英語でCalligraphyと呼ぶのを嫌う。

書写、カリグラフィの領域を超えて、様式美、文字芸術を追求するのも自然の流れだろう。その意気は評価するものの、例えば大書一文字が何が書かれているのか、何を表現しようとしているのか素人がみてさっぱり解らない作品にお目にかかることが多い。

映画のなかで書道ガールズが躍動している。ダンスと音楽が加わるのにはビックリ。「女子高校生たちがパフォーマンスにひたむきに取り組む姿は、見る人に感動を与える。映画の題材としていけると思いました」と≪書道ガールズ≫のプロデューサーは云う。書道ガールズ・・現実の高校書道界も部活の中心は女子生徒だ。芸術で音楽・美術・書道の選択制を採っている高校が圧倒的に多いが、一部の学校を除けば、書道選択者は極端に少ない。都内には400校以上の公私立高校があるが、書道部が成り立っているのは80校に満たない。何故だろう。自問しながら答えが出ないまま高校書道界との縁も切れた。
問題は書道界の閉鎖性にあると思う。書家と自認されている大家の先生のなかにが尊大すぎる方が少なくない。教わる子供たちだが、お師匠さんに従順すぎないか。さらに云えば、Sense of Wonderの希薄さと国際性の欠如にあると思う。ある名のある書家曰く「どれほど学習を積み重ね、技術を磨こうとも、全人格が紙の上に表われてしまう」

紫舟さんも女性書家だが、次のように語っている---
「書を通じて、時代を創造するする人になりたい」「書には、美術品として、文字を表現する手段としての要素があります。私は後者の可能性を信じ、書き続けています。書という表現手段を用い、文字をイメージ表現・絵にする。文字に表情・感情をつけ、単なる情報としての文字に意志を吹き込む。その都度求められいる最良の答え--最も適した文字--で応えていくことができれば、日本の伝統的な書は、世界に通用する『意志を表現する』手段となる、そう信じています」

そういえば、≪沸騰都市≫の題字も紫舟さん手になるものだった。見事な心意気と志に喝采したい。