書くで書くで書くで、あたしゃ

 わーい終わった終わった終わった!


 今月既に労働時間が70時間超えたので(通勤時間除く入れると80時間超える)、燃え尽きたよ!でも、異様な忙しさって、祭りである。祭りだから楽しいのである。でも、きんにくにくいたい。初日夕方から動いてる最中に既に筋肉痛が始まり、ずうとずうと痛かった。寝起きは体が起きてないので痛くないの。運転してる最中にみしみし痛くなり始めるの。そういうのもなんだか面白いと感じるのは、マゾだからではなく、祭りだからだ。うん。




 ○教える

 
 えーとね、あたしは教えるときに科目をあんまり分けてないし、生徒によって説明がガスガス変わるので、特殊らしい。


 今センター試験を受ける予定の子供が主なので、結局全科目教えないとどうしようもないもん。


 古典の時に、単語や文法を英語に置き換えて説明したりする。ついでに日本史の教科書開かせて、時代背景を見させる。この時代は「中国が熱い!トレンドは中国だったんやんね」とか言うわけです。

 英語のときに古典を持ち出したり、動詞の説明を力学を使ったり、ベクトルを使って説明する。洋楽を聴く子なら、CDを出させて、その用法や単語が使われている歌詞を取り出して状況説明をする。読んでる漫画で知ってるのがあれば、そのシチュエーションを使って「こう言うときに使うねん」と、セリフを訳してみる。英語だけでも、1つの熟語が出たら、仲間の熟語を調べさせて表を作らせる。そのとき同じ意味の日本語も古典単語も書き並べさせる。英語長文によっては新聞記事を引っ張り出させたり、世界地図を持ち出させたり、世界史の教科書を開かせたりもするし。


 化学をやっているときに、数学の因数分解連立方程式をもう一度やらせたり、生物の分野のなかでの化学反応を書かせたり。手もとの風邪薬やシップ薬の表示にある化合物を調べさせたりもする。


 そのために色んな話題を振って(その時間は授業時間としては換算しない)、その子がわかる連想しやすい切り口を探していくわけです。


 こちらからまとめたものはほぼ提示しない。オカンが片付けてくれた部屋のほうが綺麗かもしれないけど、肝心な時に肝心なモノがどこにあるかわからんかったらどうしようもないやんけ。多少雑然として見えたとしても、自分が整理に主になって参加すれば、芋づる式に記憶というのは辿れるわけで。


 文系理系にかかわらず、受験に出てくるものはその特徴によっての仲間分け、場合分けばっかりなので、実際にはそんなに勉強法は科目によって異なるわけじゃない。と思うので、実際には単独科目で教えるってほうがあたしには難しいような気がする。まあ、学校では分けないとやってけないとは思うけどね。



 ○主婦

 専業兼業にかかわらず、主婦のヒトは苦手。「あなたは子供がいなくていい。自分の為だけに働けばいいし、だから、苦労が顔に出ないのよ」と、何遍も言われ倒されたからかなあ。

 別に親に売られて結婚したわけでも、手篭めにされて子供生まされたわけでもないのに、なんでそんな言い方するかなあ。



 確かに、主婦業は煮詰まると思う。煮詰まってたよ、昔。高校生の時までは主婦してたもん。もうイヤだったよ。朝3時に起きて、弟の弁当作ってたよ。親父はお腹が空いた時がご飯食べたいときなので、夜中の2時だろうが、3時だろうが、「ごはん」「オヤツ」て、あたしを起こしに来たよ。軽い食事が「味噌汁、おかず一品、漬物、ごはん」で、ちゃんとした食事は「おつゆ、おかず6〜7品、漬物2種以上、デザート」だったし。母親は持病があったので、父母弟でメインのおかずは3種類少しずつ変えてたよ。続けて同じおかずは許されなかったし。当時はお店が夕方6時には閉まるので、門限は午後5時だった。月々の小遣いはなくて、渡された家計費の余ったのを自由に使って良いことになってた。休日はたまった洗濯物と掃除をする日だったし、一日中オヤジがいるので、1時間ごとくらいに、ご飯オヤツお茶のローテンション(それはあたし。じゃなくてローテーションやんか)+オヤジの仕事の手伝い+母親の仕事の手伝い+いきなりのお客で、夏休み春休み盆暮れ正月はすんげえ大嫌いだった。
 母が倒れたとき、実家に戻って母の介護と仕事と家事をすることになり、30分以上続けて睡眠とらない日が1年以上続いたし、親父と喧嘩した弟の学費と仕送りはあたしの収入から払ったとも。くも膜下出血で記憶が部分的に欠落して不安になった母は半身不随が回復してからも、不安になるたび、泣きながら起こしにきたし、トイレに入ってたら、入り口に立ちはだかって泣くし、あたしの通帳を勝手に持ち出して、預金を勝手に使ったり、して、かんなり参った。気丈でない母の姿は直視できなかったらしいのと、発作直後からしばらく、母はあたしの名前以外は覚えていない(つまり父も弟の名前も間違えられていた。父は「あなた」、弟は母の弟の名で呼ばれた)のが大変ショックだったようで、肝心の時には泣くばかりで、足手まといというと気の毒かもしれないけど、泣いてて何か解決すんのか?とか、そんなヒマあったらオシメ換えるのを手伝えよ、とか思った。が、言うより先に自分でやるほうがよっぽど早いから言わなかった。
 しかし、それは家族にとってはごく当たり前のことだったので、評価なんてない。自分でも煮詰まりつつ、とにかくやらなきゃ単に後でせなあかん自分の仕事が溜まっていくだけのことだったし。それでも、母が入院していて、あたしも風邪で声が出なくなってたのに親父が「オレだって鼻水が出てるのに、お母さんばっかりかまって、オレもさびしいのに、なんでオレにはやさしくしてくれへんねん!」とすねたときは、しばいたろか、と思ったし(のちに本当にしばきました。腕力で勝てない親父は、逃げながら掃除機を階段の上から投げてきたので、受け止めました)。震災の時、壊れた家の荷物の整理に弟が来てたのだが、途中からあたしが高熱を出したとき「寝とき、何もせんでええから」というてくれたから、トイレ以外は寝てた。ら、だんだん機嫌が悪くなってくる弟。「腹減った」というので、××屋なら出前してくれるから、て言うたら「なんで、実家に帰って出前食わなあかんねん。なんで姉ちゃん作ってくれへんねん」…彼は便所に行ったり水を飲むレベルで姉はご飯を作れるのだと信じていたらしい。気が遠くなったね。母、あんたは教育を間違えたね、あたしも間違えていたよ。



 ていうのは、それはそれなりに自分にとってはレアな経験だったかもしれないし、結局は自分で選択したことだし、そのどさくさにまぎれて面白いこともあったから、「苦労」とは言いたくない。


 言いたくないけど、色々苦労話を直接振ってくる主婦のヒトの話を聞かされると


 まだまだヌルイんじゃ



 とか、心の中で思ってしまうん。


 

 「あなたは専門の仕事ができるから羨ましい」とか「あなたは恵まれてるから、羨ましい」とか言われるのも正直むかつく。勿論、色んなヒトにめぐり合うこともできて、恩師と呼べる(単位は落としたけど)卒業後も退官後も本当の子供か孫のように、心配してくださる先生にも出会ったし、恵まれてないとは全然思わないけど、今の仕事のやり方は習ったわけじゃない、自分のオリジナルだもん。問題集も市販のものは答えが間違ってることもあるから、全部自分で解答を作り直すことから始めたし。予備校にピンチヒッターで行ったら、レギュラーになりそうになって、ライバル視した他の講師(たぶん)があたしの用意したプリントをエロ記事のコピーにすりかえたなんて事件もあったり、結構修羅場もあるのよ。




 …ぜえぜえ。





 ○ワルクチ

 そうでないグループもあるかもしらんので、つうか、1万人とかそういう数字でないと、データとしてはじき出せないような気がするけど、あたしは女の集団が苦手なん。


 集団はおおよそ苦手なんだけどな、もともとが。


 もうね、「やせたい」とかいいつつ、だらだらケーキ食ってるのも、道を横に広がってだらだら歩くのも、お店で大きな声でわあわあきいきい話したり、混んできてるのに長居するのんも嫌いです。


 そんで、他の女性の悪口をいうのに、絶対


 「自分で思ってるほど美人じゃない。ブス」


 というのも、それ、全然話がちゃうやん


 と思う。


 例えばあるバイト先のヒトは、好みによるんだろうけれども、確かに美人と思うのです。巨乳だし。

 
 あたしが不審と思うのは、せっかく美人に生まれていて、自分でも美人であることを有効利用したいと思っているようなのに、その美女ぶりのわりには、大した利益を得ていないし、ちゅうことなんだけど。すごく無駄なむかつかせ方を周囲に振りまくので、仕事に支障がでるのでやめてくれよ、仕事自体は結構有能なんだから、もうちょっと賢く立ちまわってくれたら、お互い利益をより多く得られるのに、ばか?とかそういうことなんだけど。

 友達ではないんだから、善人か悪人かは、この際どうでもいいねんけど。

 とか、


 おっさんのワルクチを言うにしても、同性の噂話にしても、


 「あのヒト単身赴任?家庭持ち?独身?恋人は?」


 そんなんなんで興味あるねん。別にそれを知ったところでお付き合いしたいようなおっさんでもなく、レズでもないんやろ?言いたかったら本人が勝手に言うやんか。



 ああ。めんどくさい。



 さらにめんどくさい、と思うのは、あたし自身が女なので、「異性だからわかんない」と突き放せないからなんだろな、多分。男だったら、うっさいな、そんなしょうもない話なんか今聴きたないわ、で済ませられるんだがね。


 
 ○おっさん


 おっさん、嫌い。


 おっさんて、話がおもろないねん。


 なんで、自分の経験から話ができないのん?ああ、あのあたりから引っ張ってきたなあ、てまるわかりな受け売り話をしつこくしてくるねん。


 「もてる女になる」とかいう特集ではよく「男の話を興味深そうに聴いてくれる女」を推奨してるが、アレがあかんね。


 おもろない話はおもろないねん。


 おもろそうに聴いたるからあかんねん。

 だから、特にエリートと言われるおっさんの多くが特につまらんねん。


 あと、偉そうでなく親しみがある、ていうのと、媚びてなれなれしい、ていうのを混同してる気配であるのね。


 


 ああ、かなりすっきりしてきたぞ!




 でとっくす効果?




 


 というわけで、本題に入りたい、と思います。この本題にいきつくまで我慢できたヒトがどのくらいいるのでしょうか。おらへんかったりして。




 あたしの音楽の基本はカセットテープだと前に書いた。


 



 幼い頃はカセットテープは存在せず、今のCDくらいの大きさのまん丸のテープでした。


 プレーヤーも、ごっつうでかかった。


 母親の怒り方があたしに対してと弟に対してと、全然違う、と抗議したら「平等に扱っている!」というので、このでっけえプレーヤーで録音して聴かせたイヤな幼稚園児。


 預けられていたニュージーランド人のところでよくレコードを聴かせてもらってた。ステレオって、箪笥くらいの大きさだった。

 そこでサウンドオブミュージックなんかを聞いていたので、あたしにとってはドレミファソラティドだし、ドはドーナツのドではなく女の子の鹿だ。ナット・キング・コールサッチモもよく聴いてた。

 
 小学生までは体が弱くて、週半分くらいしか通学できひんかったので、お古でもらったラジオと本と布団が友達でした。


 中島みゆきのオールナイト日本とかよく聴いたな。一時「北海道出身?」といわれるくらい言葉がうつってた。

 中学生になり、ラジカセが欲しくなって、一年くらいうわごとのように言い続けていたら、やっと買ってもらえた。当時はCDじゃなく、レコード。初めて買ったのはUKのJAPANのアルバム。でも自分ではダビングできなくて、クラスの子にお願いした。クィーン、ポリス、YMOあたりばっかり聞いてた。JAPANは、歌詞が好きでした。オレンジレンジのデビュー曲は、JAPANのファーストアルバムに劇似なんでパクりかなあ。邦楽では甲斐バンドとか聴いてんとちゃうかなあ。「これいいから!聴いてみて」とダビングしたテープをくれるヒトがたくさんいた。

 高校くらいのときにビデオデッキが流通し始めたような気がする(弟が貯金はたいて買ってた。が、貸してくれなかった。けち)。あたしんちは、こういう機器には縁がなくて、中学くらいまで、白黒テレビの壊れたチャンネルをペンチで回してました(あたしより一回りくらい年上のヒトが中学生の時すでにカラーテレビだったと聞くから、白黒は当時すでに珍しかったみたい)。話は前後するけど、小学校のとき、懐中電灯みたいな形のリモコンでチャンネルをガチャガチャ遠隔操作で回す「ズバコン」ていうテレビがあって、あれ、欲しかった。


 大学に入って、初めて中古屋でテレビとビデオデッキ買ったよ!テレビは顔でいうとこめかみあたりにビニールテープが貼ってあった。旅館とかで、百円玉入れる機械がついてた跡らしい。デッキはVHSで、聞いたこと無いメーカーでした。「重いから負けて?」と、意味不明な交渉をしたら、合わせて一万円ちょうど。友達は「ベータだ!」て主張してたけど、消えたね。そして、今でも気になるけど、きったない字で「わたしは女優(18歳)」て、あのベータのビデオ、あれ、何?て、深く追求しないけどさ。

 このあたりでは、中森明菜と少年隊はテレビで良く見てた。少年隊の踊りの臭さがちょっとツボだったなあ。CDがこのあたりに出たのかな。LDは高級品で、ツレんちに行くと、たった一枚だけのスターウォーズのLDを手動で「この場面!」て自由自在にシーンを取り出して見せてた。神業だった。アニメオタクの友達が宮崎アニメをビデオに落としては、強制的に送ってきてたのでそれも見た。

 そのあと、レンタル屋さんがごぼごぼ湧いてきたので、ごぼごぼ借りました。もうなんでもええから、て感じで。


 笠置シズコにはまった時期もあるし、カーペンターズが英語の授業に使いやすかったので多用した時期もあるし、ブラックミュージックもええし、ハードコアも好きやし、インディーズマガジンを購読してたこともあるけど、大体は生徒が貸してくれたのか、FM聞いててアレこれええなあ、誰やろ?と思って借りたり買ったりしたんが多い。時代もジャンルもめちゃくちゃ。

 好きであっても、メンバーの顔なんかわからないことも多い。

 カセットテープに落としても、ヒトにあげるとき以外はタイトルも控えてない。単に箱に突っ込んであるだけなので、聴いてみるまで、どのアーティストのどのアルバムが入ってるのかわからない(授業で使うやつは別)し、どの曲がどのタイトルかも、実ははっきりしてない。

 車に積んでると、夏なんかは熱で融けて再生不能になったり、テープが伸びたり切れたりする。よそからもらったやつなんかは、それでもう聴けなくなったりすることもあるけど、それもしゃあないね、で終わる。


 音質も別にこだわらない。よっぽどひどいノイズで聴けないのんは別にして、こういうものは小説を読んだりするのとおんなじで、自分の心で補完しながら聞くものだと、思ってるから。


 生まれてからこっち、急激に色んな機器が変化して、生まれては消えてく。いちいちその流れに乗るのは面倒やなあ、てことでカセットテープで通してきたんだけど。


 この頃カーステの機嫌が悪くて、押し込んだテープを「ぺっ」て吐き出して再生してくれません。山のようなテープが、あたしの生活領域を侵しています。



 なので、また変換してかないといけないのかなあ、とか、一応思ってる、


 思ってる、


 思ってるが。




 どないなるかね、



 という感じで、



 今日はマリリンマンソン(たぶん)を聴きながら、強硬に攻めて見ました。まる。










 
 
 てか、最後まで読んでくれたヒトはお疲れ様どす。


 ありがとさーん(坂田としお風)