こんな短編が理想

理想の短編といえば、

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変 (集英社文庫)

地獄変 (集英社文庫)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)

夢十夜

夢十夜

ですが、
マンスフィールド短篇集 (ちくま文庫)

マンスフィールド短篇集 (ちくま文庫)

大学教授のように小説を読む方法

大学教授のように小説を読む方法

上記の 26 テストケース「ガーデンパーティ」P295より引用。
この作品は何を示唆しているか?
マンスフィールドの「ガーデン・パーティ」は、社会階級間の衝突を書いている。具体的には、人がいかに自分たちの狭い世界にとどまり、外界を遮断して身を護ろうとするかを描き出す。いかに競走馬のような遮眼革をつけるか(それがベルベットのリボンであっても)、と言ってもよいだろう。(略)死者を見つめているうちに、ローラは彼の死が残された家族を苦難に追い込んだ現実から目をそむけ、自分のライフスタイルが許容されたと感じることを選ぶ。彼の死は「ガーデン・パーティやバスケットやレースのドレス」とは何のかかわりもないと自分に納得させ、道義的責任から解放される。その「啓示」は感動的だった。ローラが兄に、「人生って」「人生ってーー」と言いかけて、結局説明できないのは、マンスフィールドが書いているように、「それでもかまいはしない」からだ。
例えば私達の多くは、ホームレスの方を街で見かけても、ローラのように、道義的責任から逃れるためにも、目を背けるか、見なかったことにしていないか?