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2011-10-24

[][]ミカエラのアリア


しずまれ!


ビゼーの、「カルメン」の有名なアリア、カルメンの「ハバネラ」ほどは知られていないが私にはより美しく感じられる。


ビゼーをはじめて知ったのは、カルメンの「前奏曲」のほうで、ビゼーだかなんだか知らないうちに聴いたことのある曲としてなじんでいた。といってもパロディというかカリカチュアというか、そんな感じで聴くことが多かっただろう。そのうち親子丼のもとか何かのCMに使われたはずだ。「ハバネラ」もアルルの女組曲)の(美しきパースの娘の)「メヌエット」も、美しきパースの娘の「セレナード」(「小さな木の実」)も知ってしまっていた。
「アルルの女」はそのうち組曲の生演奏を聴いて思いのほか面白いと思えた。「ファランドール」の民族舞踊的なほこりっぽい(?)力強いリズムの魅力に惹かれたのだが、そのときの演奏がそんな演奏だったかどうかはわからない。しかし、単調な繰り返しが魅力的に響くことが不思議だった。
第2組曲の「間奏曲」に惹かれたのは大学の卒業間近、後輩が部室の楽譜の棚から引っ張り出してきて合奏に取り上げてから。それから20年近く経って私が部室を訪れ、また引っ張り出し、ついでにふたつの組曲のポケットスコアを買い込んでほとんどの曲に夢中になった。なかでも、第1組曲の「アダージェット」。この短い曲がなぜこれほどの変化を孕んでいるものか。
また「カルメン」のCDなども買い込み・・・結局は同じ頃夢中になったハチャトゥリアンのほうに興味が遷りはしたが・・・。


いまもう亡くなられた先輩とその頃ビゼーについてメールのやりとりをし、なかに「ミカエラのアリア」がお好きだということを書かれていた。それは、何か真理をとらえていたるように響いた。といっても、そのときは趣味がいいな、という程度の受け止め方だったかもしれない。のちに、折に触れ、なぜか思い出し、その度にむしろ印象が強くなる。


先日まではプッチーニの「誰も寝てはならぬ」が気に入っていたのではあったが、例の有名な部分が始まる前の方が面白く、その部分が始まるとちょっとしらけるように感じられ始めたのは、このミカエラのアリアを思い出したからだろう。
その後、いろいろと・・・ちょっと前まではチャイコフスキーの「悲愴」、その前はブラームスの第1交響曲、結構前にはドヴォルザークチェロ協奏曲だったこともあった・・・頭の中で鳴り続けるメロディーは変わってきたが、ミカエラのアリアが鳴るようになってから、より心が騒ぐ感じがする。


なぜこんな音楽が生まれてしまうのだろう。
それを生んだ人間がそれにふさわしいかのように早世してしまう。ブラームスの後に生まれ、彼の交響曲第1番の前年に「カルメン」を初演したと思ったら亡くなってしまっている。
「アルルの女」の元も子もないが他人事ではない話、馬鹿な話だが、自殺する主人公の思いに身に覚えがないわけではない。どちらかというと普通の人よりは彼の仲間かもしれない、私は。
逆に「カルメン」のドン・ホセのようにはおそらくならないだろう。ドン・ホセが、ミカエラのこれほどの美しい歌として顕れるような心情に動かされないことが不思議だが、そうではなく、すでに取り返しのつかなくなりつつあったあとに、美しい歌が生まれたのだ。
それはなんだというのだ。


これも単に西洋のある時代の歌にすぎない。
何か愚かな時代の幕開けを、愚かなひとりひとりの時代をあらかじめ悲しんでいるなどとおおげさに考えるのはおかしい。
もっと世界も広く、何かにとらわれる必要がないことも私は知っていておかしくないはずだ。
西洋の音楽のほとんどすべてが、その外の響きを知らない狭い世界から生まれているということも知っている。
それでも、100年をとうに過ぎたあとの東洋の片隅で、むなしい情熱にとらわれ動けず、この響きから逃れることが出来ない。

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