日本が日中戦争を始めたのは経済的動機だった?

先日の続き。
加藤陽子氏はこう述べる。(「戦争の日本近現代史講談社現代新書、279頁)。

 満洲を切り離した中国本部に対して、日本は、貿易と企業の市場とする方向で臨みましたが、関東州と満洲を除いた中国本部と日本の貿易は、三一年から三七年で半減します。関東州と満洲での増加分を加えてもなお、補いきれないものでした。原因は、満洲国を傀儡国家化した日本に対しての、ある意味、当然のボイコットと、完全に関税自主権を回復した中国が保護主義的関税政策をとったことによる日本製品の不振にありました。
 重化学工業化を進めていた日本にとって、中国貿易の後退は深刻に受けとめられました。そこで、関東軍支那駐屯軍は、蒋介石の全国統一に妨害を加えることで、国民政府の対日政策を親日的なものに変えようと圧力をかけるようになりました。こうして、華北から、国民党、国民政府中央軍、東北軍(張学良軍)が、まずは日本の軍事力によって駆逐されました。

この説によると、「中国貿易の縮小をくい止める」ために日本は中国に軍事力を行使したということになる。「中国貿易の縮小をくい止める」ために、日本兵蒋介石の軍との戦闘に動員され、食糧補給もままならぬ極限状態に追い込まれた、ということだろうか。

ということは南京侵攻も「対中国貿易のために」蒋介石政権にダメージを与える目的で行われた(そのとき南京事件が起こった)ということになる。


こういう動機が「国を守るため」とか「英霊」といった観念からはかなり遠いのは論を待たないと思う。

無名の人々を…

ここまで書いて、先日読んだArisanさんのブログ・「Arisanのノート」所収 「遊就館の思想」の
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060109/p1

無名の人々を「虫のように」死なせることで生き延びる大きな仕組み

という言葉がリアリティをもって迫ってきた。
ぜひ全文を読まれることを願って一文だけ引用。

この意味で、「遊就館」や靖国の思想は、「虫のように」死んでいった、無数の人たちの魂にふれることはできないと、ぼくは思う。