NHKスペシャル「日中戦争」を見ました(1)


(間違えて12日付けにしましたが、エントリ作成は13日夜です)

ちなみに、8月16日(水)深夜【木曜午前】1時10分〜2時24分に再放送されます。

既にHiromix2004さんが内容の要約をされていました。
http://d.hatena.ne.jp/Hiromix2004/20060813#p6

日中戦争/なぜ戦争は拡大したか】日本は米国に負けたという意識はあるが、なぜか中国に負けたという気はしない。日本のマスコミは日中戦争を避ける気配がある。

番組は7/7、盧溝橋での国恥記念日の行事から始まる。いまだに「日本への憎しみを忘れるな!」というシュプレヒコールが繰り返されている。これは対日感情も悪いはずだ。中国は一撃で屈服すると軍事衝突を仕掛けた日本軍に対して、蒋介石は国際情勢を巧みに利用して徹底抗戦を決意する。当時、日本と防共協定を結んでいたヒットラーが中国に軍事支援を行っていたとは驚きだ。近衛内閣は米国の対日石油禁輸を恐れ、国際法上の戦争ではないとの立場から宣戦布告せず。これに対して蒋介石は上海に世界の耳目を惹き付け、日本への経済制裁を引き出そうとする。

日本軍上層部は戦場を上海に限定しようとするが現地軍は独走。南京さえ陥落させれば中国は陥落すると信じた。ところが南京に入城してみると脱ぎ捨てた大量の軍服が見つかる。民間人に変装した敗残兵がいるとの疑心暗鬼にとらわれた日本軍は、成人男子を虐殺。宣戦布告していなかったために捕虜の扱いを取り決めたハーグ陸戦法規が適用されなかった。

南京での日本軍の振る舞いを記録した米国人宣教師マギーの記録フィルムが米国に渡り、繰り返し上映されることで米国世論が動く。この動きに望みをかけた蒋介石は対米宣伝を強める。

蒋介石の粘り勝ちというか、日本軍の見通しの甘さというか。しかし、そもそも日本は、なぜ中国へ進出しようとしたのか。少し勉強してみよう。


南京侵攻の部分に関しては、Apemanさんがコメント欄でより詳細に報告されています。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060812/p1#c
(以下、 Apemanさんが本文のほうに載せると思われるので、それまでの間転載)

# Apeman 『以下、実況です。
松井石根の独走に呼応した軍中央の人物として、下村定作戦部長の名前が。
第6師団の参謀が、制令線を越えて進軍する部隊の様子を撮ったというフィルムがフッテージとして使われていた(後に、捕虜の様子を撮影したフィルムも紹介)。
南京への日本軍の進撃路がよくわかる映像(南京戦が包囲殲滅線であったことを押さえておかないと、南京事件はよく理解できない)。
蒋介石ソ連の参戦に期待していた、とのこと。南京を放棄する決断の遅れはこれが原因か。まあ、遷都なんてそう簡単に決断できるもんではないだろうが。スターリンは即時参戦を断ったものの気を持たせるような返事をしていた。
中国側研究者による農村地帯での聞き取り調査の模様。張連紅教授。寝台を盗まれた&老人殺害目撃の証言、父親を殺されたという証言。農村地帯での被害に触れたのは高ポイント。
第9師団の兵士の日記。中国兵の軍服、兵器が城内に散乱しているのを目撃。「奴ら、便衣を着たらしい…」。
歩兵第7連隊の戦闘詳報。城内掃蕩の命令。「青壮年は全て敗残兵、又は便衣兵と見なし逮捕監禁すべし…」 同連隊の元兵士の証言。敗残兵と非戦闘員とを見分けることの困難さについて証言。
難民区の紹介。捕虜として人道的に扱うように、との要請。ハーグ陸戦規定の紹介。戦線詔書の不在、陸軍省による「国際法を遵守することは適当でない」という訓令の紹介。
入場式を控えての、歩兵第7連隊への命令。「捕捉、殲滅」せよ、と。下関での虐殺を目撃した知り合いからの目撃談を聞いた、という日記。河に飛び込んで逃げようとした捕虜の殺害を目撃した、という証言(自分も一人斬った、と)。元兵士は「虐殺と(言われてもしかたない)」と。
歩兵第7連隊の戦闘詳報。12日間で敗残兵6670人殺害、と。
南京入場式の映像。提灯行列の映像。近衛の「国民政府を対手にせず」宣言。
国際社会での反響。ローゼン報告書の紹介。マギー・フィルムの存在も。マギー・フィルムの一部も紹介。『ライフ』38年5月号での南京事件特集。
以上、被害の規模(人数)に触れてはいないものの(22時9分段階)、歴史学における通説に添った描写である。こりゃ2chは祭りか?』 (2006/08/13 22:09)


なお、南京事件のところで出てきた「歩兵第7聯隊」は、上海派遣軍の第9師団の歩兵第6旅団に所属。

秦「南京事件」では129〜140頁、藤原「南京の日本軍」では41頁に登場します。
笠原「南京事件」では、第6旅団師団長の「青壮年はすべて敗残兵または便衣兵とみなし、すべてこれを逮捕監禁すべし」という指示が144頁、第7聯隊による掃討作戦の実態についてのフィッチ(安全区国際委員会)の記述が177頁、日本軍側の資料に基づく殺害数の表が225頁(第7聯隊殺害の6670も所収)にあります。

日本軍兵士が薪にするために家具を壊し始め、抵抗した老人を殺したという証言がでてくるが、飯盒炊飯のために、民家の家具や家屋を壊し薪にしていた、という事例は日本軍史料にも登場する。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060724/p2