今日の産経ニュース(11/5分)

■【劇場型半島】店員メッタ刺しの容疑者は守られるべきか 世論の厳罰要求に揺れる韓国
https://www.sankei.com/world/news/181106/wor1811060004-n1.html

 韓国では、容疑者の推定無罪と人権に配慮し、「キム某」「パク某」と原則、匿名発表される。上着などで隠して極力、顔がさらされないようにも努めてきた。メディア側でも顔をモザイク処理するなど、匿名報道を原則としてきた。
 だが、女性8人を殺害し、2009年に逮捕された男の事件をきっかけに、犯行の残忍さや被害の重大さに照らし、審議委員会の審査を経て容疑者の身元を公開できる特別法の条項が整えられた。今回もこの条項に基づき、身元公開が決まった。
 ただ、10年の適用以降、公開は今回を含め、18件に限られている。

 店員に注意されたら、逆上してナイフで滅多刺しにして殺害なんてもちろん俺も厳罰にすべきだと思うし、頼まれなくても検察が重刑を求刑し、裁判所が厳罰にするでしょうが、こういうさらし者には全く賛同できませんね。「裁判という法制度によって厳罰にする」以上「マスコミがさらし者にする必要はない」。
 こういう「さらし者にしてたたこう」つう感情論は本当にやめてほしいですね。
 とはいえ「韓国では、容疑者の推定無罪と人権に配慮」し「原則、匿名報道」つうのは「日本よりましだ」と思います。
 日本もこの面では韓国を見習うべきでしょう。まあ、「匿名報道を原則とすべきだ」なんてのは浅野健一*1『犯罪報道の犯罪』(1987年、講談社文庫)が30年も前から主張してきたことなんですけどね。日本のマスコミはこうした声を無視してきました。  
 まあふと思ったんですが、こうした「匿名原則主義」は「金大中氏のえん罪(光州事件のこと)」が影響してるのかなあと少し思いました。

 キム容疑者は、家族による診断書提出を受けて現在、精神鑑定が進められている。このことをめぐっても、大統領府の公式サイトに設けられた請願掲示板に「また心神耗弱の容疑者だ」と題し、「心神耗弱という言葉でいつまで処罰を軽減し続けるのか」と厳罰を求める請願があり、瞬く間に賛同者が拡大した。

 勘弁してほしいですね。心神耗弱や喪失は日本でも「こういう場合、弁護側からよく申し立てられますが」そう簡単に認められるもんではないし、認められた場合、無罪になったり刑が軽減されるのは仕方がない。
 別に心神喪失や耗弱だからといって「精神病院にも行かずに野放し」なんてこともないわけです。
 大体「大統領府に請願」て一体何をしてほしいのか。「検察に重刑求刑するよう、文大統領は命令しろ」というのか。それ正当な行為とは言いがたいでしょう。

 世論感情に左右されやすいと指摘され続けてきた韓国の司法界がまた、揺さぶられる事態となっている。

 最高裁が厳罰世論に忖度して死刑にしたとしか思えない光市事件のことを考えればこんなことを偉そうに言う資格は我々日本人にはかけらもないでしょう。むしろ韓国より日本の厳罰世論の方が酷いかもしれません。


■「ママ活」で高2男子補導…2時間7千円提示
https://www.sankei.com/affairs/news/181105/afr1811050063-n1.html
 パパ活の次はママ活ですか。最初聞いたときは冗談抜きで「俺は真面目な人間」なので、「父親の育児参加のことかしら?。最近イクメンとかいって、そういうのが話題になってるようだし。それともPTA活動のことかしら?」と思っていました。
 「パパ(もちろん父親という意味でのパパ)がする活動」と思っていたわけです。
 「何のことかわかったとき」は「そのパパかよ(呆)。しかも活動するのはパパじゃねえのかよ!」とげんなりしました。
 ネット上で「パパ活って援助交際(つうか少女売春)の言い換えじゃないのか」つう指摘がありましたが本当にそう思います。パパ活みたいな言葉で問題の深刻さをごまかすのはよろしくないと思いますね。

*1:著書『マスコミ報道の犯罪』(1996年、講談社文庫)、『犯罪報道とメディアの良心』(1997年、第三書館)、『脳死移植報道の迷走』(2000年、創出版)、『「報道加害」の現場を歩く』(2003年、社会評論社)、『戦争報道の犯罪:大本営発表化するメディア』(2006年、社会評論社)、『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(2009年、昭和堂)、『記者クラブ解体新書』(2011年、現代人文社)など