※イッポンワラビから話が飛躍した!
昔々を遡って、遠くに薄らと見えてきた、昔話が?
秋山鄕と「鈴木牧之」、牧之庵と「鈴木牧之」。ジッチャマがそれまでお勤めをしていた会社を早期退職(53歳で)して、お蕎麦屋をすることになった。
先ずは、お店の名前を考えなくちゃ? おいらが住んでいる(旧、塩沢町)、この地が生んだ江戸時代の文人「鈴木牧之」。その、お名前拝借で「牧之庵」と命名した。
そりゃ~、この地が生んだ有名な文人。正直言って、僕が秋山鄕との関わりを持ってから「鈴木牧之」の実在価値を、より鮮明にした。何たって秋山鄕に足を踏み入れると「鈴木牧之」の名前と崇拝の念は、本家本元の塩沢よりも数段上を行っている様に感じた。詳細を紹介すると、こんなことになるんだね。
☆鈴木牧之とは? どうして「牧之庵」になったの? ↓
(昔の記事の貼り付け) ↓
お勤め時代に、どうして秋山鄕まで行って建設工事をすることになったのかは、昔のことなので最初の出会いまでは、はっきり記憶に残っていない。
断片的に綴ると、僕のお付き合いの中のお一人のこと。彼はある会社の代表取締役、何かの切っ掛けでお付き合いが始まった。彼は秋山鄕が生まれ在所だが、生家には年老いたお父さんがひとり暮らし、自分は平地に下りてきて住居を構える。あるとき、何かのご縁で彼の実家にお泊まりした。秋山鄕で一杯飲んで泊めて貰ったんだね。当時、僕の頭の中には、会社を退職してお蕎麦屋をしたい、って構想が出来ていたんだね。彼とは、仕事の関係で二人っきりで方々に出かけ、私的な話を途中の車中でしたきた。冗談交じりで「おい、俺の実家で蕎麦屋をやらんか?秋山鄕も新しい事、活性化が欲しいよ」って言ってくれた。まさか!あんな僻地で出来っこないよ。冬場はお休み、お泊まり仕事かよ。冗談だが、言って貰えるだけの信頼関係が出来ていたんだね。ありがたかった。
秋山鄕に踏み入れてから、次々と別の出会いも増え、仕事も途切れなく受注した。道路改良工事、災害復旧工事、橋梁架け替え工事、雪崩防護柵工事等々。白根山まで行ったり、冬期長野オリンピックで上林温泉スキー場でハーフパイプも造ってきた。愛知県境の根羽村まで行って河川災害復旧工事までしたきたんだね。北信の栄村では五宝木ってところで道路も造ってきた。僕の名前だけで「現場代理人」も勤めたんだよ。「イッポンワラビ」の北野天満宮界隈では、温泉施設の建設工事も建築の技術屋を派遣して関与した。まだ北野天満温泉が計画途上だった頃、北野川の河川敷に池を造ったり、造園修景の仕事を貰って施工したんだが、水害で跡形も無く流された。これほどのご縁が、信州北信から始まって、全域に広がった。北野天満宮のご利益だね。