ふと思った

救われない「不運」について: マーケットの馬車馬
リンク先の本題は「不運ヘッジ」について、およびマクロな政策は(当然ながら)目の前の困窮者を救い得ない、という話だが、

もうひとつのムチは、非正規雇用者の組合をもっと充実させること。最近になって非正規雇用者の数が増えているということは、組織化すれば一定の交渉力を獲得できるということでもある。ただし、この組合は会社だけでなく正規雇用者の労働組合を敵に回すことになるので(労働組合にとって、非正規雇用者や失業者は自分の職を奪いかねない敵である)、実現のハードルは高い。

に引っかかってみる。
当たり前の話だが脳内整理メモ。

労働組合が望むのは「現状の固定化と安定化」であるということ。
僕らの世代が労組ときくと真っ先に連想する「賃上げ要求」は賃金の変化への要求ではなく「毎年賃上げされる状況」の固定化の要求にすぎない。

自由競争社会が健全に機能するためには経済の流動性が必要であって、かつて重要なのは商品(というか市場シェア)の流動性であったから不正競争防止法とか独占禁止法とか公正取引委員会とかが存在している。

労働市場もまた市場であるというのが、ここ数年の転職ブームでことさらに認識されてきた。
ということは、その中において「市場の流動化を損なう」活動は、害悪とされるのではないか。

しかし、どこにも固定化できない状況では、赤の女王が絶大な権勢を振るう状況でもある。

Excelと人月計算とスーツでできているやつらは、好きでそうなっているわけじゃない。

Struts脳の恐怖とRails - Djangoへの片思い日記
いや、好きでなっている人もいるのかもしれないけどね。

問題は、創造的にコードが書ける(はずの)環境を与えても創造的に仕事をしてくれない人たちにどうやって仕事をさせるか、という点についてなんですよ。

なんかリンク先は「Struts脳」が指す言葉が文中で微妙にぶれてるように思うけれども、登場人物は3個あって、「(センセーショナルにデビューしたStrutsを)金に換えようとしている奴ら」と「sessionが何なのかすら知らない人間」と「人月計算とExcelとスーツで出来ている奴ら」。これら(とくに最初のと最後の)は、必ずしも同じセクタの人々ではない。

「勉強もせず仕事以外でコードは一切書かない」人間しか与えられずに、それでもプロジェクトは成し遂げられなければならないから、なんとかそういう人間をおだてたり脅したりしてせめてセミナーでも受けさせ、コードを書かせなければいけない。
「仕様書という名の地獄の怪文書」は、しかしいちどその有り難味がわかってしまうと、その庇護下から容易に抜け出せるものではないよ。無知と無能と水掛け論と瑕疵担保の絡み合う暗闇の森の中で、ゆいいつ頼りになる明かりというのは、明るい陽光の下では醜怪にも見えようけれども、やはり「仕様書という名の地獄の怪文書」しかない。

俺だってExcelと人月計算なんか捨てて、Railsで創造的に協調的に自律的にアジャイルに動けるプロジェクトでシステムを開発してみたいけれども、そんな開発チームはいったいどうやったら手に入るんだよ。