妖精さんの独り言 2−4

虫たち


 ガーデナーと彼の虫たちとの間の関係性は、そのための一節を設けるのに値します。あなたはおそらく、私の直接的なレベルでの関係性は無頓着なものだと推論できたことでしょう。私は、ガーデンを土地のなかで正しい場所に配置し、正確な移植と割り振りを行ない、それから続くことに集中し、自然がそれ自体の道筋を辿るようにさせます。出入りする虫たちが、ガーデン全体のより大きな編み物のなかに魔術的に編み込まれるように思える、複雑なパターンを創造します。


 この種のガーデンを他の人たちに見せることに関する問題の一つは、一日の訪問では、彼らはその編み物の365分の1しか見ないということです。彼らは、青虫が植物の上に存在しているまさにその時に見るかもしれないし、もし彼らが一週間後に戻って来て、彼らが悲惨なことになっているだろうと考えたものが、もはや脅威にさらされていないだけでなく、もはや存在すらしていないということを理解しないかもしれません。その短い期間の間に、鳥たち、蜂たち、そして他の様々な生き物たちが、豊富な青虫たちという豪華な御馳走にありつき、植物たちはちょっともかじられることなく成長し続けるように放っておかれることでしょう。


 毎年毎年、この驚異的なプロセスを見つめてくるなかで、私は虫たちに対する態度を、彼らが攻撃し、弱め、損害を与え、破壊することに焦点を当てるものから、それぞれの虫が無数の他のガーデンのメンバーたちに提供する贈り物に焦点を当てるものへと、転換することができました。翻って、このことは私に、虫たちの植物王国と関係する権利を見ることを可能にしました。それは変に聞こえることは確かですが、しかし、私は環境の統合的な一部としてだけでなく、ガーデンの作物や収穫の一部として虫たちを見るようになったのです。彼らは多くのものたちを食わせています! 私は、ガーデンの他のものたちに対してと同じように、彼らの健康と活気を高めています。そして私は、それを引き出すためのもの、虫たちのバランスのとれた最大限の生息数、翻ってそれはその環境のすべての生命を支える助けとなるのですが、それをサポートするためのものとして、ガーデンを見なしています。


 ところで、実際的なレベルでは、このことは私が虫たちと新しい方法で共存することを学んできたということを意味します。もし私が自分のガーデン環境に彼らを快く迎え入れるつもりなら、私は間違いなく虫の必要性を無視した方法で操作することはできないでしょう。鳥の水浴場はまた、鳥たちのためのものであるのと同じように、虫たちのための水資源でもあります。爬虫類の池では沢山の虫たちの活動が行われており、翻って、ガーデン・エリア全体を通じてトンボの一群を付け加えることになりました(トンボたちは虫たちを食べて非常に大きくなります)。私は野草のエリアの一部としてタンポポたちを歓迎します。というのも、かれらは早春の上質な蜜の供給源だからです。もしマメコガネのプロセスが大事な段階にあり、彼らのサイクルを成功裏に完成させるのにもっと時間が必要なら、私は豆の生産が完成した後も長い間、インゲン豆の畝を生やしたままにしておくことでしょう。ハーブの畝のなかに、私は個人的にはまったく必要のないハーブであるコストマリーを植えるように言われました(それは医療用のお茶に用いられると聞きました)。毎年、義務的にそれに肥料を与え、そして早春には、それは一億ものアリマキに完全に覆われてしまいます。約一週間後、同じ数だけのテントウムシがコストマリーに現われます。それから間もなく、アリマキはいなくなり、テントウムシたちはガーデンに散らばりました。だから、私はペレランドラのコストマリーは、実際にテントウムシのエサ場であり、飼育所なのだと確信しました。


 私は虫たちを手で取り除きません。私は、彼らのプロセスにまったく干渉しないように試みます。もし何らかの剪定のプロセスで卵のうを邪魔しなければならないなら、問題の枝の周りだけで作業するように試みるか、あるいは剪定した枝を縛って、他の同じような環境のなかに置くようにします。


 早春の温かさに打たれるや否や、蜂たちがいたるところに巣をかけようとし始めます。ほとんどの場合、私の存在が夏の間を通じて脅威になると思える場所にないかぎり、このことは問題にはなりません。一度、幼虫たちが産まれると、成虫の蜂たちは攻撃的に保護します。このことは私にとっては当然のことのように思えます。私は、人間の両親たちが、彼らの子どもたちが何らかのやり方で脅かされているときに、攻撃的に保護するのを見てきました。だから、私は蜂に関してもこのことに敬意を払い、私の存在が脅威と見なされる場所・・・私の庭の小屋の玄関脇の柱や、庭の日除けの頻繁に通りかかる場所には巣をかけないように取りきめています。取り決めがされた後は、クラレンスか私が、幼虫の卵が産みつけられるより前に、それらの場所から巣を締め出すようにしています。


 私がガーデンの外周のバラの茂みのなかに植えたとき、私はマメコガネがどのように反応するだろうかと疑問に思いました。私は、ペレランドラ・ガーデンのバラのリングに、600マイル以内のすべてのコガネムシが引き寄せられることを思い描きました。私は農薬を散布しないし、いかなる方法でも彼らの邪魔をしないので、彼らは完全な自由を持っています。そう、私のところにはマメコガネがいます。しかし、その数は、彼らの自由の光にしては、驚くほど少ないのです。そして彼らはバラのリングを攻撃しません。彼らはむしろ穏やかに一定のパターンでリングの周りを移動するので、すべてのバラの茂みはマメコガネの季節のあいだの異なる時に、満開になります。私はまた、自分がコガネムシたちに彼らが選んだバラの花の上に居続けることを許すなら、彼らは移動する前に完全に食べてしまうまで、その花のところに居続けるだろうということを学んでいました。彼らは花についての記憶を持っているように見えます。そして、彼らはその日の間じゅう、周りを飛んでいるかもしれないけれども、彼らは午後には特定の花に戻って来て、夜のあいだもそこに滞在することでしょう。もちろん、私はまさに同じコガネムシたちが特定のバラに戻って来ることを確かめたわけではありません。しかし、一本のバラがコガネムシたちを接待している時には、完全に貪り食われてしまうまで、茂みの中で唯一の接待者でありつづけるということを確信しています。しばしば、コガネムシたちは、同じ茂みの中の別のバラへ行くよりは、他の茂みに移動するようです。だから、もし私が彼らの邪魔をしないなら、私が同じ茂みの中の10本のバラを楽しむようになる間に、彼らは1本か2本のバラを食べるのです。結果として、私のバラにマメコガネはいるのですが、彼らが問題の近くにいることはないのです。彼らは、バラの環境の肯定的な部分をなしているように思えます。


 私はガーデンの虫たちが、コミュニケーションの素早い緊急要員として機能していることを見出しました。もし私が突然、虫たちに圧倒されたり、圧倒されそうになっている畝や植物を見たら、私は適切なディーヴァに対して開いて、植物のバランスが崩れていないか尋ねることでしょう。例えば、私は特定のバラの茂みがアリマキたちに覆われているのを発見するかもしれません。私が尋ねてみたところ、パニックに陥らないで、ちょうど計画通りに毎月の施肥を行なうことが、茂みのバランスを回復すると言われました。一度、私が計画通りの施肥を行なうと、24時間以内にアリマキたちは茂みを去りました。別の例では、ガーデンのなかにブロッコリーが移植されたすぐ後から、一年の時間をかけて変化させました。ナメクジたちが乗っ取り、そして植物たちが葉や茎にダメージを受けるのに、そんなに長い時間はかかりませんでした。私はブロッコリーのディーヴァとつながり、私はそのダメージを受けた植物たちを、新しいものと入れ替えるべきかどうか尋ねました。私はノーと言われました。それから私はダメージを受けた茎より上に土を寄せて、海藻の液肥で灌水し、樫の葉でマルチするように言われました。私はまた、ブロッコリーのタイミングがシフトされたことと、ナメクジがそのシフトを促進したことを知らされました。もし私が指示に従うなら、今の植物たちが形を変え、新しいリズムのなかで彼らの成長を継続することでしょう。言うまでもありませんが、私はその指示に従い、植物たちはまさに彼らがそうなると私が言われた通りに反応しました。


 大事なことは、私がガーデンのなかでの虫たちの役割を見る時に、私はバランスのとれた相互作用を仮定します。私は、ガーデンが破壊に勤しむよそ者の虫たちの略奪団に突然、攻撃されるようになったとは仮定しないし、私の支配を再確立するために戦いを行なうという態度で反応することもありません。そのかわりに、私はコミュニケーションと奉仕を仮定します。これらの瞬間に、私はいつも何が起こっているのかについて途方に暮れてしまいます。だから、私は何が起こっているかについてと、何らかの方法で私が援助できるかどうかについての指示や洞察を得るために、自然霊かディーヴァとつながって、質問をするのです。私の経験では、私がブロッコリーに対して行ったような援助を求められることは稀です。普通、私は変化が存在し、すべてはコントロール下にあると告げられます。それから、私は単純に後ろへ下がって、新しいリズムが広まるのを観察します。


 1992年に、私は虫たちに関して特別なものを付け加えました・・・虫のサンクチュアリ(禁猟区)です。これは私たちが虫のバランスをとることと、虫の三角測量プロセスに関して行ってきたことの直接の結果です。その後で自然は、虫のサンクチュアリ(私たちは愛情を込めて「虫大通り」と呼んでいます)は、虫を引きよせたり住まわせたりするエリアであるばかりでなく、採草地や野生の花のためのエリアでもあると説明しました。サンクチュアリは、虫が癒されたりバランスを回復したりする作業が行われる場所であり、サンクチュアリがその活動を安定させ強めるためにレイアウトされ、デザインされた方法でもあります。自然霊は、虫のサンクチュアリはガーデンのなかの植物たちとともに働くだけでなく、ペレランドラ・ガーデンの環境のなかに存在するすべての虫たちの癒しとバランスにも関わるものだと言っています。簡単に言うと、これらの自然霊のなかの何人かは、基本的には、虫の癒しとバランス回復の分野のなかで働いているのです。虫のサンクチュアリは、かれらの作業の土台であり、この分野で自然と私が一緒に働くための配置なのです。


 私は、ガーデンに私が足を踏み入れた最初の瞬間から、この共同創造に関する新しい態度を携えて、昆虫界が完全かつ全体的なバランスのとれた反応をしていたと考えるように、あなたをミスリードしたいとは思いません。ガーデンがその癒しのプロセスを経るのにつれて、虫たちの生息数もそれに応じて調整されてきたのです。私がこの本のなかであなたに与えてきたパズルのピースを発見し、それを欠けた場所に置くのに、17年かかりました(あなたはこの本を持っているのですから、そんなに長くはかからないでしょう!)。私が新しいピースを付け加えるたびに、虫たちを含めたガーデンは整い、より強いバランスに達しました。私はこのことを、物事がおもわしくないように現われ、忍耐を持つように強いてくる時に、あなたを助けるための努力として言っています。もしあなたがそのプロセスに忠実であるなら、あなたは別の端から出てくるでしょうし、あなたのガーデンは私のものと同じように、友好的で活気を与えるようなものになるでしょう。


出典 “Perelandra Garden Workbook”by Machaelle Small Wright in 1987,Second Edition 1993.Published by Perelandra,Ltd. P.167〜P.180