♯6多村仁外野手

ハマのスペランカー、福岡に参上。

基礎データ

1977年3月28日、神奈川県出身。179cm、72kg。右投右打
横浜高校から横浜ベイスターズを経て2006年ソフトバンクホークスに入団、現在に至る。

エピソード

高校時代には斉藤(巨人)、紀田(元横浜)、矢野(元楽天)らと共に甲子園に出場。
横浜入団時から攻走守三拍子揃った「5ツールプレイヤー」として期待されるも、度重なる怪我が原因で最初の数年間は出場機会に恵まれなかった。1998年の横浜優勝のシーズンも、ケガが原因で2軍でも試合に出られなかった、という運のなさも特徴の一つ。
2003年頃から出場機会が増え、2004年には初の規定打席に到達すると共に、横浜の日本人選手としては田代以来の40ホーマー達成。
ケガの多さは特筆できるものがある。近年の故障を挙げてみる。


2004年
2/27 ポスター撮影中にジャンプして右足関節捻挫
4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴
5/ 3 キャッチボールでぎっくり腰、登録抹消
6/ 5 フェンスに激突でセルフエルボー、途中交代
6/24 前日の試合で空振りした際に肩を痛めスタメン落ち
8/11 試合前の練習中に腰を痛めてスタメン落ち
8/28 ファインプレーをした際に膝を強打し途中交代
9/19 ストライキの際の握手会で左掌の炎症し、その後2日連続スタメン落ち


2005年
1/ 1 寒川神社に初詣に行き家族の健康などを祈願するが、自分が風邪をひいてしまう。
2/11 沖縄で野球教室を開き、肩に野球バックを掛けたまま何百人にサインした結果、左肩が内出血。
3/30 全試合出場を目標に掲げていたが、開幕直前にインフルエンザに罹り緊急入院。開幕三連戦の出場を断念。
4/24 サードゴロを打ちヘッドスライディング敢行するもアウト。右肩負傷で途中交代。
5/6〜7 GW中からの発熱を押して出場するも無理がたたり気管支炎に悪化し、欠場。
5/20 センターからバックホームの際、右肘を痛める。
6/4〜5 痛めた右肘の影響か、DHとして出場。
6/14 打球を右足甲に当て途中交代。
6/21〜 疲労をおして出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にぎっくり腰を発症し、自宅休養。翌日登録抹消。
6/29 横須賀の練習場へ向かう途中、愛車が雨でスリップし、側壁に衝突。エアバッグの衝撃で左顔面と左肩を打撲。
   自分で119番し、検査のため緊急入院。自身初の新聞一面に
   後に語る「スリップしたとき死んだと思ってハンドルから手を離したが
   家族の顔が浮かんでまたハンドルを握った」
8/28 健康診断で飲んだ造影剤で気持ちが悪くなり、試合を欠場


その他
お立ち台から降りるときの、ファンからの野次「台から降りるとき、気をつけろよ」
野球雑誌のネタ「守備につくときは、リリーフカーに乗っていけ行け」
小学生にケガから早く回復する方法について質問をされる。「直すぞという意思」が大切だと話す。

今季の多村

まずは今季のケガの記録から。


4/ 6 左耳付け根付近の腫れ物のため途中交代
4/7 耳にデキモノ(炎症性アテローム)で39度の高熱。一打席だけ試合に出るが途中交代
4/9 4/8に出塁した際、帰塁時に首・肩を痛め、代打のみの出場
4/20 打撃練習で左肋軟骨挫傷のため出場選手登録を抹消
6/3 打球を追いかけた際に左足首捻挫。途中交代。
6/7 捻挫からの復帰第一打席後、本塁突入の際、捕手と激突し古傷の左脇腹を痛めて退場。検査の結果左肋軟骨挫傷の疑い、前半戦絶望。
8/19 東スポに多村 江原啓之に霊視をお願い記事を載せられる
8/20 先日19日に二ヶ月振りに一軍復帰も死球を受ける。20日には腰痛のためスタメン落ち
8/27 スタメン復帰4試合目、ベースランニング゙中に左足の内転筋に強い張りを感じたため途中交代
10/24 右腰痛


そんなこんなで、昨年よりも大分成績が下がったものの、得点圏での勝負強さは健在。打率よりも5分高く、OPSもまずまずの数字。
恐らくホークスでは「3番・ライト」に固定だろうから、来季も彼らしく適度に休みつつ頑張って欲しい。