九時起床。疲れている。梅雨時に体調を崩すひとは多いようだ。高校一年の六月、クラスの3分の1が欠席ということがあった。担任はホームルームで「梅雨時は体調が乱れやすいから」と言い、ふーん、そうなのか、と思った記憶がある。そのころは、季節による体調の変化になどまるで無頓着であった。少々具合が悪くても気合いでごまかす。そんな方法を身に付けていたのかもしれない。だがそれから二ヶ月後、ぼくは陸上部の夏の強化練習でブッ倒れることになる。
午後からカミサンと上野へ。東京国立博物館で若冲展を見る。ついでに考古展のほうも。子どものころに住んでいた古河市の総合公園という場所には貝塚があり、ちょっと掘り返すと古代人が食べたという貝殻や、使っていたらしい土器の破片がわんさかでてきた。同級の子と三人くらいで夢中になって拾った記憶があるが、あのときの破片はどこに行っちゃったんだろうなあ。
夕食は荻窪ルミネの「洋食亭ブラームス」で。
東京国立博物館 プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展
江戸後期を代表する絵師、伊藤若冲の作品を中心にした企画展。狩野派なんかと比べると異端なのだが、近代から現代に至る世界中の美術を(節穴同然の目で、ではあるが)ひととおり見ているぼくらから見ると、当時の評価がどうのこうのというよりも、走った筆、今にも動き出しそうな躍動感のある対象物、それを捉える観察眼、そしてそれらに秘められたオタク的遊びごころに対し、純粋に畏敬の念を抱いてしまう。
若冲の作品のほか、同時代およびその前後の日本画作品も大量展示されている。
以下、特に気に入った作品を少しだけ。
●伊藤若冲「群鶴図」
グラフィックデザイン的な感覚が伺える。動物はみな、好き勝手に生きている。だがその好き勝手さがまとまって、種を成しているとも言える。そんなことを感じさせてくれる。
●伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」
枡目画と呼ばれるモザイク手法で描かれた大作。ルソーの作品に似てるよなあ、と思っていたら、今日の「美の巨人たち」(テレビ東京)でおなじことを言っていた。
●伊藤若冲「伏見人形図」
脱力。
●伊藤若冲「紫陽花双鶏図」
鶏の生命力が、生命を超越している。バックの紫陽花の濃い青の色と折り重なると、鶏が鶏でなく、より神々しい存在に見えてくる。
●渡辺始興「鯉魚図」
この絵師は知らなかったのだけれど、若冲よりは早い時代のひと、なのかな。滝を登る鯉の躍動感が、墨だけで力強く描かれている。
●曽我蕭白「唐人物図」
江戸時代の画壇のパンクロッカーですな、蕭白は。一発で変換できたのでおどろいちゃった。えーと、作品は、人物なのだが極端にデフォルメされているので妖怪画みたい。
●曽我蕭白「鶴図」
若冲とはおなじ素材ながら対照的な描き方。親子の鶴が描かれているが、仲むつまじいというよりも、なんだかいつか訪れる別れを今から悲しんでいるような。生きるものの悲しみ、どんな動物もかならず背負う原罪のようなものまで見えてきてしまい、せつなくなる。