ヒューゴの不思議な発明


1930年代、パリの駅の時計台にたった一人で住む少年、ヒューゴ(エイサ・バターフィールド)。
彼に残されたのは父の形見の機械人形だけで、ヒューゴはそれを修理すれば何かを掴めると考えていた。

そして少女・イザベル(クロエ・グレース・モリッツ)や玩具修理店の店主ジョルジュ(ベン・キングスレー)との偶然の出会いが、
機械人形の謎を解き明かすカギとなっていく…



観賞日

2012年3月12日







【83点】(映画好きとしてこの点数)









『ミーンストリート』、『タクシードライバー』、『ディパーテッド』、『シャッターアイランド』などなど数多くの有名映画を送り出してきた巨匠、マーティン・スコセッシ。暴力描写や暗く湿ったイメージの映画が多い彼の新作は、なんと子供を主役にしたファンタジックな映画。(のように最初は思っていた)





ただし注意したいのはこの映画、予告編のイメージとは全く違うこと。
(どう考えても宣伝する側の演出が失敗しているとしか思えないが…)



どちらかというとファンタジックなファミリー映画というよりも映画好き向けということだ。

しかし演出面では、どんな世代にも受け入れられるような素晴らしい映像美を魅せてくれた。
この演出だけでも映画館で観る価値が十二分にある。
























前述の通り、今作のストーリーはファミリー向けのファンタジーというわけではない。
むしろ、最初期の映画史にも通ずる物語だ。



実際の白黒映画時代の映像も用いられ、映画が登場した時の興奮も語られる。
まさしく、映画が「想像が現実になる」場所として最も盛んであった時代の話。
リュミエール兄弟が発明した映画に対してリスペクトしているし、その映像を見たことがない人にとっては映画が最初はこういうものだったのかと思える。


さらに登場人物たちは嬉々として映画の魅力を語ったりする。
今や当たり前のジャンル過ぎてこう思われることも少なくなったが、人々の言葉があることによって映画の力強さを再び思い出せる。
だからこそ、この映画が映画愛にあふれた映画だと言える。













もうひとつのストーリーラインとして、父親を喪失した少年が現在を迷う話というポイントがある。




これは公開中の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の設定と相似していて、
残されたものをヒントにして自分の道筋を照らし出そうとする主人公の試みも一致している。

孤独を感じ生きる少年が、人々との出会いを通して”生きる”ということを知る。
過去に縛られ過ぎるのではなく、未来へと一歩踏み出してく。


マーティンスコセッシらしからぬ、(と言っては失礼だが)希望に満ち溢れた作品として、
孤独を感じた人に力を与えてくれる。そして作品の力を信じさせてくれる。


























少年ヒューゴを演じたのは、『縞模様のパジャマの少年』で英国インディペンデント新人賞にノミネートされていたエイサ・バターフィールド



そしてヒューゴと出会う少女イザベルを演じたのは、今大注目株の女優、クロエ・グロース・モリッツ。
今作でも相変わらずのオーラで高い存在感を放っていた。
キック・アス』でのヒットガールの役が記憶に新しいが、今後もティム・バートン×ジョニーデップの『ダーク・シャドウ』などの大作が控えている。

オーディション時にスコセッシ監督に対してイギリス訛りの英語で喋り、イギリス出身だと思わせた「役者」っぷりも見事。
逸話が残っている時点でもはやスター。どんどん女優としてのオーラを増していく彼女に、今後も期待。



























アカデミー賞で技術・美術系の5部門を受賞した本作。
その事実が証明している通り、この映画のみどころは見事な3D美術にある。




映画に3D”革命”をおこした『アバタ―』以来、3D映画はなかなか満足できる作品がなかった。
「とりあえず」飛び出すという作品が多く、効果的な演出に用いられてるとはどうも思えなかったためだ。

一過性のブームのような、「派手な映像になら3Dが映えるだろう」というものになっていた。
(しかしそれでもシリーズもののアクション映画のマンネリ化を防いではいたが)














だが今作はそんな3Dとは一線を画す。
ド派手な映像だけではなく、カメラワークや背景と人物の遠近感など多岐にわたって3Dの効果が駆使されている。




まず目を引くのが、人ごみの中をカメラが抜けていくカット。人物が次々と奥から目の前へと飛び出てくる様は、
自分がまるでカメラ視点と一体となったかのように感じられる。

さらに人物がセリフを強調しようと身を乗り出す場面では、人物がまるで自分の前へと飛び出してくるかのように演出されている。
ぬっとこちらに近づく様は、実際にこちらへと近づいてくるような錯覚を起こさせる。



人物の手前に何か物が置かれているだけで観ているこちらとしても映像の印象がだいぶ異なってくる。
これはひとえにどのカットでも3Dが意識されているからだろう。

手前のものに焦点を合わせてから、奥に焦点を合わせるカットも3D映画という特性を生かした素晴らしいカットだった。














3Dで現実世界を立体的に描き、映画内の映画(白黒映画)を2Dっぽく描くという演出も見逃せない。
映画をさらに映画で描くという、2段構えの構造。
これままるで最初期の映画が観客に与えた感動を、新たに3Dにすることによって与えようとする試みのようだ。







時折白黒の映像でも3Dでみせていたが、白黒なのに最新技術という矛盾も面白い。

とにかくどのカットでも実験的な3Dの使われかたがある。このあたりはぜひ劇場で確かめてもらいたい。
3Dの使い方に注目すれば、この映画の楽しみがさらに膨らむはずだ。

むしろこれを2Dで観るのは『アバタ―』と同じく損。高い音響のレベルも含めて、劇場で観ることを強くお勧めします。




















映画愛にあふれたこの作品、映画好きにはたまらない。
そしてまた映画の、作品の力を信じてみたくなる「魔法」のような作品だ。
宣伝で仰々しくうたわれていたファンタジーさ、つまり魔法は、映画というジャンルそのものにあった。




http://www.youtube.com/watch?v=oYxtCC8rA74