破局に向かう(?) 合併協議

破局に向かう(?) 合併協議

 本埜村議会は、定例会最終日の6月10日、5,496万円の一般会計補正予算案を反対多数で否決した。予算案の中には、1市2村の合併を問う住民投票の実施費用などを定める要綱案が盛り込まれていたが、これも否決されたため、小川利彦村長が目論んでいた住民投票は実施できなくなった。

 5月29日の第7回合併協議会で、小川村長は、「自分が『広報もとの』などに書いた文章のことで、前回の協議会が空転したことを反省する」と発言し、協議会の委員たちに頭を下げた。しかし、この発言の後半ではしきりに「日本国憲法」に触れており、要は、憲法で保障されている思想・表現の自由を踏まえて、今後とも合併推進に対する疑問、批判活動は遠慮なく展開することを宣言しているようにも聞こえた。事実、この協議会の翌日には、自ら村内を回って「小川利彦後援会だより」No.3を配布しており、その時の姿を見た何人かの村民の話では、「なにか晴れ晴れした表情」だったという。

 そして、今回の住民投票実施予算案の否決である。これによって、小川氏が目論む住民投票の実施が困難になったことは喜ばしいが、同時にこれは「住民投票に示される村民の意思には従う」としてきた小川氏が、「村民の意思を確認するための住民投票ができなかった」ことを理由に、合併協議の合意書に捺印しない可能性がでてきたことにもなる。

 小川氏は、議会からの公開質問状への回答で、「村民の意思」について「有権者総数の過半数が合併に賛成の意思を表明すること」としており、現実には住民投票投票率などを考えると、この条件をクリアするのは至難の業とみられることから、住民投票の実施は、小川氏が合意書にサインすることを拒否するための口実づくりとみられていた。しかし、住民投票を小川氏から奪ったとしても、結局同じような口実を小川氏に与えることには違いなく、本埜村議会および印西市など合併協議を進めてきた側は、小川氏によって、ついに断崖絶壁に追いつめられたといえるのではないか。

 以前、掲示板にも書いたことだが(「合併協議会どうでした?」−スレッドNo.15)、第7回合併協は、後から振り返ってみて、1市2村のリーダー(首長、議会議員、有識者の委員)たちが、小川利彦氏に「完敗」した日として記憶されるのではないか。

 たしかに、形としては協議会の席上、小川氏が「反省」し、頭を下げるという「儀式」はあったが、あれはまさに「儀式」以上でも以下でもなく、むしろあの「儀式」をもって、小川氏は合併つぶしのフリーハンドを得たのではないか。小川氏からみて、本埜村議会も合併協議会も、小川氏の合併つぶしを阻止する、何らの有効策も打ち出せなかったわけだし、むしろ5月29日の合併協議会は、そのことを満天下にはっきり示した会議だったといえる。協議会の翌日、自身の「後援会だより」を村民に手渡す小川氏の表情が「晴れ晴れして」いたという伝聞もさもありなん、である。

 合併協議というのは、前回の2市2村の時もそうだったが、「合併協議会だより」というパンフレットは頻繁に新聞折込で各家庭に届けられるし、やれアンケートだの、やれパブリックコメントだの、一般の住民の目にはいかにも協議が順調に進み、「もうここまで来たのだから、合併はできるんだろう」という気分が広がりやすい。今回も、身の回りの人たちの雰囲気をみても、そうした気分がかなり強まってきている。

 しかし、本当にそうなのだろうか。
 (長くなるので、以下、次のエントリーへ)