この半年を振り返ってみた 〜2011年3月篇 その3〜
2011年3月上旬のマレーシア旅行、今回はその3日目です。
【3日目】
3日目。
この日は、コタキナバルへ行くなら絶対に行きたい!と思っていた場所へ……そうです、この写真(↓)の場所です。
ここは、コタキナバルからボートで20分ほどで行ける「トゥンク・アブドゥル・ラーマン海洋公園」の5島の中の1島・サピ島。
現地に着いた直後、日本語ガイドさんに「島に行きたいならここだ」と勧めてくれた場所です。
因みに「トゥンク・アブドゥル・ラーマン」とはマレーシア初代首相のお名前であり、とってもエラいお方。
この名前を出したらきっと海洋公園に行きたいという意図は分かってもらえるだろう!と思っていたのですが、コタキナバルではそこかしこに「トゥンク・アブドゥル・ラーマン通り」があり、却ってややこしくなりました。。。
なんだよ、なんだよ。イスラム圏のムハンマドさんみたいな扱いになっちゃってるじゃないのよ。
…という事で、アトラクション並みに縦揺れの激しいボートに乗ること20分。
桟橋真下の海の色からして美しすぎるサピ島に到着。
この時の為に、還暦を数年前に過ぎた母にも水着を持たせた甲斐あったよ、などと思いながら早速シュノーケリングにチャレンジ。
(海の中の魚と戯れようと頑張る母。いつまでも元気でいて欲しいものだ)
海の中に満足した後は、島内を散歩。
綺麗な海に圧倒されっぱなしでした。
その後は、ツアーで用意されていたバーベキュー型のお食事。
ここで……
母、氷入りのコーラを飲む。
あのですね。
台湾に数年住んでいる者として、直感的に思うワケです。
「水はミネラルウォーターだろうけど、氷がヤバイ確率が高いぞ」と*1。
マレーシアも台湾同様、水道水を飲む文化はありません。
ですが、やはり思うワケです。
「一部のファーストフード店みたく、水道水で氷作ってんでねぇか?」
と。
しかし母「やっぱコーラやねんし、冷たく飲みたいやんか」。
……ガイドさんも「止めた方がいいかもしれないです」*2と言ってくれた中、押し切りました。ものの見事に。
これが後に大変(?)な出来事になるとは知らずに…。
・ ・ ・
島の観光を終えた後、本島に戻ってボルネオ・スパに挑戦。
旅先のスパ体験なんて、何ともリッチな気分に浸れるじゃあーりませんか。
現地に到着してから検討したスパの中で一番リーズナブルだけど交通が不便だったので諦めていたのですが、島ツアーガイドさんが機転を利かせてバス送迎してくれました。
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ここで2時間ほど、夢のようなスパを体験した後、母が一言。
「足が寒いわ」
……ここで何やら嫌な予感がしました。
確かにここでのスパは非常に良かったのですが、スパという性質上、体の新陳代謝を促進させる動きがあります。
そこで私と母2人、共通で起きたのが「トイレが近くなった」事。
更に、今朝私達が島へ旅立った時の履物は……。
娘(右):ビーチサンダル
母(左):革製サンダル
これが母の「足が寒い」典型的な理由となりました。
このサンダルを履いたままシュノーケリングをした結果、母の履くサンダルは乾きが圧倒的に遅かったのです。
そこで冷房のよく効くスパで冷やされたサンダルを再び履いた時の冷たさと言ったら……。*3
マズイよ、母。
これはマズイよ。
トイレ近い上に足が寒いなんて、全く旅を楽しめないじゃないのよ。
こんなの履いて飛行機なんか乗れないわよ。
というワケで、急遽お買い物へ。
(普通はここでお土産を買うんだってば)
ガイドブックにも掲載されている土産物屋として有名なショッピングモールで私達が立ち寄ったのが何と「DAISO」。
そこですぐさまビーチサンダルを購入しました*4。母、第1の命拾い。
因みに履いていた革製サンダルはあまりに古かった為、現地で処分してきました。
教訓:ビーチサンダルを必携すべし。
一般的に「非常に寒い」と言われるカナダを旅行した時に学んだこの教訓。*5
かさばるモノでもないし、重くもないので、旅行の際は是非ビーチサンダルをバッグに忍ばせておく事をオススメします。
・ ・ ・
で。
買い物の時から、変な予感はしていたのです。
娘の私もスパの影響で若干トイレが近かったとは言え、母のそれは私以上。2倍、いや3倍は近い。
母「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
私「え〜?またぁ〜?」
こんな会話が続くこと3回。
結果。
夕日の綺麗なこのスポットも「母のお腹が何やら変だ」という出来事で記憶上書きされてしまいました。
チップを払わないと入れない且つ荷物を掛ける所もない、お世辞にも「綺麗だ」とは言い難い公衆トイレ*6にわざわざ入り、結果的に自分の持ってる荷物2つも丸抱えして十数分間闘い続けた母。母、第2の命拾い。
原因は1つ。
教訓:氷入りの飲み物は控えるべし。
いや、でもね。
ここで救急車呼ばざるを得ないような大惨事にならなくて良かったと思うのですよ。
カタコト中国語・英語は全く話せない…そんな娘に、マレーシアで救急車呼ぶなんて事、できっこないですから。
何だかんだで「お腹を壊す」じゃなく「何だか変」で全て治まったワケで、それは結果オーライ。
・ ・ ・
で。
コタキナバル最後の夜のお食事は……
母「いや、もう何もいらんわ……」
な、何だとー!!!
まあ、弱気になっちゃう気持ちも分かる。
こんな状況ではアジア特有のこってり料理なんて胃に入りっこないわな。
そんなワケで「世界中どこにでもある、ある意味安心できる料理」*7を控えめに食べ、ホテルに戻りました。
……ってか、家に帰ったらいくらでも食べれるんだけど、中華。。。
・ ・ ・
その後深夜のマレーシア航空便にて、明け方無事に関空に戻る事ができました。
スケジュール的には3泊4日の行程ではありましたが、3日目であるこの日が一番ハードでした。海に行ってスパに行って市内ショッピングって…。
3月初旬にこのマレーシア旅程を終えた私はその約1週間後、再び関空から飛行機に乗り、日本を後にしました。
東日本大震災の起こる1日前の事でした。