『王梵志詩集注釈 敦煌出土の仏教詩を読む』

王梵志[おうぼんし]詩集注釈: 敦煌出土の仏教詩を読む

王梵志[おうぼんし]詩集注釈: 敦煌出土の仏教詩を読む

 王梵志の詩集は『日本国見在書目録』に著録されていることから日本への将来が確実な別集であるだけでなく、山上憶良等に影響を与えた可能性が指摘されてきた重要な詩集であるにも関わらず、全体を日本語訳したものは今までありませんでした。それが遂に成ったのは喜ばしいことです。巻末の語彙索引も(項楚『王梵志詩校注』等をまだお持ちでなければ)便利。
 しかし、本書は利用に際して注意を要する、といいますか、問題が少なくない。
 本書は本文校訂と注釈を項楚『王梵志詩校注 増訂本』(上海古籍出版社、2010年)にほとんど依拠しています。項楚氏の労作を持っていたら本書は(日本語訳はありがたいにせよ)不要だと感じる人もきっと少なくないでしょう。後出の注釈書の態度として、やはりこれはまずいのではないかと思います。
 しかも、おそらくは項楚氏の注を誤読したことによって変なことになっている部分もあります。第349首の第3・4句、

共喜歌三楽、同欣詠五柳。

(394頁)この「五柳」の注に、

陶淵明の「五柳先生伝」「詠五柳」を指す。

(395頁)はて、「詠五柳」などという作品は陶淵明にはないはずだが・・・と思って『王梵志詩校注 増訂本』(下)を見てみますと、

五柳: 陶淵明五柳先生伝:「(省略)」按蕭統陶淵明伝:「(省略)」此云「詠五柳」者、謂仰慕淵明安貧楽道、澹泊曠遠之志、而以詩酒自娯也。

(698頁)このあたりを何か勘違いされたのでしょう。
 「五濁」(ごだく)「正覚」(しょうかく)「五陰」(ごいん)など、仏教語の伝統的な読み方とは異なるものが散見されるのも気になります。本文では「貪着」(どんじゃく)、索引で「とんちゃく」になっているのもいろいろな意味で解せない。
 もちろん、項楚氏の注釈を乗り越えている部分もあります。

不覚三途苦、八難更来遮。

(第378首、第3・4句)この「八難」は、項楚氏が『四分律』の「王難、賊難、火難、水難、病難、人難、非人難、毒虫難」を挙げるのは具合が悪く、ここでは「八難」が「三途」と並んでいるので、本書が指摘するように「三途八難」を指すのでしょう。
 ただ、余談ですが、その一つを「世智聡明」とするのは何に基づくのでしょうか(普通は「世智弁聡」)。