親切なアドバイス。

http://d.hatena.ne.jp/hidex7777/20040507#c
私はそこそこそれなりに社会(というか会社)化され・まぁまぁ社会(というか会社)に順応した人なのだ。いつもは(つまり君がいないところでは)不機嫌ではないのだよ。>Britty


君もたまには面白いことを言うのだから、のべつまくなしに喋るのをやめて、

  • (1)10分に一度30秒間だけ喋るようにする、
  • (2)自分が喋るばかりでなく 他人の話も聞くようにする、

ということを履行していただければ、

    • あからさまに不機嫌な顔」をする人

は、たちどころに減るであろう。私も含めて。‥‥なので そうしてくれたまえ。
さすれば

    • 掲示板に「馬鹿女のせいでまともに話ができなかった」と書かれる

とか

    • 「ブログのコメント欄への書き込み禁止」を食らう

とか いったことも、おおむね無くなるに違いないのだよ。


のべつまくなしに喋るやつを見ていると、「こいつなんかに脅迫されている(かのようだ)なぁ」と周囲は(というか少なくとも俺は)心配になるわけだが、というかあるいは実際 神秘なる未知の力 に君は脅迫されているのかもしれないが、そんなの知ったことか

まぁ、「脅迫されている」ようにしか見えない──誰もたのんどらんのに よくもまぁベラベラと、という──喋り方をする香具師、というのは学者系人間類型のなかでは、かなりありふれたもののようではあるが、そんなのも俺の知ったことか。
大学とか研究会とかの「隔離領域」で──こちらがデバっていって──話しをしている限りは、あるていどそちらさまの強制の作法を尊重する気はなくもないが、一歩大学の門をでたら、容赦はしてやらん。


というわけで、急遽「Brittyさんお披露目会」と化した、2ちゃんねるにリベラルの花束を」の北田暁大先生講演会(第2部)だったわけだが。
あれがBrittyさんでした>みなさま

三田ルーマン研究会

hidex氏がオフラインでも読書会をやるそうです。東京近隣在住の、ルーマンに関心のあるかた、どうぞ。

名著『制度としての基本権』から読むとのこと。

*1:コメント欄↓のusing_pleasureさんの書き込みに注意。

みんなたいへん!

真理ちゃんだけじゃなかったみたいなの! http://d.hatena.ne.jp/faa/20040421#p5

カードーゾの正義ちゃん

独特の性質を持つ事態は、完全な手紙の書き方栞や、会話術必携などの中に書いてあるような、既成の解答では、とても解決されるものではない。正義は、急に攻めてみても、陥落しない。正義という女性は、徐々に幾度か近づいてから、求婚しなければならない。(カドーゾ『法の成長』*p.139-140)



でも「正義」って男の名前だよなぁ。日本語では。(ex. 損正義)

* カドーゾ、『法の成長』、守屋善輝訳、中央大学出版部、1965、定価650円。読了
 Benjamin N. Cardozo, The Growth of the Law, Lightning Source Inc ; ISBN:0300094825
p.145 に出てくる「ラベレイス」さんというのは、『パンタグリュエル』のラブレー


ちなみにカードーゾは生涯独身だった、ということですが?




カードーゾはここで、いわゆる「司法過程の創造性・裁判官による法の創造」について語っているわけですが、例の使い方がすこしヘンな気も。
「完全な手紙の書き方栞」や「会話術必携」を持ち出すなら、

    • 「手紙を書くこと」や「会話」が、既成の解答では「解決」されないのと同様に
    • 裁判も、先例拘束主義ではとても間に合わないのだ

と書けばよかったんじゃないだろうか。つまり、裁判は、手紙を書くことや会話することと同様に「創造的」だ、と。

まぁ、裁判を──手紙を書くとか会話するとかについてと同様に──「社会的-事象」としてとらえるなら、そのほうが首尾一貫する、というだけですが。
「創造的」という言葉が──「厳格で、恒久的な権限分立観」[p.138] に反するということで──批判されたのだとしたら、こう言いかえればよい。裁判は、会話と同様、コンティンジェントなものである、云々。 ‥‥いや、こっちのほうが分かりにくいか。

もう数ページ先にはこんな記述が。

サンタヤーナはこう言っている*。

大統領や知事の選挙は、妻を選ぶのと同じようなもので、候補者はたいてい2人か3人しかいない。そして、この自由人に認められた特権は、精一杯のところ、これら2、3人のなかでどれがいいかを、期待に旨を膨らませながら宣言し、当選した者を押し立てていくにすぎない。

こういう諦めの気持ちで、裁判官は裁判し、弁護人はその裁判に承服しなければならないのである。[p.146]

* Soliloquis in England and Later Soliloquis, p.175

御愁傷様です。 おつかれさまです。


この本は1923年に出されたものだが、ちょっとビつクリしたことには、カードーゾはヴィンデルバンドを英訳で読んでおり、しかも肯定的に引用している。この時代は、ドイツ(や日本)においては「新カント派の時代」であったわけだが、アメリカでもそれなりにポピュラーだったのか。

【追記】

そんなヘレニズム期の擬人化を持ち出してどうするのだね君たちは。

質問の意味がわかりませんが? 何が知りたいんですか。(というかどうもしないと思うんですが...。)

「端的に」とか言うなw。

お買いもの

日常生活でテレビ・ラジオに限らず様々なメディアで見かけるのが「PR」です。そのPRの誕生・成長・肥大の物語を、数多くのエピソードを交えて描いています。アメリカ・ルーズベルト大統領がおこなったニューディール政策で、国民を扇動した写真の意味、そしてPRを効果的に使い、アメリカ社会の頂点まで上り詰めたレーガン大統領の話など、PRがもたらした影響などを紹介するとともに、今、世界中に溢れているPRから本質を見抜く手かがりも描かれています。訳者の法政大学名誉教授の平野秀秋さん、成蹊大学助教授の挾本佳代さん、法政大学講師の左古輝人さんが鼎談を交え解説します。
iiVブックラウンジ: http://www2.iiv.ne.jp/booklounge/index0404.html

目次

  • 第1部 広告時代の脚本と真実
    • エドワード・バーネーズを訪ねて
    • リアリティの売買:説得の方程式
  • 第2部 「動き始めた群衆」:進歩派政治運動と広告の成立
    • 真理は生成する:宣伝時代の開幕
    • 混沌のコントロール ほか
  • 第3部 説得レトリックの変遷
    • 社会心理学と民衆心理の探求
    • 姿なき技術者:観念の履歴書 ほか
  • 第4部 「アメリカ式生活」への闘い
    • 銀の鎖と友好的な巨人たち
    • 公益をめざして ほか
  • 第5部 世界のコマーシャル化
    • 公衆の究極決断
    • 世論操作の技術 ほか