じじぃの「科学・芸術_696_ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』」

PHILOSOPHY - Ludwig Wittgenstein 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pQ33gAyhg2c

言語ゲームとは コトバンク
言語哲学ウィトゲンシュタインの用語。彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、もろもろの活動に織り合わされたものとして考察した。
このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年)。そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、言語はそれを写し取る道具である」とする古典的な言語観を解体しようとする意図がある。言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば火事を知らせる場合のように、自己や他者に対するなんらかの活動なのである。第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。個人の内的感覚でさえも、そうしたルールにもとづいてはじめて表現され理解されうる。第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど存在しないとされる。例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールにもとづいて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的なニュアンスを強く帯びることになった。現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、それぞれの特質を分析することができるからである。

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『冒頭を読む 世界の名著世界の名著101』 熊木信太郎/編訳 論創社 2018年発行
論理哲学論考 ルートヴィヒ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(1889〜1951) より
オーストリア出身の哲学者。のちケンブリッジ大学教授となり、イギリス国籍を取得した。20世紀の言語哲学分析哲学に大きな影響を与える。『論理哲学論考』(1922)は生前に出版された唯一の哲学書
 世界は成立している一切の事柄である。
1.1 世界は事実の総体であって、事物の総体ではない。
1.11 世界は所事実によって、そしてそれらが一切の事実であることによって、規定されている。
1.12 と言うのも、事実の総体は、成立している事柄を規定するとともに、成立していない一切の事柄をも規定するからである。
1.13 論理空間の中にある諸事実こそ世界である。
1.2 世界は諸事実に分解される。
1.21 他の一切の事柄が同じなまま、ある事柄が成立することも、あるいは成立しないこともあり得る。
 成立している事柄、つまり事実とは、諸事態の成立である。
2.01 事態とは、諸対象(実体、事物)の結合である。
2.011 事態の構成要素になり得ることは、事物にとって本質的である。
2.012 論理においては、何1つ偶然ではない。ある事物がある事態の中で生じ得るならば、その事態の可能性はすでにその事物のうちに先決されていなければならない。
2.0121 単独で存在し得る事物があり、その後それに対してある状況が適合するならば、その適合はいわば偶然のように立ち現われるだろう。
  事物が諸事態の中で生じ得るならば、その可能性はそれら事物のうちに初めから存在していなければならない(論理的なものは、単なる可能性ではあり得ない。論理は一切の可能性を扱い、一切の可能性は論理においての事実である。
  およそ空間から離れて空間的対象を考えることはできず、時間から離れて時間的対象を考えることはできないように、他の対象との結合可能性から離れては一切の対象を考えることができない。
  もし私が、ある事態の文脈の中である対象を考えることができるならば、その文脈の可能性から離れてその対象を考えることはできない。
2.0122 事物が自立的であるのは、それがすべての可能な状況において生じる場合に限ってである。しかし、こうした形態の自立性は、その事態との連関の形式であり、また非自立性の形態なのである(同じ言葉が、単独で現われたり命題の中で現われたりといったように、2つの異なる仕方で現われることはあり得ない)。
2.0123 私が1つの対象を知っているとするならば、それが諸事態の中で生じるすべての可能性をも知っている(一切のこうした可能性は、その対象の本質に存していなければならない)。
  あらたな可能性が後から発見されることはあり得ない。
2.01231 ある対象を知るために、私はその外的性質でなく、すべての内的性質を知らなければならない。
2.0124 すべての対象が与えられるならば、同時にすべての可能な事態も与えられる。

じじぃの「海から陸に上がった植物・重力に対抗して大冒険?世界を知る101冊」

How Plants Communicate - Nature Documentary HD #Advexon 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=cIftMUWs4q0
trigger plants

世界を知る101冊――科学から何が見えるか』 海部宣男/著 岩波書店 2011年発行
植物のたどってきた道 西田治文著/NHKブックス '98 より
植物といえば、私たち動物は食生活の何もかも、結局は植物に依存している。そもそも動物は、植物を食べることで存在しはじめた。今も、太陽の光と水と空気と大地から植物がせっせと創り出す有機物と酸素に依存していることに、変わりはない。そのうえ私たちは、太古の植物が残した石炭でエネルギーを得、植物が残した材木で家を建て、植物の繊維で梳(す)いた紙に印刷した文字を読み、公園の緑に心やすらぐ。そんなに心身ともお世話になっている植物の歴史について、私たちはどれほど知っているだろう。本書は、日本ではこれまであまり書かれていない植物の進化に関する一般向けの解説書として、歓迎すべき一冊である。
著者は、北海道の白亜紀植物をはじめ世界中の化石に食指を伸ばす気鋭の古植物学者。遺伝子分析など新しい研究手法を含む幅広い視野で、はるかなオルドビス起(5億〜4.4億年前)に始まる植物の上陸と進化を語る。学名がたくさん出てくるのは、まあやむを得ないだろう。語り口は軽妙だし、何よりも著者の楽しそうな研究姿勢は、読者にも楽しい。
シャジクモ(多細胞藻類)の先祖はなぜ、海から陸に陸に上がったんだろう? 陸上の生活というのは、大変だ。海の中ならゆらゆら浮いていればいいのに、海では重力に対抗して身体を支えなければならない。水中なら皮膚から呼吸できるのに、乾燥した空気中ではそうはいかない。上陸は、大冒険なんである。植物は身体を支えかつ地面から水分を運び上げる維管束(いかんそく)を発明し、固い皮膚で水分の蒸発を防ぎ、呼吸のためには気孔を作って、水辺から内陸へ、山や乾燥地域へと冒険を続けた。できるだけたくさん子孫を残すには、どうするか。胞子を空中にばら撒(ま)いて、風で遠くへ運んでもらう。それも、大きな身体を作って大量に胞子を生産し大量に撒く。上陸から1億年後にはもう、巨大なシダ類の森林が世界中にそびえた。背が高い森林は生物の活動領域を立体化し、空を飛ぶ昆虫などを育んだ。こうして上陸した植物は多様性を獲得し、動物にも大きな多様性を与えてきたというわけである。
中世代に栄えた杉や松などの裸子植物は、花を咲かせる被子植物に圧迫されて、種の数が激減した。今では、「生きている化石」だ。だが白亜紀裸子植物の中には、立派に花も付ければリンゴ大の果実まで作っていたものがあるそうだ。今の被子植物の花のように、昆虫による受粉等の共生まで進めていたというから驚く。裸子植物とは違うやり方で、花の時代に突入しようとしていたグループもあったんだなあ。結局それは、新興勢力の被子植物に負けたわけだけれど。
北海道の化石などから推論されるそんな話や、正体不明で巨大な菌類かとも言われるデボン紀(4.1〜3.6億年前)の不思議な大型化石など、今後の解明を待つ話題も満載。動物でも植物でも、進化の道筋は決して一筋道ではなかった。冒険と試行錯誤、失敗や危うい成功の積み重ねなのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
デカルト心身二元論を唱え、脳の「松果体」を物質と精神が相互作用する場所とした。
この論理でいえば、植物は脳を持たないので動物が持つ神経細胞はないことになる。
オーストラリア原産の「トリガープラント」という花は、オチンチンのような柱を持っていて虫が来るとシャキンと立ってその先端でハチの頭にたたきつける。
シャキンと立たない。
トホホのホ。