魔法先生ネギま! 144時間目 友情! 勝利! 再会

あのチビ助は弐集院先生の娘だった。幼稚園児・・・く、くそう、卑怯な設定だw。(まあ、大体こうなる事は予想がついたが)
それにしても、あの涙は本物だろうか?父親に駆け寄った時、二人の間で、「チッ、オヤジ、ヤツラ結構つえーぜ。」「シカタネーな。今回は通してやるか。」とかのやり取りがあったとか、妄想してしまうw。

本当は怖い「チビ助の幻覚」

千雨のセリフからすると、この幻覚術、かなり現実的な痛みを与えていたようだ。よくよく考えてみると、これは結構怖い技だ。
幻覚から醒めた時、チビ助の傍らに幻覚に登場した者の人形が転がっていた。このことから、この幻覚魔法が、現実にはこの人形を見せ、その姿をより怖く感じさせる様にする技であると推測出来る。つまり、具体的なイメージ映像を精神に直接見せる様な技ではなく、行動やセリフ以外の、姿形や基本的な動作等は幻覚にかかった側の想像に頼っている技であると思われる。
この場合、一番厄介なのはかかった側の知識や想像力だ。例えば、明日菜は武道大会で高畑の強さを見てしまっており、絶対に勝てない強さである事を知っている。その為幻覚が解けるまでまるで敵わない。
そして、さらに恐ろしいのがのどかの状況である。彼女の想像力、知識はかなりのものだ。ケルベロスがどんなに恐ろしい魔犬であるかも、パーティの中で一番理解していたであろう。そんな彼女が自分が魔犬に踏まれたと認識したのだ。
ここで少し考えたいのが、この幻覚が個人の想像によるものであるとして、画面上で描かれているのは誰の想像による描写かという事だ。主にパルかもしれないが、単に統一観を出すための便宜的な描写かもしれない。なんにしても、それはのどか自身が想像している図では無いかもしれないのだ。
のどかの中では、自分が魔犬に踏まれた時、どんな想像をしてしまっているのだろうか。巨大動物の筋肉が一体どれほどのものか、とか、その体重からくる圧力は、とか、その爪の鋭さは、とか、彼女は的確に想像する事が出来ただろう。彼女は、幻覚の中で、○○が△△△になって、××××してしまっていたかもしれないのだ。
そして、本当に恐ろしいのが、その痛みが単なる幻覚のままで納まるか、という問題である。
もし、本当に死に直結しているような痛みの幻覚を受けた場合はどうだろうか。痛みによるショック死などはそうそう無いだろうが、それでも可能性はありうる。そこまでいかなくても、痛覚が身体を管理する重要な感覚であることも事実、本当の身体への影響があるかもしれない。また、トラウマ等の精神的な後遺症も考えられる。
結論:このチビ助こそ、今のうちにオコジョにすべき。(未だに夕映への仕打ちを根にもっている)

幻覚と魔法無効化能力は矛盾する?

幻覚が個人に間違った情報を与える魔法であったとした場合、明日菜の魔法無効化能力との間には矛盾はあるだろうか。
カモが「無限鳥居は空間系」と解説し、「明日菜が無限鳥居にかかっても今回は大丈夫」と推測した論理は若干詭弁くさい。今回の状況で「空間系の魔法にかかっていない」と確信できている根拠がどこにも無いからだ。なにはともあれ、今回の罠は、その状況からしても、空間系ではなく感覚系、個人へ直接影響を及ぼす幻覚であったと推測出来る。
そうなると気になるのが、いつそれにかかったのかという事。夕映が何かに気付いた描写からすると、地下30階に着く前に既にかかっていたと推測出来るが、その描写は無い。省略されたのだろう。しかし、そのかかる瞬間こそ、明日菜の魔法無効化能力との矛盾点になりかねない。この魔法は空間系とは違い、明日菜に対して直接かけられたはずだからだ。
けれども、それは本当に矛盾点だろうか。今まで明日菜は、それが自分対して良くないと感じた魔法に対して、その能力を使ってきているようだ。気がついたら魔法を無効化していたという描写はあまり思い出せない。
もしかすると、この魔法無効化能力は、明日菜の意識にかなり影響を受けるのかもしれない。
例えば、身体に直接影響がある魔法をかけられた場合、それが身体に害を与える魔法であれば、身体が反応して無効化を実行する。しかし、明日菜自身がそれを受け入れようとすれば、その魔法は効果を与えるのかもしれない。
そして、今回のケースだと、この幻覚魔法は身体に影響を与えるものでは無く、精神に影響を与える魔法だ。この場合、危険を感じるのは明日菜の意識そのものであるので、彼女が魔法を認識できない限り抵抗は出来ない、ということになる。
とすると、明日菜は幻覚魔法に対抗できないのだろうか。いや、明日菜が今回の経験で幻覚魔法というものがある事を認識し、その魔法にかかる瞬間の感覚を覚えていていれば、今後幻覚魔法にかかることは無いかもしれない。

ネギパーティ、戦いの覚悟

千雨の問いかけが、ネギパーティの覚悟の程を明らかにする。こういう描写を見る時、「ネギま」という作品が、やはり理知的な作品であると改めて認識できる。バトルコミック等は、「戦う動機」がなおざりになってしまうケースが案外多いものだ。
明日菜は単純に「ネギを助ける事は当たり前、だから戦うの当然」と感じている。明日菜の戦う動機は、既に何回も問われている。最初に彼女自身が語ったのは京都の電車の中だろうか。彼女の戦う動機は今となってはかなり大きくなり、今更あげつらう必要もないだろう。
のどかにとっては、「好きな人に会えなくなる」という強い動機が与えられている。本来、戦いに積極的に向かう性格ではないが、彼女にとってネギ=恋愛の存在はかなり大きく、この動機は、戦いへの覚悟として充分な説得力がある。
夕映も、実質的にはのどかと同じである。しかし彼女の場合、自分自身の知識欲、冒険への好奇心であるというカモフラージュをしている所がなんとも可愛い。
木乃香の場合、ここにいない刹那の存在が大きいだろう。刹那と同じ行動ならばどんなことでも付き合うにちがいない。しかし、それだけでなく、木乃香図書館探検部員等仲間の為になることは、大抵の事ならば即座に覚悟を決めてしまいそうな、懐の広さを感じさせる。
くーは、覚悟という言葉を使うならば、このパーティの中で最も覚悟を決めている存在かもしれない。彼女にとって、戦いは覚悟するべきものでは無く日常だったはずだ。しかし、この戦いは、彼女にとって親友との戦いである。親友の悪行を止めるための覚悟を決めた今、彼女の使命感は最も強い。普段の彼女とは少し違う、最近の寡黙で献身的な行動には感動すら覚える。
パルはこのパーティの中で最も心が読めない存在である。しかし彼女がこのパーティの空気を明るくするムードメーカー的存在として重要なのは間違いない。彼女の戦いへの動機は、多分「仲間の面倒をみる」ということだろう。面倒見の良い彼女の事、そこに求められる仲間の環がある限り、充分動機になっているのかもしれない。
そして、千雨である。彼女にも表向きの理由がある。ファンタジー世界にしたくない、という動機。しかし、本当はそれが彼女自身の戦いの動機にはなり得ない。彼女は本来自分は後ろにいる事を最善と考えているからだ。しかし、何故か付き合ってしまっている。それは、ネギへの興味からだろうか。パーティへの仲間意識からだろうか。なにはともあれ、パーティの中で最も世俗に聡く、地に足の着いた思考の出来る彼女の存在は、案外貴重なのは間違いない。