ワンコとリリー (65)

 恋愛ゲームがそのクライマックスにおいては言葉の授受に焦点が当てられるものだとしても、物語の全体の中にはイベントが起こるし、次第に開示されていく設定があるし、アクション的な要素だったある程度の位置を占めるもので、そのバランスや質を標準的な評価の基準にする人はけっこういるだろう。そういった意味での質は無視して極端なつくりにしたのがこの作品だ。
 イベントらしいイベントは起きず、その代わりにずっと透子とおしゃべりをしながら1日犬の散歩するという、恩田陸の『夜のピクニック』的な構成。そのおしゃべりが「さくらむすび」でもおなじみの、相手との距離を測りながらお互いをくすぐりあうような、あのトノイケテクスト独特の言葉攻め。独特といってもいわゆるイチャラブ系のエロゲーにはよく見られるもので、完全にくっついてしまえば言葉に出さなくても腕を組むだのキスをするだので省略できてしまう相手との距離感の確認を、くっつく前のデリケートな状態なのでいちいち言葉を使って相手がどれくらい自分に関心を持って自分の思考についてくるものなのか測ることで行なうと形式を取り、物語の進行とは直接関係ないという意味において冗長なものになる。ハードボイルドの真逆で女々しいものとも取れる。今回はイベントや設定というような外的・社会的モチーフがどうやら更に後退しているため、おしゃべりを制限する要因がなくなって透子と際限なくしゃべり続けるという極端な構成になっている。その純度はギリシャの哲人や中国の賢人が弟子たちと行なったという対話の浮世離れっぷりにも匹敵する。二人の間に割って入ることは不可能。二人は言葉で互いに相手をくすぐりあいながらそのまま結ばれてエッチシーンに突入していくわけで、言葉の関係から身体の関係への移行がシームレスであるという点は口に強い身体性が付与されていることにも現れている。トノイケシナリオでは湿度や水分に関わる描写がけっこう多く、それが特に強まるのは口が関わる描写においてとなる。囁きは相手の耳に温かく湿った吐息の感覚を与え、キスは際限のない唾液の交換となり、前戯で分泌される愛液の量や絶頂時に自然に漏れ出す尿のとめどなさや、粘液の快楽に包まれいつ射精したのかよく分からない射精などは、いずれもトノイケテクストに特徴的なすべてに浸潤していく水分の特性に拠ったものであり、言葉がすべてを浸していくことと相似的なモチーフとなっている。
 極端に対照的なのは犬のワンコとリリーで、透子とは反対にこの二人(二匹)は言葉を話さない。作品名になっているくらいだから個別シナリオがあるのかと思っていたけど、結局最後まで主人公に恋愛の対象とは認識されず、その意味で恋愛ゲームのヒロインとはならなかった。それではなんであったのかというと、ある意味で普通のエロゲーヒロインよりも純度の高いエロゲーヒロインだったと言えるかもしれない。ワンコはまるで二進法の機械のように、何があっても頭を撫でてあげればたちまち喜ぶという動作をする。あまりに単純な動作であるため、そこに人間的な文脈を読み取るのは間違いであるとさえいうことも可能になる。「この子たちの好意は人間のそれより、もっとずっと純粋で、かけがえのないものだから。それを僕の都合で解釈して、この子たちを傷つけるような結果を招くことだけは、なんとしても避けなければいけない。」文脈が形成される以前の段階の快不快によるコミュニケーションの反復は、フォルト/ダーの赤子のかくれんぼと同じようなものなのだろうけど、ここで快不快の切り替えを楽しんでいるのは、ワンコというよりは主人公のほうだったりする。透子と編み上げた文脈の織物から、赤子と同じようなレベルまで下りることによって、原始的で純粋な快楽を再現的に獲得しようとする。言葉を話さないが故の全身を使った多型倒錯的なエロスというやつ。
 リリーの場合は言葉を獲得する前というよりは、獲得したけど押し殺しているというような感じなので、ワンコとは全く事情が違う。ひたすら愛玩し、愛でるためのものだ。しかしそれもこちらの錯覚であって、やはり人間との間には断絶が突然現れるかもしれないことは上で書いた通り。言葉で定位していない快楽は暴走の危険をはらんでいるわけで、リリーの表情やしぐさが表す快楽は実はかなりやばいんじゃないのという気がしたりもする。
 そうして見てみると透子、ワンコ、リリーはなんだか三位一体的なバランスを保っているように思えて、この3人と築く家族の調和感は、それが永続的なものかどうかは別として(社会的なファクターはシャットアウトされているので気にする必要なし)、見事で心地よいもののように思えてくる。シナリオの仕掛けにまんまと引っかかってまたろくでもない感想を書いてしまったが、それはワンコがいない寂しさの裏返しということで(音声がないのでテンポのよい本名プレイができてよかった)。本当にワンコは明るくていい笑顔を見せてくれる。