冨士山アネットproduced[EKKKYO−!]


演劇、ダンスの枠を越え内外で積極的に活動している冨士山アネット。主宰の長谷川寧はパフォーマーとして小池博史や矢内原美邦らの作品にも出演するほか、同年代のパフォーマーとともに群々(むれ)を結成するなど活動の場を広げている。今回は長谷川の企画・構成のもと、演劇、ダンス、お笑い等ジャンルを越境した団体・個人がショートピースを持ち寄るというイベントが行われた。いずれも長谷川自身が興味を持ち、自身の創作とも重なる“ボーダレスな感覚”を持っていると感じているものを集めたようだ。
夙川アトム『ひとりコント』
夙川アトムは『ひとりコント』でテレビ業界用語を用いた紙芝居などで息をもつかせぬコントを展開。夙川はテレビ番組等にも出て広く知られつつあるが、ギロッポン=六本木のようなフレーズを独特の間合いで駆使したコントを繰り広げる。そのたたずまいというか動きもいい意味で変。
PINK(ピンク) 『子羊たちの夕焼けボート』
PINK(ピンク)は磯島未来、加藤若菜、須加めぐみという大学ダンス出身者による人気のコンテンポラリー・ダンス・ユニットだ。『子羊たちの夕焼けボート』はバレー部かテニス部かなんかの部活の練習着を着た3人がバカでムダなことに命を賭け身体を酷使する。児戯めいてバカバカしい限りのパフォーマンスだが、乙女たちがひたすらバカに興じる姿に惹かれる、いや、萌える男性客も少なくない。今回の観客層――20代の男女がほとんど――の反応も抜群だった。女性客には森三中的共感をもたれるのだろうか(PINKのメンバーは一応そこまで不細工ではないが)。
劇団山縣家『ホームビデオ家族でスズナリ』
劇団山縣家はその名のとおり山縣家による家族劇団。チェルフィッチュの看板俳優・山縣太一とその父母によるもので前から気になっていたが横浜で活動しているので初の東京公演らしい。『ホームビデオ家族でスズナリ』は3人で恐怖体験をテーマに語り、演じるもの。お茶の間演劇というか、ほのぼのと緩いキャラの山縣家の人びとの存在が面白い。山縣家の食卓に招かれたかのような親密感を感じることができた。
快快(faifai) 『いそうろう』
快快(faifai)は小劇場はもとよりダンス界でも注目されつつある演劇制作チーム。『いそうろう』アル中でいい加減な居候とそれを住まわせている友人の家主のお話だ。登場人物は2人のみ。そのうちのひとりが二役を演じ、もうひとりが動きを受け持ったりと作劇にひねりがある。セリフと動きの独特の間と展開にセンスよさげな映像を重ねてポップでちょっと泣かせ笑わせる路線か。ポスト・チェルフィッチュの一方向を示すものとしては興味深くある。
FUKAIPRODUCE羽衣『お金の話が終わったら』
FUKAIPRODUCE羽衣は深井順子が創立、作・演出・音楽:糸井幸之介が中心となって「妙―ジカル」を標榜するパフォーマンスを行っている。『お金の話が終わったら』はラブホテルを舞台にしがない女性ミュージシャンが創作に悩むうちに立ち現れる妄想を描いている。大仰な演技や歌に引いてしまう人もいるだろうが針の振り切れた勢いは感じられるので小劇場演劇ファンのなかには好む人もいるだろうとは思った。
冨士山アネット『行方知れず』
冨士山アネットの『行方知れず』は芥川龍之介の「藪の中」をモチーフとしている。5枚あったビスケットのうち消えた1枚をめぐって四人の出演者それぞれの視点と関係性を浮き彫りにする。ラショーモン形式で何が真実で何が真実でないかを描こうとしているようだ。ダンス的な身体表現もみせどころ。『在処/sugar』(2007年)では「ハムレット」を、『太陽』(2008年)ではゲーテの『ファウスト』をモチーフとするなど若い世代には珍しく文学的な題材を扱っているのは注目される。ダンス/振付面では矢内原美邦らに通じるようなアクションがみられる。今後、振付を含めより独自の世界観の構築と表現手法の確立が実現できれば興味深い存在になると思う。
チラシ等で「今、観るべき団体」を揃えたとアピールしているが、キュレーターシステムによってセレクトされたショーケース的イベントとしては先行する「吾妻橋ダンスクロッシング」を想起させる。ただ、「吾妻橋」は元ダンス批評家の桜井圭介氏のセレクトであり、公演名に「ダンス」と銘打ってダンスの概念を拡げる挑戦、戦略性を打ち出した企画でもある。そこを理解したうえで観ないと、コンテンポラリー・ダンス=なんでもありとの印象を持ってしまう怖れもある。その点、[EKKKYO−!]も長谷川の嗜好が反映されてはいるようだが、創り手が近い世代の、皮膚感覚で似ている、共通するものがあると感じる団体をノンジャンルで集めているのが特長。「越境」とかしこまらず、[EKKKYO−!]と軽やかで衒いない姿勢が見て取れる。現実的には、ブレイクしたい若手たちが新たな観客との出会いを求めることのできる場として有効だろう。このところ演劇フェスティバルのようなものもあまり行われなくなったが小規模ながら活きのいい団体・個人を集めにぎやかなエネルギーを感じさせてくれたのは何よりだった。
(2008年9月3日 下北沢ザ・スズナリ)