いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

Yahooニュースに群がるネトウヨの醜悪 − 『パブロフのウヨ』

最近は心身ともに疲れ切っている。
仕事やプライベートの慌ただしさもあるが、何より、世間が「理屈より感情」「理想の追求より(堕落した)現状の追認」「理性より嫌悪感」という具合に、今日の社会が反知性に大きく巻き戻されたような感覚を覚えることに、ある種の『疲労感』や『陰鬱さ』や『諦念感』が蓄積しているのかもしれない。
拙ブログが放置プレーが平常運転となっていることに、ブログ主として心苦しくある。コメント欄を放置した結果ヘイトが充満していることも苦々しい気持ちでいる。
いずれ改善したいが、心身整い次第、ということでご容赦願いたい。



先日、Yahooニュースの独自取材として、朝鮮学校に対する独自記事が、2日間にわたって配信された。



朝鮮学校のいま 「在日」生徒たちの胸の内
https://news.yahoo.co.jp/feature/586
2017年4月27日11:38 Yahooニュース



朝鮮学校の「教育」とは 公費投入のあり方を問う
https://news.yahoo.co.jp/feature/589
2017年4月28日11:39 Yahooニュース



前半が、『一般的日本人』の視点を持った記者が、神奈川朝鮮中高級学校を訪れ校内でカメラを回したもので、朝鮮学校の生い立ちから現状の紹介、校長及び生徒へのインタビューなどで構成されている。いっぽう後半は、朝鮮学校に対する高校無償化法からの除外や補助金のカットなど、公的扶助から軒並み排除されている現状に対する、賛成反対それぞれの立場の識者へのインタビューとなっている。
それぞれに対して気になったところがあるが、それは追々書くとして、
ここでは各記事のフッター部にあるコメント欄、正確にはこの記事をシェアしたfacebookユーザーのコメントが紹介されていることについて書く。
実際に各記事に群がっているコメントを、古い順(記事が上がってから付いた順)から見て欲しい。数多の人間が、記事が上がった途端、あっという間に異口同音に醜悪なコメントを連ねている。その多くが基本的な情報や、正確な事実、ことの変遷についての知識を持ち合わせておらず、言わば、頭脳のフィルターを通さず脊髄反射的に、反知性的な言句を、ただ連ねているだけであることが分かると思う。私は最近、このようなネトウヨの条件反射をパブロフの犬ならぬ『パブロフのウヨ』と勝手に呼んでいるのだが、まさに鐘が鳴ったら涎を垂らす犬のような単純な条件反射で、何か書かずにはおれないというのは、端的に病気だと言える。
『自らが差別主義者であると堂々と開き直り』、いたいけな朝鮮学校の生徒に向かって『帰れ帰れ』と連呼するコメント、あるいは『ただ単に自らが情報弱者であることを告白する』ようなコメントの数々を、わざわざ自分の実名と素顔を晒してアゲようという発想が常識離れしている。恥の概念が無いというか、まともな社会性を有しているのか逆に心配になるような状態である。
このような恥ずかしいコメントを平然と吐こうという気にさせるのも、徹底的に悪魔化された『キタチョーセン』の成せる業か、とある種の関心すら抱く。『キタチョーセン』相手であればどのような悪態をつこうが裸踊りをかまそうが平気ということか。

これについての、興味深い考察が朝日新聞に載った。

確かにYahooニュースのコメント欄は、パブロフの条件に少しでもカスれば、(狭く歪んだ、思い込みの)「韓国・朝鮮・中国」「(ショッカー化した)ザイニチ」を「けなす」コトバで溢れる。

ネットニュースは、無料で手軽に情報を得られる手段として優れたものだと私も思うが、その手軽さと匿名性が相まって、醜悪な差別感情を、さしたる罪悪感もなく気軽に書き込める場所となった。韓国・朝鮮・中国・ザイニチ・反日などという、ネトウヨの大好物がひとたび投下されれば(元々ページビューを稼ぎたいがために『好物』がネタとして採用される頻度が高い)、瞬時に醜悪なコメントで食い散らかされる。早速トップページの見出しに踊り、広く一般に消費されるに至る。
問題は、固定観念と偏見に凝り固まった差別語として使い古された言説、『在日認定』や『反日レッテル』など人々や共同体を切り分けるような言説、暴力的あるいは攻撃的、乱暴なフレーズなどが、(ただでさえ歪んだ筆致の記事に)漏れなくベッタリと付きまとい、量的に巻き散らかされることだ。そのことで、それらに対する負のイメージや、「煩わしい・近寄りがたい」といった思い込みを、先行して与えてしまうことだ。
ネットニュースに脊髄反射的な速度で条件反射をせずにはおれない、ヘイトを書き込まずにはおれない、恥ずかしい生き方をしている『残念な人たち』は最早完成してしまっているので、掛ける言葉は無い(私は常々書いているが、これは医療問題である)。
しかし、ネットニュースから真実の姿を探り、深層・内面に向かい合おうとする者が、ニュースの周りに堆積した「汚い」「悪い」「みっともない」コトバを散々見聞いたら、どうしても目は濁ったものになるし耳は腐ったものになる。

数年前、書店で『ヘイト本』が平積みで置かれ、毎週のように週刊誌が中吊り広告でヘイトな単語の数量を競っていた。その後、『ニッポンスゴイ』ブームと入れ替わるように、ヘイト本ブームがオワコン化し、いくらかこのような風向きは弱まってきた。
しかし、社会では確実に『パブロフのウヨ』が育成され、いまも性懲りもなく、ネットニュースで、SNSで、駄犬がごとく、そこら中にマーキングして回っている。
例えばネットで在日朝鮮人について知ろうとしても、ほぼ100%ヘイトに辿り着いてしまう。ネット空間が、日々このような者のマーキングによって穢され、見るのも嫌になるように汚染されてしまっている。

「ネットニュースなんか読まずに本や新聞を読めよ」という指摘はあながち間違ってはいないが、情報を手軽に取捨選択できるようになったネット時代において、その空間が醜悪な差別言説や反知性言説に占領されてしまっていることは嘆かわしく思う。何とかならないものだろうか、と思う。