それが「枠」だって決めてその枠に奉仕しない細部をなじるのってどうよ、
どうかと思うん。
細部のベクトル合わせたベクトルが何処をさしているのか、
まずはそこを探さないと。
探しあてた場所が表現されている意味としての価値をはかってみること、
そこからは思想の問題かも知れない。その件は今回は置いといて。
芸術ならば、あるいは
エンターテインメントならば
こうでなくてはならないのにあれは何だ!てなふうな意見なんてもう、
認めないようにしたいのだ。
あそこのあれ、あのヘンテコさ!
ただの失敗かもしれない奇妙な事態、
その驚きが、
それは何処に着地して行くの?て冒険の始まり。
なあんて書きながら思うことは
どんだけあたしはこんなふうに、
黒沢清映画(みたいな映画こそ)が好きなのさーってことでもあるみたいで。どうやらね。
ホラー(のふりした?)映画が「怖さ」から遠ざかってもかまわない
家族映画(のふりした)家族映画がどんどんホラーになってもかまわないw
・・・
それでさ、どうしましょ『ヤッターマン』。
三池崇史監督の。
実写版の。
あれってさあ100%*1笑える映画を目指してたん?
テンポよく劇場どっかんどっかん笑わせることが勝利条件でしたか?
ギャグ映画やお笑い大好きな人はきっと、それ以外何が?って言うのかな。
もちろんつくってる側の意識として
この生理感覚でつくってめちゃくちゃ面白いハズ!って出してそうでもなかった、
ということはとってもある気もするんだけど
(ドロンジョさまの夢がとっても×ュ×だったのには笑けました、泣けるほどワラタ♪
その反面、
ドロンボーメカからレッドカーペット、じゃない、ヴァージンロードか、
あれが出てくるくだりの、ドロンジョさまのボケつっこみの編集が
ギャグとしてはもはや理解できないレヴェルで、
なんであそこでアニメ画の蹴りをわざわざ入れたりしたんだろう?)
アニメを実写化する<<面白さ>>についうっかり、
ギャグさえ犠牲にしちゃった!んじゃあないのかしらんとも思ったりも、したりして。
役者っていう生身の人間は、こんなに重いんだぜ、っていうのが出てたような、
毎度毎度の出撃には腕とかめっさ疲れて大変、とか
あの×と×が下山するのはあの調子w というように。
でもってドクロベー様に心酔する深キョンドロンジョさまは、
カルト宗教に嵌っちゃったかわいそうな人みたいでもやもやしたわ、もお。
でもってメカ方面も、
ヤッターワンも重機動な鉄っぽいカンジで
オモッチャマは細かく歯車が回転し、
ビックリドッキリメカは泪を流して壊れていく・・・
そしてヤッターワンもS■的××期に突入してアレしたわけで。
下ネタで笑かすよりというよか生理的不快感の提示だったかもな?
もしや監督のひそかな悪意だったり???!
淀みないアクションだったら実写よりかハニメーション*2にすれば良いのだしw
・・・
しかしでもやっぱ、
「天才ドロンボー」の歌のとこではダンスでなく、
メカ組み立てシーンであって欲しかった!
あの歌、崇高なる労働歌ですから!
*1:つか120%とか300%とか
*2:懐かしー♪http://ascii24.com/news/i/topi/article/2003/10/23/646523-000.html
シブリ映画が<あんなに>流行るのは
みんなまんが映画が好きだから!と言ってみる。
そしてたぶんきっと、
映画の"ポケモン"も"ドラえもん"もその他の何々もまんが映画なのだけど
まんが映画を楽しみたい多くの人たちにとっても
まず、
ポケモンはポケモンで、
ドラえもんはドラえもんで、
そうしたことが前提になってて、
観客になることを避けてしまうことになるのかも知れない。
だったらジブリの観とこ、みたいな。
勿論、
ポケモンやドラえもんこそが観たい!ってひと
(というか子どもたちと大っきなお友だち?)もいるのだけれど。
・・・
『超劇場版 ケロロ軍曹 撃侵 ドラゴンウォリアーズ であります!』
みました!
マニアックなガンパロ*1に大ウケしつつ、
キャラ行動に整合性持たすには尺がちょっと足んなかったかなー(残念 とか思いつつ、
まんが映画として、ああ、楽しかった♪♪♪
シオンちゃんがもう、
姿見てて声聞いてていちいち鼻にツンとこずにはいられない(涙、
まんが映画史上に残したい美少女(はあと)でした*2あ〜
かわいかったなーもお。
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