恩田陸『光の帝国 常野物語』(集英社文庫、2000年)

『大きな引き出し』『二つの茶碗』『達磨山への道』『オセロ・ゲーム』『手紙』『光の帝国』『歴史の時間』『草取り』『黒い塔』『国道を降りて…』の十篇からなる「常野一族」を扱った連作。

常野という言葉が示すように、彼ら「常野一族」は特殊な能力を持ちながら「権力を持たず、また権力に仕えることもなく」、「常に在野」であらねばならぬ掟のようなものがあるらしい。そして何かと戦ってもいるのだが、全貌が明らかになるわけではない。けれど、まあ、それは読んでのお楽しみってことで。

 「だからって、学校で平家物語を暗誦してみせるってのはやめてよね。あのねぇ、ニッポンはミンシュシュギの国なの。ミンシュシュギということは、つまりぃ、他の人よりも余計なものは持ってちゃいけないってことなの。分かる?」(p.12)「暗誦」に「あんしょう」のルビ

ファンタージー的要素が多いのは私の苦手とするところ。が、なかなかどうして構成は凝っているし、いきなり上のような会話が飛び出してきてどきっとさせられた。で、それは違うでしょ、と言いかけて、でもどう反論したらいいのかわからなくなった。単純な物言いだが、そんな感じもしてしまうからだ。

でも、まあ、こんなところで躓いていても仕方ないので、ちょっと別のところからの引用を。

 時子はとまどったような、不安げな表情を見せるが、まだ本当にはわかっていない。その度に激しい焦燥を感じて、夫も裏返される前はこんなふうに自分を見ていたのだろうか、と激しい後悔の念に襲われる。娘はまだ『あれ』を見ていない。ときどき気配は感じているようだが、まだ裏返したことはないらしい。できれば見せたくないし、一生見なければいいと思うが、何も教えずにいきなり裏返されてしまっては元も子もない。(p.90)

私はある部分でひどく鈍感なところがあって、本を読んで恐怖感を味わうことなどほとんどないのだが、この『オセロ・ゲーム』は怖かった。もっともこの「裏返される」正体が何かはわからない。わからない怖さという納得では、怖さの価値は半減すると言いたくなるが、うまいものである。

(略)しかし、結局は皆同じ月を眺めているのだという思いが日に日に強くなる。いつも、昼も夜も同じ一つの月が空にあって、われわれはいろいろな場所でその月を見上げている。君とは全然違う場所ではあるが、やはり同じ月を見ているのだなあと、当たり前の事をつらつらと考えるようになったのは老人の兆候か。(略)(p.111)

こんなところが印象に残っているのは、老人化の兆候ってやつで……。けど、私よりはずっと若い恩田陸にそう思わされてしまうっていうのもなぁ。

って、あっち飛びこっち飛びのどうでもバラバラ感想になってしまっているけれど、私にはそんな本だったのだ。なんで、まだ他にも引用したいところがあるが、これでお終いとする。