いい習慣

年々、体調が良くなり、頭も良くなっているという実感があるのですが、心のレベルもかなり上がってきたように(手前味噌ですが)思っています。

 

斎藤一人さんの言葉に「ますます良くなる未来は明るい」というのがあるのですが、素直にこの言葉を信じられるかどうかで、将来が違ってくるように思うのです。

 

素直にそう思い込んでしまえば「幸せ」と「豊かさ」の両方がやってくるは間違いありません。

 

少なくとも自分は、もう今後は成功か大成功しかないと信じています(斎藤一人さんの教え)。

 

「夜、出歩かない」と決めたのは非常に良かったと思います。

 

むろん年2,3回の例外はあるのですが、夜に出歩かないと時間的に体力的に経済的に消耗しないし、魂的にも堕落しません。

 

月1度の伊勢神宮参拝の継続が、知らず知らずのうちに自分を「超ラッキーマン」に仕立て上げてくれました。

 

次の式年遷宮は私が80歳の時に執り行われますが、密かにその次の式年遷宮参加も狙っています(そのとき私は100歳)。

 

当然ながらそれまで毎月の参拝を行うのですが、1人クルマでの日帰り参拝がいつまでできるのかは疑問です。

 

完全自動運転車の登場を心より待ちわびています。

 

 

世界一周

海外旅行にあれだけ出かけていたのに、ここ5年ほどは全く行っていません。

 

ヨーロッパへの1人旅が多かったのですが、段々と1人で行く旅が億劫になってきました。

 

私が頻繁に海外旅行していた時期は円高で、円安の今の半分の予算で行けていたのではないかと思います。

 

行きたい時が円高で、行きたくなくなってからは円安と、ある意味、ひじょうにラッキーなのです。

 

こんなところでも自分の運の良さに感謝しています。

 

次の海外旅行は家族か仲間と一緒に行きたいものです。

 

家族とならハワイ、友人たちとならヨーロッパでしょうか。

 

「大西洋を越える」という(やりたいことリストの)課題もあります。

 

大西洋を越えるついでに地球を1周したいものです。

 

冥途の土産に「ファーストクラスでの世界一周」もいいかもしれません。

 

予算は多分1,000万円。

 

米国はイマイチ好きではないので、まずはカナダに。

 

トロントあたりがベストでしょう。

 

そのあとはヨーロッパの都市ではなく、思い切ってドバイというのも面白いかも。

 

で、そこから日本へ帰国。

 

これなら妻もついてきてくれるかもしれません。

 

「世界一周」なんて言わないで、心のリミッターを外して「世界五周」ぐらい行ってもいいかもしれませんね。

ゴルフの話 その2

「あっ、こんなことをやっていてはいけない!」と恐怖に似た感情に襲われました。

 

今から思えば、バブルが崩壊する少し前の話です。

 

「ちょっと浮ついた」不動産業者たちが集まった平日のゴルフ会でのことです。

 

1番ホールでの第1打を打った瞬間、ゴルフなどやっている場合ではないと感じ、何かとんでもない恐ろしいことが起こるような気がしたのです。

 

その機を最後に私はゴルフから足を洗いました。

 

実際、それからしばらくしてバブルが崩壊し、ゴルフどころではなくなりました。

その少し前の、バブル真っ最中の話です。

 

「君は見込みがあるから、審査なしで会員にしてやる」と、ゴルフ場をいくつも経営している人から言われました。

 

会員権は確か4千万円ぐらいだったと思います。

 

もしその時、老獪な経営者の言葉に浮かれて会員権を買っていたなら、大変な後悔をしていたはずです。

 

なぜならそのゴルフ会社は、その後しばらくして倒産したからです。

 

会員権は紙切れと化し、4千万円は全く戻って来なかったと思われます。

 

危うく難を逃れたわけですが、やっぱりゴルフと私は相性がよくないに違いありません。

ゴルフの話 その1

私は小学校や中学校では勉強ができなかったのですが、運動神経だけは自信がありました。

 

しかしながらスポーツにも、得意なものと、そうでないものとがあります。

 

中学・高校・大学と続けた「本業」の柔道はともかくとして、ハンドボールやテニスは相性がよかったように思います。

 

ハンドボールの授業では、たぶん自分に一番合ったスポーツだと思ったし、社会人になって始めたテニスでは(厳しい柔道の練習をやっていたので)「世の中にこんな楽なスポーツがあるのか」と驚き、実際すぐに上達しました。

 

が、一番相性が悪かったのがゴルフです。

 

もっと謙虚に基礎から習っておけばよかったのですが、自我流でいつまでたっても上達しませんでした(ちょっとナメていました)。

 

社会人になってから(なんとなく人並みに)ゴルフを始め、7,8年続けたのですが、今から思えばゴルフなどせず、その分ほかの勉強をしておけばよかったと思います。

 

ゴルフのデメリットは時間とお金がかかること。

 

逆にメリットは社交にプラスになるということです。

 

人によってはゴルフで仕事の人脈作りができることもあります。

 

高級ゴルフクラブの会員にでもなれば、そこから富裕層の知り合いができ、一段とレベルの高い世界が広がるかもしれません。

 

学生時代の友達など、社会人になると縁が薄くなることが多いのですが、ゴルフをやっていると、ちょくちょく会う機会があったり、別の友人を紹介してもらったり、むしろ学生時代よりも面識が広がったりするようです。

藤原氏

ニニギノ命(みこと)は天照大神の孫で、三種の神器や稲の穂を託されて、高天原から瑞穂の国(日本)に降りてきました。

 

その時にアメノコヤネ命も付き従ってやってきました。

 

アメノコヤネ命が藤原氏の先祖です。

 

藤原氏は主に祭儀を担当していました。

 

藤原氏が力を得たのは、鎌足中大兄皇子(のちの天智天皇)と一緒に、蘇我氏を打ち滅ぼしてからです。

 

藤原二代目の不比等も秀逸な人物で、藤原氏の勢力の基盤を築きました。

 

藤原氏の全盛期を担っていたのは藤原道長で、この時に仮に道長が「天皇に変わって自分がトップに座る」と思えば、そうできるだけの力がありました。

 

が、そのようなことは一切しませんでした。

 

自分の先祖が、天皇家の先祖につき従ってやってきたことを知っていたからです。

 

藤原氏は何人もの娘を天皇家に嫁がせましたが、息子たちは1人として天皇家に入っていません。

 

藤原家は「あくまでも天皇家の下で働く」というのを他の豪族も知っていたので、多少の強引さには目をつぶっていたのかもしれません。

 

藤原氏の出自は茨城県鹿島神宮周辺ではないかと思います。

 

伊能忠敬もその地出身で、やはり藤原家の一族だと、伊能忠敬の子孫の方から直接聞いたことがあります。

年号

今は1人の天皇に1つの年号と決まっていますが、昔はもっと頻繁に変えられていました。

 

今まで天皇は126人おられます(1人で2回やった方もおられますが)。

 

で、年号はというと、なんと248もあるのです。

 

最初から年号があったわけではなく、日本での一番初めの年号は「大化の改新」の「大化」です。

 

それまでは「〇〇天皇〇年」といった言い方で、例えば伊勢神宮の内宮は約2千年前の「垂仁天皇26年」に造られています。

 

かつては中国でも年号がありましたが、今はもうなく、年号は日本だけが持つ独特なものとなっています。

 

昔の朝鮮半島ベトナムは中国の強い影響を受け、中国と同じ年号を使っていました。

 

「大化」という日本独特の年号を掲げた背景には、時代的に、独立を犯されたくないという強い意志があったのは間違いがありません。

 

ちなみにこの大化の時代に「天皇」や「日本」という名前も生み出されました。

 

私は「昭和」、「平成」、「令和」の3つの年号のもとで生きてきました。

 

何かのイベントや事件がいつ起きたのかを思い起こすとき、年号と西暦とが自分の頭の中でゴチャ混ぜに入っています。

 

例えば「前回東京オリンピックは1964年」だし「自分の大学卒業年度は昭和50年」だし「バブルのピークは1989年」といった具合です。

 

金刀比羅宮への再挑戦 その2(写真特集)

とにかく階段ばかりの写真になります。

ようやく「大門」に到着。 でもここからが大変。

ウグイスも鳴いていました。

477段目。

ひたすら歩くだけ。

途中にある「真須賀神社」。 スサノオ命と奥さまのクシナダ姫をお祭りしています。

もう歩くしかないわけです。

ようやく本殿。オオモノヌシをお祭りしています。

タケミカヅチ命とホンダワケ命(応神天皇)をお祭りしています。

ちょっと不思議な取り合わせです。

で、まだ階段は続きます。

自分の足で登って、ここまで来ました。 ちょっと感動。

オオモノヌシ命の奥さまは三穂津姫(ミホツヒメ)とおっしゃるのですね。

参道の途中に資生堂のカフェがあります。

ミスマッチな感じがしないでもありませんが、オシャレで、ちょうどいい場所にあり、お客さんも多かったのです。

入り口付近にあるうどん屋さんへ。

やっぱり美味しい。

帰りの高速で、淡路サービスエリアに寄って休憩。