• 序章 団体的原理と国家的原理
  • 一章 中世大学
    • 一 十二世紀ルネサンスと遍歴学徒
    • 二 ウニヴェルシタスの形成
    • 三 中世大学の発展
    • 四 中世末期の大学
  • 二章 宗派的大学
    • 一 宗教改革と大学
    • 二 宗派的大学の発展
    • 三 宗派主義からの脱皮
  • 三章 近代的大学
    • 一 フランス革命をめぐって
    • 二 ドイツ大学の発展
    • 三 フランス大学の動向
    • 四 イギリス大学の改革と変貌
  • 終章 国家と大学
  • あとがき
  • 復刻にあたって(上野正治

 ハレとゲッチンゲンはともに北方ドイツの新教領邦の大学であった。宗派主義からの脱却、大学の「近代化」と「自由」の原理の導入は、したがってすぐれてプロテスタント的な動向であったということができるだろう。これに対してカトリック的南方のドイツ諸大学は依然としてイエズス会支配下に頑強な宗派主義を固執していた。イエズス会勢力の後退がここでは大学の「近代化」の前提であったが、しかし時代の滔々たる啓蒙の波はここにもおしよせていた。改革の胎動は、一七七三年の教皇勅書によるイエズス会の廃止以前、すでにはじまっていたのである。
 たとえばオーストリアウィーン大学である。ここの哲・神両学部の教師団のほぼ三分の二はイエズス会会員の占めるところであり、法・医両学部の不振も甚だしかったが、早くも一七三五年、政府筋からその哲学課程の時代錯誤が指摘され、デカルト哲学の導入が勧告されている。改革はマリア・テレサの治下にいたってはじめられた。改革を指導したのは女帝の侍医としてライデン大学から招聘されたオランダ人ゲルハルト・フォン・スヴィーテンで、医学部の拡充と近代化を手はじめに、改革はその他の学部におよんだ。(pp.153-4)