「SUPER」


冴えない中年男フランクが、自分の元を去った妻を悪党から奪い返すために、手作りコスチュームに身を包んでヒーローになろうと悪戦苦闘するというストーリー。ジェームズ・ガン監督。
…「自主製作ヒーローもの」と聞いて、すぐにキック・アス」の二番煎じかと思ったが、町山智浩氏の批評で「どうもそれだけでに留まらないらしい」と知り、俄然興味が湧いていた作品。
例によって「シネマハスラー」の賽の目映画に決まったので、今週のうちに観ておこうと、仕事後に新宿武蔵野館で21時からのレイトショー。(そういえば「キック・アス」もここで観たんだった)
サラ(リヴ・タイラー)のような美人な妻と結婚できたのが奇跡的なフランク(レイン・ウィルソン)は、しょぼいダイナーでコックとして働く、ただ真面目なだけの退屈な男。不細工なルックスと内気な性格でいじめられ馬鹿にされてきた彼の人生には、完璧な瞬間というのが2回しかない。そのひとつはサラとの結婚式の幸福な瞬間、もうひとつは強盗を捕まえるのに警察に協力できた時(それもただ「あっちに行きました!」と教えただけ(笑))。それだけを支えに生きているフランクから、妻サラの心が離れていき、ある日とうとう家を出てドラッグディーラーの悪党(ケヴィン・ベーコン)のもとへ走ってしまう。失意の底から立ち直るために神に祈るうちに、「闘わなくてはダメだ!」と決意したフランクは、コミックショップでアメコミヒーローものを買い漁り、それを手本に自前のコスチュームをミシンで縫う。こうして彼はヒーロー「ライトニング・ボルト」に変身し、徒手空拳で悪党に立ち向かっていくのだ。
…この冒頭だけでガッチリ主人公に感情移入してしまい、「ばかばかしいことを大真面目にやる」彼のいじらしさにグッとくる。悪党がケヴィン・ベーコンというところがまたいい! 悪い奴だけどちょっと間抜けで下品だけどカッコよく、実はそんなに大物でもないというあたりが、敵役として実にリアルだ。(「ケヴィン・ベーコンの出てる映画にハズレなし」の法則!?)
この作品が「キック・アス」と大きく違うところは暴力描写の部分で、主人公の行動への意味の持たせ方がまるで異なる印象を受ける。「キック・アス」では内気な少年が「自分を変えたい」と強く望む心がパワーを帯び、純粋に正義感を持って悪と対峙していたので、バイオレンスシーンも痛快だったが、「スーパー!」では発端がまず私怨だし、「今までの人生が無駄になってしまう」という恐怖を振り払うための過激な行動だし、「生きる希望を奪わないでくれ」という執着でもあるので、その暴力はより「イタイ」。
実際に監督はこの作品での暴力をより凄惨に見せており、たとえ悪いことをしたからといってスパナで殴りつけて血みどろにしてしまう主人公のことを、観客はヒーローとして応援することはできない。
さらにこの主人公にアドバイスするコミックショップの店員リビー(エレン・ペイジ)が相棒として加わってから、その暴力はますますエスカレートしていく。
キック・アス」で主人公のピンチを救ったヒット・ガールと違って、「ボルティー」と名乗ってフランク同様に手作りコスチュームで現れるリビーも特殊能力は何も無いただの女の子なのだが、実はとんでもない「サイコ」ちゃんであり、自分の性的欲求不満をぶつけるかのような衝動的な行動をとり、暴力行為自体を心底楽しんでしまうのだ。
シャラップ!クライム!」と叫び、単なるコスプレで通り魔的な暴力をふるうイタイふたりの姿は、勝手に超越的な存在に昇華させ、善悪の判断を棚上げしてしまった我々のヒーロー像に対する強烈なアンチテーゼでもある。
ブラックな笑いではあるが全編コミカルなトーンで作られているので、重々しさはなく、エンターテインメントとして楽しめる作品だが、観終わったあとのこの虚しさ、せつなさはなんなのだろう。
ハッピーエンドであるはずのラストでの主人公の表情を観ながら、「こんなに哀しい話はないんじゃないか」とまで思ってしまった。
なるほど。これは確かに「キック・アス」の二番煎じに留まらず、テーマ的にさらに一歩も二歩も踏み込んだ傑作だと思う。
http://www.finefilms.co.jp/super/
タイラー・ベイツのサントラもなかなかいい。テーマ曲を歌う女性の声が気になって調べてみたら、リサ・パピヌーというパリのシンガー。透明感はあるが気怠い声が耳に残る「Two Perfect Moments」という曲をitunesで購入。
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