『Couching at the Door』D. K. Broster(Wordsworth Editions)★★★★★

 アンソロジー『鼻のある男』に「超能力」が紹介されていたD・K・ブロスター稀覯本が廉価版で刊行されてます。

「Couching at the Door」(門口に伏す)★★★★★
 ――詩人のAugustine Marchantが初めにそれを見たときは、訪問客が忘れていったボアだと思った。いつの間にかそれは消えていた。翌日の夜、家で酒を飲んでいると、何かが動く気配がする。猫? そんなはずはない。目を凝らすと、ベッドの下から、芋虫のような毛の塊が這い出してきた――。魔術の本を調べてみたが、役立ちそうな呪文は見つからない。ところが母親の幻に導かれて聖書を開くと、「汝もし善《よき》を行はゞ擧《あぐ》ることをえざらんや。若《もし》善を行はずば罪《つみ》門戸《かどぐち》に伏す。彼は汝を慕ひ汝は彼を治めん」という一節にぶつかった。意味がわからないながらも「治める」という言葉に反応し、「出て行け!」と命令すると〈それ〉は部屋から出て行った。もしや……Augustineは打ち合わせに来た挿画家が寝ているあいだに、自分ではなく挿画家に取り憑くように〈それ〉に命令したのだった……。

 毛のかたまりが這っているというだけではそんなに怖くはないのですが、たとえばそれを「頭があるべきところはだんだんと先細りになっていた」とか「頭なき頭を揺らした」と具体的に書かれると、気持ち悪くてぞわぞわします。しかも何度も何度も現れます。。。さらにはAugustineはわずかな埃や一匹の虫さえ我慢できないような神経質な人間なので、どんどんどんどん追いつめられていく感じが息苦しい。ボアに取り憑かれた挿画家には、怪異が部屋の幻覚という形を取って現れるところに一工夫あります。それがパリからの挿画家本人の手紙という形で記されているので、取り憑かれているというより狂気に染まっている感じが伝わってきて、またひと味違う怖さになっていました。タイトルにもなっている「門口に伏す」とは、作中にもあるとおり旧約聖書創世記4:7、カインが弟に嫉妬した際に主がカインに言った言葉です。「もし正しい事をしていないのなら――」という聖書の言葉からもわかるように、物語の最後には罪と罰が待ち受けていました――。それまでが「ただの毛のかたまり」だっただけに、単純ではありますが効果的なラストシーンになっていました。
 

「From the Abyss」(深淵から)★★★★☆
 ――分裂病の話題になったとき、友人が叫んだ。「ヒトラーが二人存在するなんて悪夢だよ!」分裂するのは肉体ではなく精神なのだと、わたしたちは誤解を改めた。だがみんなが帰ったあとで、Stephen Ellisonがわたしに洩らした。「彼は間違っていない……」以下がStephenの話だ。――数年前、StephenはDaphne Lawrenceという娘と婚約していた。だがある日、Daphneが事故に遭った。車が雪山のクレバスに落下し、車とガイドは行方不明、Daphneは直前に車から投げ出され、ほぼ無傷で助かったという。だが帰ってきたDaphneは以前とどこか違っており、徐々にやつれ、結婚するつもりもないと言う。そんなある日、Daphneの父親が訪ねてきた。おかしな噂を聞いたのだ。雪山で娘が発見され、クレバスから自力で這い上がってきたと証言しているという。クレバスから生きて帰れるはずもなく、売名行為か何かだろうとは思うが、Daphneも同じ内容の話をしているのが気にかかった……。

 初めからどういう話なのかは明らかにされてはいても、細かいくすぐりや盛り上げ方が上手いので、読んでいてぞくぞくします。例えば――調べてもらっていた現地の知り合いから届いた報告書のなかに、不鮮明な写真が入っていたところ。誰とでも言えそうなくらい不鮮明な写真だったために、最初は見るともなく見ていたのですが、猫のあやし方(手の平ではなく手の甲で猫を撫でる女がほかにいるだろうか!)がDaphneと同じだと気づく場面は一つの山場です。

 あるいは、現地で発見された名前のわからない娘が、世話になっていた小屋から立ち去る前日に教会に立ち寄り、聖人たちの名前に反応するところ。the Virgin、St Roch、St Christophe、Ste Thérèse、St Laurent、St Joseph……。女はマリアと聖テレーズだけだから、娘の名前はきっとどちらかなのではないか――と知り合いは推測しますが、読者とStephenにはもちろんDaphneの本名(Lawrence)がわかっているわけで、こういうところもニヤリとしました。

 それからいよいよ「もう一人の」Daphneと対面するところ。そこにいたのはDaphneだった。いや、Daphneではない。少なくとも、数日前イギリスで見送ったDaphneではなかった。魅力的で、生き生きとした、あのころのDaphneだった! 同じ人間が存在する話だというのは物語の冒頭からわかっているのですが、助かった方はやつれてゆき谷に落ちた方は変わらぬ姿で、というひねりが効いていました。
 

「Clairvoyance」★★★★★

 本篇は「超能力」の題名で、アンソロジー『鼻のある男』に訳載されています。
 

「The Pavement(舗道)★★★★☆
 ――Simon ReidとLydia Reidの老兄妹は、地所にある歴史的舗道《ペイヴメント》を公開して入場料を取り、収入の足しにしようと考えた。Lydiaはそのモザイク画が本当に大好きだったから、見に来た人たちは老女の解説に驚いていた。ただの観光客や虫の好かない人間は案内するつもりはなかった。そこには鳥や魚、ローマの神たちが描かれていたが、なかでもLydiaが好きなのは、美しい女神ヘーベーの姿だった。――その二人が訪問したときに、嫌な予感はしていたのだ。よりよい状態で保存するために、調査および修繕を行いたいという。「これはわたしたちのものよ!」。それから毎日、Lydiaは新聞紙やぼろ切れを持って朝早くに家を抜け出した。見咎められないようにハンマーは現場に置いておいた。やがて準備は出来た。Lydiaは火種を取り出し……

 これは怪奇小説ではありません。お気に入りの場所を独り占めしてしまう老女の物語です。最後はお気に入りの画とともに――ではなく、自分は生き残って調査員たちに勝利を見せつけてやるぜ!というあたりの意地悪っぷりがむしろ憎めません。空にはローマ神話の名をつけられた星座があり……という結びも、ちょっといい話です。
 

「The Window」(窓)★★★★★
 ――Romillyはフランス滞在中に、Gabrielle de Précyという美しい娘に一目惚れした。はからずも、Romillyがいつかなかに入ってスケッチしてみたいと思っていた素敵な家も、Précy家のものだった。だがやがて戦争が始まった……。駐屯地の近くにGabrielleの家があるはずだ。Romillyは訪れてみることにした。家には誰もいない。なかに入ってみると、その美しさに思わずスケッチを始めていた。夜になった。誰かに見られているような気がする。窓のあたりに人の顔が見えたような気がした。息苦しくなってきて、Romillyは窓を開けようとした。上げ下げ窓の掛け金をはずし、窓枠を押し上げ、腕を外に出したちょうどそのとき、窓が落ちてきて、Romillyの両腕をギロチンのように挟み込んだ! どうやら腕が折れているようだった。窓を押し上げようとしたがどうにもならない。このまま死んでしまうのだろうか……。

 肉体的精神的な拷問の恐怖と、幽霊にまつわる因縁話が、見事に一体となった作品です。生殺しの恐怖あり、幽霊屋敷のような不気味さあり、おまけにスプラッタまである大盤振る舞い。読み終えてみると、窓が「ギロチン」のようだというのが単なる譬喩というだけではないことに気づいて、ぞっとします。可能性としては……怖っ。難を言えば、あまりにも上手く(都合良く)まとまりすぎているきらいはありますが、それは贅沢な文句というものでしょう。
 

「Juggernaut」(引き車)★★★☆☆
 ――雨の日でも病人用の幌付き車椅子を押して歩く男を窓から見かけ、Miss FloraとMiss Halkettは不思議に思っていた。ある日、散歩中に雨に降られ、足をくじいたFloraは車椅子に乗ろうとその男を呼び止めたが、「ほかの人を乗せたらMrs Birlingがお気に召さないと思うので」と断られた。町の住民が言うには「CottonはMrs Birlingが亡くなってからおかしくなってしまってね……」。Cottonの娘夫婦も父の様子には手を焼いていた。数日後、今度はCottonもFloraを乗せることに同意したが、Halkettは不安だった。不安は的中し、Cottonは崖に向かって車を引っぱり出した。慌てて止めるHalkettたちに、Cottonは恐ろしい罪を告白するのだった……。

 怪奇小説的な恐怖に始まって犯罪小説的な恐怖で終わるという、本書のなかではちょっと毛色の変わった作品です。
 

「The Promised Land」(約束の地)★★★★☆
 ――従姉妹のCarolineが何かと世話を焼くことに、Ellen老婦人は感謝していた。けれど……徐々にお節介を憎らしく感じ始めていた。イタリアに憧れていたEllenに、甥がチケットを送ってくれたが、Carolineと一緒なのはわかりきっていた……。念願のイタリア。どんな素晴らしい場所も、Carolineの口から説明されると、途端につまらなく感じられた。死んでしまえばいいのに……もう疲れた。EllenはCarolineをイタリアに残して家に戻り、近所にはCarolineは具体が悪くて寝込んでいるような顔をして取り繕っていた。まるで本当にCarolineがいるかのように振る舞って……。だが、やがてイタリアでCarolineが死んだという報せが届いた。家を訪れた警官を見ると、Ellenは誰もいないベッドに向かって叫んでいた。「Caroline、早く起きてよ、あたしに応対をまかされても困りますからね。ほら早く!」

 これも「The Pavement」同様に、老婦人の妄執を描いた作品です。

「The Pestering」(厄介もの)★★★★★
 ――Evadneがドアを開けると、みすぼらしい老人がいた。「櫃をもらいに来た」「櫃?……」老人は消えていた。数日後、門のそばの人影を夫だと思い、「入りなさいよ?」と声をかけた。だがそれはあの老人だった。Evadneは気を失った。夫のRalphは古老から、櫃を探し回る(当時はまだ若かった)老人の言い伝えを聞いた。家中を探すと、屋根裏の隠し部屋に小さな櫃が封印されていた。なかには胸にナイフの刺さった女性の彫像。まじないらしき紙切れを燃やし、屋根裏をあとにした。だがその夜、Ralphはなぜか部屋を抜け出した。蝋燭が消え、息が詰まり、棺に屈み込む「若者」が見え……Ralphは気を失った。だから彫像は棺ごと運河に沈めた。後日、古い怪談話を聞いた。ある若者が恋した女の像を作らせたが、ナイフを突き立て呪いをかけて恋人を殺したという。だが数年後ふたたび女の顔を見たくなった若者は、彫像のゆくえを探してさまよいはじめた……。

 不気味な老人を目撃し、不気味な若者の怪談を聞き、みずから怪を家に招いてしまい、徐々にですが恐怖がひしひしと身近に迫ってきます。やがて老人でも若者でもなく、「何か」が女中のピンをくわえていったという描写にはぞっとしました。こうして直接原因と向かい合うしかなくなるわけですが、その後の盛り上げ方も丁寧に定石を踏んでいます。子どもか小人のような小さな棺ってのがまた、ものすごくまがまがしい感じがします。蓋を開けてみれば彫刻だったわけではありますが。棺を見つけるまでは恐怖の対象は老人だったのに、彫刻が見つかってからは恐怖の対象がそちらにそのままスライドするのも見事です。Ralphが彫刻に魅入られて空気の澱んだ屋根裏でパニックに陥る場面の怖いことといったら。
 

「The Taste of Pomegranates」(柘榴の味)★★★★★
 ――RobertaとArbelのFraser姉妹は博物館で知り合ったGabriel LenormandとNorris Ameryに誘われて、日曜日に洞窟を見学に行くことになった。だが待ちぼうけだ。突然の雨に姉妹は洞窟に逃げ込んだ。ところが土砂崩れが起こり、閉じ込められてしまった。助けは来ない。真っ暗ななか、出口を求めて二人は歩いた。何の音だろう? ひどい匂いがする。貝塚だろうか。二人は恐る恐る奥を覗き込んだ。博物館で見た。洞穴熊(cave bear)だ。何千年もここで死んでいたんだ。死んでいた? まさか。生きてる。二人は洞窟の入口に戻った。外で音が聞こえる。助けだろうか? だが現れたのは角の生えた顔だった。熊と怪物から逃れようと、二人は必死で走った。Robertaは何とか隙間から外に出た。「Arbel! 手を!」Arbelがいない。「Arbel!」 ※―ここから結末に触れるので伏せ字― そのころ、Lenormandたちは車のガソリンが漏れて立ち往生していた。「Arbelはペルセポネーの彫刻にそっくりだな。冥界の柘榴を食べたために、一年の三分の一しか地上に戻ることができなくなったという……」……そのとき、悲鳴が聞こえ、洞窟からRobertaが飛び出してきた。怪物がいると筋の通らないことを言う。三人が奥に進むと、狭い洞窟のなかにArbelが眠っていた。「ペルセポネーが帰ってきた」とAmeryが呟いた。姉妹が帰ってからも、AmeryとLenormandは洞窟の前に残っていた。「Robertaのカメラが落ちていた」カメラは滅茶苦茶に壊れ、穴が貫通していた。「何かが噛みついたようじゃないか」「そんな大きなライオンなんていやしないぞ」「だが、かつて洞穴熊という大きな動物ならいた」「ここは一万五千年前じゃない」Lenormandは化石を取り出して、カメラの穴に合わせた。それはぴたりと一致した。 ―※伏せ字終わり―

 これまでどおりの恐怖譚かと思っていたら、途中から秘境探検サスペンスになったので驚きました。暗闇に閉じ込められた恐ろしさに加えて、正体のわからない物音や、救助の期待を裏切り不安をあおるような物音など、神経にこたえる恐怖感であおられたところで、それが一気にパニックものに爆発する展開には、(変な言い方ですが)爽快感さえありました。ギリシア神話のペルセポネーになぞらえられることで、否が応でも不安が掻き立てられます。絶対悲劇に違いないと思うじゃないですか。

 


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