『叫びと祈り』梓崎優(創元推理文庫)★★★★★

「砂漠を走る船の道」(2008)★★★★★
 ――「砂漠の船」がいなないた。斉木がアフリカ大陸の砂漠に来たのは、雑誌の仕事の都合だった。サハラ砂漠の真ん中にある集落から塩を運ぶため、キャラバンは集落と街を往復していた。その細い命脈は、「砂漠の船」ラクダの歩く道によって保たれている。

 砂漠のど真ん中で起こった殺人には、どんな意味があるのか――。第5回ミステリーズ!新人賞を受賞した作品です。砂漠の民の過酷な生活を描いて、その身体感やエキゾチシズムにどっぷりと引き込まれてしまうのですが、そうした舞台自体が手がかりでもあるという、ガチガチの本格ミステリでもありました。チェスタトンを髣髴とさせるロジックをもちいながら、幻想や奇想ではなくリアリティも持ち得ているという点で、奇跡のような稀有な傑作だと思います。しかもメインネタ一本だけの作品ではなく、かなり緻密に組み立てられていました。
 

白い巨人ギガンテ・ブランコ》」(2010)★★★★☆
 ――彼女が僕の前から去ったのは一年前。その同じ階段を、同じ風車に向かって、僕は斉木やヨースケと上っている。風車の中にある土産物屋の親父は、そこに伝わる伝説を聞かせてくれた。昔イスラム教徒に追われた青年が風車に逃げ込み、そのまま消えてしまったという……。

 人間消失の真相にはちょっとがっかり? いいえ、斉木も「フェイクなんだ」と言っているではありませんか。よく言えばそこも作中作とリンクしているのです、きっと。サクラには変な方向にリンクしてしまったようですが。この作品には「砂漠を走る船の道」と同じタイプの仕掛けがほどこされています。斉木の経歴を考えれば何かありそうではあったのですが、なかなか真相には気づけないものです。
 

「凍れるルーシー」(2009)★★★★★
 ――斉木がロシア正教会修道院に向かっているのは取材のためだった。リザヴェータという修道女は二百五十年ほど前に修道院で暮らしていたという。死後もたくさんの修道女から崇拝されてきた。それは遺体に起きた奇跡のためだった。腐敗もせずに当時の姿を保っているという。

 異文化のロジックでありながら現実寄りでもあった「砂漠を走る船の道」と比べると、ここで描かれているのは完全に別世界の論理のため、却ってロジックにはさほど驚きはありませんが、その先にあった狂人の論理を補完するような真相が、「異文化」なんて吹き飛ばしていました。何が謎なのかがわからないまま進んでゆく展開に隠されて、すでに答えは書かれていた――という構成も巧みです。「Я」「ОН」「МИР」(「私」「他人」「世界」)という章題は、続く「叫び」の真相を暗示しているかのようです。
 

「叫び」(2010)★★★★☆
 ――昔ながらの生活を継承している部族デムニの集落。部族の若者は医師である英国人アシュリーに悲愴な目を向けるが、アシュリーはかぶりを振った。「高熱、頭痛、嘔吐、出血――あり得ないが、似ているんだ。この村は滅びに瀕している」

 「凍れるルーシー」のようなひねりがないため、オーソドックスな異文化ミステリのようになっています。「砂漠を走る船の道」の動機が日本人の目から見ても実利的なものだったのに対し、「凍れる――」「叫び」は狂人の論理に近いものがありました。アマゾンの先住民族というただでさえ日本とはかけ離れた舞台を用いながら、さらにアフリカ起源のエボラを持ってくるという、ある意味で都合のいい道具立てなのですが、ミステリどうこうよりも一つの世界が滅びゆく瞬間の凄惨さに気圧されます。
 

「祈り」(2010)★★★☆☆
 ――外の世界は真っ白だった。森野と名乗った男は、僕にクイズを出した。東南アジアの小島にある洞窟が「祈りの洞窟《ゴア・ドア》」と呼ばれているのはなぜか? 外の景色を見て僕は「寒そう」と感じたが、熱砂の上で生活する人間には違って見えるかもしれない。森野はそう言って、砂漠を渡る物語を話し始めた。

 ミステリ作品集にはこうした作品は不要とも思えてしまいますが、言い古された「秩序回復」の物語がミステリであるとするならば、これまでの四作品で探偵にも抗いようのなかった現実に対して、この最後の作品によってようやく秩序回復が訪れたと言えるのかもしれません。

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