創世記1章と2章の矛盾?
”ゲノム”の中でコリンズは、創世記1章と2章が「完全に一致しない二通りの話がある」ので、文字通りではない → 詩的で寓話的な記述である、と考えていた。
このことについて焦点を当てて考えてみる。
「創世記1章と2章には、別々の創造物語が書かれている」というのは、現代の主流派(聖書は科学・歴史とは関係なく、魂の救いのことのみ書かれているという立場)の神学校でも教えられ、そもそも1章と2章では、書かれた時代が違い、それが継ぎ合わされたのだから、ちぐはくなのは仕方ない、と考えられている。
二つの異なる創造物語が連続しているように見えるのは、現代人の目で、それも幼稚で単純な古代人が書いたかのように読んでいるから。
この聖書の読み方にしても、自分を上にして読むか、神のことばとしてへりくだりつつ受け止めるか、で全然見え方が違うと思う。
神のことばとして真剣に聖書に向き合うときに、その奥深さと美しさに、人の知恵を超えていると認めざるを得ないのではないか、とまで思う。
神のことばをどう受け止めるかは個々人にかかっているのだけれど、自分の出来る限りで、それを表現してみたいと思う。
そこで、まず創世記全体の構造から、1・2章の構造に絞っていき、その後で、その中で語られていることを考えてみたいと思う。。
<創世記の構造>
・創世記は10の「トールドット」(「経緯、歴史;系図」と訳される)で構成されている。
1.これは天と地が創造されたときの経緯(2:4)
2.これはアダムの歴史(5:1)
3.これはノアの歴史(6:9)
4.これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史(10:1)
5.これはセムの歴史(11:10)
6.これはテラの歴史(11:27)
7.これはアブラハムの子イシュマエルの歴史(25:12)
8.これはアブラハムの子イサクの歴史(25:19)
9.これはエサウの歴史(36:1)
10.これはヤコブの歴史(37:2)
新改訳聖書は、上記の節を下にずらすことで示している。
・このうち、創造からアブラハムに至るまで、以下のような構造が見られる。
A 創造 <大水:かわいたところ現れる/種類に従い/神の祝福>(1:1-2:3)
B 罪 <アダム。裸→裸を隠す/呪い>(2:4-3:24)
C 義人の子孫 <カインがアベルを殺す:アベル子孫残せず>(4:1-16)
D 罪人の子孫 <カインの子孫>(4:17-26)
E セツとその子孫 <アダムからノアまでの10代の記録>(5:1-32)
F 堕落 (6:1-4)
G ノアの簡潔な紹介 (6:5-8)
A’再創造 <洪水:かわいたところ現れる/種類に従い/神の祝福> (6:9-9:19)
B’罪 <ノア。裸→裸を隠す/呪い>(9:20-29)
C’義人の子孫 <ヤペテの子孫>(10:1-5)
D’罪人の子孫 <ハムの子孫>(10:6-20)
E’セムとその子孫 <ノアからテラまでの10代の記録>(10:21-32)
F’堕落 <バベルの塔>(11:1-9)
G’アブラハムの簡潔な紹介 (11:27-32)
→ 義(祝福)と罪(呪い)が交互になっていることも認められる。
上記のように、完全な重なりではないが、時間の流れを持ちつつ、対応関係のある構成をしていることがわかる。
このような構造が、こういった比較的大きな文章構造の中にも、あるいはごく小さな文・単語レベルでも認められる。
(ヘブル語の文法用語で同心円構造;並行法と言う。)
以前にノアの部分(上ではGとA’)における構造を調べたので、それも参考に以下に紹介する。
話題転換的紹介(6:9-10)
A ノアと洪水前の状況(6:9-12)
B 神による、地を滅ぼす宣告(6:13-22)
C 乗船(7:1-5)
D 洪水のはじめ(7:6-16)
E 水が満ちる(7:17-24)
X ノアを心にとめる神(8:1a)
E’水が引く(8:1b-5)
D’洪水のおわり(8:6-14)
C’降船(8:15-19)
B’神による、地を滅ぼさない宣言(8:20-22)
A’ノアと洪水後の世界の状況(9:1-17)
話題転換的紹介(9:18-19)
この場合は、「X ノアを心にとめる神」の部分にピークがあり、最も著者が強調したかった部分だと考えられる。
以下は同じ箇所について、日数の関係を示したところ。
7日(洪水まで)7:4
7日(洪水まで)7:10
40日(洪水)7:17
150日(水の増加)7:24
150日(水の減少)8:3
40日(待機)8:6
7日(待機)8:10
7日(待機)8:12
さらに、短い文章の中に見られる構造の例が以下である。
17-20 「水かさが増した」
21 「鳥・家畜・獣・地に群生するもの・人」死に絶えた
22 「みな死んだ」
23 「人・動物・はうもの・鳥」消し去られた
24 「水かさが増した」
この最後の短い文章における同心円構造が、1章と2章の構造を理解する助けとして分かり易いと思うのだけれど、
上記の21節、23節は順序が逆になっているが、だからと言って、これが別々の時代に書かれたと言う人はいないだろう。
むしろ、ひとりの著者が、その時代の用法で調和を持って書いた、ということに疑いはないと思う。
長くなったので、続きは次回に。
(構造を紹介するよりも、単純に『聖書セミナー No.13「創造と洪水」』(日本聖書協会、2006)の中の「三 人間の創造について −二つの創造物語?−」 http://www.bible.or.jp/library/lib05.html を紹介した方がよかったかも。真剣に知りたい方はこれを読むことをおすすめする。)