Hatena::ブログ(Diary)

 

 

2014 7.13

 


6月25日 女の子を出産しました。緊急の帝王切開でした。


予定日の二週間くらい前から胎児に若干の不整脈が見つかって、へその緒がどこか圧迫されているのか胎盤の働きか、血流量にもちょこちょこ波があり、定期検診に加え特別健診にて経過を診てました。


そんなある日の診察で、いつものようにNST胎児モニター)をしてましたら、これはこれはオーバーな、全く繋がっていない折れ線グラフを叩き出してしまい、医者の「これ以上見過ごせない」という一言から、今日の今日でいきなりの帝王切開へという運びとなりました。

有無を言わさずとはこのことで、あれよあれよという間に段取りが進み夫も駆けつけ手術開始直後に麻酔で胸から下の感覚が無くなってからほんの10分足らずで私は我が子の産声を聞いたのでした。


酸素マスクの中で、「がんばれがんばれ」とずっとぶつぶつ言っていた。南無妙法蓮華経かなにかを唱えだしたように聞こえたかもしれない。執刀医に何度も「大丈夫ですか」と聞かれたけれど、私は満身創痍で子供にがんばれと言っていた。両腕はバンドで手術台に固定されているも、肩から指先まで震えが止まらず、ずっと恐怖の中にいた。助産師さんがオルゴールのような優しい音楽をかけてくれて、少しでも耳を傾けようものなら涙が出てくるほどだった。先生の「電メス!」という一言からついに始まった様子で、痛みはないけれどおなかの奥から、とにかくもの凄く引っ張り出されている感覚がしてしまう。次の「産まれます!」という大きな声のあと、本当に産まれた。本当に産まれたのだという感覚があった。脳に突き刺さるような元気な産声を聞いた。自分の胸から下が見えないようにされている緑色の布のカーテンの端から、助産師さんに抱きかかえられた我が子がひょっこり現れ、私の手の先に来た。身動きが取れないので、子供の濡れた手を指でちょこっと触れるので精一杯で、このほんの数秒の対面のすぐあと、私は薬で眠って一時間半、縫合などの処置を受け、起きたときには手術室から病室へ移されるところでした。担架で廊下を渡るとき、私を心配そうに覗き込む夫や母親の顔が見えた。


部屋では、鼻チューブの酸素と点滴と心拍計に繋がれていて、麻酔のせいか身体にほとんど力が入らない。声を出すのもままならず強烈に眠かった。夫は面会時間の最後の最後まで居た。夜まで何時間あったろうか、ウトウトしても、ふと目を開けると必ず夫が隣に居た。「起きたかい?」とか「よく頑張った」とか言うけれど、私は応えることが出来なかった。ただ、いよいよ帰るというときになって、涙を流して「ありがとう」と言うことができた。




その夜は長かった。


生まれたばかりの息子がただ存在しているだけで胸の底からいとしいというかかわいいというか、

なんといってよいのか見当もつかない気持ちであふれているのに、それとおなじだけ、こわいのだ。

息子の存在がこわいというのではなくて、その命というか存在が、あまりにもろく、あまりに頼りなくて、

なにもかもが奇跡のようなあやうさで成り立っている、そしてこれまで成り立ってきた、

ということへの感嘆というか、畏怖というか、そんはそんな、こわさだった。


母親というものは、これまで、言葉があるときもないときも、ただただひとりで孤独に、こういうことをくりかえしてきたのだ。

誰にも伝えられない痛みに耐え、自分も赤ちゃんも死んでしまうかもしれない状態のなかで赤ちゃんを生み、

そしてすべての母親に、こんなような最初の夜があったのだ。

そう思うと、悲しいのか苦しいのかよくわからない涙があふれて止まらなくなった。

戦時中に出産した母親はどうだったろう。爆弾が落ちてくる空のしたで、どんな気持ちで赤ちゃんに覆いかぶさっていただろう。

赤ちゃんとひきかえに死んでいかなくてはならなかった母親もいたはずだ。

その母親はどんな気持ちだったろう。どんな気持ちでいま自分が生んだばかりの赤ちゃんをみつめただろう。

誰にもいえず、ひとりきりでひっそりと赤ちゃんを生んだ母親は。

1年近くのあいだお腹で育てた赤ちゃんをついにみることも抱くこともできなかった母親は。


すべての「お母さん」というものが、いまのわたしの体と意識にやってきては去り、やってきては去るのをくりかえして、

その夜は朝まで泣きやむことができなかった。


via「きみは赤ちゃん」川上未映子












 

2014 6.13

 


検診でした。妊娠37週4日目です。体重57.3kg、腹囲89cm、胎児の推定体重は、まさかの2925gです。

予定日まであと17日あるけれどもう3000近いです。産まれるのかもしれない。子宮口は閉じています。でも産まれるのかもしれない。骨盤周り、腿の付け根がつってつって痛いです。お腹が張るという症状よりも、とにかく重みを下のほうで感じるようになった。



三人家族になる前に、夫に面と向かって言いたいことがあるような気がします。「いままでありがとう」と、心の中で言うだけで涙が出てきます。子供は一人の予定だから妊娠出産という貴重な経験はこれが最初で最後になるわけだけど、この10ヶ月の妊婦生活、というより自分が仕事を辞めてからの本当の結婚生活が、とても尊く、今まで生きてきた中で一番幸せな時間でした。




勘としかいいようのないなにかのために、

必死になったり自分が心もとなくなっても、

わけのわからない、後にならなければわからない動きを

なにがなんでもしたほうがいいことがあるのかもしれない。

viaハネムーン吉本ばなな












 

2014 6.6

 


妊娠36週4日目です。体重57kg、腹囲89cm、胎児の推定体重は2460gです。

早産の兆候ありとのことで、34週目から張り止めの薬を服用していましたが、それも今週末までとゆうことで、その後は自然の流れに任せていくのだそう。


おんなのこです。


下に降りてきた感覚はあまりなく、まだまだお腹の真ん中でバタバタ元気に動いているのでもう少し先かなと思うけれど、気持ちがそわそわして、ざわざわして、これは夢だとゆう自覚があって夢の中にいるような、抜け出すのか抜け出さないのかいや確実にもう間もなく必ず抜け出すのだとゆう、とても不思議な気持ちです。




言葉遊びという平和そうな無邪気な行為に、

急にグロテスクなものを感じ取ったのだ。

そんなに答えを言っていいのか。

そんなに「答えを」「言って」「いいのか」

心の中で区切りながら思い直す。

via「問いのない答え」長嶋有












 

2014 1.18

 

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妊娠5ヶ月目です。いつの間に17週まで来た。頭蓋骨や背骨が判別できるようになった。


少しつわりが残っていて迷惑かけるから、年末年始は自分の実家で過ごして一週間ほど滞在した。お正月は夫や兄や兄の彼女も合流して、これまでとはまた違った雰囲気のものになった。お母さんが集合写真を撮りたいと言ったので、居間で6人で撮ったのだけど、私はずっとはらはらしていて、まだ少し受け入れがたいことがあるようだ。


つわりはもっと霧が晴れるように、一気に回復するものと思っていたけれど、何もかもが急に美味しく感じるようになるというよりは、食べられるものがひとつひとつ増えていった、という感じ。とにかく白いご飯が食べられるようになってよかった。慢性的な吐き気とかいう初期の食事の問題から、今度は便秘とか腰痛、お腹や胸が張るとかいう中期の別の問題へと移っていった。服の上からでも、お腹が少しボコっているのが分かる。


みんなが帰って落ち着いたあとで、実家のカレンダーに、これからの予定を書き込むようお母さんに言われて、戌の日とか両親学級とか、健診とか予定日を埋めて見せたら、「案外あっという間かもね」と言われて、それがちょっと嬉しくて安心した。自分でもなんとなくそんな気がした。ここからはもうやるべきことが決まっていて、それをしながら無事にことが運ぶのを祈るしかないんだけど、安定期に入ったからもう余計な心配はしないようにして、逆にだらだら太らないように身体を動かしたりだとか、そういうふうにしていけばいいんだろうと思う。夫に天気のいい日は散歩するようすすめられて歩いていると最近元気が湧いてくることがあります。一応。予定日は6月30日です。




今まで見過ごしていたいのちを素通りではなく、立ち止まって見る。

via「かならず春は来るから」東城百合子











 

2013 11.19

 


案ずるより産むが易しとはいうけれど産むまでの長いこと。

待って待って今ようやく妊娠8週目。つわりの特に気持ち悪いやつ来てる。心配事も耐えないし。

このまま無事に出産できるとは限らないにしても産める体であることが分かっただけ良かったよ、お母さんもお父さんも喜んでくれた。


初めてエコーで見た赤ちゃんの心臓は、ぴこぴこ明滅する小さな丸ではあったけど、これを夫も私も「かわいい!」と思った親心の第一歩。




なにかが治っていく過程というのは、見ていて楽しい。季節が変わるのに似ている。季節は、決してよりよく変わったりしない。

ただ成り行きみたいに、葉が落ちたり茂ったり、空が青くなったり高くなったりするだけだ。そういうのに似ている。

この世の終わりかと思うくらいに気分が悪くて、その状態が少しづつ変わっていく時、

別にいいことが起こっているわけではないのに、なにかの偉大な力を感じる。

突然食べ物がおいしく感じられたり、ふと気づいたら寝苦しいのがなくなっていたりするのはよく考えてみると不思議なことだ。

苦しみはやってきたのと同じ道のりで淡々と去っていく。

viaハネムーン吉本ばなな












 

2013 10.20

 


仕事辞めてしたいことのひとつに帰省があって、ひとりで週末帰ったんだけど、兄夫婦と同時的帰省だったので、お義姉ちゃんもいた。兄夫婦っていうかまだ結婚してなくて、婚約中の彼女というわけで実家に頻繁に来る。お義姉ちゃんっていうか私よりガッツリ年下で、若いだけ家に居るだけで空気が明るくなるというか、騒がしいというか。もともと四人家族だったところに五人いる違和感。私が出て行ったスペースに新しい娘となるひとが徐々に定着していかんとする過程。お母さんに話したいことがあったけど、お客さんにいろいろ気を遣って世話しているうちに疲れてもうどうでもよくなってしまって予定より早くこっちへ帰ってきた。




赤ちゃんが生まれて家族に新メンバーが加わるパターンと、人が入れ替わって再編成されるパターンと、死んで居なくなるパターン。あるとき元同僚がお店に、産んだばかりの赤ちゃんを連れて挨拶に来たとき、その周りを取り巻く多くの人々には大きな達成感があるような感じだった。みんな目の色を変えて歓迎した。


元同僚がまだ妊婦で働いていたとき、近所に住んでいるという旦那さん側のおばあちゃんが、お店によく足を運んではおなかを見て、「調子ど〜う?」とにこにこ聞いていた。元同僚が、大きいおなかで休憩に外へ食事に出るたびに、いろんなエピソードを持って帰ってきて、うどん屋のお客さんにおなかを拝まれたとか、食欲が快調で、定食食べたあとにもうひとつ定食頼んで二人前食べちゃったとか、そういうのは、本人にとっても幸せのなかの1コマ1コマで幸せ以外は見えない。ある壮大な答えに向かって世界を巻き込んだプロローグ。単純に若い生命はそれだけで希望に満ちあふれているということと、少なくとも私自身の世界をこれから更新していくすべは、今その方法しかないんじゃないかと思い詰めている。




人が出会うときにはどうして出会ったかっていう意味があって、

出会ったときに秘められていた約束っていうのが終わってしまうと、

もうどうやってもいっしょにいられないんだよ。

via「王国 ひみつの花園よしもとばなな












 

2013 10.7

 


山崎豊子死去。本屋で山崎豊子の文庫の棚が品薄になっていた。



今週いっぱいで退職します。日曜までが出勤で、あとはリフレッシュ残とわずかな有給です。

これまでお世話になった方へ、ありがとうございました。




今のお店に異動する前、相模の店舗でのこと。私が出て行く分の後続として一人、配属された新入社員。読書が好きだと噂に聞いていた。彼女とはシフトが合わなくて、異動する数日前にやっと出勤が重なって、初めて会ったとき、「他の方から山口さんも好きだと聞きました」ということを嬉しそうに言ってくれた。朝井リョウと同じ学部出身で、在籍も二年だったか被っていたらしく、同じゼミで、まさしく当時はもう “朝井先輩” として慕っていたらしい。


朝井リョウと聞いて、「朝井リョウの【何者】が文庫になるの待ってるんだ」と言ったら、「単行本持っているので貸しましょうか?」

就活で人並みに厭な思い出はあるけど、そこからレベルが変わってない自分が今これを読んだら、何かウッと喰らってしまうような気がしてそれが怖くて今は避けてるよ「読んでどうだった?」「私は就活中に読んじゃったので喰らいました・・・笑」「そっか・・・笑」




こっちに異動してきてから、乗り換えの秋津で、23時までやってる本屋を見つけたのは数ヶ月後のことで、立ち寄るようになったのはここ数週間のことで、初めて買ったのはなんとなく妊娠出産の本で、レジの女の子が最後にその本を私に手渡す際「ありがとうございます」と間違えて「おめでとうございます」と確かに言ったのでギョッとした。


通っているうち、自分が新潮文庫の三角を集めていることや、いろんな感情を、というか普通に本読みたいなとかを、徐々に思い出していった。【何者】が文庫になるタイミングで買おうと思っていたけど、退職も決まってなんとなく、荷が下りて、少しやりたいことしようと思って、結局単行本で昨日買った。この装丁が好きで、文庫になったときこれじゃなかったらヤだなっていうことも単純に思った。






何のためにとか、誰のためにとか、そんなこと気にしている場合じゃない。

本当の「がんばる」は、インターネットSNS上のどこにも転がっていない。

すぐに止まってしまう各駅停車の中で、寒過ぎる二月の強過ぎる暖房の中で、ぽろんと転がり落ちるものだ。

各駅停車に乗っていると、東京は思ったよりも大人しい町だということに気が付く。

田舎の町を出て憧れの東京に来たとしても、そこは町と町がつながってできている場所なんだと、気が付くことができる。

心機一転、小さな町を飛び出して娘と新しくスタートを切ろうとしていた瑞月さんの母親も、

早くそのことに気が付くといいと思った。

嫌で嫌で飛び出した小さな町からひとつずつ町が繋がって、その先に東京があるだけなのだ。東京だって、小さな町と何も変わらない。

「瑞月さんががんばるなら、俺もがんばるよ」

やっと言えた一言は、言葉とはうらはらにとても弱々しくて、我ながら説得力がなかった。だけど瑞月さんは黙って頷いてくれた。

via「何者」朝井リョウ












 

2013 8.9

 


仕事が辛くてカラダを壊しました。同じ案件で同期と一緒に泣いた。時間が流れていないような気がして生きていない感じ。


先々月上司に辞める打診して、業務改善されるも激務に変わりなく、ずるずる繁忙期に突入して限界超えました。


辞めて後悔するかしないか、それはこれからの自分次第でしょう。全て忘れようと思う。












 

2013 6.2

 


ボクらの時代。朝起きて、たまたまテレビをつけたら、座談会が始まるところだった。川上未映子×又吉直樹×山内マリコ。キャストが良過ぎて一気に眠気飛ぶ。



未映子。出産して失われる視線、特別な他者を持たないからこそ磨かれる眼の話。納得。人間は絶対に独りで居るほうが質が磨かれると思う。質とは研ぎ澄ますもの、いわゆる丸くなるとは形が変わる話で、違うこと。又吉。芸人という少しズレた職業を軸に、食事の仕方、散歩の仕方、生活すべてが少しずつズレてしまう話。それを正してくれるようなひとを求める気持ちがよく分かる。



一緒に観た夫は未映子が好きになったようで、試しに何か読みたいと言うので「ヘヴン」を差し出した。サイン会に行ったよ、名前書いてもらったよ、と表紙をめくって見せたら山口英子って書いてあって、一瞬、急に絶望が襲うというか、ああそうか単に苗字が変わるっていうか終わるんや。

                                         http://www.flickr.com/photos/28946036@N08/3914493244/


そしたらお母さんが持ってたお茶碗とお箸を机に置いて、わたしの顔をじっと見てね、こう言ったの。

『わたしはあの人が可哀想で結婚したのよ』って。そう言ったの。お父さんが可哀想だったんだって。

わたし、それきいてなんかちょっとびっくりしたの。


それで、しばらくふつうにご飯食べてて、

でもわたしやっぱりそれが気になっちゃって、食器片付けるときにきいてみたの。


『お父さんのなにが可哀想だったの』って。


そしたらお母さんね、『なにからなにまで可哀想だったの』って言ったのよ。


via「ヘヴン」川上未映子












 

2013 5.31

 

     f:id:ecotam:20050303053438j:image:w600



新居にネット開通。溜まった購読物を三ヶ月分一気読み。なかなか会えない友人のブログに冴え渡る文。


太宰治川端康成に送った手紙。【小鳥と歌い、舞踏を踊るのがそんなに高尚か。刺す】全く違うふたり。シンプルで無駄の無い心地よさ。


ベランダから見える田無タワーのライトアップの色には意味があり、明日の天気予報を表している。

紫なら晴れ、緑なら曇り、青なら雨。つまり明日は晴れ。




なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。

via雪国川端康成












 

2013 3.18

 


黒のなかでは自分を白だと思い込んでいたけど本物の白さを目の当たりにして汚れた黄色だったことに気づく、とゆうのがある。違う店舗で良い勉強をした。気がついた。あるいは閃いた。自店に帰って接客の仕方がすこし変わった。ガイアの夜明け百貨店革命の回。物を売る業界が口を揃えて言う言葉「感動」など。サービス業が天職のようなひと、私が難しく思っていることを簡単にやってのける。自分のなかにある、サービス業に従事している人間とは思えない感情の波が邪魔で仕方ない。常々誠心誠意でいることの難しさ。だけじゃない攻めのサービスが出来てるか。“自分の”、顧客様。カフェ・ド・フロールのギャルソン山下哲也が素晴らしく、客観的に見て好きだが、仕事の上で同じ路線に立っていることが今でも信じがたい。こう働くことが延長上のクライマックスにある。アパレルは選択肢に有ったとしても、自分の使命が今ここにあるなんて、私は人生で考えたことがなかった。




俺は作家で小説を書いて暮らしていたが、だんだんつまらない作品しか書けなくなっていった。

それに反比例して仕事も収入も増え、知名度も上がり、

ふと気付いたらしっかり握りしめていたはずの才能のようなものを完全に見失っていたのだ。

via「逆に14歳」前田司郎












 

2013 3.5

 


三月一日、無事に引越し完了。翌日からヘルプで吉祥寺店へ。来週の水曜まで。新居から自店に比べて近いものの、結局あっちへこっちへバタバタ。仕事の成績関連。遂行結果のまとめを提出し、上司が下書き添削。訂正箇所多数も、プラスに正された驚き。自分で忘れていた実績、覚えていてくれた。主にものづくりデニム担当の諸々。反省すべき点は反省だけで終わらない末尾に気を付けなければならないという。来期はどうしたい。前向きな言葉で結ぶこと。あくまで自分をアピールする場である、とのこと。



新居。絶対に買い替えない視点で選んだ家具など。永く使えて、いっしょに歴史を刻むもの。将来家族が増えても良いように、ちょっと贅沢したダイニングテーブルとソファ。四人掛けのテーブルで向かい合ってごはん食べてるとき、彼の隣の空席に未来が見える幸せ。以前に比べて “家” という感じがものすごくする。安心感と責任感。




人という存在も、一つの場所かもしれない。

国とか、地域とか、大きくとらえなくても、ある人が存在する場所。

それが特別な場所になることもあり得るだろう。

via「静人日記」天童荒太












 

2013 2.12

 


延期になった面談、ようやく今日して頂けた。会社を疑ったことはあってもこの人を恨んだことなかったの思い出す。いい返事もらった。年の功、だけじゃない何か、話して少し安堵。本物の大人を目の当たりにすると自分の無力さに涙が出てくる。早く何処かへ辿り着きたいから結婚するのかもしれない。


入居日の三月一日に対して異動は五月。足並み揃えたいがしばし二重生活。いくつか頂いた候補の勤務地、想定外ながら興味湧く箇所ひとつ。こちらか最寄りか要検討。準備期間に有給で大型連休いただく旨は、すんなり通じた。心から頭下げる。すべては六月の誕生日から逆算されている。




先週末、彼がいよいよ結婚の挨拶をした。宇都宮から兄も来て、私の実家で家族みんなと食事。何しろ早々に、意表を突く立派な挨拶をして、プロポーズみたいだった。反対する理由がない。お父さんが急におじいちゃんに見えて、はじめから降参している老兵にように居て、父親の一仕事をとっくに終えている。なんだか直視できなくて、私は泣かないようにうつむいて、お母さんが作ったたくさんのロールキャベツとか唐揚げとかぼんやり見てた。





まだ暮れまい、もうちょっとは暮れまい、と思うようになる今どきの日脚の伸びたころの夕暮れには、足をすくわれる。

あ、暮れた、と思った次の刹那に、ひしひしと心細さが押し寄せてきてしまう。

viaセンセイの鞄川上弘美












 

2013 2.4

 


新居が決定した。ふたりで引越しすることに。彼の新しい図書館へ、歩いていける距離。

入籍の日取り決まったよ。お義母さんに手紙を書かないと。



一方で、私の異動に暗雲垂れ込め気味。仕事のストレスみぞおちにずっと鈍痛。せめて誤解は解きたいか。もういいのか。もっと根本的な部分。今週人事と面談予定でどうなることやら。でもやっと会社と相談できるレベルの諸事項が正式決定できたのは良いこと。やっとふたりで、ここまできた。




生物には時間がある。

常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、

いちど折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。

via生物と無生物のあいだ福岡伸一












2013 1.4

 

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ご挨拶という硬い感じじゃなくて、まるで前から知っているように優しく、全てを受け入れるひとでした。無事に帰省した。お米や野菜を自分で育て、自然の摂理を重んじる。先祖や子孫についても同じこと。長男が連れてきた是即ちお嫁さん。「大賛成」と言ってくれた。生きているのではなく生かされているのだという考え方が、今の私には真似できなくて、小さい自分を申し訳なく思った。




来年度。彼が異動するらしく、新天地で館長になるのだそう。もし決まったら、引っ越すか単身赴任か。私も今月か四月か異動があるかもしれず、その如何によっては一緒になれたり、なれなかったり。とかそういうごく普通の幸せを、ぽわぽわ考えたり、ふたりで番う雑誌や住まう雑誌を読む昨今。みんな買っているこれ、自分らも買ったりして不本意ながら案外たのしく、そういう瞬間に、たったひとりの「個だ、個だ」とか言っている歳のころの自分を少しずつ忘れていく。





よく眠っている人にささやかな声で話しかけてそして起こすのは、なにか宝箱をあけるような心もちがするものだが、

その目ざめの瞬間、相手のなかで、夢と自分が溶けあわされるのを感じるかもしれない。


それもまた「消え去り」のひとつとして流れていくが、自分が誰かにとってブレイクファストになるというのは、

人間としてほんとうに、いまそこにいるという感じがすることにちがいない。

via「熊にみえて熊じゃない」いしいしんじ












 

2012 12.3

 


検診で産婦人科へ。連れが同行。市から交付された子宮頸ガン検診クーポンを利用。


看護婦さん、左手の指輪を見て「ご結婚されていますか?」 私「未婚です」という、はじめの会話。



帰宅して連れが作った昼食の、お蕎麦のおいしいこと。






冷蔵庫が 息づく夜に お互いの 本のページが めくられる音


via「世界中が夕焼け」穂村弘












 

2012 11.28

ひとが書いたものの上からペンで赤線引いて「ここ良いね」とかお前どんだけ偉いねん 死ねよ。



回り回って、実は異動するの私じゃないかと思い始めた。対岸の火事が自分の元居た場所だとしたら、やっぱり不憫で、今どこに居ようと結局は運命を共にするのが道理のような気がしたり。君は地獄を見たか、という問いが社会に転がっていて稀に拾わされます。私の苦労なんて苦労ではなくて私の努力なんて努力ではないですよ。はいはい。打ったり叩いたりしないと人は育たないという考え方は安くしないと物は売れないという考え方に似て低俗。混乱。


アメトーク、読書芸人の回を再見。読書あるあるが思い出の中にあるある過ぎて胸が締め付けられる思い。





<書く>ことの空虚さが身に沁みる場面に当面すればするほど<書く>ことをやめるな、

<書く>ことがおっくうであり困難であるという現実状況が身辺にも世界体制にもあればあるほど、

じぶんの思想と文学の契機を公然と示すようにせよ、


via「詩とはなにか 世界を凍らせる言葉」吉本隆明












 

2012 11.5

 


大晦日の予定が、急に色めき立つ。「今年は一緒に帰ろう」と言われてびっくりして、でも素直にうれしく、それを了解。「さくら市」というのどかな街の名前から、お義母さんとお義父さんのイメージが膨らんでいく。自分の親の反応は、楽しみだねということと、子ども東京で産んだらどうか、というようなことだった。人生の生き直し。出発のゼロが近づいてくるこわさ。始まりは終わり。




電気を消して、ひとりで仰向けに寝ていると、背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。


縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、

なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。


この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きていこうと思いました。


via「きりぎりす」太宰治












 

2012 10.22

 


連れのジムに同行。若干緊張。でも、ベタでさわやかな空気がおもしろくてちょっと笑う。だいたいのマシンを5〜10キロの重りでやってヘナヘナになる体力の無さ露呈。かたや連れ、ちゃんとメニューを決めて走っていつもの通り真面目。めがねがすべってくるのを、何度も拭いていた。私はとなりでのんびり歩いた。最後に整理体操しようと言われて、そういうストレッチとかよく知らないから、へんな動きのおどりを少々おどって済ますも、連れ黙認。


私は水着を持っていなくてプールに入れない。上の階のギャラリーから、みんなが泳ぐようすを見てた。連れが、サウナとお風呂と着替えを終えて出てくるまで、ずっと見てた。洗濯機が回るのをずっと見ていて飽きないのとは似て非なるもの。




田舎の道を、凝って歩いているうちに、なんだか、たまらなく淋しくなって来た。

とうとう道傍の草原に、ペタリと坐ってしまった。


草の上に坐ったら、

つい今しがたまでの浮き浮きした気持ちが、

コトンと音たてて消えて、

ぎゅっとまじめになってしまった。


via「女生徒」太宰治












 

2012 10.11

 

                http://www.flickr.com/photos/28946036@N08/




実家。机まわり、勉強しやすい仕様に模様替え。生活の拠点半分以上実家へ移行。シラバスとかいう懐かしい響き。なんとか論、なんとか概論、なんとか学、なんとか史。



コージーコーナー学割。ドキドキしなくても学生に見える平常心で学生証提示。仕事の帰りにスイートポテトを買って、前の職場におみやげ。本当にちょうど帰りの道。用が有っても無くても月に一度は必ず寄る前の職場の上司も先輩も、今もとても好きです。



急に思い立って、今年は連れとたまびの芸祭に行くことになって、調べていたら、ゲスト、まさかのDJやついいちろう。テキパも観て、テキ棟、工芸棟、絵画棟、じっくりまわって食堂、図書館で休憩。いろんなこと考えた大学時代を思い出すとおもう。




家にいると決めた日の夕焼けが誘う

via「まさかジープで来るとは」せきしろ×又吉直樹












 

2012 9.24

 


願書、無事提出。自分で自分を救えるかどうか。郵便局の帰り。前の男が歩き煙草で、どこまでも同じ方向へ向かっているために受動喫煙。どうしても、あとちょっと早く歩くことができなくて、追い抜けない。仕事でむかついた帰路、泣けてくることは在るとして、仕事で満足した日までも、とは天の邪鬼すぎる。本当に欲しいものはなかなか手に入らない。歳をとるということが楽しいか、悲いか。






二人の若い男女を殺してしまった悔いに、心の底まで冒されかけていた市九郎は、女の言葉から深く傷つけられた。

彼は頭のものを取ることを、忘れたという盗賊としての失策を、或いは無能を、悔ゆる心は少しもなかった。


自分は、二人を殺したことを、悪いことと思えばこそ、殺すことに気も転動して、

女がその頭に十両にも近い装飾を付けていることをまったく忘れていた。

市九郎は、今でも忘れていたことを後悔する心は起らなかった。

強盗に身を落して、利欲のために人を殺しているものの、

悪鬼のように相手の骨まではしゃぶらなかったことを考えると、市九郎は悪い気持はしなかった。


それにもかかわらず、

お弓は自分の同性が無残にも殺されて、その身に付けた下衣までが、

殺戮者に対する貢物として、自分の目の前に晒されているのを見ながら、

なおその飽き足らない欲心は、さすが悪人の市九郎の目をこぼれた頭のものにまで及んでいる、

そう考えると、市九郎はお弓に対して、いたたまらないような浅ましさを感じた。



お弓は、市九郎の心に、こうした激変が起っているのをまったく知らないで、

「さあ! お前さん! 一走り行っておくれ。

せっかく、こっちの手に入っているものを遠慮するには、当らないじゃないか」 と、

自分の言い分に十分な条理があることを信ずるように、勝ち誇った表情をした。 が、市九郎は黙々として応じなかった。


「おや! お前さんの仕事のあらを拾ったので、お気に触ったと見えるね。本当に、お前さんは行く気はないのかい。

十両に近いもうけものを、みすみすふいにしてしまうつもりかい」 と、お弓は幾度も市九郎に迫った。


いつもは、お弓のいうことを、唯々としてきく市九郎ではあったが、

今彼の心は激しい動乱の中にあって、お弓の言葉などは耳に入らないほど、考え込んでいたのである。


「いくらいっても、行かないのだね。それじゃ、私が一走り行ってこようよ。

場所はどこなの。やっぱりいつものところなのかい」 と、お弓がいった。


お弓に対して、抑えがたい嫌悪を感じ始めていた市九郎は、

お弓が一刻でも自分のそばにいなくなることを、むしろ欣んだ。


「知れたことよ。いつもの通り、藪原の宿の手前の松並木さ」 と、市九郎は吐き出すようにいった。


「じゃ、一走り行ってくるから。幸い月の夜でそとは明るいし……。ほんとうに、へまな仕事をするったら、ありゃしない」

と、いいながら、お弓は裾をはしょって、草履をつっかけると駆け出した。



市九郎は、お弓の後姿を見ていると、浅ましさで、心がいっぱいになってきた。

死人の髪のものを剥ぐために、血眼になって駆け出していく女の姿を見ると、

市九郎はその女に、かつて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。


その上、自分が悪事をしている時、たとい無残にも人を殺している時でも、金を盗んでいる時でも、

自分がしているということが、常に不思議な言い訳になって、その浅ましさを感ずることが少なかったが、

一旦人が悪事をなしているのを、静かに傍観するとなると、

その恐ろしさ、浅ましさが、あくまで明らかに、市九郎の目に映らずにはいなかった。


自分が、命を賭してまで得た女が、わずか五両か十両の瑁のために、女性の優しさのすべてを捨てて、死骸に付く狼のように、

殺された女の死骸を慕うて駆けて行くのを見ると、市九郎は、もうこの罪悪の棲家に、この女と一緒に一刻もいたたまれなくなった。


そう考え出すと、自分の今までに犯した悪事がいちいち蘇って自分の心を食い割いた。

絞め殺した女の瞳や、血みどろになった繭商人の呻き声や、

太刀浴せかけた白髪の老人の悲鳴などが、一団になって市九郎の良心を襲うてきた。

彼は、一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は、自分自身からさえも、逃れたかった。

まして自分のすべての罪悪の萌芽であった女から、極力逃れたかった。


彼は、決然として立ち上った。彼は、二、三枚の衣類を風呂敷に包んだ。

さっきの男から盗った胴巻を、当座の路用として懐ろに入れたままで、支度も整えずに、戸外に飛び出した。が、

十間ばかり走り出した時、ふと自分の持っている金も、衣類も、ことごとく盗んだものであるのに気がつくと、

跳ね返されたように立ち戻って、自分の家の上り框へ、衣類と金とを、力一杯投げつけた。


via恩讐の彼方に菊池寛












 

2012 9.16

 


二週にかけて上の親知らずを両方抜いた。連れに「だいじょうぶ」と聞かれてほとんど無意識に、「血の味がする〜」とゆう、くるりのフレーズを口ずさんだけど全く伝わらなかった。小中学生のころ歯列矯正をしていて、何度も抜歯を経験したから、すごく懐かしい感じがした。


会社のアンケートがあって、無記名制で、言うに事欠いて思う存分不満をぶつけたのだけど、それを郵送用に綴じて封するときに人のをちらっと見たら驚愕の受け答えで、私とはまるで違って謙虚で従順で、読む側への配慮をわすれない素晴らしい内容だった。全社員の要望かの如く、堂々と抗議したつもりが連動するものは何もなく、やっぱり私だけおかしいかもしれない。売りたい気持ちが何なのか分からなくなってくる。いらっしゃいませって何なんだ。人に高いお金を使わせて、それがどうしてサービスなのか。




芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ。

私は、途中で考えてきたことをそのまま言ってみた。

弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。

こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。

via「畜犬談」太宰治












 

2012 8.28

 


連れがプールに通い始めました。

私のリュックにプール道具を詰めて、去年のクリスマスにプレゼントした自転車で坂道をのぼって行く。いとおしげ。


ちょっとくらいおなかが出るのは年齢的なもので仕方ないですが、出逢ってここ一年半、SサイズはとうとうLサイズへ。思い立った連れは、筋トレとランニングとプールとサウナの無敵セットで、一生懸命しぼっています。とても楽しく通えているようなので、安心して見守っている。


私のほうも、新しいことひとつ。近所の大学の通信で、十月から新しい勉強をすることに決めました。あのころのような無鉄砲さで声高に言えるほどの執念は到底喪失しているけれど でも やっぱり 本が好きです。今は、出願に必要な諸々を揃えているところです。来年の春と夏にスクーリングもあるので、うまく休みをもらいながら、うまく今の自分に折り合いをつけながら冷静に、慎重に。



本のはなし。

このまえ連れが、学生時代に買ったという太宰の角川文庫を全部 私に呉れたのですが、それを順々に読み出したきっかけで、蜜月生活が蘇りました。連れには筑摩の太宰全集があり、古い角川は自由に扱ってよいとのことで、付箋しながら熟読。いつのまに日が暮れる。この感覚。




疑いながら、ためしに右へ曲るのも、

信じて断乎として右へ曲るのも、

その運命は同じ事です。


どっちにしたって

引き返すことは出来ないんだ。


via「お伽草子」太宰治












 

2012 7.16

 

http://www.flickr.com/photos/28946036@N08/



ある転機。自店のデニム担当になりました。

アトリエデニム会議に参加したり、施策、在庫管理、専門知識の担当とのこと。


写真は、去年の夏に購入した「空比女」27インチで、糊付きパリパリのノンウォッシュから気まぐれに穿いて一年が経過したもの。

ポケットの跡と、もものあたりにヒゲができた。



いろいろあるけれど、悪く考えるのをやめてもう少し頑張ってみようと思いました。




電車の中で読むものを忘れ、車窓からみえる大きな文字を眺める。

どれほど遠くにあるものか、どれほどの大きさか、全くわからない。

それが書き始めの一文字であることはわかっている。先を書かれるのを待っている。

via「電車の中で」倉田タカシ












 

2012 7.1

 


連れの論文図書館雑誌に載りました。


私もすこし手伝って、推敲など。真剣に言葉を選びました。

寝ても覚めても論文、みたいな姿を見ていたので、結果が良くてほっとして、ヨメ的には満足です。



私も司書になりたいと、密かに思っています。




あたしは無口で、

自分のほんとうの気持ちは

演目にのせて語ることしかできなかったし、


真田のほうは物語を必要としてない人、つまりはまともな人間だった。


via「ファミリーポートレイト桜庭一樹












 

2012 5.30

 


予備校時代の友達に会いました。

いつも、帰宅できる目処がついたあとで、先輩に「なにか手伝うことありますか」って確認して、仕事を分けてもらって、それを終わらせてから、先輩と一緒に帰るよ。ってゆう話を聞きました。素敵です。



私はお昼休みの歯磨きが長くて、いつもあとから来るひとに追い抜かれます。

トイレと歯磨きと化粧直しまでしたひとが追い抜いていきます。わざとバタバタして、厭な大人。



人事部長は面談で、「美術系の人間はゼロか100」だと言いました。

80%の納得では動かない、少しでも腑に落ちないと全力を注げない、と。

完璧な覚悟ができれば、その才能を発揮するチャンスがこの職務にもあると言いました。



仕事中、やり場の無いイライラに襲われて、両腕にじんましんが出ます。

最近は、ストレスを家に持ち帰って、なにかあるとすぐ本気のグーで痛いように連れをぶってしまって、非常に良くない。




誰かの情熱に、情熱で応えること。

西岡がこれまでに気恥ずかしくて避けてきたことは、

「そうしよう」と決めてしまえば、案外気楽で胸躍る思いをもたらした。

via舟を編む三浦しをん












 

2012 5.16

 


新天地です。

縦社会を実感する日々と、お客様は神様と、敵と味方とイライラと、反骨精神。



14日 晴。

連れの35歳の誕生日。間近に見る表情、皮膚の感じは細かなシミ・シワを帯びていて、小さいころの記憶の若い父親に似た面影がある。遠出して、帰りの電車中ずっと連れの肩で寝ていて、起きたら「良く寝たね」と言った。「英子のあたまの重さで、熟睡度がわかる」と言った。



キッチンで夕飯の支度をしてるとき、左手にあるお風呂の扉がバーン!て開いて、ホカホカの連れが素っ裸で登場。この光景を何度も何度も経験した。私より先に仕事に出る連れを見送る朝の玄関の感じなども。同じ風景を日々繰り返していると、時間の経つ実感がなくて、一週間も、二日か三日くらいに思える。二人だけの世界とゆうのはすこしだけ寂しいものがあり、一人が居ないと独り、とゆうのはどうなんだろ。夕涼みにベランダへ出て塀に胸を押し当てれば心臓の音が聞こえる。




何かに追われているのはあなただけではないのよ。

何かを捨てたり、何かを失ったりしているのはあなただけじゃないのよ。

via国境の南、太陽の西村上春樹












 

2012 4.16

 

               http://www.flickr.com/photos/28946036@N08/




なにか別のことを語るかのように書き出して、


鮮やかに題名に収斂していった。












 

2012 3.28

 


二月が決算なので、もろもろ総括しました。個人と店舗の成績評定など、一区切り終えたところです。

何十年ぶりか分かりませんが、無いはずのボーナスが奇跡的にあり、私の口座には中学生のお年玉ほどささやかな賞与が入金されていた。


新年度を迎えて、今月は展示会があって、アトリエで秋物の写真を撮りました。

この一年で同期が四人辞めました。いま同期は全国に二十人ほどです。



大人(社会)を舐めたら痛い目に遭うとゆうのは本当で、なかなか厳しいです。対価がないから頑張れないとゆうのは正論で、辞めたきゃ辞めちまえとゆうのも正論か。かわいそうな目に遭うひとびとを見て「かわいそう」と心から思いました。私は上司と先輩に恵まれ、良い環境で一年を過ごすことができました。幸せでした。来月下旬から、別の店舗へ異動になります。東京都内に変わりありませんが、役回りが変わります。ステップアップと思って頑張りたいです。



それから唐突ですが、販売員は営業マンです。こちらがお客様のところへ出向くか、お客様がこちらへ出向くかの違いだけで、やってることは営業でした。「手紡ぎの糸を手織りで仕立てたブラウスです」と、きちんと説明してはじめて値段に納得してもらえるのだし、「手捺染はこれこれこういう過程を経て生地になります」とか、そうゆう部分に魅力(価値)を感じて買ってくれるひともいる。他人の購買活動なんてどうでもいいと思ってうだうだしてたらあっという間に赤字になります。ものづくりと接遇は切っても切れない。別世界の買い方を目の当たりすると、何とも言えない気持ちになるが、価値観を共有できる喜びと、製品に誇りを持っているからこそ、伝えたいことがいっぱいある。衣食住を優先順位で言ったら食住衣だから、食の企業は声高に世界平和を詠うけど、衣は衣でみんなの幸せを、企業はちゃんと考えている。




ジーンズ1本が何百円なんてありえない。

どこかの工程で誰かが泣いているかもしれないのに、安い服を着ていていいのか。

via朝日新聞(2009.12.17 朝刊)文化」川久保玲












 

2012 2.21

http://www.flickr.com/photos/28946036@N08/

大学三年のころ書いた作文。




昨日のこと。昨日、買い物の休憩でモスバーガーに入ったら、少しして、となりの席に女の子が座った。カバンから白紙のエントリーシートを取り出して、じっと眺めているようすだったので、どこの会社だろうと思ってそっと見やったら、文藝春秋でした。


チェーホフは「大学生」という小説のなかで、過去から現在に連なる時間の一方の端に触れたら、もう一方の端がぴくりとふるえたような気がしたということを書いている。




人の転機の説明は、どうもなんだか空々しい。

その説明が、ぎりぎりに正確を期したものであっても、それでも必ずどこかにうその間隙がにおっているものだ。

人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして、行路を選んでいるものではないからでもあろう。

多くの場合、人は、いつのまにか、ちがう野原を歩いている。

via東京八景」太宰治