
黒のなかでは自分を白だと思い込んでいたけど本物の白さを目の当たりにして汚れた黄色だったことに気づく、とゆうのがある。違う店舗で良い勉強をした。気がついた。あるいは閃いた。自店に帰って接客の仕方がすこし変わった。ガイアの夜明け、百貨店革命の回。物を売る業界が口を揃えて言う言葉「感動」など。サービス業が天職のようなひと、私が難しく思っていることを簡単にやってのける。自分のなかにある、サービス業に従事している人間とは思えない感情の波が邪魔で仕方ない。常々誠心誠意でいることの難しさ。だけじゃない攻めのサービスが出来てるか。“自分の”、顧客様。カフェ・ド・フロールのギャルソン山下哲也が素晴らしく、客観的に見て好きだが、仕事の上で同じ路線に立っていることが今でも信じがたい。こう働くことが延長上のクライマックスにある。アパレルは選択肢に有ったとしても、自分の使命が今ここにあるなんて、私は人生で考えたことがなかった。
俺は作家で小説を書いて暮らしていたが、だんだんつまらない作品しか書けなくなっていった。
それに反比例して仕事も収入も増え、知名度も上がり、
ふと気付いたらしっかり握りしめていたはずの才能のようなものを完全に見失っていたのだ。
— via「逆に14歳」前田司郎
三月一日、無事に引越し完了。翌日からヘルプで吉祥寺店へ。来週の水曜まで。新居から自店に比べて近いものの、結局あっちへこっちへバタバタ。仕事の成績関連。遂行結果のまとめを提出し、上司が下書き添削。訂正箇所多数も、プラスに正された驚き。自分で忘れていた実績、覚えていてくれた。主にものづくり、デニム担当の諸々。反省すべき点は反省だけで終わらない末尾に気を付けなければならないという。来期はどうしたい。前向きな言葉で結ぶこと。あくまで自分をアピールする場である、とのこと。
新居。絶対に買い替えない視点で選んだ家具など。永く使えて、いっしょに歴史を刻むもの。将来家族が増えても良いように、ちょっと贅沢したダイニングテーブルとソファ。四人掛けのテーブルで向かい合ってごはん食べてるとき、彼の隣の空席に未来が見える幸せ。以前に比べて “家” という感じがものすごくする。安心感と責任感。
人という存在も、一つの場所かもしれない。
国とか、地域とか、大きくとらえなくても、ある人が存在する場所。
それが特別な場所になることもあり得るだろう。
延期になった面談、ようやく今日して頂けた。会社を疑ったことはあってもこの人を恨んだことなかったの思い出す。いい返事もらった。年の功、だけじゃない何か、話して少し安堵。本物の大人を目の当たりにすると自分の無力さに涙が出てくる。早く何処かへ辿り着きたいから結婚するのかもしれない。
入居日の三月一日に対して異動は五月。足並み揃えたいがしばし二重生活。いくつか頂いた候補の勤務地、想定外ながら興味湧く箇所ひとつ。こちらか最寄りか要検討。準備期間に有給で大型連休いただく旨は、すんなり通じた。心から頭下げる。すべては六月の誕生日から逆算されている。
先週末、彼がいよいよ結婚の挨拶をした。宇都宮から兄も来て、私の実家で家族みんなと食事。何しろ早々に、意表を突く立派な挨拶をして、プロポーズみたいだった。反対する理由がない。お父さんが急におじいちゃんに見えて、はじめから降参している老兵にように居て、父親の一仕事をとっくに終えている。なんだか直視できなくて、私は泣かないようにうつむいて、お母さんが作ったたくさんのロールキャベツとか唐揚げとかぼんやり見てた。
まだ暮れまい、もうちょっとは暮れまい、と思うようになる今どきの日脚の伸びたころの夕暮れには、足をすくわれる。
あ、暮れた、と思った次の刹那に、ひしひしと心細さが押し寄せてきてしまう。
ご挨拶という硬い感じじゃなくて、まるで前から知っているように優しく、全てを受け入れるひとでした。無事に帰省した。お米や野菜を自分で育て、自然の摂理を重んじる。先祖や子孫についても同じこと。長男が連れてきた是即ちお嫁さん。「大賛成」と言ってくれた。生きているのではなく生かされているのだという考え方が、今の私には真似できなくて、小さい自分を申し訳なく思った。
来年度。彼が異動するらしく、新天地で館長になるのだそう。もし決まったら、引っ越すか単身赴任か。私も今月か四月か異動があるかもしれず、その如何によっては一緒になれたり、なれなかったり。とかそういうごく普通の幸せを、ぽわぽわ考えたり、ふたりで番う雑誌や住まう雑誌を読む昨今。みんな買っているこれ、自分らも買ったりして不本意ながら案外たのしく、そういう瞬間に、たったひとりの「個だ、個だ」とか言っている歳のころの自分を少しずつ忘れていく。
よく眠っている人にささやかな声で話しかけてそして起こすのは、なにか宝箱をあけるような心もちがするものだが、
その目ざめの瞬間、相手のなかで、夢と自分が溶けあわされるのを感じるかもしれない。
それもまた「消え去り」のひとつとして流れていくが、自分が誰かにとってブレイクファストになるというのは、
人間としてほんとうに、いまそこにいるという感じがすることにちがいない。
回り回って、実は異動するの私じゃないかと思い始めた。対岸の火事が自分の元居た場所だとしたら、やっぱり不憫で、今どこに居ようと結局は運命を共にするのが道理のような気がしたり。君は地獄を見たか、という問いが社会に転がっていて稀に拾わされます。私の苦労なんて苦労ではなくて私の努力なんて努力ではないですよ。はいはい。打ったり叩いたりしないと人は育たないという考え方は安くしないと物は売れないという考え方に似て低俗。混乱。
アメトーク、読書芸人の回を再見。読書あるあるが思い出の中にあるある過ぎて胸が締め付けられる思い。
<書く>ことの空虚さが身に沁みる場面に当面すればするほど<書く>ことをやめるな、
<書く>ことがおっくうであり困難であるという現実状況が身辺にも世界体制にもあればあるほど、
じぶんの思想と文学の契機を公然と示すようにせよ、
大晦日の予定が、急に色めき立つ。「今年は一緒に帰ろう」と言われてびっくりして、でも素直にうれしく、それを了解。「さくら市」というのどかな街の名前から、お義母さんとお義父さんのイメージが膨らんでいく。自分の親の反応は、楽しみだねということと、子どもは東京で産んだらどうか、というようなことだった。人生の生き直し。出発のゼロが近づいてくるこわさ。始まりは終わり。
電気を消して、ひとりで仰向けに寝ていると、背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。
縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、
なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。
この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きていこうと思いました。
連れのジムに同行。若干緊張。でも、ベタでさわやかな空気がおもしろくてちょっと笑う。だいたいのマシンを5〜10キロの重りでやってヘナヘナになる体力の無さ露呈。かたや連れ、ちゃんとメニューを決めて走っていつもの通り真面目。めがねがすべってくるのを、何度も拭いていた。私はとなりでのんびり歩いた。最後に整理体操しようと言われて、そういうストレッチとかよく知らないから、へんな動きのおどりを少々おどって済ますも、連れ黙認。
私は水着を持っていなくてプールに入れない。上の階のギャラリーから、みんなが泳ぐようすを見てた。連れが、サウナとお風呂と着替えを終えて出てくるまで、ずっと見てた。洗濯機が回るのをずっと見ていて飽きないのとは似て非なるもの。
田舎の道を、凝って歩いているうちに、なんだか、たまらなく淋しくなって来た。
とうとう道傍の草原に、ペタリと坐ってしまった。
草の上に坐ったら、
つい今しがたまでの浮き浮きした気持ちが、
コトンと音たてて消えて、
ぎゅっとまじめになってしまった。
実家。机まわり、勉強しやすい仕様に模様替え。生活の拠点半分以上実家へ移行。シラバスとかいう懐かしい響き。なんとか論、なんとか概論、なんとか学、なんとか史。
コージーコーナーで学割。ドキドキしなくても学生に見える平常心で学生証提示。仕事の帰りにスイートポテトを買って、前の職場におみやげ。本当にちょうど帰りの道。用が有っても無くても月に一度は必ず寄る前の職場の上司も先輩も、今もとても好きです。
急に思い立って、今年は連れとたまびの芸祭に行くことになって、調べていたら、ゲスト、まさかのDJやついいちろう。テキパも観て、テキ棟、工芸棟、絵画棟、じっくりまわって食堂、図書館で休憩。いろんなこと考えた大学時代を思い出すとおもう。
家にいると決めた日の夕焼けが誘う
願書、無事提出。自分で自分を救えるかどうか。郵便局の帰り。前の男が歩き煙草で、どこまでも同じ方向へ向かっているために受動喫煙。どうしても、あとちょっと早く歩くことができなくて、追い抜けない。仕事でむかついた帰路、泣けてくることは在るとして、仕事で満足した日までも、とは天の邪鬼すぎる。本当に欲しいものはなかなか手に入らない。歳をとるということが楽しいか、悲いか。
二人の若い男女を殺してしまった悔いに、心の底まで冒されかけていた市九郎は、女の言葉から深く傷つけられた。
彼は頭のものを取ることを、忘れたという盗賊としての失策を、或いは無能を、悔ゆる心は少しもなかった。
自分は、二人を殺したことを、悪いことと思えばこそ、殺すことに気も転動して、
女がその頭に十両にも近い装飾を付けていることをまったく忘れていた。
市九郎は、今でも忘れていたことを後悔する心は起らなかった。
強盗に身を落して、利欲のために人を殺しているものの、
悪鬼のように相手の骨まではしゃぶらなかったことを考えると、市九郎は悪い気持はしなかった。
それにもかかわらず、
お弓は自分の同性が無残にも殺されて、その身に付けた下衣までが、
殺戮者に対する貢物として、自分の目の前に晒されているのを見ながら、
なおその飽き足らない欲心は、さすが悪人の市九郎の目をこぼれた頭のものにまで及んでいる、
そう考えると、市九郎はお弓に対して、いたたまらないような浅ましさを感じた。
お弓は、市九郎の心に、こうした激変が起っているのをまったく知らないで、
「さあ! お前さん! 一走り行っておくれ。
せっかく、こっちの手に入っているものを遠慮するには、当らないじゃないか」 と、
自分の言い分に十分な条理があることを信ずるように、勝ち誇った表情をした。 が、市九郎は黙々として応じなかった。
「おや! お前さんの仕事のあらを拾ったので、お気に触ったと見えるね。本当に、お前さんは行く気はないのかい。
十両に近いもうけものを、みすみすふいにしてしまうつもりかい」 と、お弓は幾度も市九郎に迫った。
いつもは、お弓のいうことを、唯々としてきく市九郎ではあったが、
今彼の心は激しい動乱の中にあって、お弓の言葉などは耳に入らないほど、考え込んでいたのである。
「いくらいっても、行かないのだね。それじゃ、私が一走り行ってこようよ。
場所はどこなの。やっぱりいつものところなのかい」 と、お弓がいった。
お弓に対して、抑えがたい嫌悪を感じ始めていた市九郎は、
お弓が一刻でも自分のそばにいなくなることを、むしろ欣んだ。
「知れたことよ。いつもの通り、藪原の宿の手前の松並木さ」 と、市九郎は吐き出すようにいった。
「じゃ、一走り行ってくるから。幸い月の夜でそとは明るいし……。ほんとうに、へまな仕事をするったら、ありゃしない」
と、いいながら、お弓は裾をはしょって、草履をつっかけると駆け出した。
市九郎は、お弓の後姿を見ていると、浅ましさで、心がいっぱいになってきた。
死人の髪のものを剥ぐために、血眼になって駆け出していく女の姿を見ると、
市九郎はその女に、かつて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。
その上、自分が悪事をしている時、たとい無残にも人を殺している時でも、金を盗んでいる時でも、
自分がしているということが、常に不思議な言い訳になって、その浅ましさを感ずることが少なかったが、
一旦人が悪事をなしているのを、静かに傍観するとなると、
その恐ろしさ、浅ましさが、あくまで明らかに、市九郎の目に映らずにはいなかった。
自分が、命を賭してまで得た女が、わずか五両か十両の瑁のために、女性の優しさのすべてを捨てて、死骸に付く狼のように、
殺された女の死骸を慕うて駆けて行くのを見ると、市九郎は、もうこの罪悪の棲家に、この女と一緒に一刻もいたたまれなくなった。
そう考え出すと、自分の今までに犯した悪事がいちいち蘇って自分の心を食い割いた。
絞め殺した女の瞳や、血みどろになった繭商人の呻き声や、
一太刀浴せかけた白髪の老人の悲鳴などが、一団になって市九郎の良心を襲うてきた。
彼は、一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は、自分自身からさえも、逃れたかった。
まして自分のすべての罪悪の萌芽であった女から、極力逃れたかった。
彼は、決然として立ち上った。彼は、二、三枚の衣類を風呂敷に包んだ。
さっきの男から盗った胴巻を、当座の路用として懐ろに入れたままで、支度も整えずに、戸外に飛び出した。が、
十間ばかり走り出した時、ふと自分の持っている金も、衣類も、ことごとく盗んだものであるのに気がつくと、
跳ね返されたように立ち戻って、自分の家の上り框へ、衣類と金とを、力一杯投げつけた。
二週にかけて上の親知らずを両方抜いた。連れに「だいじょうぶ」と聞かれてほとんど無意識に、「血の味がする〜」とゆう、くるりのフレーズを口ずさんだけど全く伝わらなかった。小中学生のころ歯列矯正をしていて、何度も抜歯を経験したから、すごく懐かしい感じがした。
会社のアンケートがあって、無記名制で、言うに事欠いて思う存分不満をぶつけたのだけど、それを郵送用に綴じて封するときに人のをちらっと見たら驚愕の受け答えで、私とはまるで違って謙虚で従順で、読む側への配慮をわすれない素晴らしい内容だった。全社員の要望かの如く、堂々と抗議したつもりが連動するものは何もなく、やっぱり私だけおかしいかもしれない。売りたい気持ちが何なのか分からなくなってくる。いらっしゃいませって何なんだ。人に高いお金を使わせて、それがどうしてサービスなのか。
芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ。
私は、途中で考えてきたことをそのまま言ってみた。
弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。
こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。
連れがプールに通い始めました。
私のリュックにプール道具を詰めて、去年のクリスマスにプレゼントした自転車で坂道をのぼって行く。いとおしげ。
ちょっとくらいおなかが出るのは年齢的なもので仕方ないですが、出逢ってここ一年半、SサイズはとうとうLサイズへ。思い立った連れは、筋トレとランニングとプールとサウナの無敵セットで、一生懸命しぼっています。とても楽しく通えているようなので、安心して見守っている。
私のほうも、新しいことひとつ。近所の大学の通信で、十月から新しい勉強をすることに決めました。あのころのような無鉄砲さで声高に言えるほどの執念は到底喪失しているけれど でも やっぱり 本が好きです。今は、出願に必要な諸々を揃えているところです。来年の春と夏にスクーリングもあるので、うまく休みをもらいながら、うまく今の自分に折り合いをつけながら冷静に、慎重に。
本のはなし。
このまえ連れが、学生時代に買ったという太宰の角川文庫を全部 私に呉れたのですが、それを順々に読み出したきっかけで、蜜月生活が蘇りました。連れには筑摩の太宰全集があり、古い角川は自由に扱ってよいとのことで、付箋しながら熟読。いつのまに日が暮れる。この感覚。
疑いながら、ためしに右へ曲るのも、
信じて断乎として右へ曲るのも、
その運命は同じ事です。
どっちにしたって
引き返すことは出来ないんだ。
ある転機。自店のデニム担当になりました。
アトリエのデニム会議に参加したり、施策、在庫管理、専門知識の担当とのこと。
写真は、去年の夏に購入した「空比女」27インチで、糊付きパリパリのノンウォッシュから気まぐれに穿いて一年が経過したもの。
ポケットの跡と、もものあたりにヒゲができた。
いろいろあるけれど、悪く考えるのをやめてもう少し頑張ってみようと思いました。
電車の中で読むものを忘れ、車窓からみえる大きな文字を眺める。
どれほど遠くにあるものか、どれほどの大きさか、全くわからない。
それが書き始めの一文字であることはわかっている。先を書かれるのを待っている。
— via「電車の中で」倉田タカシ
予備校時代の友達に会いました。
いつも、帰宅できる目処がついたあとで、先輩に「なにか手伝うことありますか」って確認して、仕事を分けてもらって、それを終わらせてから、先輩と一緒に帰るよ。ってゆう話を聞きました。素敵です。
私はお昼休みの歯磨きが長くて、いつもあとから来るひとに追い抜かれます。
トイレと歯磨きと化粧直しまでしたひとが追い抜いていきます。わざとバタバタして、厭な大人。
人事部長は面談で、「美術系の人間はゼロか100」だと言いました。
80%の納得では動かない、少しでも腑に落ちないと全力を注げない、と。
完璧な覚悟ができれば、その才能を発揮するチャンスがこの職務にもあると言いました。
仕事中、やり場の無いイライラに襲われて、両腕にじんましんが出ます。
最近は、ストレスを家に持ち帰って、なにかあるとすぐ本気のグーで痛いように連れをぶってしまって、非常に良くない。
誰かの情熱に、情熱で応えること。
西岡がこれまでに気恥ずかしくて避けてきたことは、
「そうしよう」と決めてしまえば、案外気楽で胸躍る思いをもたらした。
新天地です。
縦社会を実感する日々と、お客様は神様と、敵と味方とイライラと、反骨精神。
14日 晴。
連れの35歳の誕生日。間近に見る表情、皮膚の感じは細かなシミ・シワを帯びていて、小さいころの記憶の若い父親に似た面影がある。遠出して、帰りの電車中ずっと連れの肩で寝ていて、起きたら「良く寝たね」と言った。「英子のあたまの重さで、熟睡度がわかる」と言った。
キッチンで夕飯の支度をしてるとき、左手にあるお風呂の扉がバーン!て開いて、ホカホカの連れが素っ裸で登場。この光景を何度も何度も経験した。私より先に仕事に出る連れを見送る朝の玄関の感じなども。同じ風景を日々繰り返していると、時間の経つ実感がなくて、一週間も、二日か三日くらいに思える。二人だけの世界とゆうのはすこしだけ寂しいものがあり、一人が居ないと独り、とゆうのはどうなんだろ。夕涼みにベランダへ出て塀に胸を押し当てれば心臓の音が聞こえる。
何かに追われているのはあなただけではないのよ。
何かを捨てたり、何かを失ったりしているのはあなただけじゃないのよ。
二月が決算なので、もろもろ総括しました。個人と店舗の成績評定など、一区切り終えたところです。
何十年ぶりか分かりませんが、無いはずのボーナスが奇跡的にあり、私の口座には中学生のお年玉ほどささやかな賞与が入金されていた。
新年度を迎えて、今月は展示会があって、アトリエで秋物の写真を撮りました。
この一年で同期が四人辞めました。いま同期は全国に二十人ほどです。
大人(社会)を舐めたら痛い目に遭うとゆうのは本当で、なかなか厳しいです。対価がないから頑張れないとゆうのは正論で、辞めたきゃ辞めちまえとゆうのも正論か。かわいそうな目に遭うひとびとを見て「かわいそう」と心から思いました。私は上司と先輩に恵まれ、良い環境で一年を過ごすことができました。幸せでした。来月下旬から、別の店舗へ異動になります。東京都内に変わりありませんが、役回りが変わります。ステップアップと思って頑張りたいです。
それから唐突ですが、販売員は営業マンです。こちらがお客様のところへ出向くか、お客様がこちらへ出向くかの違いだけで、やってることは営業でした。「手紡ぎの糸を手織りで仕立てたブラウスです」と、きちんと説明してはじめて値段に納得してもらえるのだし、「手捺染はこれこれこういう過程を経て生地になります」とか、そうゆう部分に魅力(価値)を感じて買ってくれるひともいる。他人の購買活動なんてどうでもいいと思ってうだうだしてたらあっという間に赤字になります。ものづくりと接遇は切っても切れない。別世界の買い方を目の当たりすると、何とも言えない気持ちになるが、価値観を共有できる喜びと、製品に誇りを持っているからこそ、伝えたいことがいっぱいある。衣食住を優先順位で言ったら食住衣だから、食の企業は声高に世界平和を詠うけど、衣は衣でみんなの幸せを、企業はちゃんと考えている。
ジーンズ1本が何百円なんてありえない。
どこかの工程で誰かが泣いているかもしれないのに、安い服を着ていていいのか。
— via「朝日新聞(2009.12.17 朝刊)文化」川久保玲
大学三年のころ書いた作文。
昨日のこと。昨日、買い物の休憩でモスバーガーに入ったら、少しして、となりの席に女の子が座った。カバンから白紙のエントリーシートを取り出して、じっと眺めているようすだったので、どこの会社だろうと思ってそっと見やったら、文藝春秋でした。
チェーホフは「大学生」という小説のなかで、過去から現在に連なる時間の一方の端に触れたら、もう一方の端がぴくりとふるえたような気がしたということを書いている。
人の転機の説明は、どうもなんだか空々しい。
その説明が、ぎりぎりに正確を期したものであっても、それでも必ずどこかにうその間隙がにおっているものだ。
人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして、行路を選んでいるものではないからでもあろう。
多くの場合、人は、いつのまにか、ちがう野原を歩いている。
公園のベンチで本を読んでいたら、空気をかき混ぜるような風が吹いてきて、ページに落ちる木の枝葉の影が揺れた。いつのまにか文字よりも、その影と紙の白さのコントラストに目を奪われて、綺麗だなぁと思っていた。
だんなさんと、過去最悪の、別れの感じになってフリで自分の荷物をまとめたら段ボール三箱だった。どうしようどうやって仲直りしたら良いんだと思っておろおろしていたら解決策が見つからないままとうとう配送まで完了して実家にドスンと届いた。ふたつに割り切れないものは後日お金で清算するという冷たい約束までして、本当に終わってしまいそうだった。最後にひとりで妊娠検査をしたら陰性で、これまで幾度かふたりで見たときは安堵だったのに初めて心の底から喪失感を感じた。
結局はその二日後に、ちょっとした偶然と強烈な情念引力で夫婦に元通ったのだけど、お互い心を入れ替えて本当の夫婦になる本当の準備をちゃんと始めることにしたり。そのときに、だんなさんは素晴らしい文章で以て私について詠み上げたので、私はびっくりして、脳が昇天する想いでそれを聴いていた。言葉の素晴らしいひとは、それだけで、愛する意味があると思った。
だんなさんがウツ気味です。【ツレうつ】を映画館でいっしょに見ていたころなどは、ぜんぜんもんだいなく、「良い夫婦だねえ」などと言っていた。ウツはここ最近で、原因はわたしで、わたしといっしょに居る疲れが、知らないうちにたまってきたのかもしれないらしかった。わたしがぶったり、おにぎり投げたりしたからかもしれない。今までに無い感じの話し合いをしたら、すこし元気を取り戻して、わたしもおんぶにだっこは辞めました。
先月、夏物製品の展示会へ行ったら、エリア長にお会いし、「最近成績が伸びてるね」と言われた。顔と名前が一致し、成績も把握しているのだった。去年までの個人売りが黒字だからこのまま行けたらとりあえずこの会社に居る意味があるようです。今の仕事を良く言えば、常に笑顔でいられることだと、このあいだふと思った。それから毎日知らないひとに、自分から、声をかけるという不思議。
ビギンの音楽を流しながら夕飯を作っていたら、ちょうどだんなさんが帰宅して、「沖縄の割烹料理屋みたいだねえ」と言って笑った。
たとえばおなかが痛くなったとき、かみさまを恨むひとと祈るひとがいて、彼は後者です。
洗濯機から冷たい衣類を取り出して干しにゆく。
手がちぎれるくらいに冷たいけれど でも今日は晴れていて、
胸いっぱい息を吸って吐いてみれば 頭の言葉が散ってゆく。霧みたいに。
— via「発光地帯」川上未映子
医療保険に入ろうと思って、知り合いのかたの会社で見積りをもらったときに聞いたお話。死亡保障の意味。
単純にお葬式代や、あとに残される妻や子供の生活費のために、という考え方だけではないのらしい。
「世帯主という訳ではないから、無くて良いです」と言って一番シンプルなプランで見積もってもらったのだが、そうじゃなくて、私みたいな若い人が死んだ場合、死んでごめんなさいという親に対する孝行の意味合いがあるのだそうだ。受取人が親である間は、ここまで育ててくれた両親に対するせめてもの。さらには、この先の面倒を見てあげられなくてごめんなさいという意味もあるのだそうだ。どのみち自分の予算では無理で、そんな保証は付けられないのだけど、だんなさんと暮らすようになってから守るべきものや家庭など、大切なことがどんどん明白になってゆく。
このまえ、未映子が朝の番組に出演していました。休日のだんなさんがのんびりテレビを見ていて発見し、「英子の好きな川上未映子が出てるよ〜」と言った。この週は休みが合わなくて私は仕事に行く支度をしていて片手間に見た。未映子は蝋人形みたいな肌で少し痩せた感じ。どのインタビュアーも、おんなじ質問ばかりしている。もうテレビに出なくて良いような気がした。口で言っても誰にも伝わらない。
最終的な拠りどころは「性善説」ではないだろうか。
社員の机のまえに、各自の母親の写真と、
自分の赤ん坊だった時の写真を貼るように義務づけるのが、
いちばんの不正防止策としか私には思えない。
おまえの胸に聞いてみろ、というやり方だ。
トートバッグから原稿の入った封筒を取りだして聖に渡した。
今回の原稿は単行本にして六百ページも分量があるもので、片手でもつと手首がぐらりとするくらいの重さがあった。
聖は両手でそれをもって、その厚みと重さを確かめるみたいにして首を軽くふり、わたしをみて笑った。
「信じられる? 人が人に向かって、こんなにも言いたいことがあるなんて」
実家です。久しぶりに帰って、自分のと間違えてお兄ちゃんの歯ブラシで歯磨きしてしまったりした。お兄ちゃんもなかなか帰って来ないこのおうちは、子供の居ないおうちで、親はかわいそうだなと変な気の回ることがあります。今日は給料日で、お父さんお母さんに気持ちを手渡す。強く求められるでも無いが、終の建前、親への金銭的補助は自分の身の丈以上でする気負い。驚いたのは、いつの間にお父さんがギターをはじめたことで、お兄ちゃんが置いていったものを弾いている。参考書は図書館で借りている。陽水など。
新潮文庫の文豪ウォッチが復活したらしく、応募したくて、久しぶりの自分の本棚を探したら十一冊あり、だんなさんにも協力してもらって徐々に三角を集めている。だんなさんは昔の太宰の文豪ウォッチを持っている。私は漱石が欲しいなあと思っている。
同期がまたひとり会社を辞めたから、おいおいおいと思う一方で、人は人。早く就寝して早起きし電車の中でも勉強するだけで人生は好転しはじめる。仕事については今の自分に確たるものが無く、掴みかけも掴みかけ状態に何とも言えないが辛いと言えば辛い、楽しいと言えば楽しい。とても楽しいと言えばとても楽しく、働く理由がある。
夢のような少女でしたと 貴方はたしかに書かなかったか
夢にしては汚すぎたと 貴方はたしかに想わなかったか
ふたり暮らしをはじめて三ヶ月が経ちました。ふたりで選んで決めたのは実家に程近いマンションで、最寄り駅も、ごはんを買うスーパーも、私はこれまでと変わらない。けどこれまでとはまるで違う、あたらしい世界を見ている気がする。
【 朝。食パンをたべながら新聞を読む。テーブルの下、裸足がチラシ踏む。】
十五年ひとり暮らしだった癖で本人はもう無意識のようだが、朝刊のそれぞれを読むごとに足でペタンコにしてゴミの嵩を減らしてゆくオートマチックなその姿は、私に結構くる。「好き」として。日々。いちばん好きなのは、お風呂あがりにドライヤーでかみのけを乾かしてもらうことで、これは、とてもすばらしい。
もう無理だ、ということがはっきりするごとに、馬鹿になってゆく、将来の夢などは子供に託すとして、私はそういった、普通に普通の幸せを。と思う。今日。仕事帰り、本屋で未映子のしおり売ってて買った。封を開けたら、未映子のポートレートのしおりと「乳と卵」の装丁のしおりが入っててうっとり。だんなさんに見せてあげよう、と思いながら帰宅。
十二月の空気は均質にぴんとはりつめ、地上では風なんてまったく吹いていないのに、
みあげるとはるか上空では猛スピードで雲が流されているのがみえた。
わたしはしばらく立ち止まって、夜空を見上げていた。
何層にもかさなりあった白とも灰色ともつかなくなった夜空の雲の濃淡は生き物の影のようで、
おおきなものが音もなく動いているのをみつめていると、胸がどきどきと音をたてた。
真っ白に輝く月が顔をだした。静かな、誕生日の夜だった。
わたしはジャンパーのポケットに両手を入れて歩きはじめ、
人影のないひっそりとした住宅街の道をゆくだけで、なぜなのか、
自分が少しだけいいものになったようなそんな気がした。
同期がひとり会社を辞めました。
就職してから今までずっと、自分の世間知らずと未熟さを痛感する日々です。
くだらないことを考える暇が減って、頭がシンプルになってゆく。何とも言いようがない。厳しい。
いいか、空の戦場は地面の上とはまったく違う。
一旦敵味方の飛行機が入り乱れて乱戦になると、
もうどいつが敵か味方かもわからない。
ある意味、平地の戦場よりも恐ろしい。
空の上では塹壕などというものはない。
全部がむき出しだ。敵は前後左右どころか、上下にもいるのだ。
目の前を敵が逃げていく。それを追う。しかしその後ろから敵が追う。
そしてその敵をさらに味方が追う。
さらにその後ろには、今度は味方がそれを追う。
敵側と味方側に別れての戦いとは根本的に違う。
— via「永遠の0」百田尚樹
太宰のお墓参りをした。命日であった。
墓石に刻まれた【太宰治】のくぼみに、さくらんぼがぎゅうぎゅうに押し込められていて、お酒や煙草も供えてあって粋な雰囲気がした。
連れは、「ここに眠っていると思うとぐっと来る」と言った。自分の好きな小説家が、例えばもし未映子が死んだら、私はお墓に手を合わせたりするだろうかと考えて、是非しよう、と思った。
「行ったら会うかも」と言われていた通り、禅林寺で連れの仕事のかたに遭遇した。「彼女と参りました」と紹介され、変な気がし、あとから急に思い立って「連れです、くらいでいいよ」と、ようやく帰るころそっと提案した。それから妙に「連れ」という言葉が気に入り出して、これから使っていこうと思ったのだ。
一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。
今日一日を喜び、努め、人には優しくして暮したい。青空もこの頃はばかに綺麗だ。舟を浮べたいほど綺麗だ。
さざんかの花びらは桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、今年はじめて驚いている。
何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。
まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているというほどの意味である。
久々休日。BSで【君たちに明日はない】を観ながら朝ごはん。お兄ちゃんがくれて、原作の文庫を持っている。リストラ請負会社で働くサラリーマン小説だが、内容は面白い。働いてるひとには、グッと来る場面もあると思う。垣根涼介は言い回しを変えて何度も同じことを書く。そこが技術の拙さを思わせながらも、ハマったときの一文は心を動かす力がある。
いっとき手つかずだった内定先の課題をちゃんとやろうと思って、急いで作ってメールしたら一時間で返事をくれた。ワードは「大変良く出来た」エクセルは「良く出来た」という評価がついて、春からの話など。なんか変な箇所あるような気がして分かってたから、反省と、とにかく消化した安心感。
今日もだけど、大学の集まりに欠席している。必至なの理解しつつ謝恩会とか、どうしていいか分からず。肝心なときに限って、どうだっていいと思う瞬間があって、こういう胸の芯に巣食う投げやりな気持ちが、いつか人生を台無しにしてしまうような気がするときもある。
さくっと辞めて今まで苦しんだ分をちゃらにするか、辞めないで苦しんだことを糧に前に進むか。
仕事をする人間として、魅力があるのはどっちだろうな。