GR、ふたたび・・・。

eebanam2005-09-13

本日、リコーより、新しいデジタルコンパクトカメラ、「GR DIGITAL」が発表された。

主なスペックなどはこちら
 
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/compact/2005/09/13/2278.html


リコーGR DIGITAL公式ブログはこちら

  http://blog.ricoh.co.jp/GR/


プロカメラマンもサブ機として使った名機として名高い銀塩フィルムコンパクトカメラ、GRシリーズの流れを汲むデジタル機だ。

そもそもGRシリーズはある時期に流行った、「高級コンパクトカメラ」というカテゴリーの商品だった。
その第1弾のGR-1を私は今でも大切に所有している。

なぜ当時GR-1を購入するに至ったのか、今日はそのことを語ろう。


確かあれは1996〜7年頃ではないだろうか?フィルムカメラのIXYがデビューし、コンパクトカメラ界にちょっとしたブームを起こした。

小さく、スタイリッシュなボディーは革命的で、おりからカメラが欲しかった私は「IXYを買おう」と、買う寸前まで行っていた。

そんなとき、同じ店の、少し目立たないところに高級コンパクト機のコーナーがあった。

私の目に初めに留まったのはシャンパンゴールド色のミノルタのTC-1だった。何という小ささ、何という高級感。そして広角レンズの為、ファインダー内が広い。あとで知ったのだが、真円絞り機構というギミックも、私の心を虜にした。

が、しかし・・・高い・・・。

希望小売価格148,000円・・・。実売でも、10万は軽く超える。

残念ながら安月給の私に出せるはずのない値段だった。

ふと、横を見ると、リコーというマイナーな会社製の、珍しいマグネシウム合金製の黒一色のカメラがあった。
GR-1との出会いである。


手に取ってみたその黒いカメラは、非常にうすく、IXYのようにデザイン性はないが、シンプルで、無骨で、そういう意味ではとってもカッコよかった。
つづいてファインダーをのぞいてみると、ものすごくびっくりした!「ひ、広い!」。ものすごくファインダーが広いのだ。一眼レフをのぞいてる感覚だった。言っちゃ悪いが、IXYがオモチャのように感じられた。値段もやや高いのだが(確か、7万〜8万くらい)、手の届かない額ではない。

その日から、カタログ、雑誌、チョー徳氏の本(笑)などをズーーーッと眺めていた。それらの本にはGR-1で撮られたすばらしい写真が載っていて、「あのファインダーをのぞいて、こんな写真が撮りたいなー、とれたらかっこいいなー」と思わせてくれた。そして、「貯金をはたいても惜しくはないな!」とも。

その後しばらくして、GR-1は私のものになった。


そしてGR-1の入るショルダーバッグを買い、常に持ち歩いた。バッグの中は、常にハンカチ、はながみ、財布、鍵、PHS(笑)、GR-1、だった。常に何か被写体になるものを探していた。今の様に「妻子持ちの自営業」でなく、「独身で勤務」してたので、外に出るのも自由だった。車の窓から気になる被写体があればすぐ止まって写した。季節の花、虫、町並み、なんてことのない被写体だが、広角レンズから演出されるパースペクティブは被写体を実物よりドラマティックに演出してくれた。そしてもちろん写りも良い。解放絞りで背景をぼかすなんてこともこのカメラで覚えた。旅行にももちろん同行した。旅行が倍楽しくなった。旅先の色んな気になる風景、ものを写し込んでくれる。ディズニーランド、横浜、鎌倉、東北・・・そして、海外でも・・・。GR-1の長時間露出で撮ったニューヨークの夜景の写真は私の宝物でもある。


そんなGR-1だったが、99年のパソコン購入、その後のデジカメ購入とともに、徐々に出番が減って行った・・。それと同時期の結婚、自営業開始も出番が減った一因かも知れない。
2003年、長女が生まれたとき、久々に大活躍してくれた。当日使っていたデジカメでも撮ったのだが、なんて言うか、生まれたての赤ん坊の初々しい空気感が全然違った。

だが、パソコンでいろんな処理をして年賀状等に使うこと、たくさんたまる写真の整理のこと、デジカメ一眼を買ったことなどにより、ここ最近はほとんど使っていなかった。


2005年にデジタル版GRが出るというリコーからの告知を昨年耳にし、ズーーーッと気にし続けてきた。それがついに今日発表された。

そのデザインは、あの時のGRを思い出させてくれる。どこか無骨で、洗練されてない、シンプルな黒い固まり。
おそらく、発売されたら手に入れてしまうだろう。デジタルのGR・・・やはり欲しい。
それを手にすれば、独身時代のあの時のように、自由に、気ままに、写せる気がするから。いや、あるいは、あの時のように自由に、気ままに、生きて行ける気がするから・・・なのかもしれない。