今回は岡部六弥太のお話とそして彼のお墓についてお話したいと思います。
タイトルでは六弥太と書きましたが、この‘六弥太’という平安末期の武将であります。本名は岡部 忠澄と言います。
場所は旧岡部町の普済寺の近くにあります。
この人物は武蔵七党の一つ、猪俣党出身であり、源義朝の家臣として保元の乱、平治の乱で活躍をします。源義仲の討伐戦に参加するほか、有名な「一の谷の合戦」では平家の武将『平忠度』を討ち取っています。
3基のうち中央のもっとも大きいのが 六弥太 、その右側が父 行忠(ゆきただ)、左側が 六弥太の妻 ゙玉の井" の墓だそうです。