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投資の消費性について RSSフィード Twitter

2016-09-21

総括会合雑感

書かない宣言を翻して、本日会合のメモ書き。


金融緩和強化のための新しい枠組み:「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 [PDF 270KB]

http://www.boj.or.jp/announcements/release_2016/k160921a.pdf


長い金利について、これまでよりも高い水準であるところのゼロ近辺を目標にするってのは、言い換えれば、モノ(国債)がなくて買えない、価格が吊り上がっちゃうときには買わない宣言であって、日銀にとっては切迫を緩和するし、もちろん普通には引き締め方向。


当然これまでよりもマネタリーベースは増えにくいわけだが、にもかかわらず、この点について記述を残しているのは、要するに俺達は正しかった的な話だろうが、さまざまな方面に配慮している感じもある感じだ。

2016-09-18

均衡イールドカーブから一般均衡へ

アンパンでもフランスパンでも、それなりに商いはあるわけで、2年債でも10年債でも、それなりに商いはあるわけで、材料に共通するところがあったり、期間に共通するところがあったりするわけだが、いずれにせよ放っておいても値段は付くわけだ。


もちろん我々は、パンを買うのか債券を買うのか、いつでも選ぶことができるわけで、いずれかの価格が変化すれば、そのことは天秤を傾ける。もちろんパン債券に限った話ではなく、すべての支出を我々は天秤に乗せるわけで、何かの価格が変化すれば、そのことは他のすべてに影響を与える。


だから債券群のみ取り出す意味は不明で、すくなくとも似たような友達として株式為替、資源や不動産を考えない意味は不明で、だから前総裁は「リスクプレミアムの縮小を促す」と、投資リスク一般に言及したわけだ。


一般に価格を制御しようとするとき、カネがかかる。無駄に安くパンや原油を売り続ければダンピングだし、カネがかかる。無駄に高く債券株式を買い続ければ吊り上げだし、カネがかかる。山師は喜ぶだろうが、真っ当な商売人には迷惑だ。何より、カネがかかる。

2016-09-15

富と幸せを交換する取引

「富が一定である閉鎖的なマーケットの中で、平等に富を持ったプレイヤーに対し、ランダムに得する人と損する人を決めていき、ある一定のステップを踏んだ結果、少数の金持ちと、多数の貧民の格差に分かれることになる」という興味深い話を下記ブログで知ったのだが、「ベッドルームで群論を」という魅力的なタイトルの本に、あるいは「Rで楽しむ統計」にも似たような話が、書かれているそうで是非とも買わなきゃ。


お金の総体が変わらない市場でやりとりしたら、貧富の差が生まれるか? - Line 1: Error: Invalid Blog('by Esehara' )

http://bugrammer.hateblo.jp/entry/2016/09/14/201722

ルールとしては、まず市場に存在するプレイヤーは、それぞれ同じお金を所持しているものとする。そして、各プレイヤーのお金の総体は、増減しない。つまり、プレイヤーの所持する金額のお金を合計すると、いつも同じ所持金になるということである。そして、そのプレイヤーでとりひきするときに、損するプレイヤーと、得するプレイヤーをランタムに決める。このモデルにおいては、借金は認められないので、得するプレイヤーは、損するプレイヤーの所持金を越えない範囲においてのみ得することができる。また、損得の率については、これまたランダムで決定されることにする。


ベッドルームで群論を――数学的思考の愉しみ方

ベッドルームで群論を――数学的思考の愉しみ方


こうした極端なモデルが示唆するところには、いつだってドキドキするわけだが、すぐに思いついてしまう遊びは、以下のように設定に若干の変更を施すことだ。同じように極端な、もうひとつのモデルである。同じようにランダムに、富と幸せを交換する取引を実行することにする。富が移転されるとき、逆向きに、幸せが移転されていると思う。さほどおかしな想定ではない。何かを買うとき、多かれ少なかれ僕らは幸せを得ている。さて、ここでは何が起きるだろうか。


おそらくプログラムを変更する必要はない。移転された富は、そのまま逆向きに、移転された幸せを表現しているだけだ。そこにある結果に、何を感じられるだろうか。どちらの極端も残念ながら、あまり現実には近くない。思ったよりも僕らは、経済のことを知らない。

2016-09-14

自然利子率

大抵いつでもパンを売りたい人も買いたい人もいて、農水省が放っておいても、パンには値段がつく。自然なことだ。

大抵いつでもカネを借りたい人も貸したい人もいて、日銀が放っておいても、貸借には金利がつく。自然なことだ。


自然な値段と言われれば、このように考えるのが自然だと思うのだが、話が金利になった途端、当の日銀さえ、不自然な説明を繰り出すことには驚きを隠せない。


実は、伝統的な金融政策も非伝統的な金融政策も、主たる効果波及のメカニズムは同じです。それは、実質金利効果、すなわち、景気や物価に中立的な金利水準(自然利子率)に対して、実質金利を上げ下げすることです。その差が大きいほど金融緩和や引締めの効果は大きくなります。

【講演】中曽副総裁「金融緩和政策の『総括的な検証』に向けて」(在日米国商工会議所主催講演会) :日本銀行 Bank of Japan

「景気や物価に中立的な」小麦粉価格が一体いくらなのか、僕にはよくわからないが、TPPの例を挙げるまでもなく、さまざまに準備を整えつつ、我々は価格統制を減らそうとしている。

「景気や物価に中立的な」金利が一体いくらなのか、僕にはよくわからないが、同じように金利統制を減らそうという議論は、ほとんど見かけない。為替については頻繁に見かけるのに。

2016-09-13

信用から見たインフレ目標

信用スプレッドみたいな単語を持ち出すと、それだけでブラウザを閉じてしまう方も多いと思うのだが、その「返してくれるのか、よくわからない分だけ利息を多く寄こせ」の概念を中心に、中央銀行によるインフレ目標について説明してみたい。ちょっと聞いたことのない話もするが、俺の本音を聞いておけ。


要するに中央銀行が避けたいとするところの、いや避けたいからこそ中央銀行が設立されたわけだが、高インフレは、紙幣の信用スプレッドが拡大を続けている状態と思う。何を言っているのか、よくわからないかもしれないが、特に極端な話はしていない。信用スプレッドが拡大を続ける借金とは、要するに売られる債券のことだ。あいつダメだと、その価格は下落を続けている。つまり高インフレは、紙幣や中銀への預金が、それらとしばしば交換されるところの商品やサービスと比較して、その価格が下落を続けている状態と思うわけだ。もちろん原因は、紙幣や預金の形での中銀への貸しが、「返してくれるのか、よくわからない」と感じられることにある。最近ではジンバブエ中銀が挙げられるだろうが、例えば勝手に借用証を増刷して配るような借り手を、誰も信用することはできない。


インフレ目標は、こうして見ると、発行体による「信用スプレッドの拡大を許さない」宣言である。要するに「私はちゃんと返します」「信じて下さいね」と主張しているわけだが、信用されるか否かは当然のことながら、そいつの振る舞いに依存するので、例えば日銀は詳細に財務報告*1を続けている。皆がやってるからとか、利下げの余地がほしいからとか、インフレ目標のフワフワした説明よりも、こう考える方がずっと好きだ。


さて、ではデフレの状態は、信用スプレッドが潰れていく過程と考えられるだろうか。もちろん、そうした場面の可能性もあるだろうが、例えば我が国が経験した高々年率1%程度の物価下落を、そう捉えることが適切とも思いにくい。紙幣や中銀への預金が、それらとしばしば交換されるところの商品やサービスと比較して緩やかに対価を得るのは、スプレッド縮小による価格の上昇*2というよりは、どちらかといえばキャリーに近い。貸してやってるんだから、ちょっとくらい色つけて返せという、無リスク金利の自然な水準*3とも感じられる。角度を変えれば、値段をつける製造者やサービス提供者は、できる範囲で頑張り続けるわけで、日々の努力や発見の一部は、品質向上や価格下落の形で還元されるわけで、その表現と思う*4とスッキリしないか。当然の帰結だが、これを「脱却」が必要な状態と考える理由も見つからない。