2012-02-06
実質成長の世界
コーウェンは大停滞*1を吹いているようだが、僕らが総じて足踏みするなんて、簡単に可能なはずもないのは、ちょっと周囲を見渡してみれば明らかなことだ。皆それぞれに、目の前のチャレンジに力を発揮してるじゃないか。あるいは一方で「失われた20年」の後半は、乱暴に要約するなら、特に失われてはいなかったと白川総裁*2やクルーグマン*3が最近になって口を揃えたことも、自分には似た話に思われる。我々はいつでも、おそらくコンスタントに、前進を続けている。
いまコーヒーを飲みながら記事を書いているのだが、例えば豆の流通やら販売にかかる明らかな無駄を排除したり、あるいは技術によって効率化したり、することによって価格が下がるとき、僕らはコーヒーをより安く飲むことができる。その分だけ、他の消費や投資に回すことができる。実質成長である。他方で、価格競争に晒された状況下で、コーヒー会社員としての僕の給料が下がる形で、あるいは誰かが失業する形で、コーヒーの安売りが実現したとしよう。このとき実質成長していない。その分だけ、他の消費や投資に回すことができないからだ。
もちろん、両者はおそらく常に混在していて、明確に分別することは不可能だろう。売り手と買い手が綱引きを継続的に行う中で、価格の下落が実現すれば一般に、その一部は成長であって、残りの一部は成長でない。このことは、また例えば、あらたな付加価値(例えばフェアな取引ストーリー)を与えられたコーヒーの販売価格が上昇するとき、その一部はそのことによって、生産者や販売者の消費や投資が増える成長であって、残りの一部は単に「期待に働きかけ」られた、つまり他の消費や投資の価格も上昇しているフェイントであることにも似ている。
別の話だが、こうしてインターネットに記事を書いたり、その内容に関連して呟き、皆さんと見解を交換することは、とても楽しくて刺激的で、自分の生活をすっかり変えてしまった。すこし下の方にスクロールいただいてバナー広告をクリックすれば、多少のお金が動くのか知らないが、その一回は微々たる額だろうことは容易に想像がつくし、そのことに僕自身はあまり興味がない。20年前には想像もつかなかった素敵だが、もちろん新たに生み出された最高は、他にも馬鹿みたいに沢山あって枚挙に暇がない。若くて話がピンと来ない皆さんは、お近くの年輩の方に聞いてみるとよいと思う。世の中はよくなりましたか、昔に戻りたいですかと。なるべく具体的に。
人生いろいろだ。況してや時代は変わり続ける。我々は、「同じでよいから」安いものを望むときもあれば、必ずしも金額では計れないものを望むときもある。経済成長とは結局のところ、我々がほしいと望むものを、我々がつくり出すことだ。いつだってチャレンジを続けているのだから、簡単に停滞などできるはずもない。振り返って覗く眼鏡のピントが外れているだけだ。
2012-02-04
フィリップス曲面について考える
勝手に曲面にしてしまったが、例の6次元の奴*1だ。物価や失業率を考えるのに、平面で切り取っちゃ駄目だろという話で、しかしこういう手強い相手には、どうしても均衡アプローチを探りたくなってしまう。要するに遠い未来を考えたくなってしまう。もちろん曲面から捉えたいのは現在の話であって、そのあたりは結局のところ、僕らのCAPMと同じくらい示唆的で、かつ掴みどころがない話になると、あらかじめ言い訳しておこう。さて、この先日の道具を、もう一度眺めてみる。
支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
こうして横に長い式を見るだけで、頭が痛くなってくる方も多いと思うが、僕だってちっとも気分は優れない。新たな予算は、この右辺の六項目に流れていくので、いろんな時点でポツポツと6次元空間に点を打ってみると、何か見えるかもしれませんねという話だ。普通に見えない気もするが、しかし取っ掛かりはある。右辺の第二項以降は、要するに投資*2なので、連中をまとめて分離してしまおう。だって、どうせ互いを行き来するだろう。
(2) 投資 = 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
なんだか元に戻ってしまった感も漂うが、思考が行き来する過程で、何かが生まれるのだと思いたい。式(1)は、しかし古典的な、要するに効用の話じゃないか。ノイマンからの歴史を振り返るまでもなく、あちこちに小難しい理屈が転がる、タックルしがいのある問題に行き着いた。平面に描こうとすれば、おそらく要するに「フィリップス曲線」における「失業率」を「リスクプレミアム」に置き換えた形だ。ヘイ、とてもすっきりしたぜ。もちろん、我々がリスク資産の全体に要求する見返りの水準は、観測が難しい。しかし、問題の構造が明らかになっただけでも、大きな成果ってもんだ。消費も投資も、どちらも促されるとき、なんとなくグラフを左上に向かうだろうか。その予算の元手について、考えたくはならないだろうか。
物価上昇率 ↑ | | | ┼ ― ― ― → リスクプレミアム
そして、失業率を擁するはずの式(2)へと進もう。我々は、自分が抱えている複数の投資先に対して、常に評価を継続している。そんなとき、すべての選択肢において、(ポートフォリオへの)追加的な投資のリスク∂σ2/∂wiに対する追加的な見返り∂μ/∂wiは、同じになっている*3と思う。要するに、まずは落ち着くところに落ち着いていると考える、これが均衡アプローチだ。ちっとも難しくない。
∂μ/∂w人への投資 / ∂σ2/∂w人への投資 = ∂μ/∂w株式投資 / ∂σ2/∂w株式投資 = ∂μ/∂w債券投資 / ∂σ2/∂w債券投資 = ...
落ち着くところに落ち着いているのだから、追加的な投資を考える際には、これまでと似たような比率で、まんべんなく配分していくことが自然なわけだが、しかし当然のことながら、僕らの世界は落ち着いていない。例えば支出を促す源が、永続は困難と思われる低金利政策であった場合に、より「逃げやすい」選択肢が好まれるだろうことは、容易に想像がつく。問題に、あらたな条件または選好が加わるわけだ。そんなふうに、我々の生きる社会では、その時々での状況や個々の判断は常に変化しつつ、市場ポートフォリオに織り込まれていく。もちろん誤解やノイズだって少なくない。しかし条件や選好が変われば、要するに他人にとっては、それらがチャンスであることも自明だろう。
既に気づかれている方も多いと思うが、この話は、冒頭に雰囲気を例示したCAPMの枠組みそのものだ。リスクの取引を含んだ一般均衡*4は、いま逆襲の時を迎えている。「ベータは役に立たない」なんて嘯く半可通の連中を、高まった流動性を味方に、遠慮なくカモってやろうぜ。
*1:http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20120128/p1
*2:最後の奴は微妙だが、疑わしきは入れておけと一般化できると思う
*3:http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20091104/p1
*4:
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2012-02-01
日銀解散
「お金の量は中央銀行が調節しろ」みたいな素っ頓狂を、さも普遍的な事実であるかのように吹く学校の先生が複数いる(これ*1とかこれ*2とか)事実に驚き、そんなところじゃ何も学べないから俺のところへ来いと言いたくなる気持ちを抑えて、なぜそれが馬鹿馬鹿しいのか、端的に示す例を挙げよう。日銀解散だ。
日程の話だが、明日ではちょっと急すぎるので、明後日に解散することにしよう。そのために明日準備すべきことは何か。まず第一に、僕らが持っている紙幣を銀行に持っていく。明後日から使えなくなってしまうので、その前に預金にしておくのだ。今後の買い物のために、カードの類や電子マネーも同時に用意しよう。うっかりヘソクリを忘れないように、よく冷凍庫を確認することも大切だ。
紙幣を受け取った銀行は、それらを日銀に返す代わりに、日銀が持っている資産を(金太郎飴的に)受け取る。もちろん日銀への預金も、同時に解約だ。代わりに受け取る資産の多くは国債だが、かつて連中が銀行から買い取った株式や、包括緩和で購入したETFやらREITやらも、その一部には含まれてしまう。リスクがどうしたとか自己資本比率がどうしたとか、規制がうるさい銀行にとっては面倒だが、よく考えてみると、そんなものを日銀が持っていたことの方がずっとおかしい。
さて、これで日銀の資産も負債も全部消えた。決済やらシステムをどうするのかって?不景気の最中に、仕事が増えて嬉しいと思って下さいよ。連中抜きでも快適に機能する短期金融市場を、僕らで頑張ってこしらえよう。これまで取引に使っていた日銀の負債は、裏付けとして持っていた国債やら余計な資産と一緒に、そのまま民間へと移転され、いまハイパワードマネーはゼロになった。物価はゼロに近づくだろうか。円は限りなく強くなるだろうか。貨幣乗数は根元から消え去り、我々の経済は不景気のどん底に叩き込まれるだろうか。
僕はそうは思わない。僕らの日常は、おそらく変わらない。千円札の代わりに、スイカやナナコで玉ねぎを買うだけの話だ。代金は後日、八百屋の口座に振り込まれる。誘導目標が失われ、金融市場で資金の出し手と取り手が綱引きしても、どうせ短期金利はゼロに近いままだろう。世界の全体を調節できる機関など、最早どこにも存在しないわけだが、しかし解散する前の現在の日銀は、果たして僕らの経済を制御できると感じられるだろうか。「デフレ脱却」できないのは、「お金を日銀が刷らないから」なのだろうか。
どうも答えは学校じゃ教えてくれないみたいだから、ときどき読みにおいでよ。短期金融市場は、地球上で一番非効率な、秘密の花園なんだぜ。
2012-01-28
低金利政策の継続がもたらすもの
FRBは少なくとも2014年まで「異例の低金利」を継続するそうだ。会合から持ち出された妙なチャート*1は、政策当局者が自身の未来について予測する、金融政策が内包する奇妙を浮き彫りにした味わい深いシロモノだったが、率直に言えば個人的には、資金需給をナメるなボケとしか思えなかった。どれだけの人々が再来年に金を借りたいか、どう考えても、知っているのは神だけだ。
さて、あらゆる支出は消費か投資のどちらかだと、当ブログでは常に考えるわけだが、投資と言っても色々あるだろと、その点にもうすこしだけ深入りすることで、見えてくるものがあると考えてみる。そう、今日の道具はこんな感じだ。いくつかの代表選手に、えいと分けよう。
支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
いやもちろん、例えば設備投資にも出番をやろうぜとか、自宅を不動産投資と呼ぶなとか、あるいは国内外を区別しろとか、それぞれに思い入れる投資の姿が異なるのは自然で、しかしそんなふうに感じられたなら、是非拡張した道具の姿を、お知らせいただけますと幸いです。いつだってプロレスしようぜ。
フィリップス曲線
促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
低金利政策によって、安く借りられることによって促される支出が、消費に向かえば物価を押し上げ、人への投資に向かえば失業率を引き下げる。そんなふうに考えれば、物価と失業率とを平面上にプロットしたくなるフィリップスの気持ちも、理解できなくもない。とはいえ右辺第三項以降へのアクセスは、この30年間で、以前に比べて急速に身近になった。金融の発展がもたらした流動性は、そして撤退すら容易にした。フィリップス曲線をモダンに書き換えるなら、21世紀には、どうしたって少なくとも6次元空間を考えざるを得ないだろう。物価が大好きな連中が夢想するほどには、もはや世界は簡単じゃないぜ。
バブル
促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
物価上昇なき資産価格の高騰は、バブルの右肩を駆け上がる中で日銀を悩ませたが、雇用なき景気回復は、金融危機後のFRBを悩ませている。今日の道具から見れば、どちらも理屈は極端にシンプルで、誰が金を借りるかを、貸し手は選ぶことができず、そして借りた投機屋は、それらを好きなリスク資産に突っ込んだ。それだけの話だ。現在は中国が、必死に不動産投資への支出を制御しようとしているが、残念ながら、部分的に計画経済しようなんて話の虫を、スピリットなアニマルが食い散らかさない理由は、どこにも存在しない。
失われた20年
促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
シャブ漬けの治療にシャブを打つような真似を続けると、当然のことながら、打った本人も意図しないような新たな血流が生まれてしまう。それまでバブっていたリスク資産から撤退して、レバレッジを縮小しバランスシートを整理する連中の隣で、脈々と流れて行くその先に国債があった事実は、これも我々が世界に先んじてきた。長期金利は、既にトンでもない低水準だ。最近では例えば、米国債にもドイツ国債にも同じ流れが見え始めたが、財政に苦しむ欧州の他の連中が、喉から手が出るほど欲しいシャブまでもが、そうして隣に流れて行く。ゆるやかに。とめどなく。
マネー不信
促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資
シャブは湧いて出てくるわけじゃない。打ち出の小槌は存在しない。その源泉に不安を感じる者が、あるいはそのことを予見する者が、はたまたその予見が増えることに賭ける投機屋が、そうして中央銀行とマネーに対する不信を先取りする形で、コモディティ化されたコモディティ投資、例えば商品先物を買う取引を粛々と続けるのは、自然なことだと感じないだろうか。最近ではコモディティすら流動性は高まる一方で、要するに撤退は難しくない。遅れてきた情報弱者に、ホイと手渡してやれば済む簡単なお仕事。サブプライム不動産ローンに絡んで、僕らはそんなやりとりを、つい最近も見たばかりじゃないか。
当局の当人たちは、悲観するわけにいかないだろうから、僕が代わりに述べておこう。FRBの低金利政策は、そのことによって促された支出が、どこに向かうのかをあらかじめ知ることができれば、誰だって儲けることができる。もっと言えば借りる時点で、既に貸し手からお年玉を貰っている。そんなバラ撒き大会は、少なくともこれまでは、ロクでもない波風ばかり立ててきた。今日の道具を眺めるほど、今後だって同じだろう。だって右辺は、どこまでも広がる一方だ。もっともっと、広げてやるさ。
2012-01-22
後悔するような投資や消費
「バブルとは何か」について議論するという酔狂な会に参加するに際して、自分なりの見解を持つべく考えた結果、馬鹿みたいだが、表題のようなものになった。後になって「あんなことしなけりゃよかった」と、時点が変われば、判断が変わってしまうような行動を誘発する状況を、そう呼ぼうと。
実は昨日は飲み過ぎてしまい、正直に言えば二日酔い気味でつらいわけだが、どちらかといえば飲酒マネジメントには失敗したわけだが、一線の方々と真剣に斬り合うチャレンジに伴った酒について、決して後悔はしていない。次回も、同じように準備し臨むだろう。一方で思い返せば、つい周囲に乗せられてしまい飲まなくていい酒を飲み、翌日を無駄にしたと感じたり、あるいは無用な(例えば男女の)トラブルに巻き込まれた経験は、誰もが持っているはずだ。もう二度としないなんて、言えないよ絶対。
もちろん、両者の境目は常に定かでない。「ちょっとだけ後悔」はいつだって、むしろ新たな別の(例えば男女の)チャンスを紡いだりもするが、そんな話はどうでもいい。例えば「長崎オランダ村は、つくらない方がマシだったか」という問いは、39,000円の日経平均株価が、あるいは1%の長期金利が、「ファンダメンタルズから乖離」しているかを問うよりも、ずっとマシだと考えたわけだ。誰に聞いても「わからない」問いよりも、相手によって答えが変わる問いの方が、常に沢山の示唆を与えてくれる。
いつもの話だが、そして普通に金を借りるよりも、支払う利息が押し潰されていると感じるとき、そいつを使って遊ぼうだとか、投機しちゃおうかなとか、つい調子に乗りがちだという方向に持論は展開するわけだが、つまり資金調達側に問題を見出すわけだが、例えば「バランスシート不況」なる単語は、そうした後悔は先に立たない「信用創造」を端的に表現しているように僕には思われた。借金は決して悪じゃないが、僕らは後悔に苦しめられてきた。いまも世界は苦しんでいる。

