まあこれを言うのもなんだけど

 これを言うのもなんだけど、日本の場合社会的な知性というのが倫理の踏み絵に会い、そこで微妙に左翼がかるようにできている。逆にいうと、右傾で知性のある人はそれにすねている的ポジションもある。
 さすがにマル経とかマルクス系の社会学とかも消えたが、というか、ニューアカというのは左翼のリニューアルでしたが、まあ、それも消えた。でなにが出てきたかというと、特にないような感じがする。フォーリンアフェアーズとかきちんと読んでいる人というのが普通にはいなくて、なんかどっちかというとオタっぽい。
 私の世代からそうだけど、サブカル系が知性だっぽいトレンドがあり、これは、なんというかとほほ。
 米人の知識人とかは、そういうなんというか邪道がないので、けっこうごりごりとインテリ。その割に、なんか倫理的には幼稚な印象を受ける。
 知識・知性というのは、カルチャー的な志向とは違った、もっとべたものだろうと思うが、あまり見かけないというか、これを言うとまた日本特殊論かもだが、が、というのは、日本の特殊性というのはけっこう欧米の先端だったりする。
 これもよくわからん本だったか。
 ⇒極東ブログ: [書評]日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり (カレル・ヴァン・ウォルフレン )
 ウォルフレンは学歴がないせいかというか、オーソドックスな勉強をしたことがないせいか、芯がないんじゃないかという疑いもあるが、知性としては、オーソドックスな知性だと思う。ポストモダンってダメだろとかマジで言っている。普通は、そういうの議論の対象にもしない、というか欧米のべたなインテリは。