気持ちの問題 30 <「東京グッドマナー」と聞いて気恥ずかしい気持ち>

「東京のグッドマナーを世界に向けて発信しよう」というニュースが目に入り、「わあ、なんだか恥ずかしい」という気持ちになったのは何故だろうとつらつらと考えています。
まあ、発信するという言葉自体が苦手なのですが。


Time Out Tokyo Edutorsにはこんな説明があります。

東京に暮らす人たちが当たり前に思っているグッドマナーを再認識し、国内外に発信していく。

「Tokyo Good Manners Project」は、「ゴミを道路に捨てない」、「交通規則を守ろう」といったマナー向上キャンペーンではなく、自分たちのグッドマナーに誇りを持ち、東京を訪れる世界中の人々に文化としてのグッドマナーを楽しんでもらうプロジェクトだ。


具体的に何か、検索していたらこんな感じのようです。

「たとえば、渋谷駅前のスクランブル交差点。ぶつかり合うことなく横断することに、海外の人たちは驚く。この交差点、一回の青信号で2000人から3000人が行き交うから、1日で50万人が横断することになる。(CYCLE やわらかスポーツサイト)

「それから、ラッシュ時間帯などで東京の人は、駅のホームできちんと並んで乗車する。降りる人を待ってから、乗る。日本人の譲り合いの精神がそこにある。海外ではみることがない。忍耐強く
順番を待って並ぶというのが、外国人から見て、日本人らしい独特のものに映る」(同)

「整列乗車だけじゃなくて、満員電車の車内にいるときも、扉が開いた時に、いったんホームに降りるという習慣がある。こうしたマナーはガイドブックにも載っていない。電車から降りたい人を行かせて、再び乗るというのが日本独特のマナー」
同プロジェクトでは、こうした東京マナーを「TOKYO GOOD」とし、東京全体をかたちのない美術館と位置づけて、「TOKYO GOOD MUSEUMの作品」として国内外へ発信していく。(同)


それ以外に、あの新津春子氏も「世界で最もキレイな空港」について話をされたようです。
たしかに、東京のいろいろな施設の清掃はレベルが高いのではないかと思います。



<リアリティの感じられない話>



10代の終わり頃からこういう状況を生活圏として暮らして来たのですが、あの人ゴミをよけながら歩いたり、圧死寸前の満員電車で通勤する私も「作品」にされてしまうのかと、ちょっと憮然としました。


たしかに通勤時間帯の人の流れはクールだと感じるけれど、あれはホームから人があふれそうな混雑の中でわずかの時間の差、競泳で言えば本当に指先のタッチの差ぐらいで1本電車を乗り過ごすと、ヘタをすると10分とか20分ぐらい出勤時間が変わってしまうことをみんな分かっているから、あの人混みの中で最大限の集団行動が自発的に生まれているのだと思います。


クールだなと思う半面、「ああ、なんだかどこぞの独裁政権国でマスゲームをさせられている労働者の気分」です。


「日本人の譲り合い」も自発的というよりは、朝晩、駅員さんたちが繰り返し放送をして協力を呼び掛けているからに他ならないし、それでも頑として動かない人がいるので、力づくで押し出しているのが現状。


「電車が来るので危険だから黄色い線から下がってお歩きください」「スマホを操作しながらの歩行は危険なのでおやめください」と何度も放送しているのに、無視しているひとたちもたくさんいます。
あの人混みに疲れていて、なんだか開き直っているように見えます。


どちらかというと昭和・平成の野蛮な通勤風景として博物館に展示するのがふさわしいのではないでしょうか。


スクランブル交差点も、あの商業地域一帯に車の進入制限をして、歩道を今の倍の広さにしたら、そしてところどころに疲れた人が休めるようにベンチがあったら、もっとゆっくりした気持ちで歩けるのにと、80年代の渋谷ののどかさを思い出しています。


それに、日本たばこ産業JT)もパートナーとしてこのプロジェクトに参加しているとのことですが、スクランブル交差点や渋谷や新宿近辺の大きな交差点周辺には必ず喫煙場所があります。
信号待ちの間は副流煙を吸うことになります。



「グッドマナー」だけなら現実はもっと違うよという反論で対応できそうですが、「東京グッドマナー」と言われるとこみ上げてくるこの気恥ずかしさはなんでしょうか。





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