フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

やる気のない若者たち

養老孟司さんの「逆さメガネ」に、籠の中で飼われたネズミの話があった。
水と餌を十分に与えられているので、ほとんど動こうとせず、腹を上にして寝そべっているという。
で、養老さんは毎日会う学生の姿がこのネズミのように見えてしかたがないのだ、という。
もし、学生などの若者たちからやる気が見えない、何をしたいのかわからないとするなら、その原因は衣食住を保証されているからに他ならないのだとか。
ニートとかひきこもりが存在するのは、何もしなくとも住まいも食べ物も与えられているからであり、それをやめれば即座にそのような存在はなくなると示唆されている。
実際、籠の中のネズミを外に出せば、あっという間に野生化し、自分で水と餌とねぐらを探すようになるのだそうだ。
ハングリーであれば、やる気なんか教育しなくとも自然と生まれてくるらしい。
何もかも、まわりの大人が用意している環境では、無理してやる気など出す必要を感じなくなるのだろう。
動こう、餌を探そうというのは、ある意味本能的なもののようだ。
それが壊れない限り、ハングリーな状態におけば若者はいくらでもやる気を出すのかもしれない。
それに近いことは「チーズはどこに消えた?」にもあった。
動物たちは、チーズがなくなれば自然と別な場所にチーズを探しに行く。
人間は、何故チーズがなくなったのか、これからどうして生きていけばいいのかと、しばらく頭の中で考え、少しも動こうとしないという話だった。
やる気の感じられない若者を歎く前に、社会が与えている恩恵について人々は自覚しないといけないと私は養老さんの言葉から教えられた。
何もしなくとも不自由がない若者が、私はこうしたい、ああしたいと心から思うはずもなし、ということかもしれない。
〜になりたいとは思いますが、ものすごく無理してなりたいと思っているかというと自信はありません。
そんな台詞も彼らから聞こえてきそうである。
そりゃ、そうだろう。
人間も動物の一種である以上、満ち足りた状態でハングリーになれと言われても無理なのだ。
それでも無理矢理若者達をハングリーな状態にすることはできるが、何かきわめてゼイタクなハングリーになりそうである。