「医疾令」という医療制度下における古代日本の医療水準:丸山裕美子『日本古代の医療制度』(1998)
丸山裕美子「終章 『医心方』の世界へ――天平9年の典薬寮勘文と太政官符」『日本古代の医療制度』名著刊行会、1998年。
- 作者: 丸山裕美子
- 出版社/メーカー: 名著刊行会
- 発売日: 1998/05/01
- メディア: 単行本
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古代日本の医療制度を規定していたのは、律令の一篇目であった「医疾令(いしつりょう)」であるが、現在では日本・唐のそれはともに現存していない。本書は、それらをまず可能な限り復元し、その内容に検討を加えることからはじまり、その後、その医療制度のもとでどのような医療をめぐる風俗や習慣が育まれていったかを正倉院文書などを用いながら描き出している。本書における著者の主たる議論は、「医疾令」という医療制度が設立していたからこそ、その後数世紀にわたって一定程度の医療水準が保たれたことを主張することにある。
「終章 『医心方』の世界へ」では、天平9(737)年に天然痘が大流行した時期の医療水準について検討がおこなわれている。この未曾有の疫病流行により多くの者が犠牲になったが、それに対し朝廷は賑給や大赦などの施策をおこない、典薬寮や太政官は疱瘡の対処法を提示している。まず、典薬寮のケースでは、その勘文(上申文書)である『朝野群載』にはそれへの処方箋が記された文書が残っている。そこにある24条の処方のうち18条が、永観2(984)年に撰進された『医心方』と同じ諸諸を参照していることから、既に8世紀前半において、現存する日本最古の医書『医心方』と同レベルの医療水準にあったことが指摘されている。典薬寮勘文が五位以上官人を主たる対象にしていた一方で、太政官符の『類聚符宣抄』には諸国の百姓に向けた疱瘡への対応策が提示されている。その対象が民衆であったためか、典薬寮勘文とは異なり、そこには具体的な薬の処方が全く記されていない。このことから、太政官符『類聚符宣抄』が典薬寮勘文『朝野群載』を参照してつくられたという先行研究の議論が、誤っている可能性が指摘されている。
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