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2015-03-02 【読書感想】チャイナハラスメント: 中国にむしられる日本企業

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内容紹介

詐欺的な契約、デタラメな規制、利用される「反日」……。「無法国家」でのビジネスに未来はない! 改革開放以来30年の変遷を見てきたスズキの元中国代表が、中国人ビジネスマンの頭の中と共産党の思考回路を徹底解説。


内容(「BOOK」データベースより)

世界シェアトップのトヨタの販売台数が、なぜ中国ではGMの三分の一なのか。そこには「チャイナハラスメント」とでも呼ぶべき巧妙な嫌がらせが関係している。反日に傾く世論を気にする共産党にとって、中国に進出した日本企業は格好の標的なのだ。改革開放以来三十年の変遷を見てきた著者が、中国人ビジネスマンの頭の中と共産党の思考回路を徹底解説。中国ビジネスに求められる「冷徹な戦略」も詳述する。

 この新書を書店で見かけたときの率直な印象は「内容に興味はあるのだけれど、こういう『嫌中・嫌韓』系のタイトルの本って、偏見に満ちあふれているような感じがするし、引きずられないように注意すべきなんだろうなあ……」だったんですよ。

 一度は手にとったあと書架に返したのですが、やっぱり気になったので、後日読んでみました。

 

 私はこれまで多くの講演会に招かれ、中国に関する話をしてきました。講演を聴かれた企業幹部と話をすると、その多くの方が「中国ビジネスを行う上での基礎的な知識を欠いていた」と吐露されました。

 本書では、こうした心情にお応えするため、日本企業が中国ビジネスを展開するに際して知っておくべきポイントを具体的に指摘してあります。事前に一言だけ申し上げるとすれば、「日本人と中国人は、あまりにも違った人たちであり、もし関わろうとするのならば相当な覚悟を持って臨むべきである」ということです。その覚悟がないのならば、中国と関わるべきではありません。中国は人口が多くて市場がありそうだとか、人件費が安そうだ、日本企業が多く進出しているから何とかなりそうだなどの単純な理由で進出するのはもってのほかです。

 この新書、中国で30年来仕事をし、自動車メーカー・スズキの元中国代表なども歴任してきた著者による、「中国で日本人が仕事をしていくことの難しさと、著者なりのノウハウについて述べたもの」なんですよね。

 中国人ビジネスマンや役人たちが「一筋縄ではいかない人達」であることが赤裸々に描かれているのですが、相手を不当に貶めているというよりは、「相手の術中にハマって泣き寝入りする羽目に陥らないための貴重なアドバイス集」です。

 あまりにも日本の商習慣とは違いすぎる中国でのエピソードを読むと、「この国で仕事をするのは大変そうだなあ」と思わずにはいられないのですけど。


 中国人ビジネスマンは二つの倫理観を持っています。一つは自分が所属する内組織のなかでの倫理で、これは「人を騙してはいけない」とか「約束を守る」といった、我々と同じ倫理です。

 もう一つは、外組織の人間に対する倫理で、この倫理が適用される相手には、約束を守らなかったり契約を反故にしたりすることも悪いことだと考えません。それも「交渉の一部」だと考えるのです。いうまでもなく、日本人ビジネスマンはすべて「外組織」の人間ですから、中国人ビジネスマンと交渉する際には「交渉の手段として相手はウソをついてくることもある」ということを片時も忘れるべきではありません。

 中国では、交渉相手に気持ちよく接して親切にする一方で、商品にとんでもなく高い値段をつけたり、客に黙って欠陥商品を売りつけたりすることは、倫理に反することにはならないのです。交渉相手や客は「外組織」の人間だからです。中国のデパートの電気製品売り場などで、客がその電気製品を実際に通電させて、機能を確認して購入する姿をよく見かけるのは、そういう事情があるからです。

 中国で生活していると、偽札が非常にたくさん出回っていることに気づきます。なぜ偽札が多く出回っているかと言えば、偽札と分かっても、中国人はそれを警察に届けずに使ってしまうからです。警察に届け出れば偽札が没収され自分が損をします。自分が騙されたのなら、誰かを騙し返すわけです。偽札を掴まされたのなら、掴まされたほうが悪いのです。

 車を購入するときも同じような光景に出くわします。あるとき、地方の販売店を訪問していたら、販売店の社員が展示台に陳列してあった車を陳列台から下していました。展示品の入れ替えをするのかなと思っていたら、なんと「この車が売れたから展示台から下している」というのです。同色で同じ仕様の車が倉庫にあるのだからそれを渡せばよいのにと思いましたが、中国ではそれが通用しないのです。お客さんは販売店を信用していないので、倉庫の車を購入すれば何かの部品を変更されるだろうと考えているのです。

 日本では「展示車」といえば、少し値引きされるのが通例だと思います(すごく品薄の車であれば別かもしれませんが)。いろんな人が触ってきているから、と。

 ところが、中国人は、「目の前にあるものしか、信じられない」

 実際のところ、それは民族性というより、共産党一党支配のもと、さまざまな不正行為がまかり通ってきた歴史を経ての人々の生活の知恵、みたいなものだとは思うのですが、「騙されるほうが悪い」という相手との交渉は、「性善説」的な商取引を理想とする日本人にとっては、かなりストレスがかかるのです。


 中国のある地方の会社を訪問したときの事です。我々の一行6名がソファーに座り、その会社の幹部と商談をしていると、女性が飲み物を運んで来てくれました。彼女が、お盆に乗せた飲み物のコップの一つを渡そうと腰をかがめた時、お盆の上に載っていた他のコップが滑り落ちてしまいました。それらのコップは、正面に座っていた我々訪問団の団長の太腿の上に落ち、ズボンがびしょ濡れになりました。

 そのとき、彼女は何と言ったと思いますか?

 当然、「すみません」とは言いませんでした。「すみません」の代わりに「私が悪いのではありません。足元の絨毯が少しずれて高くなっていました。それに足がかかりつまづいて、コップがずれでこぼれたのです。床を掃除する係が悪いのです」と、スラスラと言い訳をしたのです。

 中国では、彼女の対応が正しいのです。日本人であれば開口一番「すみません」と言ったことでしょうが、中国人の「すみません」は「責任を取ります」と同義語ですから簡単には口に出せないのです。


 この新書を読んでいると、中国人のビジネスの世界での「とにかく自分の側が良ければいい」という考え方に、うんざりしてくるのです。

 本を読んでいるだけの僕でさえそうなのですから、現場でやっている日本人ビジネスマンは、たまらないだろうなあ、と。

 ただ、彼らが悪人というわけではなくて、いまの中国の制度上、結果を出さないと、すぐに引きずりおろされてしまうので、なりふり構ってはいられない、という面もあるのです。

 みんながエゴイスティックに自分の利益を追求しているなかで、それに逆らうのは難しい。

 単に「できない人」と見なされてしまうだけだから。


 著者は、「中国人ビジネスマンとの交渉術二十箇条」をこの本の第六章で紹介しています。

 そのなかには、こんなものもあるのです。

第十四条 サインするときには文章を確認すること

 中国側が最も得意とする、文章の改竄や挿入、付け足しが起こっているかもしれませんので、必ずサインをする前に確認してください。読み合わせの確認を怠って、泣き寝入りした企業は数えきれません。一旦サインしてしまえば、訂正はききませんので念には念を入れて文章を確かめてください。2〜3か所の改竄や挿入、付け足しは普通にあるものです。


 「普通にあるものです」って……

 なんだかもう、これを読んでいるだけで、うんざりしてきます。

 

 そもそも、日本企業にとっては、反日デモ共産党との関係など、中国で仕事をすることのリスクが大きく、中国の経済成長に伴って賃金などのコストも上がってきているので、生産拠点を置くことのメリットは少なくなってきています。

 日本企業にとっては、「これから中国で新しく何かをはじめる」時代ではなくなってきているのです。

 とはいえ、いくら政治的にはギクシャクしているとはいえ、経済的には切っても切れない関係ではあるんですよね。

 日本の、とくに九州の観光業にとっては、中国からの観光客というのは、大きな割合を占めてもいます。


 正直、この新書を読んでいると、「生半可な気持ちで、中国で日本企業がやっていくのは難しいよなあ、というか、そこまでして、中国に行く必要は無いのでは……」と思えてくるのです。

 これから中国で働くかもしれない人は、一度目を通しておいたほうが良い新書じゃないかな。

 「実際はこんなにひどくない」のなら、それに越したことはないのだから。

 

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2015-03-01 【読書感想】幕が上がる

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幕が上がる (講談社文庫)

幕が上がる (講談社文庫)


Kindle版もあります。

幕が上がる (講談社文庫)

幕が上がる (講談社文庫)

内容紹介

映画化決定! 主演ももクロ・監督本広克行

2015年2月28日全国公開!


小っちゃいな、目標。行こうよ、全国!

すべてはその一言から始まった。高校演劇は負けたら終わり。

男子よりも、勉強よりも大切な日々が幕を開ける。


「もっと言いたい。死ぬほど稽古したい。」

「どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。」

「夢だけど、夢じゃなかった!」

「カンパネルラ! また、いつか、どこかで!」


地方の高校演劇部を舞台に、少女たちの一途な思いがぶつかり、交差し、きらめく。

劇作家・平田オリザが放つ初めての小説は、誰もが待っていた最高の文化系青春ストーリー!


 「ももクロ」こと、「ももいろクローバーZ」のメンバーが主演するということで、最近テレビのバラエティー番組で、この小説を映画化したものが宣伝されまくっています。

 僕は「モノノフ」(ももクロのファンのことを、こう呼ぶそうです)ではないのですが、この小説を書いた平田オリザさんの新書『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』には、すごく感銘を受けたんですよね。

 で、その平田さんが、どんな小説を書いたのか、気になりつつも、「高校演劇の世界か……それはちょっと、僕にとっては守備範囲外だな……」と手にとっていなかったのです。

 でも、せっかく映画化され、Kindle化もされたことだし、と読んでみました。


 うん、これは良い、というか、あの平田オリザさんが書かれたものであれば、セリフとかもちょっと異質な感じの小説なのかな、と思っていたのに、ド直球の青春演劇部ドラマだったことに驚きました。

 こういう文化系高校生の作品、どこかで読んだことがあったんだけれどなあ……『船に乗れ!』もこんな感じだったような……

 部長であり、シナリオ・演出を手がけている高橋さおりの視点から、あるきっかけで一念発起し、全国大会をめざすことになった「これまでパッとしなかった演劇部」の1年間を描いた作品なのですが、ほんと、アツいんですよこれ。

 僕自身は、人前で積極的に何かをやろうとか思ったことのない人間なので、なんであえて「演劇」とかを部活としてやろうと思うのだろう?よっぽど目立ちたがりやの集団なんじゃないの?とか考えていたのですが、これを読んでいると、「もし自分がいま高校生だったら、演劇、ちょっと、やってみたいと思ったかもしれない……」と。

 ドロドロした人間ドラマじゃなくて、恋愛絡みの話もほとんどみられず、「人はなぜ演劇という『なくても困らないもの』に惹き付けられてしまうのか?」が丁寧に描かれている小説、なのです。

 演じるというのは、天性の才能とか、情熱みたいなものが重要だと思われがちだけれど、そこにはロジックがあり、演出家と役者、そして観客との駆け引きがある。


 ところどころに、さりげなく「演出家・平田オリザの視点」みたいなのが見えるのも、興味深いのです。

 高校演劇で、やたらと老け役のうまい女の子とか、男の子役を演じるのがうまい子とかがいる。でも、ちょっと考えれば分かることだけれど、そんな目先の器用さは、プロではちっとも通用しない。プロでは、宝塚でもない限り、男の役や男の人がやればいいし、おばあさんの役はおばあさんの俳優さんがやればいい。「若いのにおばあさんの役がうまい」といったからって、誰も褒めてはくれない。

 こういうのって、「言われてみれば、そうだよなあ」という話なのですが、素人目には、「老け役がうまい子ども」って、「演技の才能があるのでは!」とか、思ってしまうのだよなあ。


 吉岡先生はよく、「リアルとフィクションの境目」と言う。それを曖昧にして、観客に、本当だか嘘だか分からなくする。全部を本当のことだけで構成しても、それでリアルになるとは限らない。

 この小説を読んで、「年に1回の大会に賭ける」高校演劇のシステムは理解できたのだけれど、率直なところ、平田さんが女子高生の内心にどのくらい近づけているのか、というのは、僕にはわからない。

 ある意味、「演劇以外のところは、削ぎ落としてしまいすぎている」のかもしれない。

 ただ、高校演劇っていうのは、こんなにアツい世界なんだなあ、ということだけは、すごく伝わってきます。

 むしろ、映画版では、この高校生たちを、そんなに年齢が違わない「ももクロ」のメンバーが演じることによって、小説よりも、「内面的なリアリティ」が付加されるのかもしれないな、とも思うのです。

 原作を読んで、映画も、ちょっと観てみたくなりました。


 あまりにキレイにまとまりすぎている感はありつつも、ラストまで一気読み。

 こういう「瑞々しさ」みたいなものに、たまには触れてみるのも良いんじゃないかな。


 子どもが生まれてから、ずっと行ってなかったのだけれど、久々に、舞台も観に行きたいなあ。

 

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2015-02-28 【読書感想】脱法ドラッグの罠

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内容(「BOOK」データベースより)

二〇一四年七月、厚生労働省と警察庁により「危険ドラッグ」と名称を改められた脱法ドラッグ。街で容易に入手でき、事件・事故が相次いでいるが、法規制をくぐりぬけ、十数回モデルチェンジを繰り返し進化した脱法ハーブは、覚せい剤よりも危険だとされている。このドラッグが若者中心に中高年まで関心を惹きつけている主な理由の一つは、セックスでの快楽。問題を理解する鍵は、「脱法」という言葉にある。本書では、関連業者に取材を重ね、製造工場にまで潜入。初めて脱法ドラッグ問題の全貌を明らかにした、緊急書き下ろし出版。


 「脱法ドラッグ」とは、どんなものなのか?

 こういう「法に触れそうな(あるいは触れている)危険なクスリ」って、「興味や縁がある人は、ドップリと漬かっている一方で、大部分の人はまったくその実態を知らない」というのが現実だと思います。

 僕は後者側から、「やりたい人が勝手にやって破滅していくのは、社会としては望ましいこととは思えないけれど、自分がそこに積極的に介入していきたいという気分にはなれないな、怖いし」という目線で、この脱法ドラッグをみてきました。

 しかしながら、このようなドラッグを使用した人が車を運転し、子供を含む、多数の死傷者が出るような事故が起こっているのをみると、「自分の子供が、そんなドラッグ野郎に轢かれるようなことはあってはならない」と思いますし、そのためには、もっときちんと規制してもらいたい、と考えるようになりました。

 

 ちなみに、2015年2月の時点では「危険ドラッグ」という呼び方が一般的なのですが、著者はこの薬物の問題点を浮き彫りにするために、あえて「脱法ドラッグ」という言葉を用いています。


 私が本格的に脱法ハーブについて取材を始めたのは、2011年、ちょうど東日本大震災の直前あたりだった。その頃、脱法ハーブは「合法ハーブ」と称され、繁華街の雑貨店や通信販売などで購入できるようになりつつあり、大麻愛好者の間で密かに話題になっていた。

 そもそも、もともと「安全」であることが前提であるものに対して、「合法○○」なんていう名前がつくわけがないんですよね。

 「合法ラーメン」とか、「合法自転車」とかいうのは存在しない。

 逆に「合法」であれば、自分自身の健康や、ドラッグの影響で周囲に迷惑や危険を及ぼす可能性のあるものでも、「使っていい」のか?

 著者は、その境界について、この新書のなかで考え続けています。

 いまの世の中って、「でも、違法じゃないだろ?」と、危険なこと、他人に良くない影響を与えることが容認されたり、その「違法でないギリギリのところ」を突くことが賞賛されたりしがちになっていると、僕も思うのです。

 

 著者は、ハーブを売っている店で取材をしたり、製造工場に入ったりもしています。

 こういう取材って、けっこう怖いだろうな、と思いつつ、ちょっとドキドキしながら読みました。

 ただ、「脱法ハーブ工場」が、そんなにおどろおどろしいところではなく、家内制手工業の、小さな工場、みたいなところだったのは、意外だったんですけどね。

 働いている人たちも、「仕事」として、淡々と「脱法ハーブ」をつくっているようでした。

「悪いものをつくっている」という後ろめたさみたいなものはそんなになくて、「使う人の責任だから」と、丸投げしてしまっているような感じです。

 もしかしたら、もっとイリーガル感満載の工場も、あるのかもしれませんけど。


 僕は「もっとどんどん法で規制して、『脱法ドラッグ』を根絶してほしい」と思っていました。

 ところが、これを読んでいると、「ある成分を規制して違法にすればいい」というものでも無いようです。

 既に述べたように、脱法ハーブはヨーロッパで「偽大麻」「合法大麻」と呼ばれ流通した新種のドラッグから派生したものだといえる。偽大麻とはそのまま「大麻(マリファナ)の偽物」という意味だが、厳密に言えば、大麻に含まれる自然の陶酔成分を模倣し、科学的な合成により作り出された「大麻みたいなもの」を指す。

 この大麻に含まれるような陶酔成分こそが、脱法ハーブの主成分だが、なぜこのような成分が生み出されたかといえば、正当な理由がある。

 日本では栽培や所持が厳しく規制されている大麻であるが、諸外国では少し事情が違っている。「医療大麻」という存在は日本人にとって馴染み深いものではないが、アメリカやヨーロッパ、南米などの地域では医療目的の大麻使用は合法か、もしくは非犯罪化が進んでおり、その研究も盛んである。

 ここで、私が以前取材した脱法ハーブ販売店の言葉を思い出したい。新宿・歌舞伎町で脱法ハーブを販売していた彼は、私に脱法ハーブはやはり危ないものだと漏らした。最初は大麻の代用品として気軽に楽しんでいた脱法ハーブが、その後得体の知れない物へと変化していく過程を見て、彼は恐ろしくなったのだった。

 規制されれば自ずと消えていくと思われた脱法ハーブは、なぜか規制後も堂々と販売され続けた。「いたちごっこ」の状態に陥っていたからであるが、その規制後にも販売され続けている脱法ハーブは、それまで売られていた脱法ハーブとは全くの別物だった。

 規制される度に化学構造が少しずつ組み換えられ、元々は医療目的用の「合成カンナビノイド」であったはずの脱法ハーブは、どんどん訳のわからないものになっていく。包括指定のような大きな規制のタイミングでは、その化学構造は大きく手を加えられてほとんど別物になるか、全く別の化学物質が代用される。さらに変化を遂げた脱法ハーブの成分が何なのか、製薬会社も製造業者も販売店も、末端で使用する人間も誰もわからない。摂取によりどんな副作用が出るかもわからないから、脱法ハーブの吸引で体調を崩し、病院に担ぎ込まれた患者がいても、医師すら適切な対処法がわからない。

 規制すればするほど、その網の目をくぐるように成分が「改変」され、初期の「大麻のようなもの」から、かけ離れていってしまうのです。

 そして、同じ「脱法ハーブ」でも、別の化学物質になってしまえば、効果も違うし、中毒になった場合の対処法も違ってきます。

 極論すれば「大麻」であれば、長年使われてきたものであり、その効果や何かあったときの処置についても、ノウハウがある程度確率されています。

 ところが、まったく別の科学物質となると、使用者の身体に致命的な副作用をもたらす副作用や、異常行動などが起こってくる可能性が大きくなるのです。

 そもそも、「治験を行って安全性を確認している」わけでもないのだから。

 規制すればするほど、タチが悪いものになっていくのだけれど、だからといって、堂々と許可するわけにもいかない。

 これはもう、ジレンマだとしか言いようがありません。

 医療の現場では、癌の痛みなどに対して、「麻薬」が必要不可欠なのも事実です。


 ちなみに、神奈川県警のHPには、危険ドラッグ乱用者の事件・事故が色々とあげられている。

 上半身裸の男が小学校に乱入して小学生を追い掛け回した/3階の自分の部屋から飛び降りて、下半身裸になり付近の塀やフェンスを壊し、自分がした大便を食べた/親から身体に異物を入れられたと思い、包丁で自分の腹を切り腸を引っ張り出した後、裸で街中を走り回った……。

 にわかに信じられないかもしれないが、こんな恐ろしい事が私たちの住む国で現実に起きているのである。

 恐ろしい、というか、「もし自分がそんなになってしまったら、その後生きていくのがつらいだろうな……」と考えずにはいられません。

 

 脱法ドラッグの怖さを、あらためて認識させられる新書でした。

 しかしながら、「これを撲滅するには、どうすればいいか」というのは、難しい。

 脱法ドラッグをやるような人の大部分は、こういう新書は読まないだろうし……

 

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2015-02-27 【読書感想】スピーチライター

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Kindle版もあります。

内容紹介

「Yes, we can」、「悪の枢軸」、「バイ マイ アベノミクス」など、

誰もが一度は聞いたことがあるこれらのフレーズは、スピーチライターによって創られたものだった! ?


2008年のアメリカ大統領選挙でオバマのスピーチライターたちが活躍して以降、日本でもスピーチライターの活躍に注目が集まりはじめている。


20世紀初頭に登場したスピーチライターが、なぜ今日本で注目を集めるのか?

スピーチライターとは一体何者で、どんな役割が期待されているのか?

実際に、スピーチライターはどのように原稿を書くのか?


日本に突如現れた謎の職業について、

スピーチライターとして第一線で活躍する著者が、その全貌に迫ります。


「スピーチライター」という仕事が、近年急速にクローズアップされてきたように思われます。

 オバマ大統領の演説は、若いスピーチライターによって書かれている、という話は聞いたことがあったのですが、これまでの僕のイメージでは「陰の存在」だったんですよね。

 そういう人がいるのだとしても、表に出てくるのはいかがなものか、と。

 芸能人本を実際に書いているライターのように、「暗黙の了解であっても、あえてそこには触れないでおこう」というか。

 しかしながら、最近は「そういう人が実際にいるのならば、むしろオープンにして、その情報込みで判断しても良いのではないか」と考える人が増えてきたのかもしれません。

 あの佐村河内氏の「ゴースト」であった新垣隆さんは、人柄もあって、かなり世の中に受けいれられているみたいですし。


「Yes, we can」、「悪の枢軸」、「バイ マイ アベノミクス」など、誰もが耳にしたことのあるこれらのフレーズは、実はすべてスピーチライターが書いたものです。もちろんこれらの言葉を語ったのは、バラク・オバマであり、ジョージ・W・ブッシュであり、安倍晋三です。しかし、これらの言葉を生み出したのはアダム・フランケルであり、デービッド・フラムであり、谷口智彦らスピーチライターたちなのです。

 スピーチライターとは、スピーチ原稿を話し手本人に代わって執筆する職業のことです。ゴーストライターであるという側面もあり、本来あまり注目を集めるような職業ではありません。人の書いた原稿をリーダーとみなされている人物が読み上げる姿は、黒幕に操られている操り人形のように見えて、あまりよい印象を与えません。ですから、スピーチライターが話し手に代わって原稿を書いていることは、秘密にされるべきことなのです。

 しかし奇妙なことに、近年このスピーチライターに注目が集っています。

 筆者は2006年から、スピーチライターの仕事をしていますが、当時はまだスピーチライターという職業は日本ではまったく認知されておらず、仕方なくスピーチコンサルタントなどと名乗って仕事をせざるを得ない状況でした。

 この状況が一変したのは、2008年11月に行われたアメリカ大統領選挙で、当時弱冠27歳でオバマのチーフスピーチライターを務めたジョン・ファブローら若いスピーチライターたちが活躍したことがきっかけでした。「Yes we can」というフレーズは、ファブローと共にスピーチライターとして仕事をしていた当時26歳のアダム・フランケルの業績です。


 現実的に考えて、頻繁に行われる大統領や首相のスピーチを、すべて本人が書くのは無理ですよね。

 それだけが仕事ならともかく、スピーチというのは、彼らの仕事のごく一部でしかありません。

 僕などは、結婚式のスピーチを頼まれるだけで、心配になって、1ヵ月間くらいあれこれと逡巡してしまいます。

 ただ、その一方で、首相の国会答弁で、官僚から渡された書類を棒読みする閣僚をみて、「官僚に操られているみたいだ」と感じるのもまた事実です。

 みんな「実情はわかっている」のだけれど、「そのへんはうまく騙してほしい」、それが、スピーチライターの存在なのかもしれません。


 日本では、かつてスピーチライターの仕事は、結婚式のスピーチを代筆するウェディングスピーチライターの仕事が主でした。しかし、結婚式でのスピーチというのは、それほどリターンが発生しません。よほどの苦手意識があれば、執筆を依頼するということはあるかもしれませんが、通常は苦手でも自分でやります。

 では、どういうシーンでスピーチライターが必要になるかというと、政治やビジネスにおけるスピーチやプレゼンテーションです。

 首相の所信表明演説や施政方針演説、国際会議、外遊先でのスピーチなどは、社会に大きな影響を与えるため、スピーチ原稿作成に多大なエネルギーが割かれます。首相は、外交に関わる演説だけで、多いときには1ヵ月で10本程度スピーチをこなさなければなりません。その他すべてのスピーチを含めると毎日のようにスピーチをしなければなりませんから、専属のスピーチライターなしにスピーチをし続けるというのは、ほとんど不可能です。その一つひとつをすべて自分で書いていては、公務に支障が出てくるはずです。

 ビジネスプレゼンテーションの成功は、金銭的なリターンを直接もたらしてくれます。売り上げを上げることを使命とする企業にとって、プレゼンテーションはとても大切な仕事です。また、NPOなどの非営利組織でも、募金活動を成功させるためにプレゼンテーションが欠かせません。それらをサポートするのがスピーチライターの大切な仕事になっています。


 著者は、日本を代表するスピーチライターのひとりで、この新書のなかで、スピーチライターの実際の仕事について紹介しています。

 「スピーチライター」なのだから、感動的な文章、伝わる文章を書ければ良い、のかと思いきや、仕事は「原稿書き」だけではないのです。


 スピーチライティングの依頼があって、真っ先に取り組むことになるのが業界の情報を収集することです。ウェブサイトを検索して読み込むほか、クライアントの著書や専門書を書店で十数冊購入してきて読みあさります。

 まず、購入してきた書籍の中で、クライアントの著書およびクライアントの意見に近い専門書を優先して読み込みます。これがとても大切で、この作業をしておかないとクライアントを満足させることがとても難しくなります。クライアントは、自分の話したこと以上の内容を原稿に望みます。ですから、クライアントの考えに近い書籍を読み込むことで、クライアントの考えや背景を自分のものにしておかなければなりません。

 ファブローも、オバマの著書を読み込んで、オバマの考えを自分のものにするために努力をしています。クライアントの考え方を自分のものにするという作業は、スピーチライティングの基本中の基本です。

 また、クライアントと反対意見を持つような専門書もよく読んでおく必要があります。クライアントのスピーチに対して、どのような反論が予想されるかを頭に入れながら原稿を書いておかないと、反論に対してまったくなす術がなくなってしまうことがあるからです。

 スピーチライターを雇うような人たちというのは、それなりに社会的な地位があり、発言に影響力があるので、ただ「感動的であればいい」わけではなくて、専門的な内容に踏み込まなくてはならないことも多いし、「失言」は許されません。

 内容が問題になったとき、「あれは、スピーチライターが書いたんだ」と言い訳をするわけには、いかないんですよね。

 さまざまな下調べをしてクライアントを満足させる原稿をつくり、実際のスピーチでの喋りかたやスライドの作成、当日の衣装や照明などの演出面でのアドバイスなど、その仕事は多岐にわたるそうです。

 そして、「スピーチの内容が優れている」だけじゃ、ダメなんですよね。

 スピーチをする、その人「らしさ」みたいなものがないと、その人が壇上に立つ意味がない。

 逆にいえば、「Yes we can」には、「オバマらしさ」があり、あのフレーズをオバマさんが言ったからこそ、ここまで広まったのです。

 スピーチライターの仕事というのは、むしろ「演出家」に近いと、著者は述べています。


 この新書のなかでは、著者がある企業の新しいトップの就任スピーチの依頼を受けたときの仕事の様子が紹介されているのですが、「スピーチをうまくやる」というのは、けっして簡単なことではないのだな、とあらためて思い知らされます。

 どんなに能力がある、面白い人でも、人前で話すとなると、どうもうまくいかない、というケースは、少なくないようなのです。

 それを「なんとかする」のも、スピーチライターの仕事なんですね。

 

 著者は「優れた講師の圧倒的な説得力というのは、実際に生でみなければわかりません」と述べています。

 ワタシのスピーチに対する印象を大きく変えたのは、学生時代に聴いた、日本を代表するボイストレーナーの講師の講演会でした。講師の知性的で品のあるよく通る声が印象に残っています。内容はボイストレーニングについてだったにもかかわらず、難しい概念論ばかりで驚きましたが、どの言葉もすごく説得力があるように感じられました。

 このときはじめて、本当の意味で声の力のすごさを思い知りました。知的にも身体的にも訓練された声は、それだけで心を揺さぶる力があるということを、講演に参加することで学ぶことができたのです。これは自分が実際に参加して、生の声を聴いたから学べたことであって、映像を見たり、本を読んだりしてもなかなかわからなかったはずです。

 また別の関西弁を話す経営コンサルタントの講師は、ビジネスのコツについて全身を使って話していました。その躍動感のある話し方はとても勉強になりました。

 朴訥とした静かなしゃべり方の講師もいました。表情は乏しく、身振りもほとんどないのに、その言葉の一つひとつが心に深く刺さるすばらしい講演でした。豊かな表情や大きな身振りは一切ないのに、胸を打つ話し方を見て、表現とは何かを改めて深く問い直すきっかけになりました。

 講演に参加して不思議な体験をしたこともあります。言っていることが論理的にはよくわからないのに、強い使命感に支えられた言葉に感動してしまったのです。その時に、スピーチは論理だけではないことを思い知りました。

 あるいは、あえて難しい言葉を駆使して、聴く者を圧倒する講師もいました。わかりやすく伝えることの意味を考えさせられました。

 一般的な話し方の教科書には、笑顔が大切です。ボディーランゲージを使いましょう。わかりやすく話しましょうと書いてあります。しかし、私が実際に見て衝撃を受けた講師は、もちろん教科書に近い話し方の講師もいましたが、教科書とはまったく違う話し方をするスピーチの達人が山のようにいたのです。


 これを読んで、スピーチに「王道」というのは無いのだなあ、と考えずにはいられませんでした。

 「良い人」「面白い人」にも、さまざまなタイプがいるのと同じように。

 スピーチのテクニックというのはいろいろあるし、声が小さくて何を言っているのかわからないとかいうのは論外なのでしょうけど、「正解」はひとつではないのです。


 ちなみに、著者は演劇をずっとやっていて、それが今の仕事にはすごく役に立っている、と仰っています。

 また、今の日本でスピーチライターになるには、企業の広報担当者や秘書、政治系志望であれば、選挙コンサルタントから、というのが一般的なのだそうです。

 たしかに、どこの馬の骨だかわからないような人に、いきなり大事なスピーチを任せてくれる偉い人がいるとも思えませんよね。


 アメリカでは、1本数十万円が当たり前で、各国の首脳や世界的なビジネスリーダーが出席するダボス会議など国際的に重要な会議のスピーチライティングともなれば、1本あたり400万円以上します。にもかかわらず、リピーターが多数存在します。

 これだけの報酬に見合った価値が、そのスピーチにはある、と見なされているわけです。

 

 「文章がうまい人が、カッコいいことを書けばいいだけ」だと僕は思っていたのですが、かなりの技術と専門性を要する仕事なのですね、スピーチライターって。

 読んでいて、通訳の仕事に近いという印象を受けました。


 この仕事に興味がある人、頼んでみようかな、と思っている人は、読んでみる価値がある新書ですよ。

2015-02-26 【読書感想】億男

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億男

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億男

億男

内容(「BOOK」データベースより)

宝くじで3億円を当てた図書館司書の一男。浮かれる間もなく不安に襲われた一男は、「お金と幸せの答え」を求めて大富豪となった親友・九十九のもとを15年ぶりに訪ねる。だがその直後、九十九が失踪した―。ソクラテスドストエフスキーアダム・スミスチャップリン福沢諭吉ジョン・ロックフェラードナルド・トランプビル・ゲイツ…数々の偉人たちの“金言”をくぐり抜け、一男の30日間にわたるお金の冒険が始まる。人間にとってお金とは何か?「億男」になった一男にとっての幸せとは何か?九十九が抱える秘密と「お金と幸せの答え」とは?


「2015年ひとり本屋大賞」5作品め。

 川村元気さんは、前作『世界から猫が消えたなら』も「本屋大賞」にノミネートされていたのですが、その際の僕の感想の一部を再掲します。


薄い、あまりにも薄っぺらいぜこれは……

なんか、数学的理論をもとにプレイヤーを夢中にさせ、課金するソーシャルゲームと同じような「あざとさ」を感じてしまう。

もっとさ、書き手の側の迷いとか、ためらいとか、怒りとか、苛立ちとか、そういうザラザラしたものが感じられる小説のほうが、僕は好きです。

なんか「感動させる小説ツクール」かなんかで書かれたような気がするんだよこれ。


 率直に言うと、この『億男』も同じ、なんですよね。

 ディテールを言えば、そう簡単に宝くじなんて当たらないし、三連単も当たらないし、「お金」について語るには、あまりにもフワフワしたファンタジーになりすぎているのではないか。

 要するに、「自己啓発本」みたいだな、と。


 ただ、『世界から猫が消えたなら』よりは面白かったし、続きが気になって最後まで読めました。

 そういう意味では「お金の話」っていうのは、やっぱり、人を惹きつける力があるのでしょう。

 それに、こういう「わかりやすさ」みたいなもの+「有名人推薦」みたいなのが、いまの世の中の「読まれる本」には必要なのかな、とも思ったんですよね。

 

 いくつか、考えさせられるフレーズもありましたし。


 僕らは何が欲しいか分からずに欲しがったり、失ったりしている。皆が必死になって書き出している夢。世界一周。大きな家。幸せな家族。でも実は行きたい場所なんてどこにもないのだ。ここではないどこか、を求めているだけ。お金がそれら茫洋とした夢や欲望に、姿かたちを与えてくれると期待しているだけなのだ。

 みんな、「お金が欲しい」のだと思います。僕だって欲しい。

 でも、よくよく考えてみると「お金があったら、何がしたいか」という具体的なイメージって、あまり浮かんでこないんですよね。

 そりゃ、大金持ちになったら、競争馬でも持って、ダービー制覇を目指したい、とか、自家用ジェットで好きなところに行ってみたい、なんていうのもなくはないんだけれど、それが「本当にしたいことなのか?」と言われると、そうだと言いきる自信はあまりないのです。

 実は「お金が欲しい」というのは、「お金があれば、幸せになれるのではないか」という、わかりやすく、そして、あまりにも漠然とした希望のかたちなのかもしれません。

 もしかしたら、自分には何も欲しいものがないから、それを思い浮かべることができないから、とりあえずの「万能薬」として「お金」を欲しがっているふりをしているだけではないのか?

 本当に欲しいものは、お金「だけ」では買えないことはわかっているのに。

 

 この本を読みながら、僕は小学校のとき担任だった先生のことを思いだしていました。

 その先生は、今の僕と同じくらいの年齢だったのですが、始業式の日、教室にいる僕たちを見渡して、こう言いました。

 私は、みんなの「あれが欲しい」という目が好きなんだ。

 当時、小学校低学年だった僕は、それを聞いて、内心「そんな欲望をギラギラさせた目をした人間って、怖いというか、はしたないのではなかろうか」と感じたんですよ。

 そういうことを、先生が言っても良いのだろうか?と。

 もちろん、口には出せなかったけれども。


 でも、この本を読んでいて、その先生が言いたかったことって、「あれが欲しい、という気持ちは、人間にとって、生命力や進歩の源なのだから、それを恥ずかしがることはないし、もっとギラギラしてほしい」ということだったのかな、と思ったんですよ。

 もちろん、不正な手段で手に入れることを勧めているわけではなかったのだろうけど。


 なんのかんの言いながら、僕はそこそこ楽しく読めた作品でした。

 自己啓発本っぽいな、とは思うんですけどね、やっぱり。

 

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