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2014-09-02 【読書感想】地震と独身

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地震と独身

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地震と独身

地震と独身

内容紹介

独りだから、できたことがある。独りだから、諦めたことがある。あの震災で独身は何を考え、どう動いたのか。「家族の絆」が強調される一方でほとんど報道されなかった独身者の声を聞くため、作家は旅に出た。激務の末に転職、特技を生かして被災地に移住、震災婚に邁進、答えを求めて仏門へ――非日常下で様々な選択を迫られた彼らの経験から鮮やかに描き出す、独身と日本の「いま」。


 東日本大震災から、3年が過ぎました。

 少しは「当時」のことを、落ち着いて振り返ることもできる時期なのかもしれません。

 あくまでも「直接の大きな被害を受けていない人びと」に限るとしても。


 著者の酒井順子さんは『負け犬の遠吠え』などの「独身女性もの」のみならず、松任谷由実さんを評した新書や、「女子と鉄道」など、さまざまなジャンルで活躍されているエッセイストです。

 この本は、その酒井さんが「独身」の視点から、「東日本大震災後の日本で、独身者はどう過ごしてきたのか」を取材してまとめたもの。

 「絆」とか「家族の物語」として語られがちな東日本大震災ですが、当然のことながら、「独身で被災した人たち」もいたわけです。


 独身と言っても、パターンはいくつかあろうと思います。高校生も独身だし、既に配偶者を亡くしたお年寄りも、独身。しかし私が「地震の時に、独身の人達はどうしていたのであろうか?」と思う時の「独身」とは、若者でもお年寄りでもない独身者のことです。つまり、同世代の人は結婚していてもおかしくない、もしくは同世代の多くの人が結婚している、という状況のなかで結婚していないという独身者を指します。そういった独身者達は主に都会、特に東京に多く生活していることが知られていますが、しかし被災地には全くいなかったのか?

 テレビの前でそんなことを考えていたのは、私もまた独身者であるからです。その上、両親は既に他界していますし、子供を産んだ経験も無いため、上にも下にも係累がいません。兄とその家族がいますので、天涯孤独の身ではありませんが、かなり純正な独身者であると思います。

 自分が独身であるが故に、気になるのは同じ独身者のこと。震災によって語られた多くの家族の物語とは対照的に、独身者の姿があまり見えてこなかったからこそ、私は今、このようなエッセイを書いています。地震の影響を受けた独身者に会って、彼女・彼達の話を聞いてみたい、と。


 この本を読んでいて、西日本在住だった僕も、「仕事と家庭」について、あらためて考えさせられたんですよね。

 たとえば、こんな話があります。

 仙台に住む、病院職員のゆり子さん(37歳)のお話は、その象徴的なものでした。仙台は、場所によっては震度6強という激しい揺れに襲われた地。ゆり子さんはその時、病院内にいたのですが、医療機器などが落ちたり倒れたりする、大変な揺れに見舞われました。

 怪我人や急病人などが搬送されるケースは少なかったものの、余震の中、片付けなどをしなくてはなりません。

「でも、子供がいるお母さんなんかは、子供が心配だからと、早く帰ってしまったんですよ。その結果『独身の人は残れるよね?』っていう感じになって。で、私は残らざるを得なくなったんですね。それで系列の違う病院に行きまして、夜通しそこに詰めることになりました。

「結局、普段は仕事の上で頼りにしていた女性の主任さんなども、小さな子供がいるということで翌日から出勤してこなくなりまして。シングルの人だけが出勤していた、という状況でしたね。子供さんの面倒をみるのも大変だということはよくわかるのですけど、肝心な時に頼りにならないなぁって、ちょっと嫌な感じになりました」

 という状況に。だというのに、

「休みなく、既婚者の分も働いたのに、私のお給料は変らないんですよ。それも不満で、結局、私はその後、職場を辞めて転職してしまいました」

 ということなのでした。仕事を辞める時、ゆり子さんは女性主任から、

「頼りにならない上司でごめんね」

 と言われたのだそうです。

「その時は、『ああ、わかってたのかな』とは思いましたけど……」

 と、納得はいっていない様子です。

 震災は、既婚者に「仕事か、家族か」という問題を突きつけました。もちろん親という立場にある人にとって、非常時において守らなくてはならないのは、自分の子供です。が、そこに仕事がある限り、誰かが仕事をしなくてはならないわけで、そのツケが独身者にまわったということは、見落とされがちなのではないか。

 非常時に仕事をとったか家族をとったかは、人それぞれです。夫が仕事を優先させたことによって不信感を抱いた妻もいたはずですが、仕事を置いて家族を優先した既婚者に対して、不信感を抱いた独身者がいたことは事実。

 

 震災時に限ったことではなく、独身者のほうが「酷使」されやすい、というのは、たしかにあるんですよね。

 あの震災のときも、職種によっては、仕事がかなり増えてしまいました。

 しかしながら、家庭持ちは「子供のために」「家族のために」という目的があれば、仕事から離れたり、休んだりすることも「許されなくてはならない」のです。

 そのしわ寄せは「君は家族がいないから、大丈夫だよね」と、独身者に降りかかる。

 うーむ、誰かがやらなければならないこと、があるとすれば、「家族がいない人」にばかり負担をかけるのが、正しいのかどうか。

 ……とか言いながら、僕もけっこう「家庭の事情」で、周囲に負担をかけることもあるんですよね。

 ただ、平時であれば、内心はともかく、「まあ、子どもの具合が悪いんだったら、しょうがない」と、独身者たちも表立って苛立ってみせたりはしません。

 それが、震災下という、より生命のリスクが高い状況で、「独身だから」という理由で過剰な労働を強いられるのは、嫌ですよね、やっぱり。

 僕が「独身側」だったら、嫌だと思うもの。

 なんのかんの言っても、そこに仕事があって、自分しかやる人がいなかったら、しょうがない、というのが実感なのでしょうけど。

 そもそも、独身なのも結婚しているのも、それぞれ「選択の違い」だけであって、優劣があるようなものじゃないはずです。

 「結婚している」「子どもがいる」というのは、「働かなくてもいい理由」になるのかどうか?

 そういう理屈を並べながらも、僕自身はやっぱり「そういう状況では、自分が先頭に立って仕事をやりたくはないなあ」と思ってしまいます。


 酒井さんは、被災地で活動した独身者たちにもインタビューしています。


 東京在住の会社員・蓉子さん(41歳)は、ボランティアについて、こんな話をされています。

 若いボランティア達をまとめる作業も、大変だったようです。

「精神的に不安定という子がいたりして、ボランティアでの仕事の上でも生活面でも、うまくいかないことがありましたねぇ。『これが仕事の仲間同士だったら、ずいぶんスムーズにできるだろうに』と、何度思ったことか。何せ初対面の人達なので、あまりにも人によって常識が違うということに、神経をすり減らしました、ボランティアにのめりこむ若者達の中には、色々な事情を抱えていたりする”青年弱者”的な子もかなりいるんですよね。そういう子達が世の中にはすごくたくさんいるということに、初めて気づかされました」

 ボランティアの内容についても、難しい問題がありました。

「無料で物を配るということに対しての非難は、かなり受けましたね。他のボランティア団体の人から『うちは常駐して地道な活動をしているのに、あなた達は突然やってきて物を配るんですね』みたいなことを言われたり。あと行政からも、被災者全員に配れるならいいけど、そうじゃないとクレームがくる、って言われたことも」


 もちろん、困ったことやつらいことだけではなくて、大きなやりがいも感じておられたそうです。

 その一方で、「ボランティアの危うさ」も痛感したのだとか。

 活動を続けるうちに、蓉子さん達のグループは、どんどん大きくなっていきました。有能がキャリアウーマンである蓉子さんは、グループの中でも中心的な役割を担うように。被災地とのパイプ、そして物資等を提供してくれる人達とのパイプも太くなり、様々な橋渡し役も引き受けるようになっていきます。

「でもある時ふと、『これは支援ではなく文化祭ではないか、このままやっていたら、終らない文化祭になるのでは』と思う瞬間があったんですよ。わーっと集まって、本業ではないことをイベント感覚で懸命に行っていたのが、次第に冷静になったというか。

 ボランティアって、一種の中毒性があって、働いて感謝されて、『他者に求められる』っていうことの気持ち良さに身を任せているという人も結構いまして。ほとんど災害ジャンキー、と言うか。でもその気持ちは私にもよくわかって、半分自分もそうなりかかっていた。最初のストレスフルな状況を乗り越えたら、その後の数ヶ月は、面白いことも充実感も、かなり味わいましたから。

 でも次第に、その『ずっと文化祭状態でいいのか』という気持ちが募ってきたのと、物資を配るという意味では活動も一段落してきたのとで、私は最初の団体から少しずつ、距離を置くようになったんですよね」


 「終らない文化祭」か……

 そんなふうに「盛り上がってしまった人たち」の気持ちはわかるし、ボランティアの大変さを考えると、そのくらいの見返りがあっても良いと思うんですよ。

 でも、そこから「日常」に帰るのが、難しくなってしまう人がいる。

蓉子さんは、ストレスから、十二指腸潰瘍になってしまったこともあるそうです。


 被災地の現状について、こんな話も出てきます。

 南相馬市街地は、福島第一原発まで24キロ。JR常磐線が通っていますが、津波と原発事故の影響で、広野〜原ノ町間、そして相馬〜浜吉田間は運休中。原ノ町〜相馬間の四駅分の区間を、往復運転しています(2014年1月現在)。

 私は仙台からバスで原ノ町駅へと向かったのですが、南相馬に近づくにつれ、水が張られていない田んぼが増えてきました。運転本数が少なくなった駅は、しんとした雰囲気です。

 原ノ町駅周辺には市役所などもあり、南相馬市の中心部となっています。駅前には、相馬野馬追の像。駅名標にも野馬追の絵が描かれてあって、ここはあの野馬追の地でもあるのでした。

 隆さんが勤める施設に入ると、子供達が元気に遊んでいました。室内に大きな滑り台やブランコ、マットに砂場まであります。

「この辺りの子供って、二歳くらいだと砂場での遊び方を知らないんですよね。外の砂場で遊んだことがないから」

 と、案内して下さった隆さんの言葉に、まず衝撃を受けましたが、それはまぎれもない事実です。この砂場の底には傾斜がついていて排水もできるため、水を使うこともできるのだそう。震災前後にこの地で生まれた子供達は、砂場といえば室内を思い浮かべることになるのでしょうか。

 この辺りの子供達は、原発事故の後、外遊びを制限されてきました。ボランティアによって除染された公園もあるけれど、

「やっぱり、遊ばせたがる親御さんばかりではないですよね」

 ということ。だからこそ、このような室内の遊び場が必要になってくるのです。


 「砂場での遊び方を知らない」子供たち。

 東日本大震災原発事故についての報道も、すっかり「落ち着いてしまった」感じではあるのですが、被災地では、こういう「異常な日常」が続いているのです。

 砂場遊びと子供の成長に、優位な相関があるのかどうか、ちょっとネットで調べてみた程度ではわからなかったのですけど(というか「砂場で遊べない子供群」なんていう対照群をつくるべきではないでしょうし、子供の何を基準に「有効」「無効」を決めるのかも困難です)、うちの子供にとって「ごくあたりまえの遊び」を経験できない子供が、同じ日本に少なからずいるということが、なんだかすごくせつなくなりました。

 まあ、結局のところ、僕もこの本を「既婚者目線、親目線」で読んだ、ということでもあるんですけどね、ここにいちばん「引っかかってしまった」ということは。


 家庭持ちにとっては、正直、ちょっとした気まずさを感じる本ではあります。

 僕たちが「家庭があるから」とセーブした仕事は、代わりに誰かの肩に乗せられているというのが、震災という特殊な状況では、くっきりと浮き彫りにされているから。


 ただ、「独身者が損」だと感じたかというのも、人それぞれではあったのです。

 漁村で牡蠣やワカメの養殖をしていたという由香さん(33歳)は、こう仰っています。

「震災後は、独身でよかったなぁって思ったんですよね。家族を持っていたら家族を優先するだろうけど、独身だと、誰に対しても平等に、偏らずに何かをしてあげられるじゃないですか。誰でも、助けることができる。子供がいないから、身動きも軽いですしね」


 「独身」「既婚」「家庭持ち」というのは、ひとつの「切り口」ではあるけれど、それだけで「分類」できるようなものじゃない。

あらためて、そんなことを考えさせられる本でした。

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2014-09-01 【読書感想】修羅場の極意

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修羅場の極意 (中公新書ラクレ)

修羅場の極意 (中公新書ラクレ)


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修羅場の極意 (中公新書ラクレ)

修羅場の極意 (中公新書ラクレ)

内容(「BOOK」データベースより)

修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法がある。イエス、宇野弘蔵西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べるか?ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは?外交と政治の修羅場を駆け抜け、獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。


佐藤優さんが、「歴史に名を遺した人々」の言葉や著作から学び、実生活でも参考にしてきた「生き残るための知恵」の数々。

外交官として、数々のギリギリの交渉に臨み、その後「鈴木宗男事件」に連座し、東京拘置所の独房に収監されていた経験のある著者は、まさに「修羅場」を経験してきたのです。


ドストエフスキーは、若い頃に逮捕され、一度死刑判決を受けたあと、執行直前で恩赦を受けています。

「命拾い」したという経験が、ドストエフスキーのその後の人生や作品に与えた影響について、佐藤さんは、こんなふうに推測しているのです。

 もっとも当初から、この死刑判決は、直前に減刑されるシナリオになっていた。革命家たちは主義に殉じる覚悟をもっている。このような革命家を次々と処刑しても、殉教者に対する尊敬が深まりかねない。国家としては、「あれだけ威勢がよかった革命家も、こんなに温和(おとな)しくなる」という転向を可視化させなくてはならない。そのために、一旦、死刑を言い渡した者に恩赦を与えることで、国家は人を殺すだけでなく、生かす力もあるのだということを皮膚感覚で政治犯に叩き込む。このような体験をした人は、その後、一生、国家を恐れるようになるという現実と、皇帝官房第三課はよくわかっていたのである。

 この雰囲気が、筆者にもよくわかる。筆者は死刑判決を言い渡された経験はない。筆者の判決は、懲役2年6ヶ月(執行猶予4年)であった。しかし、逮捕から判決確定まで7年、執行猶予期間が満了するまでに11年かかった。この11年間は、常に事件のことを意識して、細心の注意を払いながら生活していた。もうあのような神経を張りつめた生活は二度としたくないと思う。その思いは、執行猶予期間を満了して、完全に自由な身になってからの方が強くなった。不自由な環境から自由を得た人間は、自由を失うことをとても恐れるようになる。ひとたび死刑にされる危険にさらされた人は、命を失いたくないという思いが、そのような経験を持たない人よりもはるかに強くなるというのが筆者の見立てだ。


人間って、「死に近づく経験」をすれば、肝が据わるというか、「死ぬことを恐れなくなる」わけではないのですね。

最初の「死刑になるであろう状況」のときには、おそらく「覚悟はできている」人も少なくないはずです。

ところが、その状況から、一度「生きる」方向に針が動いてしまうと、かえって、「もう一度死ぬ」ことが恐くなってしまう。

そしてその恐れは、「死に近づいたことがない人」よりも、強くなりがちなのか……


また、安藤美冬さんを、こんなふうに「分析」していたのも印象的でした。

 筆者も外務省で抑うつ症状を抱えた同僚を何人も見た。しかし、自ら精神科医の診断を受ける人はあまりいない。また、上昇志向が強い若手ビジネスパーソンはなかなか長期の休職に踏み切れない。会社(役所)から長期休職を命じられると、将来のキャリアが失われたと悲観し、復職後も仕事に集中して取り組むことができなくなってしまう事例が多い。しかし安藤の場合は、休職を冷静に受け止め、復職後も淡々と仕事をこなし、その業績が会社からも評価された(社長賞を受賞した)。安藤は巧みに人生の修羅場を切り抜けることができたのである。

 筆者の理解では、安藤美冬というモナドに、生まれる前から、このように成長していくことができる力が備わっているから、そのような対応ができたのである。安藤が『冒険に出よう』の中で述べていること、あるいは講演会やテレビで話すことを、マニュアルとして受け止めてはならない。安藤が成功した秘訣は、自分の中に潜んでいる資質を等身大で見つめることができたからだと筆者は見ている。ちなみに抑うつで休職する前に安藤は、「突然、すごく近い場所で、私が高校3年生のときに他界した、母方の祖母の存在を感じ」たと回想する。死者に対する追憶は、定住民の特徴だ。本人は意識していないであろうが、「ノマド的スタイル」に純化できない安藤のもう一つの個性が、こういう記述に表れている。


 佐藤優さんからみたら、安藤美冬さんは、こんなふうに見えているのか、と。

 安藤さんは、現在、多摩大学経営情報学部専任講師を勤めておられ、「ノマド、なのか……?」という状況にあるのですが、確かに、安藤さんって、「一生懸命、自分のノマドライフを演出している」ように見えるところがありました。

「特定の場所に定住していることができない人」ではなくて、積極的な選択としての「ノマド」。

 でも、そこにはなんというか、作為的なものを感じるところもあるのです。

 佐藤さんが「こういう生き方を、マニュアルとして受け止めるな」というのは、「定住民であることよりも、難しい生き方だから」と考えているからなのだと思います。

「定住できない人」と「定住しないことにメリットを見出している人」とは、やっぱり、違うんじゃないかなあ。


 巻末の西原理恵子さんとの対談のなかで、佐藤さんは、こんな話をされています。

佐藤優そういえば外務省の先輩できれいな奥さんがいるのに、いつも不倫している人がいました。でも、まったくトラブルにならない。なぜトラブルにならないで遊んでいられるかというと、その先輩はどうやったら相手が自分から逃げていくかをちゃんと研究していると言っていました。

 たとえば相手が白人の女性であれば、高級レストランでスープをズルズルと音を立てて飲めばたいていは逃げていく。それでもダメなら鼻糞をほじる。それでもダメな場合は相手の親の悪口を言う。この三番目の手法で逃げなかった女性は一人もいないと。


西原理恵子その人は、ちょっと遊んで逃げたいわけね。せっかく知り合ったんだから大事にして、できるだけ長く一緒にいたい――とは思ってない。


佐藤:よく考えると僕の周りはそんな人間が多いですね。仕事を取るか、女性を取るかと役所に迫られて、女性を取ったのは一人だけ。実にいい奴でした。でもそれ以外はみんな逃げることばかり考えている。


 これはひどい……

 でも、「自分が相手に嫌われてもいい、カッコ悪く別れてもいい」と覚悟を決めれば、「相手に嫌われる」ほど、後腐れのない別れ方はないですよね。

 考えようによっては、「相手に嫌われずに別れようとする」から、さまざまな「別離に付随する問題」が生じてくる、ともいえる。

 いやまあ、「スッキリ別れるために、こんなことまでできる男」であれば、別れて正解、でもあるのでしょう。

 こういうのは、外交官に近づいてくるような、プライドの高い、「きちんとした相手」だから通用する、という面もありそうです。


 正攻法から奇襲まで、「修羅場に役立つ知識」が散りばめられた、なかなか興味深い新書でした。

 そういうのは、役立てる機会が無いほうが良いのでしょうけど、知っておいて損はないはずです。

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2014-08-31 【読書感想】なつジュー。20世紀飲料博覧會

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なつジュー。20世紀飲料博覧會 (ナックルズBOOKS)

なつジュー。20世紀飲料博覧會 (ナックルズBOOKS)

内容紹介

あのころ飲んだ懐かしいジュース&サイダー大集合!!

~特別付録:幻のジュースカード付き~


世界に羽ばたくニッポンのジュース

なつジュー。20世紀博覧会 パビリオン案内所!!

●炭酸パビリオン・・・サイダーラムネブース/コーラブース/炭酸エトセトラブース

●喫茶パビリオン・・・コーヒーブース/紅茶ブース/お茶ブース/エトセトラブース

●果汁パビリオン・・・100%果汁ブース/野菜ブース/果汁入り炭酸ブース

●ヘルシーパビリオン・・・乳酸菌飲料ブース/エナジードリンクブース/スポーツ飲料ブース/ニアウォーターブース/エトセトラブース

●バラエティパビリオン・・・デザートブース/フードブース おでん缶

・・・ETC


内容(「BOOK」データベースより)

名品・絶瓶・珍品、懐かしのドリンクが555本。懐かしき飲みモノを当時の姿そのままに紹介。


近所の書店で、なにげなく手にとった本なのですが、眺めていて、すごく懐かしい気分になりました。

小学校時代に駄菓子屋で飲んだビンのコーラの味とか(コーラのヨーヨーがすごく流行ったんですよね)、お米屋さんが運んできてくれた「プラッシー」の味とか、ポカリスエットが発売されたとき、「腐ったミカンのような味じゃない、これ?」と、みんなで感想を言い合ったこととか……

不思議なもので、「プラッシー」の写真をみていると、なんだか、子どもの頃、プラッシーのケースが運び込まれてきた当時の家の玄関を思い出してしまいました。

味の記憶っていうのは根強いものだなあ、と感慨深かったです。


僕は世代的に、「ジュース」が「ハレの飲み物」だった頃に物心がつき、自動販売機で気軽に買われるようになり、ペットボトルが出現してきて、一般化するという流れをリアルタイムで体験してきました。

「缶入りのお茶」や「カルピスウォーター」が登場してきたときは、「こんなの家でつくればいいのに、わざわざお金出して買う人いるの?」って思ったのですが、そんな予想は見事に裏切られ、大ヒット商品になりました。

その一方で、「はちみつレモン」とか「アンバサ」みたいに、一時は大ヒットしていたのに、いつのまにか流行らなくなって、消えてしまったものもあります。

(「はちみつレモン」は、ときどき復刻されているようですけど)

ドクターペッパー』みたいに、人気ゲームの影響で「伝説化」してしまうものも出てきました。


この本には、懐かしいジュース&サイダーの容器の写真とともに、「ちょっとしたコメント」も書かれています。

午後の紅茶ストレートティー」(キリン)には、

 それまで缶紅茶といえば、歯が溶けるほど甘いというのが基本。そのため、「午後の紅茶」の甘さは誰もが驚いた。

そうそう、たしかに「ゴゴティー」の「甘くなさ」は、当時としては画期的なんですよね。

いまはすっかり、「甘くない清涼飲料水」が主流になっているけれど。


ゲータレード グレープフルーツ」(雪印乳業)には、

 スポーツドリンクの最初はゲータレードだ。アメフトの試合中、熱射病で死んでいく選手をどうにかしようと開発された飲みもの。飲みものとしてもおいしかった。

とあります。

これを読むと、「そんなにバタバタ人が死んでいくのなら、ゲータレードを開発するより、アメフトを中止したほうが良いのでは……」とか、ツッコミたくなります。


あと、ジュース・サイダー関連のマメ知識を紹介したコラムも、なかなか楽しめました。

「サイダー」と「ラムネ」の違いって、わかりますか?

 ラムネの名称は「レモネード」がなまったもの、サイダーの名称はりんご酒のことである「シードル」を英語読みしたものというのは、ご存知ですか。

 では、ほかに違いはあるかといえば、実は容器の違いだけ。基本的にサイダーはガラスビンに王冠でフタをしたもの、ラムネはラムネビンに入っているものというのが決まりです。もちろん、現在は、ペットボトルに入っていてもサイダーはサイダー。ただ、ラムネはあの形のビンやペットボトルに入っていなければラムネではないのです。

そうか、「容器の違いだけ」なのか……

でも、ラムネって、なんだかとても美味しくて、特別なもののように感じてしまうのは、僕だけでしょうか……


ジュース業界で新商品が生き残っていきのは、非常に難しいものだよなあ、とこれを眺めていて痛感しました。

三ツ矢サイダー』のような100年以上続いている「定番中の定番」がある一方で、毎年、たくさんの新商品が生まれては消えていきます。

ここ10年で、新たに「定番化」したジュースを思い出そうとしているのですが、なかなか思い出せないというか、あったかな……


税込み600円くらいのリーズナブルな価格ですし、読んでいると、必ず誰かと「懐かしいジュース談義」に花を咲かせたくなる一冊です。


ところで、「スマック」(クリームソーダ)って、中国地方限定なのでしょうか、そして、いまでも売っているのかな……子どもの頃、大好きだったので気になっています。

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2014-08-30 【読書感想】海水浴と日本人

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海水浴と日本人

海水浴と日本人

内容(「BOOK」データベースより)

多くの人にとって、家族、友人、恋人との思い出なつかしい夏の浜辺。しかし、この夏の風物詩の歴史は意外に浅い。西洋文明の移入に伴って奨励されて以来、戦前期までの海水浴の紆余曲折をたどる。


もう、海水浴シーズンも終わってしまったのに……という感じなのですが、いちおう、まだ夏のうち、ということで。


「海水浴の起源」って、知っていますか?

あらためて問われてみると、僕も全然わからないんですよね。

なんとなく、「海の近くに住んでいる人たちは、縄文時代とか弥生時代くらいから、ずっと泳いでいたんじゃないの?」と考えていたのですが、そうではないのです。

「海に囲まれた国、日本」に住む人々は、海に長年親しんできている、というイメージは、事実とは異なっているようです。


 この本の冒頭には、こう書かれています。

 日本人は、四面環海の海国と称されながらも、実は長らく日本人にとって、海は馴染みの薄い場所であった。せいぜい漁師や船乗りなど水上で糧を得る生活者の場、あるいは海賊や水軍の暗躍する場に過ぎないと見る向きが一般的であった。

 では、人びとが海で遊ぶことがなかったのかといえば、唯一、潮干狩りが行われていた。それ以外で海とかかわりをもつことは、古くは祭礼における宗教儀式の一環として日常の穢れた身を清める禊ぎの行為として海に浸かったり、真冬の酷寒のなか、水垢離のために海に入ったり、時には、病をもつ人が療養的行為として海水に身体を浸したりなど、程度の差こそあれ、汀線(ていせん)あたりで海水を浴びることが行われていたに過ぎない。


 近世まで、海に関する仕事をしている人以外にとっては、「海に入る」というのは、きわめて稀なことだったと著者は述べています。

 ヨーロッパの「大航海時代」のあいだも、日本は鎖国の状態で、一部の職業人を覗いて、人びとが海に接する機会はほとんどなかったのです。


 そんな「海に囲まれていながら、海から離れていた日本人」が劇的に変化していったのが、明治維新でした。

 他国との交流が盛んになり、軍事的な面や、国民の健康促進のために、「海に親しむ」ことが、国策として推進されていったため、日本人は「海水浴」をするようになりました。

 逆にいえば、「明治維新まで、海水浴なんて酔狂なことをする日本人はいなかった」のです。

 

 その「海水浴」も、当初は、現代人がイメージするような「海で泳いだり、日光浴をしたりして楽しむ」というよりは、「海水を浴びることで、病気に効く」と言われており、「療養」のためだったんですね。

 

 実はこの海水浴の読み方については、明治21年に野中良一が書いた『海水浴鉱泉浴問答』という著書のなかで、「第一章 海水浴(ウミミズアミ)」と振り仮名が添えられ、さらに問答のなかで「カイスイヨク」と「ウミミズアミ」が使い分けられて解説が加えられており、これを読むことで海水浴の文字は今日われわれが想像する余暇や行楽を伴う海での泳ぎや過ごし方を指すものではなく、海水を浴びる行為を指したものであることが理解できる。また、海水浴はすなわち「ウミミズアミ」と読まれ、潮湯治を指していたことが分かるが、一方で「カイスイヨク」と読むことについては、残念ながら解説はない。

 潮湯治についての資料を見ると「海浴」や「水浴」「……海水浴」の文字を見つけることができ、同じものと捉えられがちであった。しかし、「海水浴」が日本古来の感じの読み方としての訓読みで読まれていたことを理解できれば、海水浴(ウミミズアミ)は海水を浴びることを指したものであったことがうなづける。ウミミズアミの読み方や呼び方は、明治21年頃からは次第にカイスイヨクと一般に読まれたり呼ばれるようになっていった。


 この「湯治」と同じように、「海の水を浴びることによる療養」というのは、日本古来の考え方ではなく、ヨーロッパで生まれたものなのだそうです。

 海外に行くと、「せっかく海まで来ているのに、泳がないで日光浴ばかりしている外国人」をみて、「何しに来たんだろう?」と思ってしまうのですが、彼らにとってみれば、「海で泳ぐというよりは、海辺で良い景色をみて、日光を浴び、綺麗な空気を吸ってリフレッシュするのが主目的」なんですね。

 むしろ、「なぜ日本人は、海であんなに気合いを入れて、泳ごうとするのだろう?」と。


 この本によると、日本の「海水浴」は、その療養的な効果とあわせて、若者の鍛錬と、「海国」として、軍事的な意味も含めて「海に慣れる」という国策が推進されたため、「泳ぐこと」が重視されるようになったのです。

 臨海学校のような「合宿」が、学校単位で行われるようにもなりました。

 最初に「療養」があって、その後、「泳ぎの訓練」の要素が入ってきたため、「海水泳」ではなく、「海水浴」になったのです。


 この海水浴、明治18年に大磯に「海水浴場」がオープンしてから、紆余曲折を経ながらも、「国民的娯楽」として、急速に広まっていきます。

 当初は、泳ぐ場所が男女別に分かれたりもしていたそうなのですが、次第に水着での肌の露出が増え、くだけた場所になっていく様子も、この本のなかでは紹介されています。

 

 また、日本での海水浴の普及に貢献した、長与専斎、松本順、後藤新平の伝記も紹介されているのですが、長与専斎さんは、海水浴の推進・普及に尽力していたにもかかわらず、次女を海の事故で亡くされた、という悲しいエピソードもあります。

 

 いまの時代に生きている僕にとっては「海があれば、そこに人が集まって泳ぐのは当たり前」という感覚なのですが、それは、せいぜいこの150年くらいの「新しい習慣」であり、多くの人の尽力で、広まっていったのです。


 ただし、海水浴のニーズは、戦後ずっと「右肩上がり」というわけでもないようです。

 国民的な支持を受けた海水浴ではあったが、1985年をピークにして、以後は年々その数を減少させ、海水浴人気に陰りが出てきている。


 ということで、たしかに、「海に入るとベタベタするし、人も多いし……」というような声も、少なからず耳にするようになりました。

 これは、僕が「海水浴にワクワクできるような年齢じゃなくなった」ことも大きいのでしょうけどね。


 読んで、「知識欲を満たす」以上の何かの役に立つ、という本ではないのですが、こういう「自分が知らなかったことさえ意識したことがない、歴史的な事実」に気づくのって、けっこう面白いですよね。

 

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2014-08-29 【読書感想】素潜り世界一 人体の限界に挑む

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内容(「BOOK」データベースより)

映画『グラン・ブルー』に魅せられてフリーダイビングと出会い、「頂点に立ちたい」という夢を追い求めた男はある日会社を辞め、プロのフリーダイバーになった。マイナースポーツで、当時はプロを名乗る選手もいない状況。周囲の反応は冷たかったが、彼は自らを信じ続けて努力を重ねた結果、日本人初の国際大会優勝を実現し、アジア新記録を打ち立てる。サポートダイバーの死、ブラックアウト、東日本大震災など選手としての危機を幾度となく味わいながらも、なお“世界一”を目指して潜り続けるアスリートの奮闘記。


 去年(2013年)の12月、『情熱大陸』で、フリーダイバーの福田朋夏さんが採り上げられていたのを観ました。

 フリーダイビングというのは、かなり特殊な世界で、一般的な「アスリート」の世界と共通する部分と、かけ離れたところが混在しているんだなあ、と感じたのですが、あの番組でいちばん印象に残ったのは、番組の終盤に出てきた「競技中の仲間のダイバーの死」だったんですよね。

 それまで元気だった人が、自分の意思で潜り、そして、突然、命を落としてしまう。

 うーむ、怖いな、僕はやりたくないな、と、けっこうネガティブなイメージを抱いてしまったのです。

 もちろん、F1とか登山とか、危険と隣り合わせのスポーツや冒険というのはたくさんあるのだけれども、フリーダイビングというのは、そんなに大きな報酬があるわけでもないし、世界チャンピオンになっても、スポーツ新聞のトップには載りません。

 「ウェットスーツとフィンがあって、海に行けば、誰にでも、すぐにできる」という身軽さは、「あまりにも日常と繋がりすぎている死の世界」のようにも思われました。


 「なぜ、そんな世界に飛び込む人がいるのだろう?」と考えてしまうのも事実で、そんな興味から、この新書を手に取ってみたのです。

 フリーダイビングとは、空気タンクを使わずに自分の力だけで潜行し、目標深度まで到達したのちに戻ってくるスポーツだ。「息こらえ」という意味のラテン語に由来して、「アプネア」の名で親しまれている国も多い。ひと息でどれだけ潜れるのかを競うわけだから、「息をこらえる」という表現はフリーダイビングの本質をそのまま言い当てている。

 競技中に装着するのは主に、ゴーグル、足ひれ、ウェットスーツだけである。

 身体一つで海と対話できることが、このスポーツが世界で愛されている何よりの理由だと僕は考える。フランス、スペイン、イタリア、ギリシャ、イギリスなどでは以前からスポーツとして根づいており、1960年代から大会が開かれている国もある。スウェーデンやフィンランド、デンマークなどの北欧でも人気があり、最近では旧ユーゴスラビアのクロアチアも優秀な選手を輩出している。国土の一部がアドリア海に面しているこの国は、競技環境に恵まれているのだろう。

 

 フリーダイビングの世界では、アジアは新興地域ですが、韓国、香港、インドネシア、マレーシアなどにそれぞれ100人くらいのフリーダイバーがいるそうです。

 日本の競技人口も、男女あわせて100人ぐらいなのだとか。

 著者は、「日本人初のプロのフリーダイバー」として、日本のフリーダイビング界を牽引してきた第一人者なのです。


 「お金」についても、けっこう生々しい数字が書かれているのがこの新書の面白いところです。

 ヨーロッパでプロとして活躍している選手も、おそらく年収は500万円から1000万円ぐらいだと思う。メジャースポーツでは一つの大会の優勝賞金が数千万円ということも珍しくないが、僕らは大会で優勝しても数十万円である。テレビ放映がなく、大会の公式スポンサーも少ないから、高額の賞金が用意されるはずもない。世界大会規模でも20〜30万円程度である。優勝が20万で、2位が10万、3位が5万といったスケールが一般的と考えてもらえばいい。

 ただ、スポンサーと契約を結ぶことで、競技に専念できる環境を確保している選手は少なくない。僕自身も活動費、遠征費の支援をはじめ、ウェットスーツなどの競技に関する用具や、取材などで着る私服の一部をサポートしていただいている。


 要するに、トップ選手でも、「なんとか競技に専念できる環境をつくれるくらいの報酬」というのが、フリーダイビングの世界の現状なんですね。

 テレビ映えするスポーツとも思えないので、これからも、金銭面で大幅に報われる可能性は低そうですし、著者も「自分がこの競技で大金持ちになる」ということも期待していないようにみえます。

 とはいえ、競技そのものにお金がかかるのは事実。

 この新書のなかには、著者が中心になって運営した世界選手権の収支の話も出てくるのですが、一選手が世界選手権の収支を細かく把握せざるをえないということが、「マイナースポーツとしての現実」でもあるのでしょう。


 著者は、深海の魅力について、こう述べています。

 月面に着陸した人間は、全世界で12人いる。世界最高峰のエベレストに登頂した人間は、すでに4ケタを超えている。

 その一方で、フリーダイビングで100メートルを超える深さまで到達しているのは、まだ20人くらいしかいない。110メートルを超えたフリーダイバーとなると、わずかに7人だ。2014年現在で約72億人とされる人類のなかで、両手で数えられるほどの人間しか知ることのできない世界を、見て、感じることができる。かくも原始的でありながら魅力的で、なおかつ神秘的なスポーツが、フリーダイビングの他にあるだろうか。僕には思い浮かばない。


 著者がフリーダイビングの世界を知ったのは、映画『グラン・ブルー』だったそうです。

 僕もあの映画を観て、すごいなあ、とは思ったのだけれど、ジャック・マイヨールの真似をしようとは思わなかったんですけどね。

 海に出ているのは、2時間から3時間ぐらいだ。深く潜るのは、1人1日1本である。

 えっ、たった1本? 1本の潜りって3分ぐらいでしょ?

 1日にそれだけしか練習しないの? と思われるかもしれない。

 だが、1人が潜って2人(または3人)がサポートする態勢でトレーニングを進めると、それなりの時間を必要とする。各自が2本潜ろうとしたら、早朝に始めてもお昼近くまでかかるだろう。そのころにはもう、波のサイズが上がっていたり、風が出てきたりしている。トレーニングには不向きなコンディションだ。

 ウォーミングアップとして20メートルぐらいの深度まで2本潜り、3本目に90メートルから100メートルぐらいにトライする。僕らがターゲットダイブと呼ぶものだ。その1本を価値あるものにできるかどうかが、レベルアップの分岐点である。

 また、フリーダイビングは窒素との闘いでもある。水深50メートル以上のダイブは身体に窒素が溜まるため、1日に1回しか潜れない。何度も深いダイブをすると、減圧症になってしまうのだ。


 ちなみに、海上保安庁の潜水士は、深度20メートルまでしか潜ることができないそうです。

 あれだけ鍛えられた人たちでも、そのくらいということは、100メートルというのは、本当に「人間にとって、特別で、ものすごい深さ」だということですよね。

 

 海で行われるフリーダイビングの種目に失敗は許されない。限界を超えることは、死へ近づくことを意味する。

 このため、フリーダイビングは潜る距離を自分で決める。大会の前日に、主催者側に申告するのだ。その時々で自分の力をきちんと見極め、距離を申告するのは、生命を守るためのセーフティネットだ。

 しかし、人間の好奇心はときに死の恐怖をも凌駕する。実に恐ろしいことだ。「もっと先に行きたい」という子どものような自分がひとり歩きをすると、大変なことになりかねない。だからこそ、「このへんにしておきなさい」とたしなめる、親のような自分を同居させる。


(中略)


 主催者側は選手が申告した深度に、あらかじめタグをつける。タグがついているプレートには水中カメラが備えつけられていて、選手が自分で取ったかどうかを映像として記録している。

 試合当日に距離の変更はできないので、申告の段階から駆け引きが始まる。全員が申告を終えると、その段階で仮の順位が出る。全員が成功したという前提に基づいたものだが、選手それぞれの思惑が渦を巻く。


 1人がスタートしてから水面に戻るまで、深度が100メートル以上でも、3分から3分半。

 しかしながら、「どのくらいの深さを申告するか」という時点で、すでに勝負は始まっているのです。

 この本を読んでいると、「精神的な強さというか、安定感」が、かなり重要であることがわかります。

 潜ってみたら調子が良いからといって、申告した数字より深く潜っても、それは記録にはなりません。

 それは、限界を超えてしまいがちなダイバーたちの命を守るためのルールでもあるのです。

 2014年7月現在、僕は「コンスタント」(フリーダイビングの種目名。フィンをつけての潜行)で115メートルの記録を持っている。2010年4月にバハマでつくったもので、世界ランキングでは4位に相当する。

 世界記録は128メートルだ。もう4年間も自己記録を更新できていないわけだが、長い低迷からようやく抜け出しつつある。

 いろんな世界で、こんなふうに、お金じゃなくて、自分の「好き」を極めるために努力をしている人がいるのでしょうね。