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2014-10-25 【読書感想】自動販売機の文化史

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自動販売機の文化史 (集英社新書)

自動販売機の文化史 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)

自動販売機の歴史は意外に古く、そのルーツは古代エジプトにまでさかのぼる。その後、一九世紀のイギリス、二〇世紀前半のアメリカで発展。日本にはすでに明治時代からあったが(日本人による第一号は1888年)、あまねく普及するのは二〇世紀後半のことである。今日の日本では全国津々浦々に普及し、その数は五五〇万台を超え、年間売上金額は七兆円に上る。世界一の「自動販売機大国」なのである。自動販売機はなぜ日本で発達したのか。自動販売機が人間や社会に与えた影響は何か。自動販売機の歴史と文化を豊富な図版を使って述べる。


自動販売機大国、日本。

この新書、その「自動販売機」のルーツ、そして、一般的なものとなっていくまでの歴史が紹介されています。

 自動販売機台数が世界でもっとも多い国はアメリカである。その数はおよそ760万台に達する(2001年12月末現在)。しかし、「日用雑貨の自動販売機が台数に数えられていない。これを加えれば、800万台になるだろう」と日本自動販売機工業会事務局長の黒崎貴氏はいう。日本はおよそ556万台(2001年12月末現在)、世界第二位の普及台数である。だが、アメリカの人口は2億8532万人(2001年7月1日現在)、日本の人口は1億2729万人ほど(2001年10月1日現在)。人口1万人あたりの台数は、アメリカ266台に対して(760万台で計算)、日本437台。人口対比自動販売機台数でいえば、日本は文句なしの世界一である。国土の単位面積比でいえば、さらに日本の自動販売機普及は群を抜いて世界一となる。

 自動販売機による売上高(業界用語で「自販金額」という)はどうだろう。これは日本がダントツの世界一である。年間の自販金額は7兆523億円(2001年)になる。

2003年に出た新書なので、紹介されているデータは10年以上前のものなのですが、日本は世界有数の「自動販売機大国」なんですよね。

自動販売機の総数では1位がアメリカ、2位が日本、3位ドイツなのですが、人口ひとりあたりでいうと、日本の自動販売機の数はアメリカよりも、ずっと多くなるのです。

海外旅行先で「自動販売機の少なさ」に違和感があった人も、少なくないはず。

言葉のコミュニケーションに不安があるだけに「自動販売機があればなあ……」なんて考えがちでもありますし。

ところが、自動販売機があっても使い方がわからなかったりするんですよね、困ったことに。


ちなみに、日本の自動販売機の数は、2011年末の時点で、508万4000台(日本自動販売機工業会調べ)だそうです。

日本国内では飽和状態となっているのか、ここ10年くらいは、ほぼ横ばい〜漸減傾向となっています。

自販機のなかで、もっとも比率が高いのは飲料自販機で、約49%。


この新書を読んでいると「ちゃんとお釣りが出て、トラブルがあればきちんと表示される日本の自動販売機」は、「世界に冠たる技術」だということが理解できます。

海外では「余計にお金を入れてしまっても、それは自己責任なので、お釣りは出ない」自動販売機も珍しくないそうです。

 海外と日本の違いは普及台数や自販金額ばかりではない。機能がおよそ異なる。たとえば、日本の飲料および食品自動販売機に、冷却および加熱装置がついているのは普通である。だが、海外でようやく見つけた自動販売機で飲料水を求めても、冬は熱く、夏は冷たい飲料水を手にすることはまるできない。いつもほぼ常温で出てくる。

現在普及しているような「ホットとコールドを切り替えられる自動販売機」が登場したのは、1970年代になってからで、日本で開発されたものなのだそうです。

僕が生まれた後だったのか……


また、この新書のなかでは、長年、アルコールやタバコの自動販売機が放置されてきたという「日本の自動販売機の負の歴史」についても言及されています。


この新書のなかで、僕にとって興味深かったのは、「自動販売機の歴史」でした。

もっとも古い「自動販売機」は、2000年前の古代エジプトアレクサンドリアにあった「聖水自動販売機」だったそうです。

「自動」といっても、乗せたコインの重みで、一定時間、水の出口を覆っている蓋が上がって、水が蛇口から出る、という原始的な仕組みのものでした。


その後、ヨーロッパの歴史に「自動販売機」が登場するのは、17世紀初頭のイギリスです。

上部のふたについている穴から半ペニー硬貨を入れると、留め金が外れて、上部の蓋が開く仕組みなのだとか。

これは「お金を入れると蓋があいて、嗅ぎタバコを自由に取り出せるようになる」のですが、一度開けてしまえば、あとはお客の良心次第で、「正直箱 Honour Box」と呼ばれています。

そんなの、たくさん持っていくやつがいて、商売として成り立たないのでは……と思うのですが、このシステムは20世紀のはじめくらいまで、続いていたそうです。

日本でもこの「正直箱システム」で野菜などを売っている店を、郊外の道路沿いなどでときどき見かけるのですが、これだけ長いあいだ続いているということは、「あなたの良心にまかせます」と言われてしまうと、案外、人間って悪いことができないのかもしれませんね。


その後も、切手やハガキ、切符の自動販売機などがイギリスで普及していきました。

 1893年には香水自動販売機がアメリカでもお目見えする。商店のドア、劇場、コンサートホールなどに置かれた。少し後の1902年、カナダでは、牛頭形の香水自動販売機が現れた。硬貨を入れて牛の角を握ると、牛の鼻から香水のスプレーが噴射されるものだった(本にはこの「香水自動販売機」の写真も掲載されています)。なんともキッチュな自動販売機である。これは香水の種類を選べない機種だが、数種類の香水から自分の好みの香水を選ぶことのできる自動販売機もあった。なお、香水自動販売機は、1940年代、50年代にもふたたび流行することになる。

こんな「香水の自動販売機」なんていうのもあったそうです。

「自動販売機のいま」については、2003年刊のこの新書はちょっと「古い」感じがするのですが、こういう「自動販売機の歴史」って、案外紹介されることが少ないので、貴重な内容だと思います。

そして、第二次世界大戦によるイギリスの荒廃によって、自動販売機大国の座は、アメリカへと移っていくことになります。


 1920年代にどんな自動販売機の改良が見られただろうか。

 1925年には、ウィリアム・ロウ William Roweが紙巻きタバコの自動販売機を発明する。これは多品種のタバコを売る販売機だが、タバコの値段は種類によって違う。多品種、多価格の商品に対応できる自動販売機だった。それゆえ、ロウの自動販売機をもって、「近代的自動販売機」の最初とされる。ロウの自動販売機を使ってタバコを販売しようとしたある業者は、当時、11セントないし12セントだったものを15セントで売れると強気に予想した。なぜならその自動販売機は「これまで以上に便利だから」だ、すなわち付加価値がある、と。結果は予想通りになった。タバコ自動販売機の分野では、数年後に15種類のタバコと三つの両替機のついた販売機がニューヨークはブロードウェイに登場。さらに29年には硬貨を入れると「有り難う Thank You」と声が出るタバコ自動販売機もつくられた。


 現在の日本に住んでいる僕は、「自動販売機で買うと、対面の煩わしさが無いので便利」である一方で、「自動販売機で買えるのなら、定価より高くても買う」というほどの付加価値を感じていません。

 しかしながら、1930年代はじめには、「短時間の映像が観られる」などの機能をつけたお菓子の自動販売機が、明治製菓や江崎グリコによって開発され、大いに賑わっていたそうです。

 これらは、日本中に普及した、というわけではなく、「自動販売機そのものが、メーカーの宣伝になっていた」のです。

 日本にも海外にも、「自動販売機で買えることそのものが凄い」という時代があったんですね。


 この新書を読んでいくと、太平洋戦争後の日本での自動販売機数の増加は、日本の復興や景気動向とリンクしていたということがわかります。

 海外の自動販売機は屋内に設置されているものが多いそうなのですが、日本では屋外24時間営業のものが大部分です。

 これは、日本の治安の良さの、大きな証拠でもあります。

 確実にお金が入っている機械が、真夜中も路上に放置されているのですから。

 また、自動販売機の普及というのは「戦後の人手不足の時代への対策」でもあったのです。


 先述したように、この10年くらい、日本での自動販売機の数は頭打ちになっています。

 この新書は、その「停滞期」の前に書かれたものではありますが、「そこらへんに存在しているのが当たり前」の自動販売機というものについて、さまざまな興味がわいてくる一冊だと思います。

 タバコやお酒の自動販売機の現状とか、電子マネーの普及とか、そろそろ自動販売機について、新しい知見が出てくる頃なのではないか、と期待しつつ。

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2014-10-24 【読書感想】本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法

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Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)

いかにして「考える力」を養うか。1行たりとも読み飛ばしてはいけない。何百年も残った古典は「正しい」。何かを学ぶなら「厚い本→薄い本」の順。「自分の頭で考える力」をつける読書。注目のライフネット生命経営者にして稀代の読書家による新書・初書き下ろし!


 うーむ、なんだか久々に「硬派な読書術」の本を読んだような気がします。

 僕は「読書術」を読むのもけっこう好きなので、あれこれ読んではいるのですが、最近の「ビジネス書系の読書術」って、けっこう、「本を読めない人」に歩み寄っているものが多いんですよね。

 「本はどこから読んでもいいし、つまらなくなったら、読むのをやめて構わない」とか、「まずは新書をたくさん読みなさい」とか。

 ところが、この出口さんの読書術は、まるで「スパルタの読書戦士養成所」みたいなんですよ。

なんというか、マッチョな読書術。


 7〜8冊借りてきたら、次は読み始めるわけですが、本を読む順番が大切です。

 新しい知識を学ぶときには、私は必ず「分厚い本」から読むようにしています。厚い本が最初で、薄い本が最後です。

 あくまで一般論ですが、「分厚い本に、それほど不出来な本はない」と私は考えています。なぜなら、不出来な人に分厚い本が書けるとはまず思えないからです。

 分厚い本をつくるのにはお金がかかるので、出版社も、不出来な人にはまず書かせないと思います。分厚い本が書けるのは、力量のある人です。力量のある人が書いた本なら、ハズレの確率は低いと思います。

 それに、薄い入門書は、厚い本の内容を要約し、抽象的にまとめたものです。全体像を知らないうちに要約ばかり読んでも、その分野を体系的に理解することはできません。


 わからない部分があっても、分厚い本を1字1句読み進めていく。

「これ1冊を全部読み終えたら、いくらかはわかるようになるはずだ」と信じて、それはもう、ひたすら丁寧に読み込みます。すると、4〜5冊を読み終える頃には、その分野の輪郭がつかめるようになります。

 このようにして分厚い本を何冊か読んだあとに、薄い入門書に移ると、詰め込んだ知識が一気に体系化されます。目の前の霧がさーっと晴れて、「ああ、わかった。あの本に書いてあったのは、こういうことだったんだ」という感覚を味わうことができます。

 厚い本を先に読み、薄い本をあとで読むのは、たとえて言うなら、「入社直後の上司は、鬼の上司に限る」のと同じことです。


 著者の読書術というのは、だいたいこんな感じで紹介されていくのです。

 僕はこの新書を読みながら、考えていました。

「著者の読書術は、おそらく正しい。これを実行できれば、きっと本から多くのことを学べるはずだ」と。

 でも、こんなふうに「分厚い本から、力づくで読んでいけるような人って、基本的に「本好き」なんですよね。

 自分のやりたい仕事、興味のある分野なら、「鬼の上司」にいきなりしごかれるのも良いのかもしれませんが、本が苦手とか、あまり本を読んだことがない人には、ちょっと敷居が高すぎるのではなかろうか。


 この新書、後半のブックガイドは読書初心者対応なのですが、前半の「読書術」の部分は、「本が好きで、読むことは苦痛ではないのだけれど、どんなふうに読んでいくのがいちばん効率的なのか知りたい」という「すでに読書家になっている人向け」だと思います。

 ダイエットと同じで、「食事療法と運動療法」というような「王道」に効果があることは、みんな知っている。

 でも、その方法はキツいから、楽な方法はないかとあれこれ試して、結局、かえって時間をムダにするだけになってしまうんだよなあ。


 最近の「読書術」には、こういう「王道」ではなくて、「一時的に効果があるようにみえる(でもリバウンドがくる)ラクそうな読書術」が多いので、かえって新鮮なのかもしれませんね。


 人、本、旅の3つの中で、もっとも効率的に教養を得られるツールが、本です。

 旅や人と比較しながら、本の優位性について考えてみましょう。私が考える本のメリットを順不同にあげると、次の5つです。


(1)何百年も読み継がれたもの(古典)は当たりはずれが少ない

(2)コストと時間がかからない

(3)場所を選ばず、どこでも情報が手に入る

(4)時間軸と空間軸が圧倒的に広くて深い

(5)実体験にも勝るイメージが得られる。


 この新書のなかでは、(1)〜(5)の内容について、詳述されています。

 これはもう、「その通りです」としか言いようがありません。


 あと、後半のブックガイドに出てくる本には、魅力的なものがかなりありました。

 著者が「自伝の最高傑作」と述べている『バーブル・ナーマの研究(3)』でのインド・ムガール朝の初代皇帝であるバーブルのエピソードや、『ハドリアヌス帝の回想』。

 そして、ドロシー・ロー・ノルト(アメリカの教育者)の詩、『子ども』が引用されていて、人の親として、非常に感銘を受けました。

 そうだよね、子どもって、周りからされたことを覚えながら、成長していくんだな、って。


 初心者向きの「読書術」ではありません。

 本好きにとっての「極めるための読書指南書」としては、なるほどなあ、と思うところと、これを真似できる人は、そんなにいないのでは、というのが半々、という感じです。


ハドリアヌス帝の回想

ハドリアヌス帝の回想

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2014-10-23 【読書感想】40歳、初めてのお見合い

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みんな結構、おせっかい。

そして意外にあったかい。

――人気掲示板「発言小町」で400万人が感動!

恋愛、仕事、家族をめぐる6つのしみじみエピソード。


電車男』の時代と比べると下火になってしまった「ネット発の書籍」なのですが、まだ、けっこうたくさん出てはいるようです。

これは、読売新聞社が運営するニュースサイト『大手小町』の掲示板『発言小町』から、6つのトピックとそのレスを選んだものです。

 1999年10月、「ユーザーが楽しく交流できる場」として誕生した発言小町も、15周年を迎えました。開設当初にトピ・レス合わせてわずか数十本だった投稿は、今では毎日数千本に。月間アクセス数1億8000万人、ユニーククーザー数400万人という大きな集いの場に成長しました。

発言小町』がターゲットにしている層を考えると、幼稚園に通っている息子の同級生のお母さんの10人に1人くらいは、「小町ユーザー」ではないか、という数字です。

このくらいになってくると、「ネットという特別な場所だから」というよりは、「世の中の女性の平均的な意見」が、ここにはあるのかもしれません。

もちろん、「わざわざ掲示板に書き込む人」というのには、それなりのバイアスというか、性格の偏りがある可能性も否定はできないでしょうけど。


最初に紹介されているのが、このトピック(一部を抜粋しています)

 派遣先の上司(35歳女性)が、語尾に「にゃん」をつけるのです。

 例えば「このアンケート、明日までにまとめておいてにゃん」、こんな感じです。

 人を呼ぶ時は、例えば吉田さんだったら「吉にゃん」という感じで呼びます、私も「きむにゃん」と呼ばれています。

 私の派遣先部署は、この上司を、もう一人女性社員(25歳)がいて、この人もネコ語で喋っています。ちなみに私は30歳です。

 上司はとてもいい方です。不満はありません。派遣先も雰囲気がよいです。

 ただ、ただ! どうしてもこの「〜にゃん」に体が拒否反応を起こしてしまい、じんましんが出ています。

僕は『発言小町』って、ほとんど見たことがないのですが、僕のネットでの観測範囲での印象からは、「すごく殺伐としたやりとりが行われている場所」だと思っていたんですよね。

でも、この本に採り上げられているトピックをみると、けっこう、温かい言葉をかけてくれる人もいるのだな、と感じました。

「明らかに釣り」とか「あまりにも殺伐としている」トピックやレスは、書籍化の際に選ばれなかったのは間違いないのだとしても。


このトピックも『マツコ有吉の怒り新党』に送れよ!と思ったのですが、むしろ、あの番組のほうが「ふたり+夏目三久さんによる『テレビ発言小町』」みたいなものなのです。成立時期を考えると。


「パワハラで鬱を発症してしまった私にとっては、『にゃん』なんて、むしろ羨ましい職場です」

「さすがに仕事場で使う言葉としては、不真面目なのではないか」

「一度使ってみたら、案外慣れるかもしれませんよ」

などというレスが収録されているなか、こんなのも採り上げられていました。

 言おうと頑張っても言えないんでしょ?

 聞いたら、言おうとしたら、じん麻疹が出るんでしょ?

 心療内科か、皮膚科に行って猫語のせいでじん麻疹が出るという診断書をもらって、上司に提出して強要しないようにお願いすればいいでしょう。

 体調に異変が起きているのですから、パワハラじゃないの? と思ってしまいますが。社内だけといっても、うっかり社外の人や、クライアントに聞かれたら、信用問題になると思うんですけど……。


出た、「これをプリントアウトして病院へ行け!」

こういうレスを読むたびに、「この人は、自分が相談者の立場でも、こんなふうに主張して病院に行くのだろうか……」と思います。

というか、心療内科や皮膚科の医者は、こういう相談をされて「診断書を書いてくれ」と言われても、困るのでは……内容を読んでみると、パワハラ的に「にゃん語」を強要されている、という感じでもないですし。

発言小町」で相談すると、こういうのが山ほど返ってくるのではないか、と考えてしまう、僕の「はてな脳」……


この本を読んでいると、世の中には、けっこう、隣人の生活感あふれる会話を微笑ましく聞いていたり、日常でイケメンに遭遇することを楽しんでいたりするような人も、少なくないのだな、とホッとします。

とくにネット上では「尖っているところ」ばかりが露出してしまいがちなので、「そこまで殺伐とした人ばかりじゃないよね」と。


ただ、この本のタイトルにもなっている、「40歳、初めてのお見合い」のトピックについては、この真面目な女性と、それを応援する人々が、途中から、なんだかちょっと怖くなってきて。

レスをする人たちは、この40歳の女性のことを、「あなたみたいな素晴らしい人なら、きっとうまくいきますよ」とか、「この見合い相手の素敵な男性と、結婚できるはず!」みたいな感じで、どんどん盛り上がっていっています。

具体的なアドバイスも、いろいろとなされているのです。

「最初に会う前には、美容院に行っておけ」とか。


でも、人間関係とか、恋愛って、どんなに相性が良いと思っている人相手でも、長く付き合っていけば、イヤなところも見えてくるし、ケンカすることだって、ありますよね。

そういう現実のなかで、やっていくのが「普通」なわけで。

このトピックの雰囲気だと、傍観者たちがつくった神輿に乗せられた相談者が、周囲から自分と相手の男性のことを過剰に美化されてしまった状態で、結婚に向けて押し流されているような気がするんですよ。

結局、この相談者(トピ主)は、「しばらく、みなさんにお返事するのはやめさせてください」という、距離を置く選択をしています。

応援されるっていうのも、大変だよなあ、と。


予想以上に「微笑ましい内容」の本ではありました。イラストにもほのぼのとした味があります。


わざわざ書籍として読む理由があるか、と問われると、「ネットで読むのと、そんなに変わりないような気がする」というのが、僕の答えなんですが。


こういう本を読むと、あの『電車男』の「編集の妙」をあらためて思い知らされます。

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2014-10-22 【読書感想】靖国神社

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靖国神社 (幻冬舎新書)

靖国神社 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

靖国神社

靖国神社

内容紹介

戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか――。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからまでを見据えた画期的な書。


 時事問題の「ざっくりとしたところ」を、とりあえず2時間くらいで理解できるという、まさに「新書らしい新書」だと思います。


 2013年12月26日に安倍晋三首相が靖国神社を参拝したのですが、中国・韓国からの反発は「想定内」だったものの、アメリカからも「失望」が表明されました。

 それって、事前にアメリカに言ってなかったのか?というのと、いや、そもそもこれって、アメリカにお伺いをたてるべきことなのだろうか?というのと。

 いずれにしても、「アメリカの機嫌を損ねると、こんなに日本は動揺してしまうのか……」と、あらためてその影響力の強さを思い知らされた気がします。

 中国との関係もあり、いろいろと物騒ですしね……


 共同通信社は、首相の靖国参拝を踏まえ、12月28日と29日に全国緊急電話世論調査を行った。それによれば、「よかった」が43.2%で、「よくなかった」が47.1%と、反対が若干上回った。外交関係に「配慮する必要がある」は69.8%にものぼり、「配慮する必要はない」の25.3%を大きく上回った。

 産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が年明けの2014年1月4日と5日に行った電話調査では。「評価する」が38.1%で、「評価しない」が53.0%と、反対が賛成をかなり上回った。

 注目されるのは、若い年齢層で賛成が多くなる傾向が見られる点である。30代では「評価する」が50.6%で、「評価しない」が41.4%である。20代でも「評価する」が43.2%で、「評価しない」が41.6%である。

 ただここで考えなければならないことは、若年層になればなるほど、靖国神社についての知識が乏しくなる点である。朝日新聞が、首相の参拝前の平成25年11月上旬から12月中旬にかけて20代と30代以上に対して行った世論調査では、20代では首相の靖国参拝に賛成が60%で、反対の15%をはるかに上回った。30代以上でも59%と22%だった。

 ところが、「靖国神社には、第二次大戦中の日本の指導者だった東條英機元首相らの戦犯も祀られています。このことを知っていますか」という問いには、30代以上で知っているのが84%だったのに対して、20代では56%にとどまった。これでは、なぜ中国や韓国が反発するのか、その理由を理解できないことになる。

 

 この「若年層は靖国神社の知識に乏しい」ということに関しては、僕はやや懐疑的ではあるのです。

 古市憲寿さんの『誰も戦争を教えてくれなかった』という本のなかで、こんなデータが紹介されています。

 この本の冒頭で、若者たちの間で戦争体験が風化していると書いた。しかし若者に限らず日本人は、実はそもそも戦争についてあまり興味のない可能性がある。

 2000年にNHKが実施した嫌らしい世論調査がある。16歳以上の男女にアジア・太平洋戦争において「最も長く戦った相手国」「同盟関係にあった国」「真珠湾攻撃を行った日」「終戦を迎えた日」がいつかを答えてもらったのだ。

 結果、1959年生まれ以降の「戦無派」では69%が「最も長く戦った国」を知らず、53%が「同盟関係にあった国」を知らず、78%が「真珠湾攻撃を行った日」を知らず、「終戦を迎えた日」を知らない人も16%いた。全問正解した人はわずか10%だった。

 ここまではまあいいだろう。「戦争を知らない若者(と中年)ということで理解可能だ。しかし1939年から1958年に生まれた「戦後派」、それ以前に生まれた「戦中・戦前派」でも決して正答率は高くなかった。たとえば「最も長く戦った相手国」を知らない「戦中・戦前派」は57%、「真珠湾攻撃の日」を知らない「戦後派」は65%。

 実は序章で「広島に原爆が落とされた日を知っている若者はたった25%」と書いたが、全年齢平均でも数値は27%。長崎原爆の日にいたっては、若年層のほうが正解率が高く、60代以上は19%しか正解していない。

 若者だけじゃなくて、僕たちはみんな戦争に興味がなかったのである。


 靖国神社の知識に関しては、30代以上は、小林よしのりさんの『戦争論』の影響も受けているのかもしれませんね。

 

 「若者の戦争離れ」が事実かどうかはとりあえず置いておくとして、この新書では、靖国神社が成立した歴史から、太平洋戦争で、兵士たちが「靖国で会おう」と言葉を交わすような存在になっていくまで、そして、戦後に起こった、さまざまな靖国神社に関する政治的な問題が語られていきます。

 

 靖国神社が誕生したのは明治12年(1879)年のことである。ただし、それ以前、靖国神社が創建された場所は「東京招魂社」と呼ばれており、東京招魂社の創建は明治2年に遡る。一般に、東京招魂社創建の時点で靖国神社が生まれたと考えられている。


 靖国神社というのは、比較的新しい神社なのです。

 もともとは、戊辰戦争での官軍(維新政府側)の戦没者を祀るためにつくられ、その後のさまざまな戦争で、「国家に殉じた人々」を顕彰し、合祀してきました。

 戦死者でも、政府にとっての「反乱者」たちは、祀られることがなかったのです。

 ある意味、「政府にとって、日本にとっての敵と味方を区別するための存在」でもありました。

 初期は、「維新政府側の戦没者」を顕彰するためのものだったのですが、日本が対外戦争に踏み出していくとともに、「靖国神社に合祀される」ということは、「日本のために命を落とした人」と認定されることになっていったのです。


 この「合祀」の特殊性について、著者はこう解説しています。

 合祀とは、二柱以上の神を一つの神社、ないしは一つの社殿に合わせて祀ることをさし、それ自体は神社の歴史において珍しいことではない。明治末期の神社整理の際には、それが広く行われたわけである。また、近年では、地方の過疎化その他で維持できなくなった神社が毎年大量に生まれており、それを他の神社に合祀することも頻繁に行われている。

 その点では、靖国神社の合祀が特別ではないということにもなるが、今あげた合祀は、すでに神社に祀られていた神を一つの神社で合わせて祀るという意味での合祀であり、靖国神社の合祀とはやはり性格が異なっている。靖国神社では、それまで神として祀られていなかった戦没者の霊を招き、それを新たに祀ることが合祀とされる。

 こうした合祀の方法をとっているのは靖国神社と護国神社に限られる。歴史を重ねるごとに、こうした合祀がくり返されてきた結果、靖国神社の祭神の数は際限なく増えてきた。一つの神社で幾柱かの祭神を祀っているところは珍しくないが、およそ246万6500柱という靖国神社の祭神の数は群を抜いていて、他に例を見ない。それに近い神社も存在しない。


 たしかに「これほど多くの神を祀っている神社」というのは、他には存在しないのです。

 太平洋戦争後、GHQの方針で、一時的に「新たな合祀は禁止」されたそうなのですが、靖国神社側はひそかに合祀を続け、米ソの冷戦とともにGHQも軟化したため、どんどん合祀者は増えていきました。


 さらに、多くの遺族が合祀を望んだ(あるいは合祀を受け入れた)のは、「名誉」とともに、こんな理由もあったそうです。

 戦後は、軍人恩給や遺族援護法の対象となる戦没者靖国神社に祀られるという形になったが、逆に言えば、靖国神社に祭神として祀られるべき人間だけが国の援助の対象になったとも言える。仮に援護と合祀がリンクしていなかったり、靖国神社が廃止されるなり、合祀が中止されたりしていれば、その辺りの事情は大きく変化していった可能性がある。その点では、ここでも靖国神社には国民を差別する機能が備わっていたことになる。

 靖国神社に合祀されるということは、「国のために亡くなった人」として、国家援助の対象者となることだったのです。

 イデオロギー云々はさておき、戦後の困窮の時代であればなおさら、その対象となるかどうかは、遺族にとっては重要なことだったはず。


 長年議論が続けられている「A級戦犯が合祀されていること」について、歴史を辿っていくと、意外なことがわかります。

 A級戦犯が合祀されたのは昭和53(1978)年だったのですが、当初は、神社側も秘密裏に行っていたため、ほとんど問題になっていませんでした。

 合祀の半年後、昭和54(1979)年に、その事実がメディアでスクープとして報じられたのですが、当時は「それほど大きな話題にならなかった」のだとか。

 むしろ、靖国神社について国内で問題となっていたのは、A級戦犯の合祀ではなく、「祭祀費用の国家負担の是非」だったのです。

 靖国神社の祭祀費用の国家負担は、憲法で定められた「政教分離」の原則に反するのではないか、という議論が、太平洋戦争後ずっと続いてきたのです。

 

 首相の靖国神社参拝が、中国などの抗議によって、大きな国際問題となったのは、昭和60年(1985)年のことでした。

 当時の中曽根康弘首相による「公式参拝」が、大きな反発を呼んだのです。

 A級戦犯の合祀が伝えられた後も、何人かの首相が「私的な参拝」はしていたのですが、その際は、大きな国際問題にはなっておらず、中曽根首相も、当時はむしろ「政教分離の原則に反するのではないか?」という国内の議論のほうに目を向けていたようです。

 中曽根首相にとって、当時の日本政府にとっては、「予想外の事態」だったのですね、ここまで強い反発を海外から受けるということは。

 それ以降ずっと、「首相の靖国参拝」は、「外交問題」となりつづけているのです。

 ちなみに、昭和天皇、そして今上天皇は、A級戦犯合祀後には、靖国神社を一度も参拝していません。


 著者は、「これからの靖国問題」について、ひとつの予想をしています。

 近い将来、A級戦犯の合祀問題が、「過去の話」になってしまうような現実が生じるのではないか、と。

 これ(集団的自衛権行使の容認)によって、具体的にどういったことが起こるか、未来のことは未知数だが、自衛隊が戦闘地域において武器の使用に踏み切る可能性が出てきた。そうなれば、戦闘に参加した自衛官のなかに死者が生まれることも予想される。つまり、戦後はじめて「戦死者」が生まれるわけである。 

 そのとき、戦死した自衛官を靖国神社に祀るべきだという議論が出てくるはずである。まったくそうした主張が生まれないとは考えられないし、その主張に共感する人間も少なくないものと予想される。


 いまの日本で「靖国問題」がクローズアップされるのは、ある意味「日本があれ以来、直接的な戦死者が出るような戦争をしていないから」なんですよね。

 実際に交戦している状況下では、国家としては「戦死者」は顕彰せざるをえないでしょうし、そのひとつの形式として「靖国神社への新たな合祀」も起こりえるのです。

 そうなれば、首相だって、靖国神社に参拝しないわけにはいかないですよね。

 戦争をしている最中に「A級戦犯の合祀が云々」と言われても、「ゴチャゴチャ言うな!」くらいのものでしょう。

 「非常事態」になってしまえば、「なんでもあり」になってしまうのは、歴史が示しています。


 「靖国問題」というのは、もしかしたら、「日本にとって、束の間の平和な時代のあだ花」みたいなものなのかもしれません。

2014-10-21 【読書感想】戦略は「1杯のコーヒー」から学べ!

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Kindle版もあります。

内容紹介

・セブンカフェ、マック:100円コーヒーの本当の狙いは?

スターバックス:広告費を駆けない「ブランドスパークス」

・ドトール:低価格競争の裏にある戦略とは?

・ネスレ:フリー(無料)なのになぜ儲かる?


コーヒー業界をみれば「最新ビジネス戦略」がすべてわかる!

最新ビジネス戦略がわかる10の物語


(本書のストーリー)

ブラック金融会社を逃げ出した新町さくら。とあるきっかけでコーヒー会社・ドリームコーヒーに入社するが、彼女がはじめて知ったコーヒー業界は「ビジネス戦略」の宝庫だった! 外資系のスタバ、異業種のセブン、マクドナルド、ドトールの価格競争、最大手ネスレのイノベーションなど超強力ライバルを相手に、さくらとドリームコーヒーはどう生き残るのか!?


セブンイレブンの「セブンカフェ」は、大ヒット商品となっています。

僕もよく利用しているんですよね。

いや、そんなにコーヒーの味にこだわるほうではないのだけれども、レギュラーサイズなら100円と、缶コーヒーを自動販売機で買うより安いし。


最近のコンビニエンスストア業界をみていると、なんだか、この「1杯のコーヒーの評価が、そのコンビニチェーンの評価と直結している」ようにもみえるのです。

もちろんそれはあくまでも僕の視点でしかないのだけれども、「ひとり勝ち」しているセブンイレブンに対して、同じようにコーヒーのサービスを開始したものの、セブンイレブンの二番煎じで、かつ、味や機械のデザインも特徴がないファミリーマートや、店員さんがいれるおいしいコーヒーで差別化しようとしたものの、かえって敷居が高くなってしまったような気がするローソン。


この本、いきなり若い女性キャラが出てきて、試行錯誤しながら、さまざまな会社の事例に触れ、「コーヒー業界の戦略」を学んでいくというものなのですが、あまりにもわかりやすく書かれていて、「ライトノベル感」があったんですよね。

こんなにうまくいくはずないだろ、と。

どこかでこういう話を読んだことがあるような気がしたのですが、そうか、『100円のコーラを1000円で売る方法』の著者だったのか。


身も蓋もない話をしてしまえば、セブンイレブン、ドトール、スターバックス、マクドナルドなど、さまざまなチェーンの「成功談」をまとめて、一冊の本にしたものなのですが、たしかに読みやすいし、マーケティングの入門書として、よくできていると思います。


「コーヒーは国内飲料の実に7割以上を占めているし、消費も伸び続けている。コーヒーは大きな成長市場だ。コーヒーは主に家庭と外食店で消費されている。コーヒー産業では歴史上さまざまなイノベーションが生まれてきた。マーケティングや経営理論の宝庫でもある。さらに最近では別の業界からの参入も相次いでいる。国内企業だけでなく、取引もグローバルだ」


この本の最大の魅力は、いま、この時期に「1杯のコーヒー」をテーマにしたことなのです。

スターバックスの日本での浸透、マクドナルドの100円コーヒー、そして、セブンイレブンの『セブンカフェ』の大ヒット……

「家か喫茶店か缶コーヒー」だったものが、この30年くらいのあいだに、価格も、提供方法も多様化し、大手コンビニチェーンの命運を作用するような戦略商品となっていきました。

「セブンカフェ」なんて、考えてみれば、「単なるコーヒーの自動販売機」じゃないですか。

にもかかわらず、なぜこんなに話題になったのか。


「セブンカフェは、2013年1月に登場してからわずか1年で4.5億杯、500億円も販売した大ヒット商品だ。しかも、新たに女性客を取り込み、リピート率も55%。サンドイッチや菓子パンと一緒に買う人も2割いるから、売上の相乗効果が見込める。セブン―イレブンにとって、セブンカフェは単なるコーヒー商品ではないのだ」

「セブンに行くと、ついついお菓子をよけいに買っちゃうんですよね〜」

「これだけを見ると、セブンカフェは順風満帆で成功したように見えるかもしれない。だが、セブン―イレブンはすでに30年以上、店内でコーヒーを出すことにしつこく挑戦してきた。今回、5回目の挑戦でようやく念願がかなったのだ」

「え? 5回目? 30年以上前からやってたんですか?」

「そうだ。コーヒーブームに乗ってつい最近始めたわけではない」

これを読んで、「そういえば、コンビニのコーヒーって、ずっと前からあったような気がするなあ」と思いだしてきました。

セブンーイレブンにとって、今回の「セブンカフェ」は、「5回目の大きな挑戦」であることと、それまでの4回の事例が、この本のなかでは紹介されています。

これまでの試行錯誤があったからこそ、この5回目での成功につながったのです。

しかし、一度火がついたら、1年間に4.5億杯って、すごいですよね……


そして、コンビニで安くてそれなりの美味しさのコーヒーが飲めるにもかかわらず、スターバックスの賑わいには、あまり影響がないようにみえます。

どうしてあの値段のコーヒーが、生き延びていけるのか?

「今でこそ絶好調のスターバックスも、かつて『スタバらしさ』を見失い、経営危機に陥ったことがある」

「え? あのスタバが?」

「1971年に創業したスタバはずっと成長が続いていた。だが、2007年から2008年にかけて突然大きく利益が減った。既存店の売上も来店客数が減少して落ちた」


(中略)


「ほとんどの人は、この数字を見ると『合理化すべし』と考える。言い方をかえると、経営合理化という方法は、経営のことをほとんど知らない新町さんでもすぐに思いつくような、きわめて安直な手だとも言える」


(それってほめてるの? けなしているの?)


「しかし、2008年1月にスタバのCEOに復帰したハワード・シュルツは、そうは考えなかった。彼は『スタバらしさ』を失ったことが業績低迷の真の原因と考えた」


(スタバらしさを失った……)わくらはまだよくわからない。


「当時、スタバではスピーディにコーヒーを提供するため、挽いたコーヒーの粉を店に届けて保管する方式に切り替えたが、店で豆を挽かなくなった結果、挽き立てコーヒー独特の重厚で豊かな香りが店から消えてしまった。売上アップのためにチーズ入りサンドイッチを温めて出していたが、チーズの強い香りがコーヒーの香りを台無しにした。さらに、研修不十分なバリスタが客にコーヒーを淹れるようになって、はっきり味が落ちた。消費者レポートで、マクドナルドのコーヒーよりも低評価になったこともある」

 藤岡は説明を続けた。

「つまり、成長と効率性を追求するあまり、スタバの魅力が失われたのだ。半分引退して店舗を見て回ったシュルツは、そのことを肌で感じていた。だから、CEOに復帰して『原点回帰すべし』と考えた。本来のスタバらしさ、つまり、家庭でも職場でもない『第3の場所(サードプレイス)』としてのポジションを取り戻し、革新的な文化に戻ろうと考えたのだ」


業績が不振になると、まず「経営効率化」が叫ばれがちです。

それは「わかりやすい」けれど、効率化によって、その組織の魅力が失われてしまうこともある。

もし、このときスターバックスが安易な「経営効率化」にはしっていたら、今の隆盛はみられなかったかもしれません。


もちろん、「安さ」は魅力です。

でも、人は、コーヒーを味わうためだけに、コーヒーを飲みに行くわけではない。

セブンカフェだって、そんなにのんびりするわけにはいかないけれども、ちょっと車を停めて、休憩する理由にはなるものね。


この本を読むと、「安さ」「美味しさ」だけではなくて、「ある商品を選んで消費することによって、社会に貢献し、それが顧客の満足につながるような仕掛け」も試みられてきているのです。

人が、コーヒーに求めるものも、時代によって変わってきています。


「なぜ、こんなに多様なコーヒーチェーンが乱立して、それぞれ生き残っているのか?」

ふつうの人のそんな疑問に、過不足なく答えてくれる、なかなか興味深い本でした。