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2014-12-20 映画『ゴーン・ガール』感想

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あらすじ

ニック(ベン・アフレック)とエイミー(ロザムンド・パイク)は誰もがうらやむ夫婦のはずだったが、結婚5周年の記念日に突然エイミーが行方をくらましてしまう。警察に嫌疑を掛けられ、日々続報を流すため取材を続けるメディアによって、ニックが話す幸せに満ちあふれた結婚生活にほころびが生じていく。うそをつき理解不能な行動を続けるニックに、次第に世間はエイミー殺害疑惑の目を向け……。


参考リンク:映画『ゴーン・ガール』オフィシャルサイト


 2014年37本目の劇場での鑑賞作品。

 平日の夕方の回で、観客は10人くらいでした。カップルが2組。

 予告を観た時点では、そんなに興味はわかなかったのですが(というか、既婚者としては、「悪い予感がする作品」ではありました)、デヴィッド・フィンチャー監督の作品ということで。

 

 結婚生活5年目の妻がいきなり家からいなくなり、邸内には妻の血痕や、血を拭き取ったあとなどが残されていて、妻の夫に嫌疑がかけられ……という話。

 僕は「妻の失踪の謎を解明するミステリ」だと思い込んでいたのですが、これは、男と女というか、「結婚生活」というものの根源的な居心地の悪さ、みたいなものを容赦なく描いた作品でした。


 「奥さんの血液型を知っていますか?」「奥さんがあなたのいない昼間に何をしているか、ご存知ですか?」

 ……うーむ、前者は知っているけれど、後者は考え込むしかない。

 日本人は血液型大好きだから、占いのためだけに「血液型を調べてほしい」と病院に来る人がいるくらいなのですが(それなら、献血に行くという手もあるのだけど、無料だし)、血液型に日本人ほどこだわりのない国の人にとっては、ハッとさせられる質問なのだろうなあ。


 物語のなかで、「夫婦」に関する、お互いの秘密が(観客には)暴かれていくのですが、これがもう、知れば知るほど、どっちが悪い、とかいうより、「なんでこのふたり、結婚しちゃったんだろう……」というやるせない気持ちになってくるのです。

 お互いに、「なんでも相談して、助け合ってやっていこう」としていたはずなのに、いつのまにか、ギスギスして、顔をあわせるのもつらくなってしまう。

 顔を見るたびに、不満しか言わない妻と、まともに話を聞いてくれない夫。

 夫の立場からすれば、「何を言っても文句しか言われないんだから……」だし、妻からすれば「文句を言われるようなことばかりやっているんだから、仕方がない。だいたい、話も聞いてくれない」

 このままではいけない、とわかっているのに、溝は深まるばかり。


 この「ゴーン・ガール』、「特別な人間」を描いているようであり、どんな夫婦にも起こりうる話でもあり、カップルで来ていたら、観終えて、しばらく絶句してしまいそうな作品なのです。


「頑張っているあなたが好き」ならば、ずっと、頑張り続けなければならないのか?

 でも、多少なりとも頑張らないと、人は、人をなかなか好きにならないものですよね。

 とくに、「普通の人」の場合は。

「自然体のあなたが好き」って言う人をみるたびに、僕は、松たか子さんが以前、ラジオ番組で行っていた、この言葉を思いだすのです。

「周りからは自然体といわれることもあるけれど、私にとっての自然体というのは、その場の雰囲気を読んで、それにあった、相手が自分に期待しているであろう行動をすることなんです。それが『自然体』と言われているだけで」


 人は、大なり小なり、何者かを「演じている」。

 「うちはここまでじゃないはずだけど……」と自分のなかで否定しつつも、「こういう、夫婦が悪意もないのにすれ違っていく感じ」というのは、他人事じゃないよな、と思うのです。

 また、夫の双子の妹さんが、ものすごく微妙な感じ、なんだよなあ。


 ひたすらモヤモヤさせられて、どう収束させるのかと思っていたら……

 なんなんだこれは!いや、これぞまさに、デヴィッド・フィンチャー作品!

 あまりにも「らしい」終わりかただったので、僕はちょっとニヤニヤしてしまいました。

 さすがはフィンチャーさん! 観客をスッキリした気持ちで家に帰すなんて不誠実(?)なことはしません!


 クリスマスに、ぜひ、恋人どうしで!


 ……観ないほうが絶対にいいですよ、これ。

 なぜこの時期に公開したんだ……もしかしたら、クリスマスカップルへの、ものすごく遠回しな嫌がらせ、なのか?

 これを2人で観て、「うははははは、さすがフィンチャー!」って笑い飛ばせるようなカップルなら、すごくうまくいくかもしれないけれど。


 僕にとっては、「映画としては、大好きだし、面白かった」。

 でも、ひとりの夫としては「これはちょっと勘弁してくれ……」という映画でした。

2014-12-19 【読書感想】ぼくは眠れない

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ぼくは眠れない (新潮新書)

ぼくは眠れない (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)

ガバッと起きると午前二時、それが不眠生活の幕開けだった。毎夜同じ時刻に目が覚めて、眠れないまま朝になる。七十歳にして探険旅行に挑み、ビールだけは欠かさぬ豪快さの持ち主には三十五年にわたる孤独な「タタカイ」があった。発端となった独立騒動、はかられた精神科受診、手放せない睡眠薬、ストーカー事件のトラウマ、眠気をさそう試行錯誤等を初めて告白。果たして「やわらかな眠り」は取り戻せるのか。

 椎名誠さんに対する僕のイメージは、アウトドア好きで仲間たちと一緒に焚き火を囲んで大宴会をして、カツオをワシワシ食べてビールを豪快に飲み干し、テントで寝る前に、探検の本を少しだけ読んでぐっすり眠る、そんな感じだったんですよ。

 男からみて、「かっこいいオヤジ」だなあ、という憧れもあります。

 その椎名さんが「35年間の不眠とのたたかい」を告白しているのが、この新書なのです。

 「告白」といっても、椎名さんは、著書のなかで、鬱で中沢正夫先生に診てもらっている、という話をときどきされていたので、長年の読者にとしては「腑に落ちた」ところもあったのですけど。

 普段から午前二時ぐらいまで原稿を書いていることが多い。それはぼくの生活サイクルのなかではかなり「いい」ほうだ。仕事が進み、疲れた、と感じたあとは寝入りやすいからである。

 その日、どのように寝入ることができるか、ということが絶えず頭のどこかにある。体が疲れていてもすんなり寝入ることができないのが恐ろしいのだ。なにか毎日、そんな賭をしているようなところがある。

 負ければ、寝入るタイミングを逃して、むなしく本など読んでいるしかない。それ以上原稿仕事を続けるには確実に体や脳が疲れすぎている、ということがわかっているからだ。

 翌日、決められた時間に起きねばならない、ということがないかぎり、それでもいい。でもどこか旅に出るために決められた時間に起きないといろいろまずい、というときは「睡眠薬」を飲む。敗北感のなかで飲む。

 いつごろからぼくは「不眠」になったのだろうか。この本を書くにあたりじっくり考えてみた。

 椎名さんの「不眠」のはじまりは、業界紙のサラリーマン編集長から、物書きとして独立した30代なかばくらいから、なのだそうです。

 それまでは、とくに意識することもなく、よく働き、よく飲み、よく寝ていた、とのこと。

 フリーランスになった当時の不安であるとか、メディア業界での時間感覚の異常さ(午前3時とかに「普通に」電話がかかってくる、というのだから!)、ストーカー被害にあったことなど、生活の変化が、大きなきっかけになったのかもしれません。

 それにしても、35年間、ですからね……


 医者にかかったり、さまざまな眠るための方法を試したり。

 椎名さんによると「お酒を飲んで眠ることを試してみたが、短い睡眠で目が覚めてしまって、かえってよくなかった」と述懐されています。

 睡眠薬も、薬を変えたりしながら、使っておられるそうです。

 

 僕自身は、10代の一時期を除いては、あまり「不眠」に悩まされたことはなく(というか、夜更かししてゲームをしたり本を読んだりするのが好きなので、慢性的に寝不足だから、なのかもしれませんが)、「眠れないなら、起きていて何かすればいいのに」などとも思ってしまうのですが、「眠れない」というのは、当事者にとっては、非常につらいものなのですよね。

 椎名さんのこの新書での告白を読んでいると、「眠れない人というのは、一日中ずっと『今夜は眠れるかどうか』と心配している」ということがわかります。

 

 アウトドアの旅が好きなのは、若い頃からのことで、海、島、山、川、平原と場所はさまざま。期間もほんの一泊から一〜二ヵ月までといろいろである。そういう旅が好きな「理由」というものはほとんどなく、突き詰めていけば「趣味」の範疇に入るのだろう。「好きだから」というやつだ。

 そういう旅のどういうところが好きなのか、とさらに追究されると(よくインタビューなどで聞かれるのだ)吹いてくる風がいい、とか夜の焚き火とそれを仲間で囲んで飲むビールやウイスキーがべらぼうにうまい、その解放感がたまらない、などとほざいていたが、最近になって、そんなキザな理由よりももっと本心で好きな理由があったのに気がついた。「そういう旅では実によく眠れるのだ」

 もちろん、若い頃は、そういうふうには考えていなかったのかもしれませんが、「とにかく、ぐっすりと眠りたい」という欲求が、いかに強いものだったのかが、しみじみと伝わってきます。

 逆にいえば、そこまで「お膳立て」をしなければ、充実した眠りを得ることができなかったのだよなあ。

「不眠」がなければ、椎名さんのさまざまな「冒険」もなかったのかもしれない、と思うと、作家というのはめんどくさい職業だという気もします。

 

 この新書のなかで、椎名さんは、自身の体験や、さまざまな文献などから、「眠り」について語っておられます。

 そして、「眠れなくて困っている人」は、けっして珍しくはないのです。

 ストレス社会の現代、日本人は五人に一人が不眠症という(アメリカでは三人に一人という)。そのなかにはおそらく日常的にストレスの嵐にさらされているサラリーマンの占める率が圧倒的に高いのだろうと見当がつく。

 サラリーマンが本当に多いのか、については、僕がざっと調べた範囲では「肉体労働者よりもデスクワークの人のほうが多いと言われている」ようです。

 僕の経験上も「眠れない」という患者さんは、たしかに多いし、年齢が上がってくるにつれて、その割合は高くなってきます。

 とくに早起きしなければならない理由がなければ、無理に眠らなくても良いのではないか?とも思うのですが、当事者にとっては、やはり「夜ちゃんと眠れないのは苦痛」なんですよね……


 この本のなかに「人は、眠らないとどうなるのか」についても紹介されていました。

 たいていの人は三日間寝ないでいると倒れてしまう。大量の汗が出てきて、頭が混乱し、動作はぎこちなくなり、かなりの割合で幻覚を見るようだ。

 生物の不眠耐久力を調べるためにラットを使って死ぬまで寝かせない実験をした研究者もいた。ラットは断眠実験がすすむにつれてアドレナリンに似たホルモンを大量に分泌し、異様な過活動状態になり、体内の自律神経系の機能が壊れたようで、大量に餌を食べるものの体重は減少し、皮膚をボロボロにして二週間で死んだという。


 カンボジアに行った際に見た、ポル・ポト派が使っていたという、「眠らせない拷問のための椅子」についての話も出てきます。

 その近くの廊下の端にさして特徴のない祖末な背もたれつきの木の椅子があって、それも拷問用に使われた、と書いてある。

 ちょっと見たかんじ小さな椅子でしかないので、素通りしそうになったが、案内してくれたカンボジア人が「これがもっとも確実に人を狂わせる拷問装置です」と教えてくれた。

 いまはもうその拷問用の中心装置は取り外されていたので仕組みはよくわからなかったのだが、人がその椅子にすわって背もたれに縛られると、その人の頭の上にまことに簡単ながら凶悪な力をおよぼす道具がとりつけられる。

 そこには水がいっぱい入っていて、一番下の小さな穴から間欠的に水滴が落ちるようになっているそうだ。拷問をかけられる人が頭を固定されているので日夜絶えることなくずっと頭の一点に水滴が落ちてくる。これをやられるとヒトは完全に寝られなくなるそうだ。一定の間隔で頭の一ヵ所を刺激されると人間は通常の思考ができなくなり、短時間で狂気に陥っていく。雨垂れがそのようにして一定のポイントに水滴を落としていると石でも窪みを刻んでしまうというからこの装置は見たかんじ地味ではあったが残虐さは悪魔的であった。

 短い時間の説明だったのですっかりはわからなかったが、この拷問は大体三日続けると死んでいたという。その多くの死因は寝られないことと、次第に刺激的になってくる一定の水の落ちるリズムに人間の神経のどこか基本的なところが耐えられなくなってしまうからのようだった。


 不祥事のあと、メディアの前で「私は寝てないんだっ!」と発言した社長に「無責任だ」というバッシングが浴びせられたことがありました。

 でも、「仕事で眠らせてもらえないまま、いつ終わるかもわからず、ずっと気が抜けない状態が続く」というのは、当事者にとっては、ものすごくつらいんですよね。

 僕も当直のときとか、精神的に参っているのを自覚せずにはいられません。

「眠れない」ストレスは、体験してみないと、なかなか理解できないし、本人にしかわからない。


 「眠れなくて困っている人のための本」というよりは、「椎名誠さんの告白本」という内容ではありますが、僕は興味深く読めました。

2014-12-18 【読書感想】失職女子。

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失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで

失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで

内容紹介

明日はあなたかも!

100社連続不採用、貯金ゼロ。

ホームレスになるかもしれない…。

生きるための選択肢は、借金か風俗か自死か、行政に頼るか。

能力もキャリアもあり、働く意思も強い女性がなぜそこまで追い詰められたのか!

働きたいのに、働けない。そんなときあなたはどの道を選びますか?

でも私は、生きていたいと必死に生きる現役の生活保護受給女子による貧困のリアルと、サバイバル術。

人気イラストレーター小山健さんの4コママンガ扉も入ります!


 病院で働いていると、生活保護を受けている人と接する機会も少なからずあります。

 いろいろな人がいて十把一絡げに総括することは不可能です。

 まあ、人それぞれ、だよなあ、と。

 ただ、本人や身内の突然の病気や事故で、経済的に立ち行かなくなることって、少なからずあるんですよね。

 それは、まちがいない。

 いまの世の中、どんな大会社だって、倒産しないとは限らないし、会社が潰れなくても、リストラされないとは限らない。

 勤め先はブラック企業っぽいのだけれど、そこを辞めても、次を見つける自信がない、なんていう人も、少なくないはずです。

 「普通の人」って、不安定な狭いところに、なんとか立ってバランスをとっているのです。

 なるべく、足下と、その下に広がる、奈落を見ないようにしながら。


 実感として、多くの「困っている人」が、「社会保障制度」を利用していないのです。

 ひどい病状になって、救急車で運び込まれてきて、ソーシャルワーカーと話をして、ようやく、そういうシステムがあることを知る。

 あるいは、そういうシステムの存在は知っていたけれど、めんどくさくて、あるいは、恥ずかしくて利用することができなかった、と。


 鈴木大介さんの『最貧困女子』という本のなかに、こんな記述があります。

 まず彼女はメンタルの問題以前に、いわゆる手続き事の一切を極端に苦手としていた。文字の読み書きができないわけではないが、行政の手続き上で出てくる言葉の意味がそもそも分からないし、説明しても理解ができない。劣悪な環境に育って教育を受けられなかったことに加え、彼女自身が「硬い文章」を数行読むだけで一杯一杯になってしまうようなのだ。


 そんなだから、離婚して籍を抜くにしても、健康保険やその他税金などの請求について市役所で事情を話して減免してもらうにしても、なんと「銀行で振込手続きをすること」すら、加奈さんにとっては大きなハードルだった。18歳で取得した自動車免許も、更新手続きを怠って失効している。子供の小学校入学の手続きにしても、実質的に地域の民生委員が代行してくれたようだった。


 通常こんな状況なら、消費者金融などでさぞや大借金しているのだろうと思ったら、なんと彼女は借金の手続きすら苦手の範疇。唯一の借金は、サイトで知り合った闇金業者を自称する男から借りた2万円だという。


「闇金さんね。貸してほしいって泣きながら頼んだけど、2万が限度だって。でもそれも、そのあとに3回ぐらいタダマンされたから、チャラかな」


 滔々とその生い立ちと現在の苦境を語る彼女を前にして、僕自身が思考停止になってしまった。


 この『失職女子。』の冒頭で、著者は、この本を執筆した動機を、こう述べています。

 求めていたのは、申請を経験した人からの実践的アドバイスでした。私のような元OLの目から見た「これが生活保護申請だ!」みたいなナマナマしい体験談も読めたら、なおよい。女性向けエッセイ百花繚乱な昨今、探せばそういう本も何冊かはあるだろう、と思ったんです。

 だけど、なかったんです。図書館にも本屋さんにも、そんな本ありはしませんでした。

 いえ、生活保護申請に関する本はあったのですが……、私が見つけることができた本のほとんどは「男性でしばらくホームレス状態だった人が生活保護申請する場合」を想定して書かれたものか、福祉を勉強する人のためのアカデミックな本でした。

「もっとこう、つい最近まで働きながらひとり暮らししていた女性がある日突然、『ああ、生活保護申請しなきゃ! けど、どうしればいいかわかんない!!』ってときに参考にできて、経験者から『こういうふうにやってみたら、なんとかなったよ!』みたいなアドバイスをもらえる本、ないのかなぁ。できれば、明るいタッチで書かれたもので。あればすっごく読みたいのになぁ」

 という一年前の私自身の渇きが、この本にはふんだんに活かされています。


 正直なところ、僕自身も、この本を読んでみるまでは、「まだ30代後半くらいで、重い障害を抱えているわけでもないのなら、仕事を選ばなければ、生活保護を受けるくらい困窮するものなのだろうか……」と思っていたのです。


 日本の脱貧困運動の第一人者である湯浅誠さんは、著書『どんとこい、貧困!』(2011年 イースト・プレス刊)で、貧困とは三つの「溜め」が枯渇した状態だと書いています。

 それらは、貯金などお金の「溜め」、助けてもらえる人が周りにたくさんいるという人間関係の「溜め」、そして、「がんばろう」と思える精神的な「溜め」です。貯金や、頼れる人たち、そして精神的な余裕があれば、失業して一時的に「貧乏」になったとしても「貧困」には陥らない、という考え方です。


 お金がない、というのは、必ずしも「貧困」とイコールではない。

 逆に、お金にある程度余裕があっても、人間関係や精神面での問題をかかえていれば、少なからずリスクはあるのです。

 お金なんて、無くなるときは、あっという間に無くなりますから。


 DVを受けた経験もあり、両親との関係に問題があることや、勤務していた会社を商材へのアレルギーで休職しなければならなかったこと、メンタルの問題でカウンセリングを定期的に受ける必要があり、自宅での仕事を薦められていること、などの要因も考えると、いくつかの状況が重なると、物事は悪いほうへ悪いほうへと転がってしまって、どんどん状況を改善するのが難しくなっていくのだな、と思い知らされました。

 そもそも、世の中っていうのは、リスタートしようにも、「お金が無いとはじまらない」ってところがあるんだよね。

 日銭を稼がなければならないような生活だと、とにかく目先の「簡単にできる仕事」をやるしかなくて、スキルも上がらないし、資格をとるための勉強もできない。

 資格をとるのにも、時間やお金が必要なわけで。


 それにしても、転職とか、中途採用なんていうのは、やはり、年齢を重ねていくとキツいのだよなあ。

 ハローワー子さんはふんふんとその話を聞き、私の履歴書に目を通し、そして私の目を見て、こう聞きました。

「大和さんは、今後どういったお仕事をされたいんですか?」

 どういった仕事を――? ハローワー子さんに問われ、

「いえ、もう、雇っていただければなんでもいいです。派遣でも、なんでも」

 しどろもどろながら私がこう答えたのは、やる気を全面にアピールしたかったからです。

 けれども私、いつもそうなんです。

 自分をアピールしようとすると、決まって逆効果になっちゃうんです。

 ハローワー子さんの容赦ない言葉が私に降り注ぎました。

「大和さんのご年齢から言って、『なんでも』というのは、通用しません。今までのご経験を活かした仕事しか無理です。応募しても書類で落ちるだけですから。あと、派遣は40代になると切られますよ?」


 この本を読みながら考えていたのは、「もう、生活ができなくなってしまった人」「明日の食べ物に困っている人」に対する援助や社会保障だけでなく、「このままでは、生活保護レベルの経済状態になっていくことが予想される人」の早期発見、早期対策、みたいなものができないものか、ということでした。

 それが、いま一部の人が主張している「ベーシックインカム」なのかもしれませんが。


 高齢者や重い病気を抱えている人に関しては、生活保護で支えていかざるをえないでしょう。

 でも、若くて働く能力もあるけれど、状況が悪かったり、体調に問題があったりして、いまは働けない人に関しては、にっちもさっちもいかなくなる前に、公的補助で早期に「軌道修正」できれば、結果的にコストも少なくてすむのではないか、とか考えてもみるのです。


 日本のお役所というのは、門を叩けば、けっこう親切にしてくれる所が多いのです。

 僕が実際に接している専門職の人たちも、とくに現場に近い人は、親身になって相談に乗っているようにみえます。

 ただ、その「門を叩くまでのハードル」を高く感じている人が、「普通の人」が考えている以上に多いし、もしそういう人たちがみんな保護を求めてきたら、パンクしてしまうくらいの人的・金銭的な資源しかない、のも事実です。


「水際作戦」ということで、とにかく受給者を増やさないようにしている、というイメージを僕も以前は持っていましたし、そういうところも地域によってはあるのかもしれませんが、少なくとも、そんなお役所や職員ばかりではありません。

 実際に接してみると、世間からは「9時5時で帰れて、給料も高いラクな仕事」「まずは議員と公務員の給料を下げろ!」なんて責められがちですが、そんなにラクなもんじゃないですって。

 僕が知っている福祉関係の部署に関しては、「これはキツい仕事だなあ……」と嘆息せずにはいられません。


 著者は、この本のなかで、困窮状態になってから、「生活保護」を受けることをすすめられ、決意するまで、そして、実際に生活保護の手続きをしていくプロセスを、かなり丹念に書いています。

 生活保護に関する本には、「生活保護を受けることになった自分の心の葛藤」みたいなものが延々と書かれていて、決意した次の項では、受給後の生活の描写になっているものもあるのですが、この本では、著者の「記録癖」のおかげなのか、生活保護を受けるためのけっこう細々とした条件とか、周囲との折衝の様子も書かれているのです。

 生活保護を受ける条件として、その地域によって住む場所の家賃の上限が決まっていたり(「生活保護の人には貸さない、という大家さんも少なからずいるようです)、虐待などの既往があれば、「扶養照会」をしなくても済むことになっていたり、「貧困ビジネス」にさりげなく狙われたり。

 けっこうめんどくさいんだな……と、人並みに「手続き嫌い」の僕も、うんざりしてしまいました。

 本人がマメか、きっちり支援してくれる人がいないと、生活保護の受給条件を整えるのも、けっこう大変なんだなあ。


 著者は、こんな言葉を紹介しています。

『絶対にあきらめない生活保護受給マニュアル』(田村宏 2008年 同文館出版刊)にはこう書いてありました。


(経済的に行き詰まった時には)福祉事務所に行って生活保護の相談をすることをおすすめしたいのです。消費者金融などに行くより、よほど健全だからです。


生活保護のほうが、消費者金融より健全」――ああ、この言葉をもっと早くに知っていれば。

 私はまったくのおバカで、所持金がほとんどなく家賃が払えないという事実と生活保護申請という考えとが結びつかず、売春 or 借金? という発想しかなかったのです。

 さらにこの本には、利息のつかない生活保護は、お金を借りるより安心で生活の立て直しがしやすくなる、ともありました。


 それでも、「手続きがめんどくさい」とか「恥ずかしい」とかいう理由で、多くの人が、消費者金融で借金をしてしまう。

「手続きのめんどくささ」というのは、人間にとって、大きな障壁であることを考えずにはいられません。

 賢い人、親身になって相談できる相手がいる人は、「最初はめんどくさくても、長い目でみればラクになる道」を選ぶことができるのだけれど、「人間関係」がないと、その選択肢の存在すら、知ることができない。


 実際、借金漬けで、重い病気になるまで放置していて、高額な医療費が必要になるよりは、生活保護をうまく利用して、経済的に立て直すことができれば、はるかに「社会にとってもプラス」になるはずなんですよ。

 「立て直す」というのが、そう簡単ではないこともわかるけれど、少なくとも、その可能性を高めることはできる。

 

 本当に困っている人も、「生活保護のリアル」に興味がある人も。

 今の世の中、「『生活保護』なんて、自分には絶対に関係ない」って言える人って、そんなにいないと思うから。

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2014-12-17 【読書感想】ふしぎな国道

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ふしぎな国道 (講談社現代新書)

ふしぎな国道 (講談社現代新書)


Kindle版もあります。

ふしぎな国道 講談社現代新書

ふしぎな国道 講談社現代新書

内容紹介

空気のように、非常に身近でありながら、ほとんどその存在を意識されることのない「国道」。その国道を真っ正面から扱った記念碑的作品。


実は、国道には不可思議なことが数多く存在する。

・国道246号は存在するのに、なぜ国道60号や国道99号はないのか?

・圏央道やアクアラインは高速道路なのになぜ国道指定されているのか?

・車が通れない商店街や階段がなぜ国道指定されるのか?

・道路すら走っていないフェリー航路が国道扱いされるのはなぜなのか?

など、いちいち挙げれば、数限りない。

国道をこよなく「国道マニア」として知られる佐藤健太郎氏が、こうした国道にまつわる、様々な謎を読み解くとともに、国道をこよなく愛する「国道マニア」たちのマニアックな生態を解説する。悪路を好んで走る「酷道マニア」。旧道を好んで走る「旧道マニア」。国道のありがたさを実感するために非国道のみを頑なに走行する「非国道走向マニア」、道路元標に異常な執着を示す「道路元標マニア」など、彼らのこだわりは相当なまでにマニアックである。抱腹絶倒の一冊


 好きだな、この本。

 僕は「乗り物酔いしまくりの乗り物好き」なのですけど、「国道」というのは、あまり意識したことがない存在でした。

 でも、この「国道への愛が溢れ出してしまって、とうとう講談社現代新書を一冊書き上げてしまった」という佇まいには、すごく惹かれるのです。

 こういう「読んだからといって、ちょっとしたネタが増えるだけで、人生において何の役にも立ちそうもない本」って、いいですよね(って言っても、同意してくれる人はそんなにいないかもしれないけれど)。

 「ビジネス書」みたいに「役に立つ」ことは主張しないけれど、読んでいるあいだは、「よくやるなあ!」って半ば感心し、半ば呆れてしまうような、そんな本です。


 本書は、日本の道路行政の問題について鋭く分析・検討し、何ごとか物申すような本ではない。各地の絶景やグルメを楽しむための、ドライブガイドのような本でもない。本書は、「道路」そのものを楽しむために書かれた、「国道マニア」の入門書だ。

 鉄道マニアなら知っているが、国道マニアなんてものがいるのか? と思われそうだが、実は意外にいる。ある国道研究書は、相当に高度な内容にもかかわらず3万部以上売れたというし、mixiでの「酷道」コミュニティの人数は、なんと1万人を超えている。すっかりメジャーになった鉄道趣味にははるかに及ばないが、国道マニアという人種も思ったより多く存在しているのである。

 

 「鉄道マニア」「飛行機マニア」の存在はある程度社会的に認められているのですが、それならば「道マニア」がいても、おかしくはないんだよなあ。

 「国道」と聞いてみなさんが思い浮かべるのは、どのような道だろうか。複数車線が整備された車道、街路樹などが植えられた広い歩道、沿線に立ち並ぶ商店や住宅街――といった道路ではないだろうか。しかし世の中には、そうした道とはかけ離れた、悲惨な整備状態の国道も存在する。センターラインがないくらいはまだかわいいもので、対向車が来たらすれ違い困難だとか、落石だらけでろくに前に進めないとか、道の上を川が流れている「洗い越し」などというものまであるし、崖にへばりつくようにして走る、『ルパン三世』のアニメに出てきそうな道も実在する。この谷に落ちたら命はないなと下をのぞいてみたら、本当に谷底で車が大破していて、身のすくむ思いをしたこともある。

 こうした道を、マニアは親愛の情と畏怖を込めて、「酷道(こくどう)」と呼び習わす。


(中略)


 実はこうした酷道の愛好家は多く、道路趣味者の中でも最大勢力を誇っている。「酷道」でウェブ検索すれば、走行レポートのウェブサイトや動画が大量にヒットするし、単行本やムック、DVDもかなりの数が販売されている。一般にはあまり知られていないが、実に層が厚い趣味世界が形成されているのだ。

 酷道に興味を持つきっかけはさまざまだが、ドライブ中に「国道だから」と安心して入り込んでとんでもない道に出くわし、「なんでこんな道があるのか」と興味を持って調べ始めた、というケースが多いようだ。普通は細道に入ってヘトヘトになって懲りるのだが、中にはなぜかこの不思議な趣味にのめり込んでしまう人もいるわけである。

 

 これを読んでいて、僕がまだ小学校の頃、家族旅行で、中国山地を縦断する「ちょっとハンドル操作を誤ったら崖下に転落しそうな、酷い三桁番号の国道」を通ったときのことを思いだしました。

 車に酔い、「これが国道なのか?」と毒づきながら、あまりの恐怖に真っ青になって窓の外を見ないようにしていましたが、冷静に運転していた父親の姿を、いまでもなんとなく覚えています。

 本人は運転に自信があったようですが、今の僕よりも若かったし、内心では、すごくドキドキしていたんじゃないかなあ。

 とりあえず、あれで「酷道趣味」に目覚めなくてよかった……


 僕自身は運転にもあまり自信がありませんし、「酷道ツアー」なんていうのは勘弁してほしい。

 その一方で、他人が通った「酷い道の話」を聞くのは、けっこう面白い。


 この新書では、なぜか階段が国道に指定されているという、国道339号、なんていうのもあるそうです。

 日本国道界最大の名所といえば、どうしてもこの階段国道を挙げないわけにはいかない。テレビなどでも何度も取り上げられているので、マニアならずともご存じの方が多いと思う。

 問題の階段国道は、青森県は龍飛崎の突端にある。階段の上には「津軽海峡冬景色」の歌碑が建ち、ボタンを押すと大音量でこの歌が、なぜか2番から流れる。後ろには風力発電の風車、前には漁港と青い海が見下ろせ、風景だけとっても一級品だ。その漁港を見下ろす綺麗な階段の脇に、堂々と国道339号の標識が打ち立てられている。何かの間違いかと思うような情景だが、標識の下に「階段国道」と書いた補助標識まで取りつけられているので、これは完全な確信犯である。

 日本広しといえども、階段の国道というのはここにしかない。なぜこんな変なものができたのだろうか? よく言われるのは「役人が現地を見ずに地図だけ見てここを国道に決めてしまったため」という話だが、これはいわゆる都市伝説の類らしい。青函トンネルの工事のため、いずれバイパスを作る予定があり、階段と知りながら暫定的に国道指定したのが真相ということだ(松波成行著『国道の謎』による)。


 絶対に車では通れない国道!


 この新書では、迷路みたいになっている国道や、まともに車が通れないような国道、途中を水流が横切っている国道など、「なんでこれが?」と思うようなものがたくさん紹介されています。

 その「からくり」みたいなものについても触れられていて、この「階段国道」のように、「法律上、いきなり何もないところに国道を通すことはできないので、とりあえずそこにある細い道を国道指定して、そのバイパスを通すという形にして、本命の道をつくる」ことが行われているそうです。

 そして、その本命の大きな道ができれば、旧道は国道から「格下げ」になるのですが、経済上、あるいは地形上の理由などから、「本命の大きな道をつくる計画が頓挫してしまい、不可解な『国道』が残ってしまう」というケースが多いのだとか。

 ネタとして指定しているわけではなく、それなりの理由とか事情があるんですね。

 この「階段国道」に関しては、あまりにも有名になりすぎてしまったため、すでに「観光資源化」してしまっているようです。


 まず、そもそも国道とは何だろうか。単純には、丸みを帯びた逆三角形の青い標識、すなわち「おにぎり」の立っている道が国道だ。正式には「一般国道」と呼ばれる。東名高速などのいわゆる高速道路の正式名称は「高速自動車道」であり、国道の一種に分類されるのだが、本書でメインに取り上げるのは「一般国道」のほうだ。

 一般国道としては現在のところ、1号から507号まで、全国で459本が指定されている。507号まであるのに459本とはどういうことかといえば、実は国道番号には欠番があるのだ。


 この本のなかでは、その「歴史的経緯」についても説明されていますが、現時点では、国道「59〜100号」は「欠番」になっているため、507号まであるのに、459本なんですね。

 

 これを読むと、普段何気なく利用している「国道」の番号や、「おにぎり」に興味がわいてきます。

 「酷道ドライブ」は遠慮したいところですが、道路っていうのも、いろんなドラマが隠されているのだなあ、と。

 新書としてはちょっと高めの価格設定ではありますが、カラー写真も豊富で、「好きな人には、たまらない一冊」だと思います。

 しかし、そんなにいるのか、「国道マニア」。

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2014-12-16 【読書感想】ワケありな本

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ワケありな本

ワケありな本

内容説明

世の中には「いわくつき」の本が溢れている。 イスラム教を冒涜しているとしてイランの最高指導者から作者に「死刑宣告」が出され、日本で同書を翻訳した筑波大学の五十嵐助教授が何者かに殺害された『悪魔の詩』、進化論を認めないアメリカの学校教育で撲滅運動にあった『種の起源』、ジョンレノンを殺害したチャップマン、レーガン大統領暗殺未遂事件の犯人など、3人の凶悪犯罪者のバイブルとなった『ライ麦畑でつかまえて』、日本初のプライバシー裁判になった三島由紀夫の『宴のあと』、国家政権転覆煽動罪で著者が投獄された中国の「08 憲章」、出版社が勝手に内容を変えて出版していた『華氏451 度』など、世間を大きく賑わし、深刻なトラブルを起こした書籍を43 冊紹介。 本も面白いが、その裏側はもっと面白い! 差別、政治的封殺、思想、宗教、弾圧など、タブーに鋭く切り込んだ刺激的な1冊です。


 世の中には「ワケありな本」って、けっこうあるものなんですね。

 ここで紹介されている「ワケあり本」を眺めていると、「ワケあり本」というのは、「世間を騒がせてやろう」なんて動機で出版されたものより、著者の「善意」に基づいて書かれたものが多いのだということがよくわかります。

 また、同じ内容でも、社会の変化にともなって、評価が変わってくることも少なくないのです。


 黒人奴隷トムを描いて、奴隷制反対運動に火をつけたとされる『アンクル・トムの小屋』。

 著者のストウ夫人は、リンカーン大統領に「南北戦争を引き起こした女性」と言われたそうです。

(ストウ夫人が好戦的だったというわけではなく、著者が奴隷制反対運動の大きなきっかけになった、という意味ですので念のため)

 ところが、この本への評価は、奴隷制廃止後、大きく変化していったのです。

 アメリカでは南北戦争後に奴隷制が廃止された。その時点で『アンクル・トムの小屋』の目的はほぼ達成されたと言っていい。

 こうして黒人たちを救う一助となった本。しかしそれが、人種差別の解消が焦点となった戦後のアメリカにおいて、思ってもみない問題を引き起こすことになった。小説には、黒人の手はパイ皮を焼くように神様が与えたもの、というセリフが有ったり、黒人は奴隷として満足し自由を与えてもそれを拒否するもの、と読み取れる箇所がある。その内容が差別的だと批判されたのだ。

 また1950年代には、主人に絶対服従で、自分や家族の生命や自由のために闘おうとしないトムは、「服従」を示す蔑視的な言葉にもなっている。真の自由を勝ち取るために闘う公民権運動の最中においては、トムの生き様はなじまなかったのだろう。

 19世紀の隆盛と20世紀の失墜。これがアンクル・トムが辿った道だった。

 もちろん、ストウ夫人は悪意をもって「トム」を描いたわけではないでしょうし、あの時代に『アンクル・トムの小屋』が果たした役割は、非常に大きかったのです。

 それを「時代遅れ」だと批判するのはなんだかなあ、という気がするのですが、奴隷解放が実現されてしまうと、「乗り越えなければならない前時代的な黒人像」になってしまったんですね。


 また、ジョージ・オーウェルの『1984』について、世界はこんな評価をしていたそうです。

 同書(『1984』は1949年6月にロンドンとニューヨークの書店にならぶと、驚異的な売れ行きをみせた。

 批評はおおむね好意的だったが、予想通り、共産党陣営からは、この本の意図は「ソ連を罵倒するもの」だと非難された。また、同書にある悪夢のような事態が西欧社会に40年以内に生じることを告げた「予言の書」とする解釈もあった。

 一方アメリカでは、共産主義国を肯定していると解釈され、共産主義プロパガンダの書と恐れられることがあった。とくに、核をちらつかせるソ連の驚異が叫ばれた1960年代〜70年代には同書が敬遠されている。

 世界的には名著の仲間入りを果たしているが、アメリカの各地の学校図書館では強く拒まれている。学校図書リストからはずされた理由は、政治的な見解のほか、猥褻性、あるいは著者オーウェルが下院非米活動委員会があげる組織にかつて属していたことが理由となったものもあった。

 資本主義陣営も共産主義人生も「自分たちを批判しているのではないか?」と疑っていた『1984』。

 まあ、たしかにどちらともとれるし、もっと普遍的なものを描いているようにも思われますし……

 村上春樹さんの『1Q84』が大ベストセラーとなったときに、日本でも『1984』が話題になったのですが、そのときにあるラジオ番組で聞いた話によると、イギリスの高校生に最も読まれている本は、この『1984』なのだそうです。

 この話を聞いて、イギリスとアメリカというのは、近いようで、けっこう遠い国なのかもしれないなあ、なんて考えてしまいました。

 

 紹介されている「ワケあり本」には、『ユリシーズ』『ライ麦畑でつかまえて』『ボヴァリー夫人』『アンネの日記』などの「歴史的名作」がたくさん含まれています。

 名作、インパクトがある作品には批判がつきもの、ということなのでしょう。


 ちなみに、ヒトラーの『わが闘争』は、戦後のドイツでは一貫して禁書となっているそうです。

 『わが闘争』の著作権はドイツのバイエルン州が持っていて(ヒトラーが生前バイエルン州で住民登録をしていたため)、第二次大戦後「ナチス賛美につながる」とのことで、ドイツ国内での出版を許可してこなかったのです。

(日本では発禁ではなく、Amazonでも簡単に入手できます。マンガ版まであるようです)

 こういうのって、「発禁」にするのが正しいのか、それとも、内容を公開したうえで、検証し続けていくべきなのか、非常に難しいところではありますね。

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