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2015-09-02 【読書感想】“ひとり出版社”という働きかた

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“ひとり出版社”という働きかた

“ひとり出版社”という働きかた

内容(「BOOK」データベースより)

港の人、赤々舎、ミシマ社、土曜社、里山社…自ら出版社を立ち上げた10人の、個性豊かな発想と道のり、奮闘をリアルに綴る。スペシャルインタビュー・谷川俊太郎

 

 「自分ひとりで、出版社をつくる」

 ただでさえ出版不況で、大手出版社も本が売れなくて苦しんでいるのに、なんて無謀なことを!

 僕だって、自分の友人がそんな「賭け」をやろうとしたら、「ちょっと無理なんじゃない?いまは電子書籍とかもあるしさ」とか、「説得」してしまいそう。

 ところが、この本を読んでみると、試行錯誤しながら、「なんとか自分ひとりくらいは食べていけている」という人がいることに驚かされます。

 そもそも、「ひとり」って、大変なんじゃない?

 そりゃ、仲間を集めるのも難しいのかもしれないけど。

 果たして、出版における「小商い」は可能か?

 これまでにも、ひとりや数人で営まれてきた小さな出版社は数多くあります。とはいえ、本という商品のもつ特殊性ゆえに導入された、他の業界とは異なる卸売りのしくみは、出版の「小商い」を今もなお、ハードルの高いものにしています。

 ところが近年、ネット環境やデザイン、印刷環境の進化によって、少しずつ新しい活路が開かれてきました。小商い化がもっとも難しいと思われていた本の世界にも、ようやくその波がやってきたのです。


 『小さい書房』の安永則子さんは、最初に出した本『青のない国』の作者・風木一人さんに、こんなことを言われたそうです。

風木さんに「安永さん、ひとり出版社に必要なものがなにかわかりますか?」と聞かれました。「わかりません」と答えると、「ひとつは早い決断力、もうひとつは勇気です」と。確かに自分でも「無謀」だという自覚はありましたが、それを「勇気」と言ってくれる、そんな方に出会えて本当に幸せだと思いました。風木さんが言ってくれた「出版は大小じゃない」のひと言で、肩の力が抜けたのかもしれませんね。執筆を受けていただいた翌月は、四回も風邪で熱を出して寝込みました。


 また、「ミルブックス」の藤原康二さんは、こう仰っています。

 極端な話をすると、読んでいる本とか好きな音楽とか、服装のセンスが同じ方となら、曖昧な説明でも理解し合える。世間が狭いと言われるかもしれませんが、うちはひとりでやっているぶん何十万部も売れなくていい。大手だと売れないという理由で潰されてしまうような、作家さんのいい部分や個性をうまく残しつつ、ビジネスとしてどう成功させるか、そこでやっていこうとすると相当相手と仲良くならないと本ができないんです。

 もちろん常に、100万部を妄想しながらつくってはいるんですよ。でも、かといって大手でありがちな「コレ売れてるから同じ線でいきましょう」というやり方は、絶対にしたくないんです。よく「ミルブックスで売れている本はどれですか?」と聞かれますが、どれも、そこそこ。逆に大ヒット作が生まれていたら、もう辞めていたかもしれない。常に「このよさ、みんなわかってよ」という不満があるから、またつくろうという気持ちになる。


 「ひとり出版社」には、「自分が好きな本を、自分の意思で出せる」という良さがあるのです。

 そして、もうひとつのメリットは「自分ひとりが食べていけるくらい稼げればいいので、そんなにたくさん売れなくてもいい」。

 もちろん、売れないよりは売れたほうが良いのでしょうけど。


 この本を読んでいると、「ひとり出版社」の面々は、造本にこだわりぬいた本や、他の出版社では「売れない」ということで相手にしてもらえなかった写真集、もともと市場が狭い詩集など、「大手では出せない本」に活路を見出しているのです。

 大手だけではなく、こういう、「小さな出版社」があるからこそ、本の多様性が保たれている。


 そして、「本屋」の定義もまた、変わってきているのです。

 内沼晋太郎さんの『「小さな本屋」の話』より。

 これまでは一般的に、作家が書き、出版社が出版し、取次が流通した本を「売る」のが「本屋」の仕事とされてきました。しかし、今や作家が自らKindle電子書籍を販売することも、出版社が自社サイトで通販をすることも、取次が新刊書店を経営することさえも、珍しくありません。アパレルや雑貨店など、あらゆるところで本が売られています。個人でも一箱古本市に出したり、ネットオークションに出したりすることができます。蔵書の古本を売るだけでなく、出版社に電話して直接新品の本を卸してもらって売ることもできます(最近は問い合わせが増えているのか、どこの出版社でも昔よりずいぶん柔軟に対応していただけるようになっています)。ネット書店のアフィリエイトのリンクを貼れば、個人の書評ブログでも、本を売ることができます。

 これを読んで、「そうか!」と思ったんですよ。

 この『琥珀色の戯言』もアフィリエイトのリンクを貼っていますので、ここは僕の「本屋」なんだな、って。

 あと20年くらいして、いまの仕事をリタイアしたら、小さな書店でもやりたいなあ、なんて、夢想していのだけれど、ある意味、もうそれは実現しているのか。

 まあ、こうしてアフィリエイトのリンクを貼っていても、実際にはそんなに売れるものではないのですけど、それでも、ここで知った本を、地元の書店で購入してくださる方がひとりでもいれば、すごく嬉しい。

 やっぱり、良い本は、少しでも多くの人の目にふれてほしい。


 ネット時代になって、街のリアル書店はどんどん減っているけれど、ネット上の「小商いの書店」は、どんどん増えているのですよね。

 

 「ひとりだから、何もできない」って、僕などは考えてしまいがちだけれど、「ひとりだから、自分のやりたいようにできる」という生きかただってある。

 ひとりでやれば、失敗しても、困るのは自分だけなんだし。


 本にそんなに興味がなくても、いまの仕事や生活の「息苦しさ」に悩んでいる人は、一度手にとってみてください。

 「まったく編集や出版社勤務の経験がなかったのに、ゼロから、独力で出版社をつくってしまった」なんて剛の者もいるのです。

 まあ、「うまくいっている人にも薦められる」ほど、儲かりもしないし、将来性も無さそうではあるのですが、「自分で自分の好きな本をつくる」っていうのは、憧れですよね、本好きにとっては。

 そういうのが一冊つくれれば、僕ならもう、人生に悔いなし、だな。


せんはうたう

せんはうたう

2015-09-01 【読書感想】なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか

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Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)

戦争を起こし、拡大する(1)「権力者の法則」(2)「メディアの構造」(3)「大衆の心理」の「三位一体モデル」の分析を基に、平和を維持するための新たな方法論を模索する。


【本文抜粋】

もしも、目の前に「戦争」と「平和」と書かれた2つのカードが並べられたとして、「どちらを選びますか?」と問われたら、きっと多くの人が「平和」のカードを選ぶのではないだろうか。にもかかわらず、世の中から「戦争」がなくなったことはない。平和学や国際政治の観点からはいろいろな分析ができるのだと思うが、本書の役割はそこにはない。もっと「情緒的」な戦争と平和の違いについて、「論理的」に考えていこうと思う。なぜなら、戦争を始めるのはたいてい権力者ではあるが、それを拡大させていくのは私たち大衆心理の影響も大きいと思うからだ。そこに難しい政治的な知識や判断はきっとはたらいていない。


 あなたは「戦争」と「平和」のどちらを選びますか?

 この質問をいまの日本人にすれば、「平和」を選ぶと思います。僕だってそうです。

 でも、「平和」って何?と問われて、即答できますか?

 僕は「戦争がない状態」と答えてしまったのです。


 ある日、インターネットで「War」と「Peace」のキーワードで画像検索してみたことがある。その結果を見てみると、次のようだった。

「War」の検索結果の方は説明するまでもなく、「兵士」や「子ども」、「戦車」や「ライフル銃」などの兵器、そして「世界の戦場の様子」がある種の統一感を持って並んでいた。いわゆる一般的な戦争のイメージで、読者のみなさんが想像していたものともそれほどかけ離れてもいないのではないだろうか。一方、「Peace」の検索結果はというと、「ピースマーク」と呼ばれるものから、「ピースサイン」やそのほかの意味不明な記号まで、統一感なく散見している。さらに「Peaceful」で検索してみると、今後は「海」や「空」「花」などの風景写真が次から次に出てくる結果となった。


 戦争のイメージには、兵器とか兵士、傷ついた人々、崩壊した建物などの統一感があるけれど、平和というのは「人それぞれ」なんですね。

 「戦争がない」という「除外診断的」にしか定義しがたいところがある。

 改めて「戦争と平和」の話に戻そう。この2つは「対」として使われてはいるものの、戦争は「目に見え」、平和は「目に見えにくい」ことで、「伝わりやすさ」においてまったく異なっていた。この「差」が戦争プロパガンダを考えていく上ではとても重要なポイントになる。なぜなら、「平和」を訴えようと思ったら、メッセージを投げかけられた人たちの頭に浮かぶイメージが異なるので、まずは各自の「平和のメッセージを互いにすり合わせる作業」が必要となってくる。つまり、コミュニケーションに「ひと手間かかる」ということだ。一方、戦争は「恐怖のイメージ」を一瞬にして多くの人と共有できるので、コミュニケーションをしやすい。残念ながら、戦争は伝わりやすく、平和は伝わらないのである。


「戦争は伝わりやすく、平和は伝わらない」

 著者は、まず、この前提から出発しなくてはならない、と書いています。

「戦後70年」で、さまざまなテレビ番組や新聞・雑誌の記事が出ていますが、たしかに、「平和のすばらしさを訴える」ためには、「平和そのもの」ではなくて、「戦争の悲惨さ」が語られることが多いのですよね。

 戦後70年間の平和についてではなく、70年前の戦争のことばかりを、みんなが採りあげている。

 しかし、戦争を直接体験した人たちは、どんどん減ってきています。


 著者は、「メディアによる人々への働きかけ」の一例として、湾岸戦争の際に起こった、ある事件を紹介しています。

 1990年10月、アメリカがイラクを攻撃する3ヵ月前に、ワシントンの連邦議会で、ひとりの少女が「証言」をしました。

 このわずか15歳の少女の名はナイラと言い、後に『ナイラの証言』としてアメリカ世論に多大な影響を与えることになったのであるが、その内容は、彼女がクウェート市内の病院で恐ろしい光景を目撃したというものだった。

「私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病院に入ってきました。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにされ、死んでいきました」

 このナイラの証言は、当時のブッシュ大統領により、その後40日間で10回以上も引用された。また、軍事介入を決める討議においても7名の議員がこの話題を重視し、最終的に議会で5票という僅差で、ついに軍事介入が決定されることになったのである。

 その後、この証言は全米のメディアによって報じられ、国内世論へも大きな影響を与えることになった。さらに、国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナルがこの証言を受けて独自調査を行った結果、312人の赤ん坊がイラク兵士によって殺害されたとの報告書も作成された。

 ところが、である。結論から言うと、このエピソードはすべて「つくられた物語」だった。壮大な演出の脚本は、ヒル&ノールトンという大手のPR会社によって描かれ、主演を努めたナイラもまた。彼らによってキャスティングされた人物だったのである。当初、ナイラの出自は「被占領下のクウェートで家族が報復されるのを防ぐために」という理由で隠されていたが、実際は在米クウェート大使の娘、つまりアメリカ育ちのクウェートの症状であり一度もクウェートに行ったことはなかった事実が露見した。

 もちろん、これはPR会社が独自に進めたものではない。依頼主は『自由クウェート市民』と名乗る団体で、600万ドル以上の報酬を条件にPR会社と契約を結んでいた。この団体は市民団体の体裁をとっていたものの、実際はクウェート政府から95%以上の資金援助を受けていて、アメリカ議会が軍事介入に賛成するためのロビー活動をしていたと言われている。


 なんてひどい話なんだ、と僕も思います。

 こんなのに騙されるのは、「リテラシー」が足りない、のかもしれません。

 いまのネット社会であれば、どこからか、「あの子はクウェート大使の娘だ」という「タレコミ」が入りそうでもあります。

 

 この「ナイラの証言」は、全くのでっち上げでした。

 「残虐行為」というのは、多かれ少なかれ、戦場で起こっていることではあるはず。

 しかしながら、実際に起こったことを、PR会社が片方の陣営に偏って採りあげたり、注目を浴びるようなキャッチコピーをつけることによって、人々の「これは正しい戦争なのだ」という気持ちを呼び覚ますことも可能なのです。

 この本には、「ボスニア紛争」で、「民族浄化」をキーワードに、セルビアのミロシェビッチ大統領の残虐さを国際メディアを通じてアピールすることに成功したPR会社の話も出てきます。

 わかりやすいフレーズを使い、わかりやすい構図を示すことによって、「悪者」をつくることができる。

 ミロシェビッチ大統領は「無罪」ではないのでしょうが、戦後の調査では、ボスニア側にも虐殺があったことが指摘されています。

 「嘘」をつかなくても、イメージを操作し、憎悪を煽ることはできるのです。

 それを「商売」にしている人たちもいる。

 そういう世の中であることを、知っておいて損はないと思います。

 そもそも、「PR」のつもりではなくても、戦争とか大事件というネタを、メディアは「売れる」という理由で喜ぶのです。

 もちろん、「読者が喜ぶ」から、売れるのですけど。


 今の時代、「マスメディアのありかた」も、難しいものになっているのです。

 ところで、冒頭で紹介したカナダのメディア・リテラシーの教材には、アメリカ同時多発テロとは別の事例も扱われている。たとえば、9・11発生後、初めて「ビン・ラディンによる犯行声明の映像」が世界中のテレビ局で一斉に放映されたというケースもそうだ。

 あの声明文の放送は、メディア自身による取材ではなく、アルカイダが衛星回線を通じて「録画テープ」を各テレビ局に送ってきたものが使用されていた。事前にその情報を入手していたアメリカ政府は、「世界中のテロリストに向けたメッセージの可能性がある」として、メディアに対して放送の「自粛要請」を出した。しかし、メディア側は「報道の自由」を侵害する行為だと主張し、強引に放送へと踏み切ったのである。

 さて、このようなケースの場合、放送するか否か、どのような判断をするのが正しいのだろうか。テープを放送したことについて、あるキャスターは「私たちはある種の公共サービスを提供したと考えている」と述べた。つまり、私たち視聴者がビン・ラディンの声明を聞くことを求めていたということである。しかし、アメリカ政府が主張するように、放送すること自体が「テロリストへの加担になる」という側面も否めない。国際メディアが「報道の自由」を掲げることを見越して、アルカイダ側が意図的に情報を送ったことが明らかである以上、ある種の「電波ジャック」とも言えるだろう。

 このように、ある時は情報を伝えることが「テロに加担する」ことを意味し、伝えないという決断は「権力に屈した」ことになるという、いわば「こちらを立てればあちらが立たず」といったジレンマをメディアは常に抱えているのである。


 いまは、SNSソーシャル・ネットワーク・サービス)で、一気に拡散してしまいますから、メディアが「自粛」しても、せきとめることはできないのかもしれませんが……

 人々の「知る権利」に奉仕することは、テロリストの主張を世の中に広めることにもつながるのです。

 これは、どちらが正しい、と考えるべきなのか。

 「問題がある、と政府やメディアが判断した情報は、報じない」というのが慣例になれば、「彼らにとって不都合な情報は伝えない」という「情報統制」につながってしまう、というリスクもあります。

 「どうせSNSで拡散されるし」っていうのも、「言い訳」になる時代ではありますからね。


 著者は、映画『ブラッド・ダイヤモンド』の題材にもなった、シエラレオネ紛争の「解決策」を紹介しています。

 この紛争は、ダイヤモンド鉱山をめぐって、1991年から2002年まで、政府軍と反政府軍のあいだで続いた大規模な内戦でした。

 当時のクリントン政権下のアメリカが、内戦を早期に集結させるため先導したのが和平協定『ロメ合意』と言われるものだったが、その「合意内容」が国際社会に大きな論争を呼び起こすことになった。その内容とは、反政府勢力が武装解除に応じる見返りとして、「過去に行ったいかなる人権侵害をも赦す」というものだった。つまり、戦争犯罪に対して「正義は一切追及しない」ということである。しかも、上官命令に従うしかなかった一般兵士だけでなく、幹部に対しても同様の措置をとり、さらには虐殺の首謀者である反政府勢力のリーダーをシエラレオネの副大統領に任命するという、前代未聞の「恩赦」を与えたのである。伊勢崎は語る。

「そもそも和平合意をするときに、争っている双方が『平和の価値』を見出して自ら銃を置くなんていうことは絶対にありません。平和構築はそんなに生易しいものではない。国を破壊し、大勢の人を殺し、生きたまま手足を切断するような、単に殺害する以上に残酷なことまでした戦争を終結させるものは何なのか。それは、武器を手放すことでどんな利益を享受できるのかという『利害調整』である。僕が担当した武装解除も、人を殺した兵士たちに『恩赦』を与えていく行為です。アメリカを批判するのはもちろん簡単ですが、一方で、少しでも早く戦争を終結させる方法がほかにあったのかと言われれば、たしかになかったのだと思います。しかし、あくまでも『正義』を犠牲にしてつくった『平和』なのです」

「和平」や「和解」という言葉は、一見すると聞こえはいいが、言い換えれば、それは何か大事なことを犠牲にした上での「妥協」ということでもある。遠いアフリカの紛争をテレビで見ていた私たちは、もしかしたら平和を望んでいたかもしれないが、虐殺の被害者とその遺族にとっては、この結果が「平和」だったのかどうか定かではない。


 「終戦70年」で、「日本が降伏した日」の話をいくつか読みました。

 あのときの日本は「自分たちが間違っていたから」「平和を求めていたから」降伏したわけではないのです。

 原爆の威力をみせつけられ、ソ連も参戦してきて、「これはもう、勝てそうもない」「このままでは全滅してしまう(そこまで戦うことを望んだ人たちもいたようですが)」ということを悟って、迷った末に「降伏」を選んだのです。

 将来の日本のためには、それが最良の選択であることを信じて。というか、信じるしかなくて。

 

 「平和」と「正義」がつねに両立するのであれば、あえて戦争をやる人なんて、いないのかもしれません。

 でも、どこかで恨みの連鎖を断ちきらないと、平和にはならない。

 たとえそれが、一時的な平和であっても。


 言うのは簡単だけど、これは本当に難しいことですね。

 ネット上の論争ですら、「相手からの攻撃に反撃せずに終わりにする」というのはキツいのだから。

 傍からみれば「なんであんな堂々巡りを繰り返しているのだろう?」としか、見えないようなことでも。

 大切な人の命を奪った相手であれば、ネットバトルなんて比べ物にならないほどの葛藤もあるだろうし、「割り切る」のは難しい。

 「自分のほうが犠牲が大きい状態」での試合終了を、受け入れられるだろうか?

 戦争には、9回まで、あるいは前後半各45分で終わるというルールがありません。

 どちらかが絶滅するまで、延長戦は可能です。


 一度戦争をはじめて、憎悪の連鎖がはじまれば、それを断ちきることは、なかなかできない。

 「平和構築は、そんな生易しいことではない」

 平和は「当たり前」でも「自然なこと」でもないのです。

2015-08-31 【読書感想】指名される技術

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Kindle版もあります。

内容紹介

――今回、ホステスを題材にこの本を書こうと思うに至った理由も、それと似ています。具体的に言うと理由は二つ。一つは、ホステスさんたちがいるクラブ業界は、心が折れそうになる、そんな激しい競争の中で、クライアントをリピートさせる高度な技術を数多く持っている人たちがたくさんいる業界だということ。そこに僕らが学ぶことはとても多い。そしてもう一つは、にもかかわらず誰もその価値に全く気づいておらず、ママたちが書く本などは何かと「情熱」とか「真心」といった精神論や美学で片付けられている。この「見向かれぬ価値」に目をつけ、各々の体験から彼女らの手法を分析しつつできたのが本書です。


 以前から、「銀座ママが教える系」の本に関しては、なんとなく避けてきたのです。

 僕自身、いわゆる「女の子が接客してくれる店」には、ほとんど行きません。

 田舎住まいでそういう店が少なく、子どもが生まれてからは、遅い時間まで外で飲むこともなくなりました。

 若い人たちが「2次会はカラオケでーす」と、ザワザワしているところをさりげなくタクシーに乗って帰る。

 

 僕からすると、「銀座ママの男の値踏み」っていうのは、「飲みに行くのが好きな男という狭い守備範囲のなかでの、個人的な経験談に基づくもの」だという先入観があったんですよね。

 それこそ、この「内容紹介」に書かれている「情熱」とか「真心」といった精神論や美学で片づけられている、そう思っていました。

 自分たちにとって都合の良い客=いい男、なんだろ、と。

 「夜の世界での男のふるまい」みたいなものを、ほとんど知らないのですから、思い込みで決めつけちゃいけないのかもしれないけれど。


 そんななか、この本を手にとってみたのは、堀江貴文さんと、『シーマン』の斎藤由多加さんの共著だというのが大きかったのです。

 とくに斎藤さんの著書『ハンバーガーを待つ3分間の値段』『社長業のオキテ』は、ともにすごく面白かったので、この材料を、どう料理するのかな、と。

 

 僕は堀江さんの本も全部とは言いませんが、かなり読んでいるので、「あっ、ここは堀江さんが書いた(話した)ところだな」「このHEINZのケチャップの話とか、アップル関係は、斎藤さんのパートだな」とか、そういう「役割分担」が見えてきました。

 「合作」の各人のパートを判別する、という楽しみはあったものの、その一方で、この本には、お二人がこれまで話してきたことを、「六本木ホステス」を媒介として焼き直している、というところもあるのです。

 「六本木の夜の世界」に通じている人には、実感しやすい内容なのかもしれませんが、そうではない僕にとっては、「かえってまわりくどい説明」のようにも感じたのです。

 そういう意味では、「読む人を選ぶ」のだよなあ。


 とはいえ、水商売の世界に疎い僕でも、この本に出てくるさまざまなホステスさんたちの「技術」と、それについての堀江さん、斎藤さんの解説には、考えさせられるところがたくさんありました。

 

 映画館や芸能界ではあたりまえのことですが、主役というのは一見華やかに見えますが、本当に息が長いのは脇役です。

 目立たないがあちこちのドラマにいつも顔を出している。脇役は、誰が主役であれ、その主役を盛り上げる柔軟さを持っている。指名され続け、成績を上げていくためのレシピは、主役ではなく、実はこの「脇役」にあると思っています。

 話はそろそろ核心になりますが、彼らが失敗しないために気をつけていることは何か?

 それは主役を食ってしまうこと。主役より目立とうとしたら、出演依頼は二度とこない。だから脇役の人たちは「空気を読む技術」がすごい。

 ちなみにタレントや役者が売れるために最初に必要とされるのは格段に突出した演技力などではありません。むしろ現場の空気を乱さないこと、スタッフに逆らわないこと、待ち時間を嫌がらないこと、の三つです。


 成功するためには「自分をアピールしよう、売り込もう」と考えてしまいがちなものです。

 指名を他のホステスと争うのであれば、なおさら……のはず。

 しかしながら、この本のなかには「自分を相手にアピールしようとして、かえって疎まれる人」の話が多く挙げられています。

 「売り込みたい」のは、こちらの都合。

 相手は「売り込まれたい」のではなくて、「自分を良い気分にしてほしい」のですよね。

 自分の都合ではなく、相手の立場になって、「まずは相手を不快にしないように、気配りをする」ところから。

 

 

 読者の皆さんは、ライバルを出し抜いて、もっともっと自分が仕事で指名されたいと思っているのではないでしょうか?

 そういうときに必ず、そのクライアントとの関係性とか人間的な相性を思い浮かべるのではないですか? 「自分はどう見られているだろうか?」、「Xさんに嫌われているんじゃないか?」、あるいは「あの時に何か失礼なことを言っただろうか?」

 だとしたらあなたは、いつまでたっても仕事の悪循環から抜け出せないかもしれないですよ。

 なぜそこまで言えるか? それは、あなたが常に自分を前提に考えているからです。


(中略)


 人から好かれる性格になる方法とか、愛される方法とか、いろいろな本が国内外で出ていますが、もし本当に人から愛される方法があるのなら、そしてその本を読んだら愛される、というのなら、ぜひとも読んでみたいものです。

 本書でテーマとするのは、そういう性格改造みたいなことではなく、仕事との、あるいは仕事相手との「距離の取り方」を論じています。

 これを達成するためのノウハウをホステスから学ぶのがこの章です。

 この「躱(かわ)す」上で、まず取り組まないといけないことはこの「好き嫌い」という煩雑な問題からいかに自分を解放できるか、です。それこそが再び指名されるために必要なことなのです。


 たしかにそうだよな、と。

 ああいう「人から愛される方法」的なものって、「実行するのが難しい」っていうのもあるのだとは思うのですけど。

 この本で語られているのは、「心を変えるのは難しくても、より合理的な『自分にとってプラスになる行動』をとることは可能だ」ということなんですよね。


 ホテルの従業員は、制服を着用することで意識が個人からホテルマンにかわると言います。彼らの仕事の大半は、宿泊客のクレーム処理です。滅多なことではお礼を言われることなどない。周囲からすれば精神的にも肉体的にもしんどい仕事です。では、彼らは精神的に参っているかというと、そうでもない。

 マクドナルドの店員からドコモショップの受付、CAにいたるまで、プロの仕事人たちは皆、制服を持っています。その制服を着用することで、自己を捨て、職務に乗っ取ったプロの顔になる。つまり制服は、彼らの心を守る鎧の役目を果たしています。

 この考え方には学ぶべき点がいくつかあります。

 それはどういうときか? 客のクレームを受けたとき? いや、どちらかというと、「自分のわがまま」を出してしまいそうなとき、です。


(中略)


 消費行動においては、生存するために、あるいは自己の利益のために、対価を払うことで、「その範囲において」は、自分の好きにする権利があるべき、なのです。

 そこに仕事として接する側もいます。その者は、消費行動に対しての仕事だから「生産行動」となります。

 ときどきビジネスの真っ最中に、クライアントに対して感情的になって話している人と出くわすことがあります。確かに腹のたつこともあるでしょう。が、よくよく考えてみると、こんなにバカげたことはありません。

 プロは職務として接客をしているわけです。客は、そこに金を払う。それで商売は成立している。これを否定することは、あなたの職業を否定することになってしまう。お金を払ったのに自分の好きなようにできないなら、人間は、いつわがままになればいいんだ? となってしまいます。

 これらは取引なので、合理的に取り決めた「その範囲において」は、という条件付きですが、とにかく個人の感情を出す必要などないし、あってはならない。言い換えるならば、仕事中のプロが反発感情や自己欲望を感じたら、何かが間違っている、と思った方がいい。それはちょうど、「わがままなホテルマン」とか「わがままなマクドナルドの店員」というくらい、ありえない、最低なことです。


 こちら側からすれば、「いや、対価を払っているからといって、『その範囲』を明らかに逸脱してくる人もいるんだよ……」と反論したくなるのですが、仕事に慣れてくると、あるいは疲れてくると、たしかにそういう「隙」が表に出やすくなります。

 2000年に食中毒事件の対応に追われ、「私は寝てないんだ!」と発言して大バッシングを受けた社長とか、昼間からの症状+軽症で受診し、待たされたことにクレームをつけてきた患者に怒った当直中の医者とか、「気持ちはわかる」のです、本当に。僕だって、「寝てないのに……」と言いたいことも、「なんでこんな時間に……」と呆れることもある。

 「身も蓋もない話」なのですが、そこでキレてみても、自分自身には、何のプラスにもならないし、誰も救われない。

 理屈ではわかっているし、大部分のそういう立場の人は、なんとか自分を抑えるのですが、感情が溢れてきてしまう状況がある、というのも、わかるんだよなあ……


 この本に書いてあることは、すごくよくわかる。

 ただし、「わかるけど、これをやり続けるのは、並大抵のことじゃない」のです。

 そういう意味では、「愛される方法」と似たようなものなのかも。


 ちなみに、こんな「『シーマン』開発秘話」が紹介されていました。

 シーマンという人面魚にマイクで話しかけるというゲームを作ったときのことです。

 このゲームは音声認識という技術を使っているものでしたが、普通の人間が日常会話で話すように思いつくまま話すと、言葉が長すぎてプログラムは何を言っているのか認識ができません。

 つまり技術的な限界値として、ごくカンタンな言葉をひと言ふた言、話してもらわないと会話のゲームにならないということが、発売前のモニターテストでわかってきました。

 発売前のそのテストイベントでは、きちんと理解しないこの人面魚に対して人々がだんだんいら立ち、怒ってくることがわかってきました。

 我々制作側は、発売までの残り少ない期間で、それを解決するアイデアを絞り出す必要がありました。このままでは商品にならないし、音声認識ソフトのレベルを高めるなど気長なことは言ってられません。

 そこで人面魚にこう言わせることにしました。

「おまえ、話が長いよ。何言ってるかわかんねぇよ」

 そう言い放って人面魚は不機嫌に去ってしまいます。

 そうなると、人は自分がいけないか、と悟り、「ごめんね」「こっちきて」と、まるで赤ちゃんに語る親のように、はっきりと、そして短く喋るようになったのです。まさにこれは相手を共犯として、こちらに合わさせてしまう、心理的トリックでした。

 このすげ替えによって、音声の認識率が飛躍的に上がったのです。

 この結果として、「シーマンは音声認識をぜんぜんしない」という評判を回避することができました。


 人って、「切り口」とか「見かた」を変えると、同じものを、全然違うものとして認識してしまうもののようです。

 僕も『シーマン』の機嫌を懸命にとっていたことを思い出しました。

 「毒舌」で「わがまま」だからこそ、振り向かせたい、そんなこともある。

 

 この本、実は、僕のような「水商売のことをよく知らない人間」こそ、一読してみるべき、なのかもしれませんね。

 これを書いていたら、なんだかそんな気がしてきました。



社長業のオキテ ゲームクリエーターが遭遇した会社経営の現実と対策

社長業のオキテ ゲームクリエーターが遭遇した会社経営の現実と対策

参考リンク:【読書感想】社長業のオキテ(琥珀色の戯言)

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2015-08-30 【読書感想】Kindleのまとめサイトでどうにか1000日間生計をたてた話

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内容紹介

【予約キャンペーン】8月29日の発売を記念して予約〜発売直後まで99円セールを実施です!


「売らねば死ぬ、Kindle本のアフィを生活の糧になんとか1000日。日本で恐らく唯一、電子書籍の実売だけで食っている個人が電子書籍担当者のために書いたメディアづくりの実践本」


キンドルユーザーなら一度は見たことがあるかもしれない、ダンボールをかぶった怪しいアイコン。ヘビーユーザーならだいたいお気に入りに入ってるかもしれない、Kindle特化の電子書籍まとめサイト「きんどう 通称:きんどるどうでしょう」管理人のzonです。サイト開設1000日目を記念して「他業界や、出版社業界で編集や紙書籍の営業から、電子書籍の担当になった人」向けにこれだけできれば上手くいく!というところまで具体的にメディアづくりについてまとめました。


「週に一度更新するかしないかわからないブログに、ツイッターと同じ内容を垂れ流すフェイスブック。未読ばかりのLINEや最終更新が三ヶ月前のメルマガとかは負の資産でしかありません。中途半端に手を出すくらいなら最初から絞って順に育ていくほうが確実です【本文より】」


参考リンク:きんどう(電子書籍まとめサイト)


 電子書籍まとめサイト『きんどう』、本好き、電子書籍好きであれば、一度は覗いてみたことがあるのではないでしょうか。

 僕も日ごろからお世話になっているのですが、これは、その「中の人」であるzonさんが、「電子書籍まとめサイトでの本を売ったアフィリエイト収入で、1000日間(2年半)生計を立てていった記録」なのです。

 僕自身もAmazonのアフィリエイトをやっていて、ネットでは電子書籍というのが、けっこう売れるものなのだな(とはいっても、この「中の人」とは二桁くらい違いますけど)、と実感しています。

 当たり前のことなんですが、ネットを使っている人は、(アプリを含む)Kindleを使える環境にある人が多いし、kindleには、気になったものを購入してすぐに読める、というメリットも大きいのです。

 旅行に出かけるときには「どの本を持っていくか」で悩むのが楽しみでもあり、面倒事でもあったのですが(本はけっこう荷物にもなりますし)、いまは、Kindleとネット環境があれば、どこでも「現地調達」ができますしね(それでも、電池切れなどに備えて、紙の本も最低1冊は持ち歩いています)。


 だいたい、最近はキンドルで一週間に2000〜3000冊。一ヵ月で1万冊近くが配信されているんですよ。よほど電子書籍の動向をウォッチしている方以外は把握できるわけないじゃないですか。だから、何が発売されてそれがどういう作品なのか、そんな書籍そのものの情報を知ってもらって興味を持ってもらえさえすればそれだけで差別化ができるので自然と数字につながります。つまり「読者への情報提供を徹底する」ことを目指してとにかく効率よく話題になるメディアを作れば電子書籍は売れていきます。


 「それだけで食べていけるレベル」のアフィリエイト収入となると、毎月数十万くらいが最低ラインと思われます。

 「100万冊売る」というのが「現実的な目標」として設定されているのですが、「ついで買い」で本以外のアイテムも売れていくとして、本が100万冊売れると、だいたい数千万円くらいの収入になるのかな(当ブログ推定)。

 ただし、この本のなかでは、amazonアフィリエイトの規約のため、どのくらい売れて、いくら稼げたか、というような、具体的な数字は出てきません。

 それはもう、致し方ないところなのですが、「中の人」のプロフィールに「フィクションも交えている」と書かれていることもあり、そこは「ちょっと物足りない」感じもします。

 「具体的な数字」の説得力って、大きいから。

 それに、「どんな本がいちばん売れたのか?」というのも知りたかった。

 Amazonの機嫌を損ねるのは致命的でしょうし、「中の人」のイメージを閲覧者に植えつけたくない、というのは、よくわかるのだけれども。


 『きんどう』というのは、僕からみると、「素っ気ないサイト」なんですよね。

 セールの紹介もテキストによるヘッドラインが主だし、それぞれの本の感想も、思い入れをふんだんに込めて、長々と書かれているわけではない。

 世の中の「アフィリエイトで稼いでいると言われるまとめサイト」の多くが、販売している商品へのリンクが満ちあふれ、人前で開くのが憚られるようなアダルト系の画像がトップページに並んでいるところもあるのに比べると、むしろ、「地味」な印象です。

 でも、この本を読むと、それは「戦略的なシンプルさ」であり、「あまりにもグイグイと迫ってくるような『書評』は、かえって、相手の読む気を削いでしまうところもあるのかな、と感じました。

 気をつけてほしいマナーについて-大事なポイントですが「買って」「読んで」「感想をくれ」等の読者に行動を頼むのはダメです。読者のやる気を削ぎます。感謝を基本とした行動が望ましいです。また、悪口や悪評に関しては反論はやめましょう。たしかに問題は自分にあるという場合は特定の誰かに向けて説明するのではなくただ一言「ごめん」とツイートしてしばらく黙るくらいが良いですね、あくまでも電子書籍を売るのが目的で、読者をねじ伏せるのは違います。

 僕はこうやって本の感想を書いていて、少なからず「紹介しているこちらの熱意が、うまく伝わっていないな」という「空回りしている感じ」になることがあるのです。

 「強くおすすめ」されると、かえって引いてしまうところがあるのだろうし、なるべく「自分の意志で見つけた(選んだ)」って思いたい。それは僕自身にも言えることです。

 そのあたりの「さじ加減」が、『きんどう』は上手い。

 「売りつける」のではなく、読者に「買うための理由」を提供しようとしているんですよね。


 この本、基本的には「アフィリエイトでラクをしながら一山あててやろう」という人たちを、意気消沈させる内容です。

 本書冒頭でも書いたんですが週末副業で10万円とかじゃなくて、どうやれば億まで届くかを考えているので、基本的にフルタイム以上の労働が前提となっています。人生のための仕事から、仕事のための人生になる感じで頑張りましょう。成果なんて簡単に出るわけないんですから。

 ゼロからメディアを予算かけずに成功させるならセンスもそうですがとにかく根性と犠牲が必要です。毎日四〜八記事アップして記事制作の練度をあげつつ、ツイッターは常時監視してメンションやタイトルなどのキーワードに反応する即レスの精神が重要です。とにかく、序盤は速度が命です。もちろん、中身のないプレスリリース紛いの記事でお茶を濁すのは読者のためにならないので、とにかく魂を込めていきましょう。

 二、三日に一記事? 土日は休み? 何年かけてメディアを成長させる気ですか。一日でも早い成長ペースに乗せるために、序盤に地獄を見たほうが後からサイト運営は楽になります。息をするように更新しましょう。更新こそが人生です。

 いやほんと、読んでいて、「電子書籍を売るだけで食べていくには、ここまでストイックにやり続けなければいけないのか……」と、ため息ばかり。

 アフィリエイトでラクして儲けやがって!って思ってしまいがちなのですが、これだけ多くのサイトがあるなかで、ずっと選ばれ続けるというのは、並大抵の努力ではダメなのです。

 Amazonのアフィリエイトの場合には、紹介料の変更なども、「Amazon次第」ですし。


 zonさんは、この本のなかで、こう仰っています。

 ただ、売ることには熱心ですけども、わたしはそんなに読書家ではありません。みんな薄々気づいているとは思うのですが、もちろん普通の人より多く読んではいると思いますが、そこまで深く深く読み込むというわけではなく、情報を摂取して分類して活かしていくということに執心してるタイプなんですよね。

 ちゃんと物語を読んで面白いなーなんて感じる心はありますよ? あるんですけども、わざわざそれを書評するのはちょっと違うんじゃないかなと、みんな読みたい本を勝手に選んで読めばいいんじゃないかな、と。


 これを読んで、西牟田靖さんの『本で床は抜けるのか』に収録されていた、「現代マンガ図書館」の責任者・内記ゆうこさんの話を思い出しました。

 内記ゆうこさんのお父さんの稔夫さんが、この図書館をつくったのですが、1978年の開設時に3万点だった蔵書(および、マンガ関連の資料やグッズなど)が、現在は18万点もあるそうです。

「読むという意味で父はさほど情熱はなかったのではないかな。父がマンガを読んでいるのをあまり見たことがないんですよね。どちらかというと経営とか収集、保存、管理の方が好きだったんじゃないでしょうか。順番に並べるとか揃えるとか。そういうのが好きだった。私はマンガが嫌いというわけではないので、あればパラパラ見たりするんですけど、姉ほどではない。一方で、管理や整理するのがけっこう好きなんですよ。その点で、三姉弟の中で私が一番父に似ています。父も似ているって言ってました」

 zonさんも、こういう「管理や整理が好きなタイプ」で、そういう人のほうが「読むのがいちばん好きな人」よりも、「ネットで本を紹介してたくさん売る」ことに向いているのかもしれませんね。


 この電子書籍、8月29日発売で、僕が買った発売日当日は「99円」だったのですが、発売から時間が経過していくにつれて、値上げしていく予定だそうです(これを公開している8月30日の朝の時点で、150円になっています)

 「早く買ってくれた人が得をするシステム」というのが、うまくいくのかどうか、僕はそれも気になっています。



本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか

2015-08-29 【読書感想】東京駅「100年のナゾ」を歩く

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内容(「BOOK」データベースより)

赤レンガ、地下街、高層ビル…進化し続け100周年を迎えた東京駅。その複雑な構造を1分間で理解する暗号「川田十」とは?ビジュアルを使って、ディープな内側を紙上体験!「最適な待ち合わせ場所」「抜け道・寄り道・迷い道」「近未来予測」など、目からウロコのお役立ち情報満載


 「東京駅100周年記念Suica」が爆発的に売れ、それに伴う混乱も話題になった東京駅。

 九州在住の僕にとっては、年に1〜2回程度利用するくらいで、あまり馴染みがない駅なのですが、東京駅に着くと「東京のなかの東京」に来た、という気がするのです。

 そう、2014年(平成26年)12月20日、東京駅は開業百周年を迎える。

 百周年と聞いた人々の反応は、「東京駅は最も古くから存在する駅で、日本の鉄道を現在まで牽引してきた」と思うようだ。この答えを聞くにつけ、東京駅は日本の中央駅であると広く認識されているのだな、と実感できる。

 しかし、実際には東京駅は百周年といえども、比較的新しいターミナルである。

 赤レンガ駅舎のレトロな姿のためか、東京駅には古いというイメージがあり、誤解されることが多いようだ(ちなみに現在の赤レンガ駅舎は、2012年10月に復原工事が終わってでき立てホヤホヤである)。


 日本で最初に新橋と横浜のあいだに鉄道が開通したのは1872年。

 品川駅(1872年)、新宿駅、渋谷駅(ともに1885年)のほうが、はるかに「古い駅」なのだそうです。

 ちなみに、この新書によると、現在の一日の乗降客数では、渋谷駅は東京駅の2倍以上なのだとか。

 遠方から来る人にとっては、東京駅が「東京の窓口」なのだけど、東京に住んでいる人たちにとっては、あまり「普段使いする駅ではない」のかな。


 著者は建築やデザインの専門家であり、「人間のエピソードの集積」ではなく、東京駅という建物の構造の変遷から、この駅の歴史と役割を語っていくのです。

 まあでも、率直に言うと、「東京駅に関する面白い話」を期待して読み始めてしまった僕には「こういうアプローチがあるのはわかるのだけれど、ちょっと違うな」と感じられたのも事実です。

 「人間のエピソード」のほうを期待していたので。


 広場と化している通路を通路として把握して移動すること、そして東京駅の全体の空間構造を把握すること、そうすれば東京駅で迷うことはないであろう。そこで、東京駅の空間構造を10秒で理解する方法を紹介しよう。

 それは「東京駅 X一トU 川田十」(バツイチという かわだじゅう)というもので、「X一トU」は「バツイチという」、「川田十」は「かわだじゅう」と読むと記憶しやすい。

語呂の関係で「川田十」が後になっているが、「川田十」が後になっているが、「川田十」が東京駅の空間構造の核を示しており、その核の周りを「X一トU」が取り囲んでいる。東京駅の空間図式を組み合わせて作ったものなので、そこには意味がないが、「東京駅にいる自らバツイチといっている川田十という名前の人」と覚えればインプットされやすいのではないだろうか。


 たぶん、これだけ読んでも、あんまりイメージがわいてこないと思うのですが、この新書は、この「東京駅 X一トU 川田十」を説明することに多くのページが費やされており、読み終えるころには、東京駅の構造が頭にインプットされるのです。

 なるほど、こういうふうに覚えればいいのか、と。


 ただし、建築とかデザインに興味がない人にとっては、ちょっと敷居が高いというか、面白さを見出すのは難しいかもしれません。


 東京駅を設計したのは、有名な建築家・辰野金吾さん。

 当初は、「お抱え外国人」の建築家に設計を依頼したそうなのですが、彼らが「日本の伝統的な建築の要素を活かした設計をしようとした」のが、当時の政府は気に入らず、東大工学部を首席で卒業し、イギリスに留学した辰野さんに白羽の矢が立ちました。

 赤レンガを基調とした左右対称に延びた長さは335メートルあり、屋根にも壁にも見られるきらびやかな装飾は完璧な西洋建築であることを示してた。そして人々を大いに驚かせた。これだけ多くの巨大な建築がある現代においても、2012年(平成24年)の赤レンガ駅舎の復原でその全貌が現れたときには誰もが驚いたのだから、巨大な建物がなかった当時の人々はそのスケールの大きさときらびやかさに驚愕したであろう。

 たしかに、いま見ても圧巻の建物なのですから、周囲との比較を想像すると、100年前は、もっとすごいインパクトがあったはずです。

 その後、東京駅は戦火にさらされ、大きな損傷を受けたり、さまざまな路線の開設にともなって変化を続けていきます。

 乗車場所と降車場所が分かれていて、一方通行になっていたため、人の動きが予想しやすかったため、1921年の原敬、1930年の浜口雄幸というふたりの首相の暗殺現場ともなりました(浜口首相は、狙撃された傷が原因で翌年に死亡)。

 駅というのは、人が集まる場所でもあり、危険な面もあるのです。


 赤レンガ駅舎は2003年に重要文化財として指定された。その保存が決まって復原する際に、現状の八角屋根で2階建ての状態の保存を望んだ反対派は、復原工事予算である500億円をどう捻出するのか、と反論した。

 ところが、この巨額の費用は、ある不思議なマジックでまかなわれてしまった。それは「空中権」である。つまり、「特例容積率適用地区制度」という都市計画の一つの仕組みのことである。

 高い容積率を持つような特別に指定された地区において、本来、高い建物を建てられる容積率を持つ土地に、現状で低い建物が建っている場合、歴史的な建物の保存や復原、文化的な環境の維持や工場のためであれば、十分に使用していない容積の分を、その地区内の他の敷地に容積を移してもよい、と定められているのだ。

 すなわち、東京駅という日本の中心の駅前に建っている赤レンガ駅舎は、本来であれば超高層ビルを建てられる容積率を持っているのだが、保存するということで竣工当時の高さに復原されることになった。そうすると容積的には赤レンガ駅舎はすべての容積を利用していないわけである。その未利用の容積を「空中権」として、その地区内の周辺ビルに売れるようになったのである。

 世の中には、不思議な仕組みがあるものだなあ、と思いながら読みました。

 何も存在しないところの「権利」を売ることによって、あんな壮麗な建物をつくる費用がまかなえるのだから。


 それにしても、あの『東京駅百周年記念Suica』って、何だったのかな……

 これだけ売れてしまうと、コレクションとしての価値も、そんなに無いだろうし。

 

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