琥珀色の戯言 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

この日記のはてなブックマーク数

2015-06-30 【読書感想】ビスマルク - ドイツ帝国を築いた政治外交術

[]【読書感想】ビスマルク - ドイツ帝国を築いた政治外交術 ☆☆☆☆ 【読書感想】ビスマルク - ドイツ帝国を築いた政治外交術 ☆☆☆☆を含むブックマーク 【読書感想】ビスマルク - ドイツ帝国を築いた政治外交術 ☆☆☆☆のブックマークコメント



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)

一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマルクの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や社会保険制度の導入―。しかし彼の評価は「英霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてきた。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。


「鉄血宰相」ビスマルクは、1815年生まれのドイツ(プロイセン)の大政治家です。

 今年、2015年は、ちょうど生誕200年にあたるんですね。

 

ドイツ帝国を成立させた」という偉業や「鉄血」のイメージもあり、僕がイメージするビスマルクは、マッチョで独裁的な人物でした。

 一度決めたことは絶対に曲げない、頑固な信念の人。

 

 この本は、長年ビスマルクの研究をしてきた著者によるものなのですが、ビスマルクという人物・政治家への評価というのは、ドイツ史、あるいは世界史のなかで、かなりの変動があったそうです。


 ビスマルクの父フェルディナントは単純で朴訥とした、人のよい性格をした人物で、祖先の例に倣って騎兵将校を努めた後は農場経営に勤しむ、一介の平貴族・田舎ユンカーといったところであった。


(中略)


 彼の母親ヴィルヘルミーネは、代々学者を輩出するメンケン家の出身であり、彼女の父親はプロイセン王フリードリヒ大王に仕え、その後二代の王の官房顧問官を務めるなど、プロイセン王室であるホーエンツォレルン家やベルリンの知識人サークルに対してそれなりに影響力を有する人物であった。ベルリンの知的・文化的な環境のなかにあって「官僚の世界」で育った彼女は、先のビスマルクの書簡に見られるように、知的で聡明ではあったものの、神経質で虚栄心が強く、家庭的な女性とはいえなかった。

 つまり、ビスマルクは極めて対照的な両親の下に生まれたことになる。ドイツの歴史家L・ガルの表現を借りるならば、彼の生い立ちは、父親が体現する「伝統的・貴族的・農村的」な世界と、母親が体現する「市民的・官僚的・都市的」な世界の狭間に置かれ、その苦悩から両親に対して屈折した感情を抱き、どこか素直になれず内面的に疎遠になってしまうのである。


 ビスマルクは地方の地主貴族(ユンカー)出身で、行政官を目指したものの、紆余曲折があって挫折し、一度は実家の農場経営を継いでいます。

 でも、田舎にいると、それはそれでなんだかおさまりが悪くて、今度は政治家を目指して議員となります。

 父親に「共感」しているつもりだったのに、父親と同じことを繰り返すことには耐えられなかったのです。

 政界入りした時点でのビスマルクの立ち位置というのは、保守的な王権重視派だったんですよね。

 時代の趨勢としては、自由主義者たちが幅をきかせつつある中で、貴重な「保守政治家」として信頼をかちえていったのです。


 後世からみれば「大きな成功を収めた」ビスマルクなのですが、著者は、その政治人生が良く言えば「臨機応変」、悪く言えば「場当たり的」だったことを紹介していくのです。

 いまの日本に生きている僕は、これを読んで、ビスマルクって、中曽根康弘元総理っぽいタイプだったのかな、と感じました。

 中曽根さんも首相在任中は「風見鶏」とか「田中角栄さんに頭が上がらない」なんて言われていましたが、後世からの評価は「大物保守政治家」なんですよ。

 ある人物の「歴史的評価」というのは、必ずしも、リアルタイムの印象とは一致しないのです。

 アメリカのレーガン大統領も、在任中は「元ハリウッド俳優の強気なオッサン」だったのに、今は「アメリカが良かった時代の象徴」みたいな扱いになっていますし。


 ちょっと脱線してしまいましたが、ビスマルクの有名な「鉄血演説」について、著者はこんな話を紹介しています。

 この「鉄血演説」は1862年9月30日に下院予算委員会で行われたものです。

(前略)


 ウィーンの諸条約によって定められたプロイセンの国境は、健全な国家の営みにとって望ましいものではありません。現下の大問題が決せられるのは、演説や多数決によってではなく――これこそが1848年と1849年の大きな誤りでした――鉄と血によってなのであります。


「鉄と血によって」――すなわち軍事力でもって(普(プロイセン)墺(オーストリア)両国を取り巻く)ドイツ問題という「現下の大問題」と解決しようと主張したのである。当該箇所を見ればわかるように、彼は決して「鉄と血によって」軍制改革、さらには予算の問題を解決するとしたわけではない。このときの主眼は、予算案の否決を何とか阻止することにあり、自由主義派に対して妥協する用意がある意思を示すことにあった。そのために、わざわざアヴィニョンから持ち帰った(平和のシンボルである)オリーブの枝を示すという芸当すらやってみせたのであった。そして、自由主義派が強く解決を望んでいるドイツ問題をあえて引合いに出すことで、こうした「現下の大問題」を前に軍制改革や予算といった問題では妥協できるはずだと主張したかったのである。

 だが、事態はビスマルクの思惑とは正反対の方向に進んだ。「鉄と血によって」――この明快な表現とその響きは、「演説や多数決」への蔑視と相俟って、彼らに暴力的な支配を連想させるには十分なものがあった。下院の自由主義派はこの演説に敏感に反応し、激しく反発し、新聞等を通じて広く世に知らしめ、世論を騒がせたのである。ビスマルクの周囲の保守的な人間ですらこの演説には鼻白むほどであった。


 現代人にとっては、良くも悪くも「歴史に残る演説」となった「鉄血」なのですが、当時は「問題発言」とみなされ、ビスマルクは大バッシングを受け、「炎上」してしまったのです。

 そうか、1862年のプロイセンの人々のとっても、「そんなマッチョな考え方には、ついていけない」と思われていたのだなあ。

 もっとも、著者が述べているように、ビスマルクは、「鉄血」を強調したかったというよりは、「血と鉄で解決しなければならない諸外国との問題があるのだから、軍制改革や予算案で内輪喧嘩している暇なんて無いですよ」という議会対策的な「比較の対象」として「鉄と血」をもちだしてきただけ、だったようです。

 ところが、言葉のインパクトから「鉄血」に注目が集ってしまい、ビスマルク自身も、「鉄血宰相」として、歴史に名を遺すことになったのですから、不思議なものですね。


 普仏戦争でフランスのナポレオン3世を破り、ドイツ帝国を成立させたビスマルクなのですが、当時のドイツはフランス、ロシア、オーストリア、イギリスなどの国に囲まれていました(それは「当時」に限らない話ではあるのですが)。

 そのなかで、ビスマルクは宿敵であるフランスを孤立させ、極力ドイツが戦争をしなくても済むように、状況をコントロールしていきました。

 ただし、その時代の国際情勢は刻々と変化していったため、ビスマルクは「急場しのぎ」で、各国への接し方を変えていきました。

 こうした「急場しのぎ」の対応の結果、ヨーロッパには「ビスマルク体制」と称される国際秩序が姿を現した。それは、フランスを外交的に孤立させた、ドイツを中心とした同盟網であった。だが同時にそれは、ドイツの安全保障を確保するために同盟や協定が複雑に入り組んだ同盟システムであり、フランスを孤立させた点を除けば、ビスマルクが当初想定していたイメージとは大きくかけ離れたものであった。以前、ドイツの歴史家W・ヴィンデルバントがこの同盟システムを最初から一貫した統一的なシステムと評価したことがあったが、これに異論を唱える歴史家は数多く、今日ではすでに見てきたように、二度の三帝協定崩壊という事態に急ごしらえで対処した「急場しのぎシステム」としてビスマルクの同盟システムを評価するのが一般的である。


 ビスマルクの業績は、内政よりも外交のほうが大きかった、と多くの研究者は考えているようなのですが、その外交も「予定通り」だったわけではないのです。

 あまたの想定外の事態をビスマルクは「急場しのぎ」で、なんとか切り抜けていました。

 「鉄血宰相」は、「臨機応変(悪くいえば「急場しのぎ」)」の天才でした。


 確かに、ビスマルクは「鉄血演説」に即していくかのように三度の戦争を主導した。だが、彼は最初から戦争を志向していたわけではなく、情勢の変化を巧みに利用して自身とプロイセンを取り巻く困難な状況を打開する一つの選択肢として戦争が続いたにすぎない。統一戦争期も含め、彼の一連の外交政策を丁寧に見ていけば、彼のことを武断的であったと結論付けることは到底できない。それに彼の内政外交のどれ一つとってみても、彼が当初思い描いたとおりに実現できてはいない。


 それでも著者は、ビスマルクを「19世紀最大のドイツの政治家」だと考えているのです。

 議会や新聞のような近代的な手段をうまく利用して政治をすすめていったことや、「状況の変化に敏感に反応して対処できる政治的反射神経のよさ」を称賛しています。

「急場しのぎが上手い」のは、政治家にとっては、大きな武器になります。

 政治家の力が求められるのは「急場」が多いのですから。


 本当はマッチョではなかった、「鉄血宰相」。

 政治っていうのは、一筋縄ではいかないものなのだなあ、とあらためて感じます。

 

2015-06-29 【読書感想】ルポ 保育崩壊

[]【読書感想】ルポ 保育崩壊 ☆☆☆☆☆ 【読書感想】ルポ 保育崩壊 ☆☆☆☆☆を含むブックマーク 【読書感想】ルポ 保育崩壊 ☆☆☆☆☆のブックマークコメント


ルポ 保育崩壊 (岩波新書)

ルポ 保育崩壊 (岩波新書)

内容紹介

時間内に食べ終えるのが至上命題の食事風景。燃え尽き症候群に襲われる保育士たちや親との会話も禁じられた“ヘルプ”(アルバイトや派遣)のスタッフたち。ひたすら利益追求に汲々とする企業立保育所の経営陣……。空前の保育士不足の中、知られざる厳しい現状を余すところなく描き出し、「保育の質」の低下に警鐘を鳴らす。


都会では「待機児童」も多いみたいだし、大変だよなあ……などと思いつつも、率直なところ、僕自身にはそんなに危機感ってなかったのです。

8か月の次男は保育所に預かってもらえているし、今のところそんなにトラブルもないし。

それにしても、国はもうちょっと子供にお金をかけてもいいよね……とか、そんな感じでした。


でも、この新書を読んで、「保育の現場」のことを知ると、なんだかとても怖くなってきたんですよね。

2014年の3月に「ベビーシッターサイト」経由で20代男性に預けられた子供が死亡する、という痛ましい事件がありましたが、1年以上過ぎた現在では、すでに風化しつつあるようにも思われます。

あの事件は「例外的なもの」だと信じたいけれど、ああいう事件の陰には「未遂」のものが数多く存在している、と考えるべきでしょう。

それでも、物事に「完璧」は無いとわかっていても、子供を「誰か」に預けなければ食べていくための仕事ができない親たちがいる。


 このように保育の質が低下しているのは、なぜか。それは、待機児童の解消ばかりに目が向き、両輪であるはずの保育の質、その根幹となる保育士の労働条件が二の次、三の次となっているからだ。

 都内のある社会福祉法人で働く保育士(30歳)は、低賃金・長時間労働のなかで良い保育をしようともがいている。保育士11年目の彼女の給与は手取りで月21万円。サービス残業が多い。そして、とにかく休めない。運動会などのイベントがあると準備に追われ、子どもに関わる時間が少なくなる。「運動会が終わればゆっくり話を聞けるのに」と思うが、毎月のようにある行事に振り回され、なんのための保育か分からなくなる。保育士なのに、子どもと向き合う時間が削られ、保育以外の業務に追われている。

 他の女性(35歳)は、異業種から転身して27歳で保育士になった。「給与が安いのは覚悟して入ったが、最初は手取り16万円で都内の一人暮らしは厳しく、友人と部屋をシェアして暮らしていた。一年目は腱鞘炎になった。体が辛い分、病気しがちで1〜2年目は嘔吐下痢症や、インフルエンザにかかりやすかった。食育をする立場だけれど、忙しすぎてコンビニ弁当で済ますことも多い。今は0歳児クラスの担任で、かがむことが多く腰を痛め、腰痛バンドが手放せない。


著者がある母親の話を聞いて見学に行った保育所は、こんな状況だったそうです。

 午前10時頃、親に預けられた子どもたちが、部屋の壁が割れんばかりの大きな声で泣きわめいていた。この保育所では、1歳児クラスの定員が13人で担任の保育士は3人配置されているが、クラス内で10人は”ぎゃん泣き”していた。保育士は、皆若い。一番下は新卒、クラス担任の責任者でも二年目だった。園児たちがあまりに泣き止まないため、保育士が1人で3人をおんぶに抱っこしている。新卒の保育士が、「どうしていいか分からない」と口にしながら途方に暮れていた。リーダー保育士は怖い顔をして「泣き過ぎ!」と子どもたちに向かって叫んでいる。

 四月の保育所では、場慣れしていない子どもたちが親と離れて泣くのは当たり前だが、この保育所では子どもたちをあやせない保育士の力量のなさが目立っていた。

 昼食の時間、まだ何人かの子どもたちが泣いている。泣き止んだ子どもがまずテーブルにつかせられ、食事が運ばれるのを待っていた。別の子がおしぼりを手にし、椅子に座ったが足をぶらんとテーブルに乗せてしまった。その瞬間に、力の強そうな男性保育士が「行儀が悪い!」と怒鳴りつけ、鬼の形相で、その子の手からおしぼりを奪い取り、テーブルにバシンとたたきつけた。そして、次の瞬間、その子の足を怒りに任せて強くたたいた。まだ物事のよしあしも分からない1歳の子どもを、だ。


こんな光景を見せられれば、「ここに子どもを預けても良いものだろうか?」と思うのは、当然ですよね。

僕なら預けません。

でも、これが「あまりにも酷い、珍しい例」だとも言い切れない。

そのくらい、日本の保育の現場が荒廃しているという実例が、この新書にはたくさん紹介されているのです。

ほんと、読むのがイヤになってきます。


保育士の資格を持っていても、向いてなさそうな人もいるし、給料が安い、残業だらけできつい、などの労働環境の悪さに辟易し、苛立っている人も多いようです。

保育士の資格を持っていても、保育の仕事をしていない人もたくさんいます。

この新書によると、

 保育所で働いている保育士は、2013年度で37万8000人となる。その一方で、保育士の免許を持ちながら実際には保育士として働いていない「潜在保育士」は、60万人以上にも上る。その多くは、仕事に対する賃金が見合わない、業務が多すぎることを理由に辞めている。


人が足りないから仕事が多く、きつくなるし、きついからさらに人が辞めていき、働こうという人も二の足を踏んでしまう。

そして、ただでさえ低い賃金が、民間保育所の参入によって、さらに切り詰められていく。

保育で利益をあげるために、いちばん手っ取り早いのは「人件費を削る」ことなんですよね。


 0〜2歳児に出る”朝おやつ”は、ビスケットやクラッカーなどの軽食と牛乳と麦茶のスタンダードなメニューに加えて、この保育所では珍しく、ブロッコリーなどの野菜も出ることが多かった。ところが、いつも茹ですぎの状態で、べちゃべちゃとして形が残っていない。とても咀嚼の訓練ができる状態ではなく、子どもたちは噛まずに飲み込んでしまう。朝おやつの段階でも、「これで良いのだろうか」と山本さんはさらなる疑問を感じたが、毎日が慌ただしく過ぎていくため、考える余裕がなくなっていく。

 職員には休憩する時間はなかった。園児と同じ給食を一食350円で給与から天引きされて食べさせられるのだが、まったく美味しいとはいえない。とりあえずお腹がいっぱいになればよかった。保育のマニュアルがあったが、それを読む暇もなく過ぎていった。

 6月、山本さんは1歳児クラスの担任から2歳児クラスの担任に変わった。4月の時点で2歳児の担任は3年目の保育士が1人と新卒が2人いたが、新卒の1人は一週間目で辞めてしまい、もう1人もゴールデンウィーク明けから出勤しなくなった。東海地方からリーダー役が転勤してきたが、すぐに体調を崩して辞めた。やむなく、幼児クラス(3歳)に来ていた派遣社員の保育士が4月の途中から2歳の担任に入った。一時、2歳児クラスの担任がその派遣保育士の1人になってしまい、山本さんが急きょ、2歳児クラスのリーダーになったのだった。

 7月に入ると、幼児クラスでの経験が5年ある保育士が入ってやっと担任が3人揃った。ただ、派遣保育士は5時間の短時間勤務のため、早番と遅番、残業は頼めず、正社員の負担は大きくなった。

これ、まさに「ブラック企業」ですよね……


疲れ果て、自分の未来に希望を抱けない保育士たち(しかも、経験も浅い)が、残業続きでフラフラになり、イライラしながら、小さな子どもたちに接している……

日本はこんなに「少子化」が叫ばれているのに、生まれてきた子どもに対する扱いは「釣った魚に、エサはやらない、なのか?」と揶揄されても仕方が無いくらい酷いものなのです。

親のなかには、保育所のあまりの荒廃ぶりを目のあたりにして、専業主婦として育児をすることに切り替える人も少なくないのだとか。


「待機児童」を減らすために、保育の質は、かえりみられなくなってきているのです。

民間が参入してきて、「競争」するのは良いことだと感じる人も多いのだろうけど、「サービスで競争する」というよりは「見栄え」をよくしてみせるだけで、働いている人たちは、使い捨ての駒のように、酷使していく。


 山本さんの保育所では、保護者へのサービスを重視するため、午睡用のシーツを付け替えるのもすべて保育士の仕事とされていた。コストダウンのため、おしぼりを洗うのも職員で、洗濯機は常にフル回転した。トイレ掃除も保育士が行った。2歳児クラスの担任になった派遣保育士は、うつ病になって9月下旬に退職してしまった。担任が3人揃っていたのは1年のうち2〜3か月もなかった。その代わり、”研修”といっては、本社を通じて毎日、他の系列園から保育士のヘルプ(応援)がきた。それでも保育士が賄えない時は、本社から現場を知らない若い社員がヘルプに来た。


「保育士」という資格さえ持っていればいい、ということもないとは思うんですよ。

でも、この労働環境で、子どもたちと笑顔で、余裕を持って接するなんて、無理ですよね……

こんな保育士たちに日々接している子どもたちに与える影響も大きいはず。

そんな現場の状況に目を向けず、ただ「待機児童解消」「民間の参入による競争」が叫ばれている。

これじゃあ、「保育難民」につけこんで、金儲けしようという人たちに便宜をはかっているだけのようにしか思えません。


同じ子どもに接する職業でも、保育士と幼稚園の先生の考え方の違いなどにも触れられていますし、「ひどい話」だけではなくて、「このなかで、保育士の生活の質を維持しつつ、子どもたちと明るく接することができる職場環境をつくっている保育園」も紹介されています。

「行事」は減らし、教室の飾りつけも簡素にして、そういう「見かけ」に使う時間や労力を、子どもたちとじかに接するために使う、そういう取り組みをしている保育所もあるのです。


いまの「保育システム」が、ごくごく一部の「儲けたい人」以外、子どもも、親も、保育士も、誰も幸せにしていない、という現実を丁寧に告発している新書です。

これは、「子どもたちがかわいそう!」というだけではなく、今後の世の中をよくしているために、もっとも「費用対効果」が高い部分だと僕は思います。

いくら出産後に働こうとしても、子どもを預ける先がこんな状況じゃ、そりゃ「産めない」よね。

子どもの数は減っているはずなのに、なんでこんなことになっているんだ……

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20150629

2015-06-28 【読書感想】水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ

[]【読書感想】水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ ☆☆☆☆ 【読書感想】水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ ☆☆☆☆を含むブックマーク 【読書感想】水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ ☆☆☆☆のブックマークコメント


内容(「BOOK」データベースより)

なぜ、奇想天外な展示が実現できる?なぜ、お客さんの満足度が高いのか?なぜ、地域まで活気付くのか?なぜ、頻繁にメディアに取り上げられる?…集客数15倍アップ7つのヒミツ。


 僕は水族館が大好きで、出先に水族館があるとなんとか時間をつくって寄りますし、水族館について書かれている本を見かけると、手にとってしまうのです。

 ダイビングをやればいいのに、なんて言われることもあるのですが、閉所恐怖症でもあり、自分で潜るのは、ちょっと怖い。

 あのライセンスをとるのは、けっこう大変らしいし、ダイビング仲間との人間関係、みたいなのもめんどくさい。

 やっぱり、水族館だな、と。


 この本の主役・水族館プロデューサーの中村元さんの著書『水族館の通になる』も以前、読んだことがあります。

 既成の水族館の展示方法にとらわれず、いかにして「お客さんに喜んでもらうか」を重視する中村さん。


 では、そもそも水族館は何のためにあるのか?

 水族館というと、楽しい場所ではある反面、勉強をしに行くところというイメージが頭の中をつきまとう。私も、小学校の頃に授業で水族館に行った覚えがある。

 これに対して中村は、「水族館は教育施設でなければならない」という考え方が、お客さんの求める水族館と実際の水族館にズレを生じさせていると主張する。

 動物園水族館協会では、水族館の目的として、「教育」「レクリエーション」「自然保護・種の保存」「調査・研究」の4つをうたっている。しかし、これは監督行政向けに提唱されたものであり、これ通りでは集客につながらないというのだ。水族館は、社会教育施設としてしっかりしていれば、お客さんは入ると思い込んでいるところがあるため、そこを変えていくべきだという。

 「莫大な投資をして、電力をいっぱい使って、何よりも生き物たちの自由を奪っておいて、その目的が子どもの理科教育だなんて、生き物たちにあまりにも失礼な話なんです。さらに、水族館側の多くが、社会教育を子どもへの理科教育や、生物学習と考えてるところが残念なんです。もっと重要な目的があるでしょ」

 中村は、水族館にいる生き物は、何よりもお客さんに見てもらうことが大事だと考える。生き物の勉強をさせるために図鑑に書いてあるようなことを読まれもしない解説板に書くよりも、まずは生き物たちを見てもらうことに、水族館の生き物の存在意義があるというもの。

 「だからお客さんに来てもらえない水族館や、来てもらえるように努力をしていない水族館は、自由を奪っている展示生物に言い訳できないダメな水族館なんです」


 「研究施設としての役割」を重視し、地道に活動している水族館の人たちが書いたものも少なからず読んでいるので、娯楽施設としての役割ばかり優先されることには疑問も感じます。

 とはいえ、「見てもらえないのなら、水族館に展示する意味なんて無い」というのは、たしかにそうだよなあ、と。

 中村さんは、マーケティングを重視し、お客さんの水族館内での行動についても検討されているのですが、サンシャイン水族館をリニューアルした際のデータでは、「3秒以上立ち止まった水槽は、全体の数の半分以下」「入館してから退館するまでの平均時間はわずか1時間」だったそうです。

 都会の水族館だから、というのはあるのかもしれませんが、お客さんは、そんなに水槽を一生懸命見ないし、説明文も読まない。

 

 そんななか、中村さんは、さまざまな常識破りの工夫をして、新しい水族館の「見せかた」を追求しつづけています。

 鳥羽水族館はリニューアル時に、混雑しすぎて通路がお客さんで詰まってしまうのではないかという問題を抱えていた。この解決策として中村が提唱したのが、順路を設けないこと。

 順路がなければ、お客さんが自ら空いている水槽から見ようとするため、混雑が解消される。それだけでなく、水族館側は、ここからここまでは日本の近海の生き物の展示、ここからは珊瑚礁にまつわる展示といった具合に展示の並びを考えなくてすむ。

 これらのメリットから、自由通路にすることを中村は提唱したのだ。

 具体的には、学校の廊下のような大きな通路を設けて、展示室を教室状に配置するというもの。お客さんは廊下のような大通路から、館内を見渡すことができ、自分が今どこにいて、どこのゾーンが空いているかが一目で分かる。移動もしやすくなり、観覧時間の配分もできるようになる、というものである。

 しかし、当時は順路が設けてあるのが当たり前で、自由通路の水族館は前例がなかった。

 「そんな水族館はない!」

 「順路を作らないと、お客さまから苦情が出る!」

 反対意見が続出。

 しかし、中村は食い下がった。

 「前例がないからやらないのでは何も解決できない。とにかく一度、自由通路にしてみよう、それでダメだったら、順路を設ければいい」


 中村は半ば強引に、自由通路にすることにした。

 すると、自由通路の効果はすぐに表われた。お客さんが1日に3万人に達しても分散され、入場制限の必要がなかったのだ。

 ある時、アメリカの水族館の館長の一行が視察に来たとき、称賛の言葉を残していった。

 「ここの水族館は、順路がないことがすばらしい。今まで誰も考えたことがなかった」

 

 「順路をなくす」だけのことを、誰も考えたことがなかったのです。

 「それがあるのが当然」だと思い込んでいて。

 なければないで、お客さんはけっこう「うまくやる」ものなのですね。

 でもまあ、こういうのって、思いついても、実行するのはかなり難しいことのはず。

 水族館というのは、公的な施設でもありますから、規模が大きくなればなるほど「前例主義」に陥りがちになります。


 中村さんは、水族館プロデューサーとして、これまで、サンシャイン水族館、おんねゆ北の大地の水族館(山の水族館)、新江ノ島水族館鳥羽水族館のプロデュースに携わっておられます。

 「水族館ファン」を自認しながら、僕はこの4つの水族館を一度も訪れたことがないのです。

 なかでも、「山の水族館」は、この本を読んでいて、いつかは訪れてみたいと思いました。

 その他の水族館は、立地的に、何かのついでに今後行く機会もありそうなのですが、「山の水族館」は、それを目的にしないと、なかなか行けそうもないのです。


 山の水族館があるのは、北海道の北東に位置する北見市留辺蘂(るべしべ)町。冬になると氷点下20度を下回る日もあるほどの極寒地域だ。

 そこにある水族館「山の水族館」が、建物の老朽化等を機に2012年7月にリニューアル。それ以来、新聞やテレビ番組等を通じて、全国から注目を浴びるようになった。


(中略)


 旧水族館時代は、地元の人々しか知らないほど知名度が低かったが、人気の高さが話題を呼び、秋頃からは全国ネットのニュース番組や情報番組でも頻繁に取り上げられるようになった。

 そして……入館者数はおよそ1年で、リニューアル前の15倍となる、30万人を達成した。


 前述した鳥羽水族館は「1日で3万人」ですから、いくら入館者数が増えたといっても、限界はあるのです。

 でも、街の規模や交通の便を考えると、北見市にこれだけの人を集める(しかも、そんなに大きな規模ではない水族館のために)というのは、ものすごいことなんですよね。

 水族館の集客効果は、地元の「町おこし」にも結びついています。


 超大型水槽はないし、ジンベエザメのような「超大型魚」はいないけれど、留辺蘂の「寒さ」を武器にした「水面が凍る水槽」や滝つぼ水槽、美しい大型淡水魚・イトウの大水槽など、「ここでしか見られない展示」が、「山の水族館」にはあるのです。

 お金がなくても、「見せかた」で、魅力的な水族館をつくることはできるのです。

 もちろん、お金をかけた巨大水槽も、僕は大好きなんですけどね。


 水族館ファンにとっては、「また行きたい水族館が増えた……」と、嬉しくなるような、困ってしまうような、そんな一冊です。

 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20150628

2015-06-27 【読書感想】日本の反知性主義

[]【読書感想】日本の反知性主義 ☆☆☆ 【読書感想】日本の反知性主義 ☆☆☆を含むブックマーク 【読書感想】日本の反知性主義 ☆☆☆のブックマークコメント


内容(「BOOK」データベースより)

集団的自衛権の行使、特定秘密保護法、改憲へのシナリオ…あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導く政策が、どうして支持されるのか?その底にあるのは、「反知性主義」の跋扈!政治家たちの暴走・暴言から、メディアの迷走まで、日本の言論状況、民主主義の危機を憂う気鋭の論客たちによるラディカルな分析。『街場の憂国会議』に続く、緊急論考第2弾!

【目次】

反知性主義者たちの肖像 内田樹

反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴 白井聡

反知性主義」について書くことが、なんだか「反知性主義」っぽくて

イヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、

と思って書いたこと 高橋源一郎

どんな兵器よりも破壊的なもの 赤坂真理

戦後70年の自虐と自慢 平川克美

いま日本で進行している階級的分断について 小田嶋隆

身体を通した直観知を 名越康文×内田樹

体験的「反知性主義」論 想田和弘

科学の進歩にともなう「反知性主義」 仲野徹

「摩擦」の意味──知性的であるということについて 鷲田清一


 最近「反知性主義」という言葉を耳にする頻度が高くなったような気がしていました。

 でも、僕は率直なところ、この「反知性主義」という言葉の意味が、よくわからなくて。

 いわゆる「知識人」たちの言説を「頭でっかちで、現場を知らない人の『机上の空論』として否定する」というようなニュアンスなのかな、という程度の認識だったんですよね。


 この本、内田樹先生の呼びかけで、9人の「知識人」たちが、「日本の反知性主義」というテーマで、それぞれの立場から(仲野徹先生は「理系」の立場から、最近の科学論文の状況などについて語っておられます)、それぞれの持論を述べておられます。

 なかなか豪華なメンバーではあるのですが、実際のところ、彼らのあいだでも「反知性主義」という言葉の解釈は、必ずしも共通したものではありません。

 それに、学術論文まではいかなくても、大学の講義みたいなものもあって、率直なところ、半分以上のパートは、読むのがつらかった。


 でもまあ逆に、なんとなく「反知性主義とは、こういうものだ」という思い込みから、リセットしてもらえたという点で、けっこう役には立ったのではないかな、とも思うのです。


 この本の冒頭で、内田樹さんは、『アメリカの反知性主義』の著者であるリチャード・ホーフスタッターのこんな言葉を引用されています。

 反知性主義は、思想に対して無条件の敵意を抱く人びとによって創作されたものではない。まったく逆である。教育ある者にとって、もっとも有効な敵は中途半端な教育を受けた者であるのと同様に、指折りの反知性主義者は通常、思想に深くかかわっている人びとであり、それもしばしば、陳腐な思想や認知されない思想にとり憑かれている。反知性主義に陥る危険のない知識人はほとんどいない。一方、ひたむきな知的情熱に欠ける反知識人もほとんどいない。


 ちなみに、この『アメリカの反知性主義』での反知性主義の「定義」は、

 反知性主義とは「知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとに対する憤りと疑惑」であり、「そのような生き方の価値をつねに極小化しようとする傾向」と定義される。

となっています。


 「反知性主義」というのは「無知」がもたらすものではない、ということなんですね。

 ちょっと違う話ではあるのですが、僕はこれを読みながら、これまでの人生で、「学歴偏重批判」をする人には、「そこそこの偏差値の大学を出ている人」が多いのではないか、と感じていたことを思い出しました。

 「勉強」や「テストの点数」に自分の価値を見いだしていない人というのは、むしろ、「東大」とか「京大」みたいなわかりやすいブランドに対して、あっさり「すごいですね」と感心し、そして、あまりこだわらないような気がします。

 僕みたいな「同じ土俵で、中途半端に勉強してきた人間」のほうが、敗北感というか、「学歴コンプレックス」が強いのかもしれません。


 内田先生は、つづいてこう仰っています。

 この言葉は、ロラン・バルトが「無知」について述べた卓見を思い出させる。バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。実感として、よくわかる。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は「自説に固執する」ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片付いたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすこととしている。


 ああ、なるほど、と感心してしまいました。

「他人の言うことに対して、とりあえず聴く耳を持っている」というのが「知性」なのか。

 まあでも、僕はここで、ふと立ち止まってしまうわけです。


 内田先生は、橋下大阪市長に対して批判的で、「反知性主義」の象徴のようにみなしていたのですが、この定義にもとづいて考えると、内田先生も橋下さんに対しては「反知性主義的」に、相手のやることなすこと否定しているのではなかろうか。

 党派、とはそういうものなのかもしれませんが、ホーフスタッターの言葉にもあるように「知性」というのは、ものすごく危ういもので、「知性的」にふるまっていたはずの人が、何かの理由や状況では、「反知性的」になってしまうのです。


 高橋源一郎さん曰く。

 元に戻って、ぼくがいいたいのは、「反知性主義」という言い方の中に、どうしても含まれてしまう「あんたたちは反知性だけれど、こっちは知性だよ」というニュアンスが好きになれないってことだ。この前、書いたことだけれど、ぼくのおばあちゃんは、ぼくが「バアちゃんのアホ!」というと、「他人のことアホっていうやつが、アホや!」といった。街の哲学者だ。その通り、というしかない。どこかにいる「反知性主義」を見つけて、それに「反知性主義」というレッテルを貼るのは気が進まない。そのことで、自分も「反知性主義」ヴィールスに冒されるような気がする。だって、「反知性主義」というのは、すごく簡単にいうと、相手のことを、すごく簡単に否定する考え方じゃないか、って思えるからだ。


 赤坂真里さん曰く。

 実は、「反知性」という言葉が私にはわかりません。

 知的ではない(非知性)ことともとれるし、知性に対抗する(アンチ知性)態度ともとれる。

 わからないのにわかったふりをして論を展開したくないし、「こういうことになってます」というお約束で論じたくもない。そうしてみたところで、一般読者の感覚とは離れているだろう。


 この「反知性主義」という言葉そのものが、なんというか、「他者にレッテルを貼るための便利な言葉」として濫用されているように僕も感じるのです。

 だって、「反知性主義者」なんて、いかにもバカそうなイメージを与えられる言葉だし。

 

 まあでも、基本的には「他人の話を聞く姿勢を持つ」ことがいちばん大事ではあるのでしょう。

 いまのネットを眺めていると、「いかにして、他人の話を聴かないで門前払いするか」みたいなことが「技術」として重んじられているようで、僕はけっこう不安なのです。

 とはいえ、「いちいち全部相手をしている時間も余裕もない」し、「なんじゃこりゃ、みたいなもの」もあるのも事実ですが。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20150627

2015-06-26 【読書感想】一生に一度は行きたい 世界の旅先ベスト25

[]【読書感想】一生に一度は行きたい 世界の旅先ベスト25 ☆☆☆☆ 【読書感想】一生に一度は行きたい 世界の旅先ベスト25 ☆☆☆☆を含むブックマーク 【読書感想】一生に一度は行きたい 世界の旅先ベスト25 ☆☆☆☆のブックマークコメント


【内容紹介】

「一生に一度は早い方がいい」

私は海外旅行を実現する秘訣はこの言葉に尽きると思う。別にパンフレットを請求しなくても、窓口を訪れなくても、旅行説明会に参加しなくてもいい。ただチャンスがあるのであれば、まず「行く」と決断してから、その旅行の障壁となる事象について調整すればいい。(本文より)

――旅行会社での企画、手配、添乗に携わり延べ70以上の国と地域を訪問。後に旅行ガイドブックの編者として数々のヒットを飛ばしてきた旅のプロが、「絶対外さない」「人生が変わる」旅先ベスト25を紹介。ネットではわからない貴重な情報も多数。必要な体力、旅行代金、日程の目安付き。


【目次】

まえがき――「旅先を選ぶ」ために


1. 旅の基礎知識


2. 難易度1の旅先

1 フランス モン・サン=ミシェル

2 カナダ イエローナイフのオーロラ鑑賞

3 ネパール エベレスト(チョモランマ)

4 カナダ カナディアンロッキー

5 フランス領ポリネシア タヒチ

(以下略)


 ああ、久々に旅に出たいな……

 僕は20歳を過ぎるまで、海外旅行に出かけたことがありませんでした(飛行機が嫌いだし、言葉が通じない場所に行くのは怖いし、わざわざお金を使って遠いところに行って疲れるよりは、家で『ダビスタ』やってたほうがいい、と思っていたのです)。

 今でも、正直なところ、チップを払うために小銭を準備してタイミングを見計らったり、拙い英語で知らない人に話しかけたりするのは苦手です。

 でも、海外に出かけて、文字通り「違う空気を吸う」ことって、けっこう面白いな、とは思っています。

 もっと若くて体力があるうちに、旅行の楽しみを知っていれば、もうちょっといろんなところに行けていたかもしれないな、なんて後悔してもいるのです。

 

 この本、旅行会社勤務から、人気旅行ガイドの編集に携わってきた経験を持つ著者による「オススメの旅行先の紹介」なのですが、イタリアのローマとかアメリカ西海岸とかハワイのような、あまりにも日本人にとって一般的すぎる観光地は除かれています。

 ハワイとかイタリアは訪れたことがあり、「今度は、あまり周りの人が行ったことがない国に行ってみたい」という人には、うってつけのガイドブックです。綺麗な写真もたくさん掲載されていて、見ているだけでも、ちょっとした旅気分に浸れます。

 というか、今の僕の状況では、なかなか長期間の旅行にも出られないので、メインの目的が「旅気分に浸る」「今度はここに行ってみよう、と想像する」になってしまってもいるのですけど。


 著者は、文化的な施設(美術館とか博物館)や新しい人工の建造物や遊園地よりも、「圧倒的な自然の力を感じさせてくれる風景」や「絶景」を体験することに重きを置いているようで、「ショッピングしたいので、ブランドショップや免税店が無いとダメ!」っていう人には、あまり参考にならないかもしれません。

 まあ、そういう人は、別のガイドブックを見れば良いのです。


 この新書、25ヵ所を1冊にまとめているだけに、ひとつひとつの紹介が雑になっているのではないか、と思ったのですが、読んでみると、個々の土地はこのくらいのボリュームでちょうどいいような気がします。

 次から次へといろんな国や絶景が紹介されるのは、すごく楽しい。


 カナダの中央部にあるイエローナイフ。かつてゴールドラッシュに沸いたこの町が、世界的なオーロラの観測地として知られるようになったのは、その高い観賞率からだと言われている。観賞率とは、その観測地に3泊したうち、1回でもオーロラを見ることができる確率だ。年代にもよるが、その統計では、イエローナイフは実に90パーセント以上という、世界でも圧倒的に高い観賞率を誇っている。

 オーロラって、北欧で観るのが「一般的」だと思ってました……


 カナダのイエローナイフでのオーロラ観賞が「難易度1」になっているのを見て、僕は「ああ、生きているあいだに、一度は生のオーロラを観てみたいんだよなあ」と思いました。

 6日間、20万円くらいで行けるそうなので、これなら、なんとかなるかも。


 ちなみに、紹介されている25ヵ所のうち、僕はウルル(エアーズロック)とカナディアンロッキーの2つだけ、行ったことがあります。

 

 それぞれの場所に関して、旅の「難易度」(どのくらいの体力を要するか)や飛行機の所要時間、かかる日数や費用も具体的に示されているのも親切です。

 「旅慣れていない人は、ここへは旅行会社のツアーで行ったほうがいいですよ」なんてことも率直に書かれています。

 著者はもと旅行会社勤務なので、そう書いたのかもしれませんが、僕の実感としても、「自信がないときは、ツアーに参加したほうが無難だし、安全」だと思います。

 行かないよりは、ツアーに参加して「体験」したほうが良いこともたくさんあるし。


 この新書を読んでいて痛感するのは、現在、2015年を生きていて、それなりの体力があって、お金と時間もそこそこあれば、「世界中、どこにだって行ける」ということなのです。

 

 僕は若い頃、椎名誠さんの『パタゴニア』という旅行記を読んだことがあります(いま調べてみたら、単行本は1987年に出ていました)。

 その本のなかの「パタゴニア」は、南米大陸の最南端にあり、南極もすぐそこにある「辺境」として描かれていました。

 もちろん、地球の地形が30年くらいで大幅に変わったということもなく、いまでもパタゴニアは同じ場所にあるのですが、この本には「難易度4の旅先」のひとつとして、「パタゴニア」が紹介されていました。

 ああ、椎名誠さんが「探検」した場所に、僕だって「観光」で行けるのか……


 その他にもガラパゴス諸島(足が水色の「アオアシカツオドリ」に会ってみたい!)にだってツアーで行けるし、『南極』にだって、僕が本気で行くことにすれば、ツアーで行けるのです。

 南極のツアー代金は150万円以上だそうですし、南極点まで、というわけにはいきませんけどね。

 そもそも世界で唯一、この大陸には国家が存在しない。1959年、日本を含む12の国で採択された南極条約(2015年現在、条約締結国は50)によって、この地におけるすべての領土権主張は凍結され、南緯60度以南の地域においては一切の軍事基地の建設、軍事演習の実施などが禁止されている。したがって、南極には、入国審査という概念そのものがないのだ。

 考えてみれば、あたりまえのことではあるのですけど、南極って、入国審査とか税関がない、世界で唯一の大陸なんですね。

 もちろん、無いほうがめんどくさくなくて良いのですけど、何の障壁もなく「南極大陸」に入れてしまうというのは、すごく不思議な感じもします。

 南極の場合は、自然そのものが巨大な壁、ということなのかもしれませんが。

 ほんと、「行こうと思えば、行ける」んだよね。南極にも。

 宇宙にまでは、まだ無理だけれど、地球上の大概のところに、日本人は行けるようになっている。

 しかも、便利なツアーで。


 僕にとって、この新書のなかで最も印象に残ったのは、この話でした。

 まず「行く」と決断することが大事――それが海外旅行実現の近道だと書いたが、特に長期にわたるものは、計画から実現までに最低でも3ヵ月、できれば半年以上の準備期間があった方がいい。なぜならば、「行く」と決めて万全を尽くしたものの、最終的に旅行を断念せざるをえないケースも発生するからだ。

 経験上、その理由として最も多いのは「両親の介護」。旅行中に面倒を見てくれる人が見つからなかったというケースだ。次に多いのが自身の健康問題。最近では、予定していた旅先で大規模な災害やテロ事件が発生し、安全と言われていても、周囲に説得されて諦めるケースもあるようだ。


 そうか、「介護」なのか……

 僕の場合は、まだ8か月の赤ん坊がいるので、海外旅行は、まだちょっと難しい。

 多くの家庭では、子どもが大きくなる時期くらいには、親の介護の問題が出てくるし、それに一区切りつく頃には、自分自身の体力も、大自然のなかをトレッキングしたり、高地を散策するのは不安になってくる。

 「老老介護」というのも、ひとつの現実ではあるし、日本社会の趨勢としては「少子化の一方で、高齢者はなるべく家族が介護していく」方向に進んでいます。

 「行きたいときに、海外旅行に出かけられる時間」っていうのは、一生のうち、そんなに長くはないのです。

 ……と、気づいた時点での僕の年齢を考えて、ひとつ、ため息。


 いやほんと、みんなそれぞれ「行けない、行きにくい事情」があるのは百も承知だけれど、行きたい、という気持ちが少しでもあるのなら、ちょっと無理してでも「行ってみたいところには、行けるうちに行ったほうが良い」ですよ、うん。


パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)

パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り (集英社文庫)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20150626