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2014-09-17 映画『るろうに剣心 伝説の最期編』感想

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和月伸宏原作のコミックを基に『プラチナデータ』などの大友啓史監督と佐藤健主演で映画化したアクション大作の完結編。激動の幕末にその名をとどろかす伝説の人斬り・緋村剣心が大切な人と国を守るべく、日本征服をもくろむ志々雄真実一派との壮絶な死闘に挑む。

参考リンク(1):映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』公式サイト


参考リンク(2):映画『るろうに剣心 京都大火編』感想(琥珀色の戯言)


 2014年31本目の劇場での鑑賞作品。

 平日のレイトショー前の回にもかかわらず、観客は80人くらいと大盛況でした。


 観終えての感想。

 ああ、面白かった!

 これまで、いろんなマンガの実写映画化をみてきましたが、日本でマンガを実写化した作品のなかでは、白眉というべき出来栄えだと思います。

 『京都大火編』と、この『伝説の最期編』は、前後編ではあるのだけれども、それぞれの色は全然違うんですよ。

 『京都大火編』は、観ていて、「剣心、逆刃刀なんてまだるっこしいものを使わずに、斬ってしまえ!」って言いたくなる、「人を活かす剣をふるうことの苦悩」が描かれていたのですが、この『伝説の最期編』は、志々雄真実という「ラスボス」との決着が描かれるので、「苦悩しているどころじゃない」って感じです。

 「斬るか、斬らざるか」について悩む間もなく、ひたすら、修行して、斬って、斬って斬りまくる。

 あんまり考えさせられるところはないのですが、エンターテインメントとしての楽しさ、おさまりのよさが、この『伝説の最期編』につまっているのです。

 アクションシーンが、とにかく丁寧につくられている、とくに剣心役の佐藤健さんが自ら身体を張ってやっている凄みが伝わってくるんですよね。


 前作で、あまりに「後編で解決しなければならない宿題」を持ち越しすぎたため、最後はかなり駆け足になってしまっていて、瀬田宗次郎とか、「えっ、前編ではあんなに強かったのに、そんなもんなの?」って感じの扱いでしたし、四乃森蒼紫はストーカー&隠れキャラ的な扱い。

 福山雅治さんとの修業シーンが長めで、肝心のラスボスとの戦闘ステージの時間(とくに中ボスとの戦い)が、短くなってしまったような気もします。


 福山雅治さんとのやりとりが、またカッコいいんですよ。

 イイ男が二人、真剣な表情で向かい合っていると、こんなに絵になるものなんだねえ、と。

 『るろうに剣心』の作品世界云々はさておき、美しい場面でした。


 この映画って、志々雄真実をどう描くか?というのがポイントだったと思うんです。

 志々雄真実は、ものすごく強くなくてはいけない。でも、剣心が最終的には勝たなくてはならない。

 「志々雄真実を強くみせるには、どうすれば良いのか?」の答えが、クライマックスの戦闘シーンにこめられているのです。

 志々雄は、圧倒的に強い。そして、悪い。

 その悪は「信じたものに裏切られ、どん底に叩き落されたこと」によって、生まれた悪でもあります。

 一つ間違えて、行きすぎたり、中途半端にやろうとすると、笑われてしまうキャラクターだと思うんですよ、志々雄真実って。

 でも、この映画では、「クズを演じるエキスパート」藤原竜也さんが、うまく演じているのですよね。

 『DEATH NOTE』の夜神月と同じ演技だ……と思ったのは事実なのですが、こういう「マンガ的な悪役」が、藤原さんにはなぜかよく似合うのです。

 それにしても、志々雄強いよなあ、負けてなお強し、って感じ。

 維新政府、それ絶対に、軍隊を出動させるか、船ごと沈めるべきだったのに!


 ひとつよくわからなかったのが、ラストの海岸でのあの対応。

 「わかっていない人びと」への絶望感を皮肉をこめて描いたのか、純粋に敬意だと思って良いのだろうか……

 あれだけは、観ながらよくわかりませんでした。

 あのシーン、必要だったのかな……

 

 本当に「エンターテインメントとしての完成度が高い映画」だと思います。

 前後編・4時間半におさめるために、サブキャラクターの描きかたに深みがなくなったり、唐突かつ不条理な展開もみられたりはしますが、「説明過多になってテンポが悪くなるより、ヒーロー映画、アクション映画としてのカッコよさ、心地よさを重視したのは、正解だったんじゃないかな。

 「これはヒットするよね!」と納得しながら家路につける、素晴らしい娯楽映画でした。

2014-09-16 【読書感想】江戸しぐさの正体

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内容紹介

 「江戸しぐさ」とは、現実逃避から生まれた架空の伝統である本書は、「江戸しぐさ」を徹底的に検証したものだ。

 「江戸しぐさ」は、そのネーミングとは裏腹に、一九八〇年代に芝三光という反骨の知識人によって生み出されたものである。そのため、そこで述べられるマナーは、実際の江戸時代の風俗からかけ離れたものとなっている。芝の没後に繰り広げられた越川禮子を中心とする普及活動、桐山勝の助力による「NPO法人設立」を経て、現在では教育現場で道徳教育の教材として用いられるまでになってしまった。

 しかし、「江戸しぐさ」は偽史であり、オカルトであり、現実逃避の産物として生み出されたものである。我々は、偽りを子供たちに教えないためにも、「江戸しぐさ」の正体を見極めねばならないのだ。


 「江戸しぐさ」をご存知でしょうか?

 その昔、旧営団地下鉄の愛称・東京メトロにまだなじめなかった頃、私は上京する毎に、地下鉄の駅に張られた奇妙なポスターに目を奪われた。

 それは、「江戸しぐさ」という題目で鉄道客車内での作法を描いたイラストの数々で、公共広告機構(現ACジャパン)によるマナー啓発CMだった。

 著者は、歴史研究家であり、日本でも数少ない偽史偽書の専門家です。

 「江戸っ子のモラルの高さ」「昔の日本人の素晴らしさ」をアピールし、現代人のマナーに警鐘を鳴らす、「江戸しぐさ」。

 著者は「時代考証」や「『江戸しぐさ』をつくりだし、広めようとしてきた人たちの人生を辿ること」によって、この「江戸しぐさ」を検証し、実際には存在し得なかったものであることを証明していきます。


 僕自身は「江戸しぐさ」に関して、「まあ、それが現代人のマナー改善につながるのであれば、別にちょっとくらい嘘が混じっていても良いんじゃない?」とかいう気持ちもあったんですよ。

 でも、この本を読んでいると、「ちょっと」どころじゃないし、偽の「歴史的事実」が広まることのデメリットについて、あらためて考えさせられました。


 「江戸しぐさ」というのは、「江戸の商人の間では広く共有された行動哲学」だそうなのですが、それが最近まで忘れられていた「こんな理由」が語られているのです。

 「NPO法人江戸しぐさ」の越川禮子氏によると、その原因は、幕末・明治期に薩長勢力が行った「江戸っ子狩り」に求められる。


 江戸っ子を一部の官憲は目の色を変えて追い回した。”江戸っ子狩り”は嵐のように吹き荒れた。摘発の目安は”江戸しぐさ”。ことに女、子どもが狙われた。私たちの目にはふれないが、ベトナムのソンミ村、アメリカネイティブのウーンデッドニーの殺戮にも匹敵するほどの血が流れたという話もあながち嘘ではないかもしれない。それらは、史実の記録はおろか、小説にも書かれていないが」(越川禮子『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋」157〜158頁)

 

 この「江戸っ子狩り」の魔手を逃れるため、多くの江戸っ子が地方に逃れて隠れ江戸っ子になったという。その江戸っ子脱出を手引きしたのは幕臣勝海舟で、両国から船を出して武蔵や上総に何万という人を送った。彼らは近くは神奈川、埼玉、遠くは北海道の函館まで逃れて「江戸しぐさ」を伝える江戸講の組織を維持し続けていた。

 また、「江戸しぐさ」はもともと口伝で書き物を残すことを禁じられていた上に、江戸っ子たちが江戸に関する記録を薩長勢力にわたすことをこばんですべて焼き捨ててしまった。そのため「江戸しぐさ」に関するわずかな覚書まで失われたのだという。

 薩長の子孫からしてみれば、濡れ衣もいいところである。また、勝海舟の履歴にもそのような事実はない。


 「虐殺の隠蔽」は、歴史に対する大きな罪だと思いますが、このような「ありもしなかった虐殺を、自分たちの主張のために根拠もなく、捏造してしまうこと」にも、憤りを感じます。

 著者は偽書の専門家として、「偽の古文書などの証拠があれば、使われている紙の年代測定や筆跡の鑑定などで、科学的な証明ができるのだけれど、『具体的な証拠は無い』と開き直られてしまうと、それが嘘であることを証明することも、かえって難しくなる場合がある」と仰っています。

 冷静に考えてみると、「江戸っ子狩り」なんていう虐殺が実際に行われたとすれば、なんらかの資料が残っているはずです。

 江戸に水爆が落ちて、すべてなくなってしまった、というのならともかく。

 こういうのって、「本物らしく見せようと、証拠をつくればつくるほどボロが出る」ものなんですね。

「江戸しぐさ」の場合は、「証拠が無いのが証拠だ!」と開き直ってしまったのが、かえって成功しているのです。


「江戸しぐさ」を代表する三大しぐさは「傘かしげ」「肩引き」「こぶし腰浮かせ」だそうなのですが、著者は、この3つのすべてに、江戸時代のものとは考え難い、と疑念を呈しています。

 その「傘かしげ」について、『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』(以下『商人道』)では次のように説明される。

 

 雨や風の日、道路ですれ違うとき、相手も自分も傘を外側に傾けて、一瞬、共有の空間をつくり、さっとすれ違う。お互いの体に雨や雪のしずくがかからないようにするとともに、ぶつかって傘を破らないようにする実利的な意味も含んでいた (『商人道』、93頁)


 しかし、これは誤解に基づく創作である。

 浮世絵の題材や歌舞伎の小道具に傘がよく使われること、時代劇などで浪人の内職としてよく傘張りが出てくることから誤解しがちだが、江戸では差して使う和傘(唐傘)の普及は京や大阪に比べて遅れていたのだ。

 江戸時代も末期の天保年間(1830〜1844)頃には江戸でも和傘の普及が進むが、それでも贅沢品という性格が強かった。江戸っ子たちは雨具として、主に頭にかぶる笠や蓑を用いていたのである。

 江戸でも大店の商家では、急な雨の際に客に傘を貸し出すサービスをすることもあったが、これはその傘に入った屋号を目立たせることによる宣伝という意味が大きかった。

 浮世絵や歌舞伎に傘が出てくるのは贅沢品ゆえで、今でいえば雑誌グラビアや映画でブランド品が使われるようなものである。

 また、下級武士の内職に傘張りが好まれたのも、贅沢品に関わるゆえに他の内職に比べて実入りがいいからである。


 したがって、江戸で傘を差したもの同士がすれ違うという状況が、特殊なしぐさを必要とするほど頻繁だったかどうかには疑問がある。

 また、傘かしげは相手も同じ動作をするという暗黙の了解によって成り立っている(そうでなければ、かしげた側が上からの雨と相手の傘からの雨を同時にかぶることになる)。それなら一方が立ち止まって道を譲るなり、傘をかしげるのではなくすぼめるなりしてぶつかるのを避けた方が賢明である。

 そして、和傘はスプリングが入った洋傘に比べ、すぼめたまま手で固定するのが楽な構造になっているのだ。


 なるほど。

 こうして時代考証をきちんと行ってみると、「傘かしげ」なんておかしいよな、というのが見えてきます。

 江戸では、差して使う傘、そのものが普及していなかった、という歴史的事実。

 傘かしげという行為そのものが、お互いの了解を必要とする成立難易度が高いもので、もっと合理的な方法もありますよね。

 僕としては、「江戸時代にも、広告目的で傘を貸し出すようなマーケティング戦略があった」というのも、驚きではあるのですけど。

 

 著者は、このように、歴史的な事実を積み重ねて、「江戸しぐさ」が、実際に江戸時代に生活していた人たちにとっては、ありえない、または非常に不合理なものであることを紹介しています。

 そして、「江戸しぐさ」が主張されはじめた時期などから、西洋のマナーや、戦後の高度成長期の「自己啓発ブーム」の影響が強いのではないか、と指摘しているのです。


 こんなふうに、歴史的根拠に乏しいというか、歴史の捏造ですらある「江戸しぐさ」。

 しかしながら、こういう「いい話」の矛盾というのは、なかなか指摘されにくいというのも事実です。


「じゃあ、その嘘で、誰が傷つくんだ?」

「そういうエピソードで、現代人のモラルが向上するのであれば、フィクションでも良いじゃないか」


 実は、僕自身にも、そんなふうに思ってしまうところがあって。

 少なくとも、これは「悪い嘘」じゃないのでは……とか、つい考えてしまうのです。


 著者は、こう書いています。

 また、「江戸しぐさ」についても、私がツイッター上で「江戸しぐさ」批判を始めた時には、おかしな話がまぎれこんでいるからといって「江戸しぐさ」の存在まで否定するのは早計という意見がみられた。

 そういった信奉者に共通しているのは「(嘘を交えているとしても)すべてが嘘とはいいきれない」という論法である。

 それらの例で否定されているのは、伝来されていた内容以上に、伝来の経緯に関する証言や証拠なのである。その伝来の経緯が嘘だった以上、その内容だけは本当ということはまずありえない。それはさしずめ、土台が崩れているのに、その上にある建物は無事だと言っているようなものである。真実を知りたいのなら、伝来の経緯がまっとうな他の情報源を探すべきだろう。

 それではなぜ、そのような無理を押してまで信じるべき根拠が失われている話に固執する人がいるのか。それは、その人が内容に共感し、いったんは信じ込んでしまったからである。

 つまり彼らは、真実を求めるより、自分の思い込みを守ることの方を選んでしまったわけである。


 この文章の最後「真実より、自分の思い込みを守るほうを選んでしまった人」という言葉は、僕にとっては本当に「刺さる」ものでした。

 そうなんですよね、僕がこういうのを「別に悪いことを言っているのではないんだから……」と許容してしまうのは「それをいったんは信じ込んでしまった自分を守りたいから」なのです。

 そして、「いい話だから、僕は許す」という思考回路が出来上がってしまったら、おそらく、その「許容範囲」はどんどん広がっていって、「自分にとって都合の良いことは、どんな嘘でも信じる人間」になってしまいかねません。

 結局のところ、そういう「自己正当化の暴走」を食い止めるためには、「それが事実かどうか」を、ひとつの境界にするしか無いのだと思うのです。

 

 さて、私は2013年の春頃から、「江戸しぐさ」の成立に関する調査状況をツイッターに上げ続けてきた。その初期の頃に寄せられた意見に次のような大意のものがあった。


 江戸しぐさがフィクションだったとしても、モラルが低下している現代ではそれに基づいて道徳を教える意義がある。モラルハザードファシズム台頭の引き金にもなりかねない。


 しかし、フィクションを現実にあった事柄として教えるのは、結局虚偽である。虚偽に基づいて道徳が説けるものだろうか。教え子がその虚偽に気づいたなら、虚偽に支えられた道徳もまた軽んじられるのが落ちだろう。

 また、虚偽によって人々を自分の主張に誘導するというのは、ファシストがよく行う手口である。「江戸しぐさ」の実在は虚偽だと知りつつ、自分の考える道徳に教え子を誘導するのに便利だから使うというのは、ファシズムに抗するどころか教師がファシストに近づく第一歩になりかねない。

 そもそも、教育の場で教師が堂々と嘘をつくこと自体、深刻なモラルハザードなのである。虚偽を根拠に道徳が説けるわけはない。


 本当に、そう思います。

 ただ、僕はこの本を詠みながら、考え込んでしまったところもあるのです。

 

 なぜ、こんなふうに「(偽の)江戸時代の習慣」がもてはやされているのだろうか?

 「道徳教育」を行いたいのであれば、「雨の日で傘を持っているときには、お互いに道を譲り合いましょう」「相手が濡れないように気をつけましょう」とか「公共交通機関の座席は、なるべく詰めて多くの人がすわれるようにしましょう」って、「現代人としてのマナー」を、そのまま教えれば良いんじゃない? 


 でも、これを書いていて、わかったような気がします。

 いま、子どもたちが目のあたりにしている「2014年の大人のマナー」が目も当てられないものだから、「江戸時代の日本人」に理想を投影するしか、ないんだよね……

 

2014-09-15 DVD『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』感想

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<ストーリー>

現代のサンフランシスコ。製薬会社ジェネシス社の研究所に勤める若き神経科学者、ウィルが実験のためアルツハイマー病の新薬を投与した一匹のチンパンジーが驚くべき知能を示した。ところが、そのチンパンジーは突如暴れ出した挙句、射殺されプロジェクトは中止されてしまう。ウィルは生まれたばかりの赤ん坊を自宅に連れ帰り、“シーザー”と名付けて育てることに。3年後、すくすくと育ったシーザーとウィルとの間には本物の人間の親子のような強い絆が生まれており、同時に特殊な遺伝子を受け継いだシーザーは、類まれな知性を発揮し始めていく。しかし、ある事件がきっかけで、シーザーは人間の愚かさに失望してしまうのだった。そして、失望は地球上の生物の進化の概念を覆す「壮大な闘い」の序章へとつながっていく……。


 この映画、あんまり期待していなかったのですが、けっこう楽しめました。

 ストーリーは、最初の30分観た時点で、もう予想がつくんですよ。

 ああ、こいつが、って。


 そういう意味では、観ているときの感覚は『スター・ウォーズ エピソード3』に近い印象です。

 どちらが最終的に勝つか、すでに知りながら観ているわけです。

 にもかかわらず、この映画は、なかなか面白い。


 まずは、猿たちのリアルな動きがすごい。「表情」があるんです。

 特撮技術もここまで来たのか……と、ちょっと感動してしまうくらいです。

 すごすぎて、逆に「猿らしくない」というか、人間が透けてみえるときもありますが。


 人間によって育てられ、飼い主家族からも大事にされていた猿・シーザー。

 彼はある理由で、どんどん賢くなっていくのですが、賢くなればなるほど、「自分が猿であること」が窮屈になってきます。

 実験材料にされる仲間の猿たちとの絆と、飼い主たちへの恩義。

 ほんと、ベタなんですけど、人種や国籍、性別よりも「種の違い」というのは、超えようがない壁だよなあ、と。


 主人公たちも、けっして悪いことをしようとしているのではなく、身近な人の病気を治したいという気持ち+誰にでもあるような功名心が、破滅のきっかけになっていくのです。


 「歴史的大傑作!」ってわけじゃないけど、よくまとまった「良作」だと思います。

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2014-09-14 【読書感想】新幹線50年の技術史

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新幹線50年の技術史 (ブルーバックス)

新幹線50年の技術史 (ブルーバックス)


Kindle版もあります。

内容紹介

1964年に世界初の高速鉄道として日本に誕生した新幹線は、2014年で50年を迎えた。新幹線の技術的ルーツが初めて世間に向けて発表されたのは「超特急列車 東京-大阪3時間への可能性」という1957年に開かれた講演会のことである。そこを起点とすれば57年になる。

当時、急速に劣化が進んでいた日本国有鉄道という組織の中で、新幹線は営業面でも技術面でも唯一の明るい部門であった。国鉄末期には停滞した時期もあったが、1987年に国鉄の分割・民営化が断行されて、新生JRによって再び活気を取り戻した。

極東の小国が自力で世界一の高速鉄道を造り、営業的にも大成功を収めたことに、鉄道先進国を自負していたヨーロッパ諸国は急追の動きを見せた。1981年にはフランスが新幹線を参考にして、また他山の石としてTGVというシステムを作り上げ,明確に世界一の座に就いた。

さらにその後、鉄道技術では後進国とのイメージが強かったスペインや中国によって、世界の高速鉄道の地図は大きく塗り替えられた。そのかげで、元祖新幹線には時代遅れや色あせたイメージさえつきまとうようになってきた。

一方で、災害大国でもある日本で、新幹線は奇跡ともいえるような安全実績を更新中であり、なお日本の新幹線には世界に貢献できる優れた技術も少なくない。日本の優れた技術と諸外国に見られる積極的な発想とを組み合わせれば、国の内外で鉄道の社会的役割が一層高められるであろう。

このように、新幹線が歩んできた50年の歴史を技術の視点で振り返りながら、リニア中央新幹線の建設も見据えて将来像を考えていく。新幹線ともに鉄道技術人生を歩んできた筆者による渾身作。


 新幹線開業から、2014年で、もう50年になるんですね。

 その間、事故による死者はひとりもなく、日本の技術の象徴ともなっている新幹線。

 この本は、鉄道技術者として活躍してきた著者による、新幹線50年の「技術史」です。


 ただし、内容的にはかなり硬派で、「技術の話」がかなり多くを占めているんですよね。

 鉄道ファン、鉄道技術ファンにはちょうど良いのかもしれませんが、僕にような「鉄道は好きだけど、技術的なことにはあんまり興味ないんだよなあ……」という人間には、読んでいてちょっと辛いところもありました。

 

 これを読んでいると、「日本の鉄道技術、とくに新幹線」は、誇るべきものであるのと同時に、あまり「世界に冠たる、特別なもの」だと思い込まないほうが良いのだな、ということがわかります。

 

 敗戦国日本、というイメージが残っていた極東の小国が自力で世界一の高速鉄道を造り、営業的にも大成功を収めたことに、鉄道先進国を自負していたヨーロッパ諸国は急追の動きを見せた。1981年にはフランスが新幹線を参考にして、また他山の石としてTGVというシステムを作り上げ、明確に世界一の座に着いた。

 さらにその後、鉄道技術では後進国とのイメージが強かったスペインや中国によって、世界の高速鉄道の地図は全く塗り替えられることになり、今では、スペインはヨーロッパ最大の高速鉄道網を持ち、中国は世界最大の高速鉄道保有国になった。そのかげで、元祖新幹線には時代遅れや色あせたイメージさえつきまとうようになってきた。


 運行時間の正確さと安全性には定評がある新幹線も、1964年の開業からしばらくは、かなり試行錯誤があったようです。

 建設される際には「これからは車による輸送や飛行機が主役となって、鉄道は時代遅れなのではないか」という反対意見も、かなり多かったのです。

 結果的には、社会に与えた影響とともに収益性においても、新幹線は大成功、だったんですけどね。


 今から考えると信じられないような話なのですが、開業から10年近くが経過したときには、新幹線は「限界」を迎えていたのです。

 万博輸送が終わった後、1972年3月には山陽新幹線が岡山まで開業した。同時に、「ひかり」にも自由席が設置された。しかし、この頃から、線路と車両の酷使によって東海道新幹線の劣化は放置できないレベルに達していた。1974年から1975年にかけては、新幹線が一日無事に走れば新聞ネタになる、といわれたほどダイヤ乱れが日常化していた。

 線路は軸重16tで設計されていたから、重量超過で運転しているうちに劣化がみるみる進んで、盛り土の変形が進んで徐行を余儀なくされたり、橋梁に亀裂が入ったりした。これらの結果ダイヤが乱れると、運行管理のまずさも手伝って新横浜までは何とかたどり着いても、東京駅に入線できずに終着を目前にして長時間ストップ、等という状態が連日のように発生してしまった。そこで、今の品川駅とは違って、上り線にだけ下車専用の臨時プラットホームを品川辺りに作ってそこで下車してもらう、などという案がこっそりと、しかし真剣に議論されるほどになった。

 ここまでくると、さすがに放置しておくわけにいかず、1974年から昼間の列車すべてを半日運休にして「新幹線臨時総点検」を4回実施し、それに基づいて1976年から「体質改善工事(新幹線若返り工事)」と称する線路等の作り直しを余儀なくされた。実質的に軸重19tの列車でも安全に走れるように、橋や分岐路の取り替えなども含む大工事をしたのである。乗客の比較的少ない火曜日の夜から水曜日の午前中一杯、全ての列車を運休して線路の作り直しを1976年2月から1982年1月にかけて6年にわたって44回も繰り返した。こうして、新幹線はよみがえったのである。

 1982年までやっていたということですから、僕の記憶に残っていてもおかしくないのですが、これは覚えていないなあ……

 まあ、東海道新幹線の沿線に住んでいたわけではなく、新幹線にも家族旅行でたまに乗るくらいだったので、影響を受けていないから、なのかもしれませんが。


 その後、さまざまな改良を経て、現在は緻密なダイヤ通りに運行されるようになっているのですが、「日本の鉄道は時間に正確」というのは「昔から」ではないのです。

 

 著者は、リニア中央新幹線についても、技術的なメリット、デメリットも含め、かなり詳細に解説しています。

 この本を読むと、車両や線路の改良によって、リニアにしなくても最高時速400km近くを出せる高速鉄道が開発されており、正直、「完成するのが十数年先だとしたら、完成する頃にはもう、『時代遅れの技術』になってしまっているのでは……」とも思えてくるのです。

 航空機との競争関係では、レールが敷けない大陸間や高空で空気の薄い場所を飛ぶ時間が長くなると航空機が有利になる。現在、鉄輪式の高速鉄道でも距離で1000km程度が航空機との競争関係になってきたため、超高速磁気浮上式鉄道が有利な速度や距離はおおよそ1000km〜1500kmと限定的になってきた。

 ということみたいです。

 東京から名古屋までは、現在の新幹線のルートでは342km、リニア中央新幹線では286kmに短くなるそうなのですが(東京から新大阪までは、500kmくらい)、本当にリニアにする必要があるのかどうか、疑問ということになります。

 ただし、著者は、現在の東海道新幹線の運行密度を考えると、別ルートをつくることには意義がある、とも考えておられるようです。


 ただ、新しい交通機関の「必要性」というのは、なかなか予測できない面もあるみたいなんですよ。

 前述した、「新幹線臨時総点検」の際に、こんな調査がなされたそうです。

 ところで、新幹線のような重要な輸送機関を半日休ませるような大規模な社会実験は前例がなく、運休期間の乗客はどこに流れたのか、高速道路、在来線、時期をずらして前後の日や前後の週の同曜日、など手を尽くして調べた結果は拍子抜けする結論だった。日・時間・手段を変えてほかに流れたのではなく、大部分は単純に消えてしまっていた。便利な乗り物があるから利用するのであって、なければ顕在需要にはならないとの結論を得たのである。

 リニアができたら、それによって「需要」がまた生まれてくる、ということもあるのでしょう。

 旅行のためにリニアに乗るのではなく、リニアに乗るために、行く場所を探す。

 乗り物で移動するのが好きな人は、けっこう多いのかもしれません。

 満員電車じゃなければ、ね。

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2014-09-13 【読書感想】ビール職人、美味いビールを語る

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ビール職人、美味いビールを語る (光文社新書)

ビール職人、美味いビールを語る (光文社新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)

「五〇年近くビールをつくってきて、いまだにビールというのは難しい酒だと、本当にそう思います」ビール職人・山田一巳はキリンビール在職中、『ハートランド』『一番搾り』など数々の名品を世に送り出してきた。定年退職後、理想のビールづくりを求め、八ヶ岳山麓にある地ビール工房の醸造長に就任した「達人」が語る“美味い”ビール、そして、ものづくりの“原点”と“極意”。


Kindle版で読みました。

Amazonで購入したあと、新書版の発行年月を確認したら、2002年5月で、「ああ、旧い本を買ってしまった……」と、後悔したんですよね。

なんでもかんでも最近出た本が良い、というわけではありませんが、新書というのは、「いま知りたい情報が、簡潔にまとめられている本」だと僕は考えているので、12年前の情報って、いまも通用するのかなあ、と。

でも、読んでみると、全然「古さ」を感じませんでした。

太平洋戦争後の日本で、「ビール」が多くの人に飲まれるようになっていき、キリンビールが大きな会社になっていく推移と、「ラガービール」だけで殿様商売ができていた時代から、アサヒの『スーパードライ』の攻勢を受けて、シェアを落とし、試行錯誤の末に『一番搾り』にたどり着くまでの現場での葛藤が、ひとりの「みんなに愛されたビール職人」の視線で語られている、とても魅力的な内容でした。


 山田さんはもう46年間ビールをつくっている。現役のビール職人の中では、もっとも経験豊富な一人だろう。

 1955年(昭和30)年、当時まだ麒麟麦酒株式会社だったキリンビール株式会社(以下キリン、キリンビール)に入社。醸造ラインの現場で経験を積み、商品開発機構の中枢であるパイロットプラントのチーフになる。以降、プラントの責任者として数々の新商品の試醸を手がけてきた。根強い人気を誇る名品『ハートランド』、日本のビール史上に残る大ヒット商品『一番搾り』、季節商品として定着した『秋味』『春咲き』……。これらの商品開発のプラントの責任者を務めてきたのが山田さんである。

 1996年、定年でキリンを退社。八ヶ岳ブルーワリーの醸造長に就任。「萌木の村」村長、舩木上次さんの「うちで山田さんのビールをつくって下さい」という言葉が決め手だった。

 山田さんを知る人は、まずその人柄を讃える。穏やかで礼儀正しく、快活。人の輪をつくるのがうまい人だ。その人柄も、ビールの味に含まれている。


 この新書は、「ビール職人が、ビールを語る」とともに、「ビール職人・山田一巳が自らの人生と仕事を語ったもの」でもあります。

「職人のなかの職人」である山田さんの言葉の含蓄に、僕は読んでいて何度も唸らされました。

「ビールというのは、もちろん自分がうまいと思っているだけではダメで、お客さんに喜んでもらわなきゃいけない。それもまた難しいところなんです。人の味覚は十人十色。それぞれまるで違いますからね。十人が飲んで十人が満足するビールをつくることは究極の理想ですが、不可能でしょう。十人が飲んで十人がまあまあうまいと思うビールをつくることは可能かも知れない。でも、そんなビールをつくったって平凡なものにしかなりません。それよりも、十人が飲んで三人が本当に感動するようなビールを、私はつくりたいんです。

 ものづくりは、お客さん本位とか時代の流行とか、そういうことも大事ですけれど、つくり手がしっかりと理想を持ってないといけない。どういうビールをうまいと思うか。自分なりに理想をつきつめていく。その意思がなかったら、お客さんを本当に喜ばすようなビールはできないと思います。まずは理想があって、そこに近づけていくための技術や知識がある。経験から来るカンが頼りになることもあります。でも、それ以前に理想に近づけていこうとする気持ちが大事です。それがなくなったらビール職人はおしまいでしょうね。

 完璧なビールがどんなビールかって、結局そんなものはないんです。でも、それがいつかできるだろうな、と。そんな風に思いながらやっていくのがいいんでしょう。

 かといって、あんまり根を詰めすぎてもいけない。職人が鬱々とつくってるビールなんて、何だかうまそうじゃないじゃないですか。先は長いんだから、のんびりと、遊びながらつくっていくのがいいんです。楽しみながらね。


 この言葉を読めただけでも、僕はこの新書を読んでよかったなあ、と思いました。

 「十人全員にとっての満点」は、おそらく、存在しない。

 でも、そこで、「十人にとっての『まずまず』」ではなく、「十人のうち、三人を感動させられるもの」を目指すというのが、山田さんの考え方なのです。

 「まずまず」の十人がずっとそのビールを飲み続けてくれるとは思えないけれど、「自分にとって感動的なビール」に出会った三人は、ずっと、そのビールを愛飲してくれるはずです。

 そして、大事なことは、「つくる側が、その完成形のイメージを持って、そこを目指しているか」なんですよね。

 「美味しいビール」「売れるビール」というような「漠然とした目標」を掲げて迷走してしまう理由は、つくっている側に「自分の『美味しい』は、これだ!」という確信が無いまま、試行錯誤してしまうから。

 もちろんこれは、ビール作りだけの話ではありません。

 

 

 ビール醸造というのは、酵母という微生物を培養する作業ですから、ちょっとでも管理を怠ると、すぐに雑菌を繁殖させてしまう。特に乳酸菌なんかは、普通にやってたら繁殖させない方が不思議なくらいでね。我々の仕事というのは慎重にやらなきゃいけないんです。

 雑菌が発生するときはだいたい濾過器かパイプの継ぎ目からですから、一週間に一度は全部分解して、きれいに掃除してやる。私が現場にいた頃は、それが徹底されていました。雑菌の怖さは先輩たちから聞かされてよく知っていましたし、ちょっとでも手を抜くとすぐに怒鳴り飛ばされましたからね。


 つねに醸造の現場にいた山田さんの仕事は、けっしてラクではなかったと思うのです。

 食品を扱う仕事というのは、たったひとつの「衛生上の失敗」が、会社を傾けるような大問題となることがあるのです。

 実際、キリンビールにも、そのような事例がありました。

 それでも、山田さんは「仕事を楽しみ、人生を楽しんでいる」のです。

 ビール作りの名人、と讃えられながらも、「キリンビールにいるときは、つくれと言われたビールを忠実につくっていただけ。今は『自分のビール』を作っていて、やりがいとともに責任も感じます」と仰っています。

 この本のなかで語られる、ビール工場の大部分の作業工程が、人の手に頼っていた時代のエピソードを読んでいると、仕事のハードさに驚かされる一方で、「右肩上がりの時代だった日本を支えてきた人たち」の矜持と活気も伝わってくるのです。

 一概に「良い時代だった」とは言えないところもあるのでしょうけど、山田さんの口から語られると、なんだかとても魅力的なんですよね、高度成長期の「キリンビール」という会社は。


 清里で地ビールをつくり始めた頃、ある人たちから『もっと地ビールらしい個性的なビールにしてはどうか』と言われました。山田のところのビールは洗練されすぎている。大手メーカーのビールと区別がつかない。もっとクセのある個性的な味にした方が地ビールらしくて受けるんじゃないか、と。地ビールブームの頃にはよくそんなことを言われたものです。

 それを聞いて、何を言ってるんだと思いましたね。個性って何だって。

 うちのビールは十分に個性的です。

 自分がうまいと思うビールをつきつめていったら、今のビールになった。それ以外に個性なんてないじゃないですか。地ビールらしい味にしようとか、大手とは全然違う味にしようとか、そんなことを考えてつけた個性なんて、本当の個性じゃないでしょう。

 それにビールの個性なんて言うのは、つけようと思ってつけるべきものじゃないんです。もちろん、もっとキレのいいビールをつくろうとか、もっとコクのあるビールにしようとかいうことは私も考えます。でも、自分の理想に近づけようと思ったら、職人がよく対話してやらなきゃいけない。職人が話しかけ、ビールの声を聞いて、時には酵母の気持ちになってみたりしてね。それぞれの持ち味を大事にしながら、よく対話してやる。そうやって時間をかけてつくっていくと、ビールの方が少しずつこちらの言うことを聞いてくれるんです。職人が一方的に思い通りにしようとしたって、絶対にうまいビールはできないですよ。

 原料と水と酵母が出会って自然にビールになっていこうとしているところに、職人も加わっていく。それくらいのスタンスでつくるのがいいんじゃないかと思っています。

山田さんは、「職人の力が一番発揮されるべきなのは、発酵不良などのトラブルが起こったときだ」と仰っています。

 この「見守る」という姿勢は、なかなか真似できないよなあ、と。

 そして、この「個性」についての話を読んでいて、僕は中日の落合元監督のことを思い出したんですよね。

 落合さんの「勝つことが最大のファンサービスなんだ」という言葉を。

 落合さんもまた「職人」だものなあ。

 

 もしこれを読んで興味を持たれたら、ぜひ一度読んでみてください。

 12年前に出た新書ですが、この本に関しては、その時間で、うまく発酵し、味わい深くなっているような気がします。


ちなみに、山田一巳さん、まだまだ現役で、美味しいビールを作り続けておられます(2014年9月現在)。

僕も山田さんのビールを飲みに、八ヶ岳に行きたい!