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2016-05-03 映画『レヴェナント: 蘇えりし者』感想

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アメリカ西部の原野、ハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は狩猟の最中に熊の襲撃を受けて瀕死(ひんし)の重傷を負うが、同行していた仲間のジョン・フィッツジェラルドトム・ハーディ)に置き去りにされてしまう。かろうじて死のふちから生還したグラスは、自分を見捨てたフィッツジェラルドにリベンジを果たすべく、大自然の猛威に立ち向かいながらおよそ300キロに及ぶ過酷な道のりを突き進んでいく。

2016年7作目の映画館での観賞。

ゴールデンウィーク中のレイトショーで、観客は30人くらい。

レオナルド・ディカプリオが悲願のアカデミー主演男優賞を受賞した作品。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は2年連続のアカデミー監督賞。


イニャリトゥ監督の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、僕にはちょっと難しい映画だったので不安でしたが、この『レヴェナント』は、本当に真っ直ぐなサバイバル+復讐劇、という作品でした。

中にイメージ映像みたいなのが挿入されていたり、登場人物の行動のなかで、理解困難なところが少しあったりはしたのです、『バードマン』の主人公の「何がやりたいのか、よくわからない感」に比べると、主人公・グラスは動機も行動も「わかる」のですよね。

まあ、『バードマン』は、その「わからない感」を見せるための映画ではあるのですけど。


この『レヴェナント』、とにかく大自然の迫力が圧倒的で、そのなかで生き抜いていくグラスの生命力もすごい。

個人的には「熊こわい!」というのがいちばん印象に残りました。

アカデミー助演男優(かどうかはわからないけど)は、熊!グリズリー!

いやふつう死ぬだろあれ。

でも「実話に基づく話」だそうで、あの時代に、あんな傷の処置で、よく感染症で死ななかったな、と感心してしまいました。

生命力が強い人っていうのは、どの時代にもいるよだよね。

それにしても、人も、動物も、とにかく死ぬ。あっさり死ぬ。

「いいやつ」ほど、早く死んでしまう。


グラスが復讐せずにはいられないのもわかるのですが、悪役のフィッツジェラルドがやったことも、ひとつを除けば、わからなくもないのです。

あの状況で自分やなるべく多くの仲間が生き残るための戦略としては、そんなに不合理ではない。

ただ、グラスの生命力が「想定外」だっただけで。

だからといって、グラスの復讐心もまた当然のものなのです。

結局のところ、復讐の連鎖、みたいなものは、当事者にとっては、断ちきるのは難しいと考えざるをえない。

「みんなが生き延びるためには、仕方がなかったんだ」と言われても、見捨てられた人にとっては、納得がいくわけもない(このグラスの場合は、自分のことだけだったら、それほど復讐にこだわらなかったような気もするのですけど)。

そもそも、白人はみな「侵略者」でもあるのです。

「野蛮人」というレッテルを貼ってしまえば、個々の人格なんて、考えることもなく、奪って、殺してきた。

結局、「強い者の勝ち」ではないのか。


この映画、レオナルド・ディカプリオの演技はもちろんすごかったのですが(眼の力が、とにかくすごかった。夢に出そうです)、「説得力のある悪役」という意味では、フィッツジェッルド役のトム・ハーディも良い仕事をしていました。

この人は、「悪人」というよりは、「自分が生き残ることを最優先にする、というポリシーに従って生きているだけ」でもあるんですよね。

でも、飢えて砦に逃げてきた人に対して「金がないと飯は食わせねえ」というのが当たり前の世界では、フィッツジェラルドというのは、そんなに「異常」ではない。

そういう意味では、この人を残していった隊長の采配にも問題はあったのです。


これ、本当に映像も演技も「凄い」作品なのですが、観ているだけでもグラスの痛みが伝わってくるので、けっこうキツいんですよね。

ゴールデンウイーク中に家族やカップルで楽しい映画を!という場合には、避けたほうが無難かも。

でも、この大自然の迫力を、ぜひ映画館で味わってほしい。


観終えたあと、ドッと疲れが出て、すぐに寝てしまいました。

これから、「熊出没注意」に対する恐怖感が10倍になりそうだ……

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2016-05-02 【読書感想】組織の掟

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組織の掟 (新潮新書)

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Kindle版もあります。

組織の掟(新潮新書)

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内容紹介

あらゆる組織には「掟」がある。暗黙の内に共有され、時に法より重んじられ、破れば代償を払わされる。組織で生き抜く極意とは、この掟を熟知して利用することにある。「組織は上司に味方する」「ヤバい話は聞かないでおく」「外部の助言で評価を動かせ」「問題人物は断固拒否せよ」「斜め上の応援団を作れ」「後輩のために仕事をサボれ」……“最恐”の組織、外務省にいた著者が全ビジネスパーソンに贈る「超実践的処世訓」。


「外務省のラスプーチン」と呼ばれ、鈴木宗男事件で世間からのバッシングを受け、外務省を退職し、作家として独立した佐藤優さんって、「組織で生きる」ということに対しては、否定的なんじゃないか、と僕は思っていました。

 佐藤さんのキャリアは、「組織の枠をこえて、目立った活動をしすぎたために、組織によって排除された」ように僕には見えていたので。

 ところが、この新書のなかで、佐藤さんは「組織の一員として生きること」を否定していません。

 むしろ、「組織には力があるのだから、組織に貢献しながらうまく利用して生き延びろ」というようなことを書かれているのです。

 「起業しろ!」という人も増えている世の中ではありますが、僕にはこの佐藤さんのスタンスのほうが、共感できるんですよね。

 どちらが正しいのかはわからないけれど、人にはやっぱり、向き不向きってものがあるし。


 この新書のなかで、佐藤さんは、外務省という大きな組織で学んだ様々なことを紹介しています。

 大部分の人にとって、いずれは独立を考えるとしても、最初は組織のなかで学んだほうが、より速く、より広く知識や経験を得ることができるのは間違いありません。

 外交官としての経験というのは、どんなに才能があっても、独学で積めるものではありませんし。


 佐藤さんは、共産党の吉岡吉典参議院議員とのこんな対話を紹介しています。

 ある国会議員が、ロシア人女性とトラブルを起こし、その処理で、私がくたくたになっていると、吉岡氏が声をかけてくれた。

「大変だね、あなたはロシアのことがよくわかっていて、能力もあるんだから、短気を起こして外務省を辞めたらだめだよ。組織は、いろいろな無理難題を押しつけてくることもあるが、人を引き上げてくれるところがある」

「組織が人を引き上げる? それは出世のことですか」と私が尋ねた。

「いや出世じゃない。人間は怠惰だ。その気になって努力しても長続きしない。組織に入っていると、知らず知らずのうちに鍛えられて、力がついてくる。僕は共産党の人間だけれども、組織の厳しさは外務省も共産党以上だと思う。短気を起こして組織を離れると、結局、自分の力がつかない。

 どの組織でも10年くらいそこで一生懸命に仕事をすると、一人前になる。それまでは、どんなに嫌なことがあっても歯を食いしばって頑張ったほうがいいと思う」


 でも、その組織が「ブラック企業」とかだったらどうするんだ?って、思いますよね。

 思うのだけれど、原則的には、僕もこの吉岡さんの考えに頷いてしまうのです。

 というか、大部分の人は、自分ひとりで頑張り続けられるほど強くはないし、独立してうまく遣って行ける人というのは、組織のなかで人とうまくやる才能にも長けているのです。

 そもそも、独立してしまえば、組織に属しているよりも、他者からみた「立場」は弱くなってしまうわけで、そんななかでもうまくやっていくのは、組織の一員としてよりも、はるかに難しい。


 この新書を読んでいると、難関をくぐり抜けて外務省に勤めていたにもかかわらず、「ノンキャリア(「国家公務員総合職試験」ではなく、一般職試験を受けて入省した人)」だった佐藤さんは、便利屋としてかなりこき使われていたようです。

 ものすごく汚い便所の掃除も押しつけられていたのだとか。

 そんななかで、佐藤さんは、上司と波風を立てずに、いやな仕事を回避する方法などを工夫しながら生き延びました。

 

 この新書のなかでとくに興味深かったのは、第3章の「組織の分析術」で紹介されている、「スパイ適性テスト」でした。

 僕は予想通り「普通」の結果で、ちょっとホッとし、けっこう残念ではあったのですが、分類のなかで、佐藤さんが出会ったきたさまざまな人たちの話が出てきて、外務省といっても、本当にいろんな人がいるのだな、と感心してしまいました。

 目的のためなら手段を選ばない、という人もいれば、能力はないのに、プライドだけは高い人もいる。

 たとえば外務省のキャリア職員で東京大学医学部中退者がいた。おとなしい、人柄の良い人だ。現役で東京大学理科3類に合格した。おそらく成績では、日本の同学年の高校生のうち、ベスト10に入っていたはずだ。もっともこの人には、医者になりたいという気持ちがまったくなかった。ただ目の前にある最も難しい課題に挑み続けているうちに、気がついてみると日本で入学試験が最難関の東京大学理科3類に合格していたのだ。

 この人は、もともと他人とのコミュニケーションがあまり得意ではない。医師になると、患者と会って話をしなくてはならない。それから、血を見るのも大嫌いだ。教養学部から医学部に進学する段階になって、この人は「自分は医者に向いていない」ということに気づいた。そして、両親に「どうしても医学部には進学したくない」と泣きついた。家族会議の結果、両親はその人に「医者にならなくてもよいが、安定した職業である外交官になってほしい」と伝えた。そこでこの人は、当時、外務省が独自に行っていた外務公務員上級試験を受け、合格した。

 この人は、人付き合いが嫌いなので、ロシア語の会話は得意ではなかった。しかし、ロシア語の読解力は高かった。ロシア語だけでなく英語の読解力も高い。インテリジェンス部局にいるときにこの人は米国に出張し、CIA(米中央情報局)の分析に関する訓練を受けた。それが性にあっていたようで、CIA流のマトリックスを用いた分析を外務省に導入した。


 そうか、こういう事例もあるんですね。

 成績が良すぎる人の悲劇、と言っていいのか……

 そんなに人付き合いが嫌いなのに、外交官で良かったのか?とは思うのですが、それはそれで、能力があれば、「外交」の中に、向いている仕事というのはあるものみたいです。

 個人的には、臨床医じゃなくて研究者になるか、厚生省にでも入ればよかったのに、とも思うのですが、とにかく「医者」という仕事がイヤになったのだろうなあ。

 ちなみに、この人はソ連から独立した小さな国の大使として外務省でのキャリアを終えたそうですが、「本人は、医者にならずに済み、外務省でも派閥抗争に巻き込まれることもなく、部下には無理な仕事をさせず、家族を大切にして、最後は小国であれ、特命全権大使になることができて満足していた」そうです。

 僕にとっては、こういう上司が理想かもしれない。

 佐藤さんも「こういう人生も決して悪くないと思う」と仰っています。

 佐藤さんには、こういう生き方は難しいのではないか、という気はするけれど。


 また、外務省での仕事の割りふりを例示して、交渉事で、ホテルや会場の準備などの雑用がちゃんとできない人は、外交戦略を左右するような交渉現場での重要な役割を果たすことはできない、という話もされています。

 一事が万事、というか、「こんな雑用なんて」という人は、「雑用じゃない仕事」を割り振られても、うまくこなすことができないのだそうです。

 それは、僕自身の経験からも、頷ける話なのです。

 日頃から「本気」を出していない人が、大舞台でいきなり「本気」を出せるはずがない。

 「本気」を出すのにだって、トレーニングが必要なんだよなあ。気持ちだけの問題じゃなくて。


 佐藤さんがこの新書のなかで述べている「組織で生き残るためのインテリジェンス」って、目新しいものではなくて、むしろ古典的な感じがするものが多いのです。

 そして、「組織のなかの組織」という感じの外務省でのノウハウは、ネットで見かけた「脱・社畜術」よりも、普遍性が高いのではないかと思われます。

 民間企業でも役所でも「上司は選ぶことができないが部下は選べる」というのが大原則だ。こう言うと、「実際には部下を選ぶことなんてできないよ」と反論されそうだが、筆者から言わせれば、選ぶことはできなくても断ることはできる。

 ときどき人事担当者から「ちょっと問題のある人物だが、能力はある。しばらくの間でいいから、君のところで預かってくれないか」とか「他の部署では、あいつの能力を引き出すことができない。君ならできるので、是非、引き取ってくれないか」などということを言われても、断固「ノー!」と言って跳ね返すことが、自分のチームの運営を円滑に進めるコツだ。

 もし、派閥やネットワークにまったく参加していない人がいるとすれば、その人は能力が劣っているか、性格的に他人と信頼関係を構築することができないので、仲間に入れてもらえないのである。

 だから社内のコミュニケーションを円滑にする付き合いは、きちんと消化すべきだ。課内旅行や懇親会は、二次会を含め、付き合うべきだ。

 筆者と対談したときに、竹中平蔵さんがビジネスパーソン時代の経験を披露していたが、二次会がカラオケのときは、出口に近い席をとっておき、早いうちに2曲くらい歌を歌って、「あいつはいた」という印象を確実に残した上で、静かに帰って、時間を無駄にしないようにしたということだが、こういうノウハウを身につける必要がある。

 重要なのは、「あいつは人付き合いの悪い変わり者だ」とか「人間嫌いだ」という評判を立てられないようにするとことである。会社(役所)勤めは、要領をもって、その本分とするということを忘れないようにする。


 僕はこういうのが全くできていない人間なので、反省しながら読みました。

 僕の場合は、とりあえず頑張ってみてもできなかったのだからしょうがない、と諦めているところもあるのですが。

 少なくとも、こういうのが「王道」だということは、これから組織に属する人は、知っておいて損はないと思います。

 あなたが、僕と同じ轍を踏む必要はないのだから。

 こういう新書を書いている佐藤優さん本人が、結果的には組織と袂を分かってしまったことを考えると、一筋縄ではいかないものだ、としか言いようがないのだけれど。

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2016-05-01 【読書感想】香港 中国と向き合う自由都市

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内容紹介

2014年秋、大都市の中心街を市民が79日間も占拠した香港の雨傘運動。この選挙民主化要求は、軟着陸した中国返還後、金融危機で逆転した経済の「中国化」への猛反発だった。一国二制度の成功例「ノンポリ国際都市」は、なぜ政治に目覚め、何を求めるのか。日本と香港の気鋭が歴史背景と現代文化から緻密に解説する。


 1997年にイギリスから香港に返還された香港。

 僕は10年くらい前に一度行ったことがあるのですが、とにかく人と車が多くて、賑やかなところだなあ、という印象でした。まだ開園したばかりの香港ディズニーランドに行ったら、新しいアトラクションは2時間半待ち!「東京ディズニーランドが、世界で一番混んでいるディズニーランド」じゃなかったのかよ……

 ご飯はすごくおいしかったのですが、それなりに値が張ったこともありますし、ショッピングにあまり興味がない僕としては、夜景とブルース・リーの像の印象だけが残っている感じです。

 一体、香港とは何なのか。

 この問いに対するもっともシンプルな回答は、「香港は中国の一部である」ということになる。香港は中国南部沿海部にあり、広東省の一部と位置づけられてきた。1840〜42年のアヘン戦争以来、香港は初めて「イギリスの一部」になったが、1997年の返還が中国、あるいは香港でも「回帰」と称されるように

、今や香港は名実ともに中国の一部へと戻った。センサスによれば、香港の人口の9割以上が「華人」である。街には漢字の看板があふれ、最高峰の中華料理を楽しめる。香港カンフー映画のヒーロー、ブルース・リーの決め台詞は「中国人は東亜の病人ではない!」であり、歴史問題では日本に抗議し、尖閣諸島は中国のものだと主張して船を出す。土地・歴史・人の角度から見て、香港は中国の一部のようだ。

 しかし、香港は明らかに中国とは異なる多くの特徴も持っている。中国の政治や社会に関して言われている様々な形容詞が、およそ香港には当てはまらないのだ。中国は共産党の一党支配体制であるが、香港政府内には(公式には)中国共産党が存在しない。人民日報や中央電視台はもちろん、あらゆる大陸のメディアは香港にほとんど入ってきていない。海外情報へのネット接続に制限はなく、中国政府への批判も問題なく報じられ、野党が政府への攻撃を繰り返す。共産党の統治の仕組みや、大陸での人々の管理を論じるような、中国政府や中国社会の優れた教科書を読んでも、香港を理解することは全くできない。


 中国に返還されてから、もう20年。

 「一国二制度」を維持しつつも、香港への中国の影響力は、確実に高まってきています。

 というか、返還時にはすでに「先進国化」されていた香港と、近年「世界の工場」として、急速な経済成長を続けてきた中国のパワーバランスは、大きく変わってきているのです。


 1980年代、香港の経済規模は中国の10%以上を占め、ピークの1993年には21.4%まで上昇していました。

 あの狭い地域だけで、広い中国全体の2割もあったのです。

 ところが、中国の経済成長により、2014年には2.8%と、3%を切るまでになってしまいました。

 21世紀のはじめ、SARSの流行もあり、香港が経済危機に陥ったときには、中国は「人やモノの自由化」で、停滞していた香港をサポートしています。

 「民主はないが、自由はある」と称される香港は、返還後、少なくとも経済的には「中国と切り離せない関係」になっています。

 しかし、2.8%とはいえ、香港の経済規模は、かなり大きいのですよね。

 中国は2009年、日本を抜いて世界第2位の経済規模に達した。香港のGDPは2014年のデータが存在する172の国・地域のうち37位であり、エジプトやフィリピン、フィンランド、パキスタンなどを上回る。経済規模だけを見れば、香港はどちらかと言えば「大国」の範疇に入ると言える。当然ながら、中国の0.5%の人口しかない香港の1人あたりGDPは、中国の5倍以上となる。

 香港って、エジプトやフィリピンよりも、経済規模が上なのか……

 

 急速に「中国化」している経済と、「民主化」を求める人々と。

 なんのかんの言っても、中国の他の地域と比べると、現時点では圧倒的に「自由」ではあるだけに、香港は今後、難しい舵取りを求められていくはずです。

 このままの体制でいくのか、中国共産党の支配を直接受ける「中国の一部」になっていくのか。

 あるいは、民主化をすすめて「自治」を志向していくのか。

 経済的には中国と切り離せないけれど、政治的には、「中国化」は避けたい。

 自分たちで選んだ代表が政治をやれるようにしたいけれど、それは中国共産党には認めてもらえない。


 この新書で興味深かったのは、日本と香港の人が半分ずつ書いているところです。

 とくに後半の「雨傘運動」について、現地で実際に参加した人からみたこの運動が語られています。

 同じ「雨傘運動」に含められていても、2つの大きな拠点があって、「メディア戦略」を重視した穏健派インテリ層の拠点であった金鐘区と、武闘派というか、「混乱とカオスと猥雑の場所」で、多彩な層の人々が集まっていた「旺角」に分かれていたのです。

 メディアでよく採りあげられたのは「西洋的・芸術的・平和的」な金鐘区のほうでした。

 同じ「民主化」を旗印にしていても、この2か所の雰囲気はかなり異なっていたのです。

 明らかに反目しあっていた、ということではなさそうですが、お互いに、なんとなく肌が合わない雰囲気ではあったみたいです。

 目的が同じだからといって、人は「仲間」になれるとはかぎらない。


 いまの香港では、ジャッキー・チェンについてこんな見方をしているそうです。

 ジャッキー・チェンは若い世代には、とうに忘れられているか、おそらくは一番の嫌われ者だろう。プライドを捨てて中国共産党に自分を売った、女性スキャンダルが絶えない……。

 ブルース・リーは、いまでも「香港の代表的人物」として慕われているそうですが、ブルース・リーがもし長生きしていたら、いまの香港と中国で、どういう立場をとっていただろうか、などと考えてしまうところもありますね。

 

 さらなる民主化と自由の維持を求める香港と、「中国の一部」だとみなしている中国共産党と。

 いつまで、香港は、香港らしくいられるのでしょうか。

 というか、僕の記憶とかイメージにある香港とは、すでに、かなり違ってきているのだろうけど。

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2016-04-30 【読書感想】思い立ったが絶景 世界168名所を旅してわかったリアル

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内容(「BOOK」データベースより)

有名な絶景は数あれど、写真を見るだけで満足してはいないだろうか。「行きたいなあ」とうずうずしてきたら、それが絶景旅のタイミングだ。本当にすごいところはどこ?限られたお金と時間で楽しむには?読み終えたら、きっと旅の計画を立てたくなる。


 『3日もあれば海外旅行』(光文社新書)などの著書がある「旅のエキスパート」による「絶景」論。

 たしかに、ここ数年、絶景ブームという感じで、世界や日本の「絶景」を集めた旅行ガイドや写真集を書店でよく見かけます。

 まあ、実際にはなかなか行けないからねえ、なんてページをめくってみるのですが、いまは「物理的に行くことが不可能」って場所は、世界のなかでもごくわずかしかなくて、「お金と時間とやる気さえあれば、南極大陸にだって行ける」のですよね。

 「行ける」と「行く」には、けっこうな距離があるのも事実なのですが。


 この本の前半部は、その「絶景」ブームを踏まえての「絶景本の分析」が主になっています。

 いま、日本で出版されている「絶景本」で人気の場所はどこなのか? どういう背景があって、絶景がブームになっているのか?


 著者は23冊もの「絶景本」を集めて、そこで紹介されている絶景のランキングをつくっているのです。

 最も多くの絶景本に掲載されていたスポットはどこなのか――。

 ウユニ塩湖、カッパドキアギアナ高地

 栄えある第一位に輝いたのは、ずばりこの三箇所である。

 著者は、もちろんこの3箇所に行った経験があり、それぞれの印象や体験を書いています。

 正直、この3箇所に関しては、旅行本好きの僕にとっても「行ったことはないけれど、このあたりが上位なんだろうな」という予想通りの結果ではありました。

(行ってから言えよ、って話なのですが、旅行本をたくさん読んでいると、「行ったつもり」になってしまいがちなんですよね。「絶景本」って、ある意味「トラベルポルノ」みたいなものかもしれません)

 すばらしい景色であることと、到着するまでの経路が、ちょっと想像しにくいスポット、というのは、いまの「絶景」なのかもしれませんね。

 「行きにくさ」みたいなのも、「絶景」の重要な要素なのです。


 そのあと、著者は自選の「絶景ランキング」を紹介していて、これがこの新書のいちばんの読みどころだと思います。

 よく知られた観光地から、そんなところを「観光」するのか、という場所まで、行ってみた人の実感がこめられた感想になっています。

 イスラエルのエルサレムがランクインしていて、こんなふうに書かれています。

 行ってみて驚愕だったのが、それぞれの宗教ごとに住むエリアが明確に線引きされていること。ユダヤ人街からアラブ人街へと一歩足を踏み出すと、世界がガラリと変わった。まるで国境を越えて別の国へ移動したかのような錯覚を抱くほど。

 これぞ絶景と感じたのは、礼拝者で埋め尽くされた「嘆きの壁」だ。金曜の夕暮れどき、敬虔なユダヤ教徒たちが続々と集まってくる。彼らが身にまとう漆黒のマントのような衣装が、まるでおとぎの国から飛び出てきたようで、現実感を喪失させる。

 ちなみに、著者が行ったときには、拍子抜けするほど緊張感はなかったそうです。

 もちろん、そのときの情勢次第、ではあるのだろうけれど。

 こういうのは「旅慣れた人が面白いと思う場所」なのかもしれません。

 でも、旅慣れているとは言いがたい僕も、行ってみたいな、と思いました。


 この本の後半は、著者が中国の絶景「九寨溝(きゅうさいこう)・黄龍(こうりゅう)」を旅したときの詳細なレポートになっているのですが、そのなかで「中国の人にとっては、この絶景も身近な観光地なのではないか」という話をされています。

 あまり近くにあったり、観光地化されすぎていると、ありがたみがないのも事実なのです。

 絶景といっても、所詮は金を払って観光する対象にすぎない。昨日黄龍でそのことに気がつかされたが、九寨溝もやはり同様らしい。いざ突入するにあたって、まず感じたのが、そう、入場料の高さだった。

 まるで旅行会社のオフィスのようなしっかりとした建物のチケット売り場で、大人一人分の入場料として支払った金額は三百十元。日本円にして6000円近い。正直、べらぼうな高値だと思ったが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。

「ディズニーランドの入場料とほぼ同じぐらいかな」

 などとブツブツ文句を言いながら入場ゲートへ向かう。すると、入場ゲートの外観もまるで遊園地のようなつくりで、さらに唖然とさせられる。

 これを読んで、観光地の入場料6000円って、高いな!と驚いたのと同時に、そんな金額でも大勢の観光客が訪れるほど、中国に中流〜富裕層が増えたのだな、と実感しました。

 

 後半の旅行記は、わざわざ新書の3分の1くらいのページをこれで埋めなくても……という感じではあったのです。

 でも、絶景旅行に興味がある人は「本当に行った人の絶景ランキング」として、参考にできるのではないかと思います。

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2016-04-29 【読書感想】昭和残影 父のこと

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昭和残影  父のこと

昭和残影 父のこと


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内容(「BOOK」データベースより)

本の雑誌」の創刊者であり、北上次郎名義で数々の鋭い書評を発表しつづける目黒考二。その父・亀治郎もまた、古本屋めぐりが趣味で、書物をこよなく愛する寡黙な男だった。だが、ある一冊の本がきっかけで、息子・目黒考二は父の秘められた過去を知る。戦前、19歳の亀治郎は非合法の政治活動で投獄。その後結婚するも、その女性と死別していた―母とは再婚だったのだ。自分が知らぬ父の青春時代の終焉こそが、「家族」の歴史の始まりだった…。


 目黒考二さんといえば、僕にとっては、椎名誠さんや沢野ひとしさんとともに『本の雑誌』をつくってきた人なのです。

 椎名さんが創刊期からのことをずっと小説として書いておられるのも読んできましたし、なんというか、ずっと、「本を読みたいばかりに会社を辞めてしまった、活字中毒の30歳くらいの男」のままのイメージなんですよね。

 目黒さんは1946年生まれですから、もう70歳。

 そうか、もうそんな年齢なのか……

 僕が大学時代に『本の雑誌』に出会ってから、もう25年くらい経っているから、冷静に考えてみれば、それはそうだ、という話なのですが。

 『本の雑誌』の創刊は1976年で、目黒さんが発行人だったのは、2001年までだから、発行人としての仕事を終えてから、15年も経っているのです。


 父が若いころに刑務所に入っていたことを聞いたのは、私が高校1年生の夏休みだった。その夏、母と姉が旅行に出かけ、大学生になった兄もどこかに行ってしまい、サラリーマンをやめて孔版印刷屋を開業していた父と二人だけで一週間を過ごしたときのことである。二人きりの日々であるから、いろいろな話をした。孔版印刷屋といっても、たった一人の印刷屋であるから、経費節減のための封筒の印刷を依頼されると、その封筒作りから父の仕事は始まる。その封筒作りがなかなかうまいのである。糊をさっと塗って、手際よく折っていくともう封筒のでき上がり。その夜も、父の手元を見ていて不思議に思った私は「どうして封筒を作るのがそんなにうまいの?」と尋ねると「刑務所の中で若いころ、こればかりやっていたんだ」と父は言う、私が高校生になるのを待っていたのか、淡々とした口調であった。


 この本、目黒考二さんが、亡くなられたお父さんのことを書かれているのですが、読んでいて、僕も自分の父親のことを思い出してしまいました。

 でも、この本って、「お父さんの内心に斬り込む」というスタンスでは、まったくないんですよね。

 目黒さんは、お父さん自身が書いたメモや、親戚たちの証言、そして、さまざまな文献や資料にあたりつつ、「自分の父親が生きてきた、『昭和』という時代の風景」を再構築していっています。

「お父さんの話」のはずなのに、ここまで、当時の建物の位置関係や、世の中の動静について、詳細に書く必要があるのだろうか?と、読んでいて、ちょっと可笑しくなってくるのです。

 川崎にあった競馬場についての話が何ページにもわたって続き、僕は競馬大好きなので「さすが競馬好きの目黒さん、お仲間!」と感心しながら読みましたが、「お父さんの話」として読み始めた人にとっては、「なんて長い脱線なんだろう……」と呆れてしまいそうです。

 昔の川崎の街のことや、父親が住んでいたと思われる地域の地理については、延々と書かれているわりに、終戦後の亀治郎さんの生活などについては、まるで歴史年表の出来事のように、淡々と、簡潔になぞられているのです。


 目黒さんの父親である・目黒亀治郎さんは、「辞書マニア」であり、俳句をずっとやっていて、大の本好きだったけれど、蔵書は辞書と俳句と自然科学の本が大部分で、小説の類いは読んでいるのを見たことがなかったそうです。

 老後の趣味は「辞書集めと、それぞれの辞書での語釈の違い(英和辞書が主だったそうです)の比較」。

 それも、仕事とか、誰かに見せるため、とかでは全くなくて、ただ、「それを自分のノートに記録していくことが、楽しみだった」のだとか。


 家中に本があふれていた。県立横浜第一中学を四年生のときに中途退学したのち、職を転々とした父は、独学で英語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語などの語学を学び、フランス語を除く各国語の辞書が山のようになった。辞書など一冊あればいいのではないかと疑問に思って尋ねると、それぞれの辞書がどう異なるのか説明してくれるのだが、幼い私にはその違いがよくわからない。父は毎晩のように原書を読み、わからない単語が出てくると辞書を引き、それをノートに記すのだ。昼間の仕事で疲れているのだから、夜ぐらいは休めばいいのに、と幼い私には不思議だった。あるとき、それを父に質問すると、こうしているときがいちばん落ちつくんだという。私には勉強しているとしか思えない光景なのだが、彼には違っていたということだろう。何冊もの辞書を引き、その語意が載っているかどうかを調べて比較するのが、父の毎晩の骨休めだった。


 亀治郎さんは、研究者でもなく、身につけた外国語を活かすような仕事をしていたわけでもなかったそうです。

 こうして「本を読み、言葉に触れること」が好きだったのです。

 いや、「好きだったのです」って僕は書いたのですが、「それだけで満足できる人間、せっかく学んだ外国語を、見せびらかさずに生きていける人間って、存在するのだろうか?」と、割り切れないんですよね。

 それが「手段として」なら理解できても、「ただ、そうしたい」という気持ちは、少なくとも、僕にはよくわからない。


 残念なことは、友人が少ないこと、狷介なこと――などは受け継いだものの、辞書に対する好奇心と熱情、どういう亀治郎の血を私がまったく受け継がなかったことだ。

 目黒考二さんは、「自分と父親の違い」を拾い集めようとしているけれど、「記録魔」というか、「叙情よりも叙事を愛してしまう傾向」みたいなものは、ものすごく似ているのではないか、という気がします。

 ものすごく感傷的に「お父さんのこと」が書かれた作品ではなく、「お父さんの道のりを辿ることをきっかけに、当時の日本、とくに川崎や横浜といった地域の様子を、なるべく丹念に描写することにハマってしまった」のではないか、と。

 ああ、でも、こんなふうに「感情よりも、状況を客観的に記録すること」こそが、目黒さんにとっての「誠実な父親と自分への向き合い方」なのかもしれません。

 自分の父親とはいえ、いや、自分の父親だからこそ、その内心に踏み込んでいくことに、ためらいが大きかったのではなかろうか。

 

 亀治郎は私の記憶では寡黙な人で、はしゃぐということがただの一度もなかったが、龍起や修二には自慢話をしたり(これが意外であった。私は一度も聞いたことがない)、日本紙化を退社して孔版印刷屋を始めるときには「一緒にやらないか」と彼らを誘ったりしたという。そんなこと、初めて聞いた。

 私が幼いときなら父の話し相手にはならなかったろう。しかし、私が高校生や大学生、社会人になってまでもしばらくは一緒に暮らしていたのだ。そういう暮らしのなかで胸襟を開くということが亀治郎には一度もなかった。昔話はしないし、自慢話もしないし、声を荒立てるということがない。ただ黙々と仕事をし、辞書を読んでいるだけであった。だから、龍起や修二に聞く亀治郎の姿は実に意外である。

 亀治郎は兄鶴市に比べれば寡黙な人だったと、龍起や修二も言うのだが、私からすると彼らの前の亀治郎はすこぶる饒舌だ。妹の子に亀治郎はとことん気を許していた、と言えるかもしれない。彼らがしょっちゅう我が家に遊びにきていたのも、そういうことだろう。正直に書くと、少し妬ましい。私には話さなかったことを、龍起や修二には話していたからだ。

 

 目黒さんとお父さんの関係は、目黒さんの子ども世代である僕からは、父親と息子としては、必要十分レベルに親密だったと思います。

 でも、当事者にとっては、「なんで自分の実の父親のはずなのに、いとこの2人のほうに、本音を話しているんだろう?」とは思いますよね。

 それは、わかる。

 その一方で、「親子という近い関係だからこそ、自分の悪いところを見せたくない、という気持ち」もわかる。

 たぶん、目黒考二さんも、理性としてはわかっているけれど、感情として、受け入れがたかった、のではなかろうか。


 ちなみに、目黒さんは、自身の生活ぶりや家族との関わりについて、エッセイにこう書かれています。

 私の場合、月曜から金曜までは仕事場に泊まり、土日は競馬場に行くから、自宅に帰るのは日曜日の夕方だけだ。そこで一泊して、また月曜の昼には出てくるので、自宅に滞在するのは毎週18時間のみである。自宅にいる時間が著しく短いそういう生活を送って、もう十年以上になる。


 妻だけではなく、子ども(たち)がいたにもかかわらず、仕事での長期出張というわけでもないのに、この生活、だったのか……

 目黒さんの子どもたちには、どう見えていたのだろうか。


 親子っていうのは、ほんと、難しいですよね。

 だからこそ、ときには、ちゃんと聞いておかなければならないこと、言い遺しておかなければならないこともある。

 子どもの頃は、親のことがよくわからないし、親になってみると、子どものことが、よくわからない。

 ものすごくまわりくどくて、これは本当に「お父さんのことを書いた本」なのだろうか?とも思う。

 ただ、「息子として、お父さんのことを真剣に書こうをしたら、こうなってしまった」というのは、ものすごく伝わってくるんですよ。

 

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