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2014-08-21 【読書感想】甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯

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甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯 (講談社文庫)

甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯 (講談社文庫)


Kindle版もあります。

内容紹介

天才バッティングコーチ高畠導宏の生涯を描いた傑作。小久保裕紀田口壮などの一流プロ野球選手を育てあげた彼は高校の教師となり、高校野球の監督として甲子園での全国制覇を目指す。ところが、突然発覚した病気のために……。 NHKドラマ『フルスイング』として感動を呼んだ名著がついに待望の文庫化。


 数々の一流プロ野球選手を育て、各球団から引く手あまただった「伝説の打撃コーチ」は、なぜ、還暦近くになって、高校で教えるという道を選んだのか?


 NHKでドラマ化されたこともあり、高畠導宏さんの名前と、打撃コーチとしての名声は知っていたのですが(ドラマ自体は観てないんですよね、観ればよかった……)、2005年に上梓されたこの本を読むのは、今回がはじめてでした。

 もう10年前の話だしなあ……なんて思いつつ、読み始めたら、止まらなくなってしまって。


 平成16年夏、一人の高校教師が膵臓癌で亡くなりました。

 還暦を迎えて半年足らず、まだ60歳でした。

 その高校教師には、特異な経歴がありました。なんと約30年にわたって、プロ野球の打撃コーチを務めたのです。

 渡り歩いた球団は、南海、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックス、そして千葉ロッテ。野球の質が、パワーから技術へ、諜報戦から総合戦へ、さまざまに形状を変えていく中、彼は常にその最前線にいました。

 そして、7つの球団で独特の打撃理論と卓抜した洞察力を駆使して選手たちの指導をおこない、時に相談に乗り、汗と涙を共有しながら、気がつけば、のべ30人以上のタイトルホルダーを育て上げていました。

 しかし、その伝説の打撃コーチは、50代半ばで一念発起し、高校教師になるために通信教育で勉強を始めます。5年かかって教員免許を取得し、社会科教師として教壇に上がり、「甲子園」を目指しました。


 この本では、高畠さんの生涯を辿りながら、「なぜ、彼は『伝説のコーチ』になったのか?」、そして、「なぜ、50代半ばにして新たな道を選んだのか?」が明かされていきます。

 スポーツ界に、名コーチと呼ばれる人はたくさんいるのですが、最初から「コーチになろうと思って、プロの世界に入った人」というのは、ほとんどいないはずです。

 プロ野球のように、注目度でも、金銭的な面でも選手のほうが圧倒的に恵まれている世界なら、なおさらのこと。

「伝説のコーチ」として知られることになる高畠さんも、強打者として将来を嘱望され、社会人から、南海ホークスに入団したのです。

 

 その圧倒的な打撃センスで、新人王候補とまで目されていた高畠選手。

 ところが、ルーキーイヤーの春期キャンプで、左肩を痛めてしまったことから、選手としての苦闘がはじまります。

 当時は、よほどの怪我でないと「試合には出ずに治療する」というような選択が許されない時代でしたし、それまで大きな怪我を経験してこなかった高畠さん自身も、「このくらいで治療のために休んだりしたら、チャンスを失ってしまう」と考えていたようです。

 結局、その肩の怪我のために、守備につくことが難しくなり、セールスポイントだったバッティングも、窮屈なものになってしまいました。

 短い現役生活の晩年は、代打として存在感をみせてはいたのですが、それも限界となり、ついに引退。

 現役5年間で通算258試合に出場。377打数99安打、打率2割6分3厘、ホームラン8本。それが高畠の選手としての全成績である。

 選手としては、社会人から、鳴り物入りで入団した「即戦力」として物足りないというか、期待はずれの成績に終わってしまったのです。


 ところが、選手時代の高畠さんをみていた、当時の南海の野村克也監督(兼選手)が、彼に新たな生き方を薦めてくれたのです。

 高畠は、高校教師に転身したのちラジオに出演した時、自分が打撃コーチになった頃のことをこう振り返っている。

「おまえ、バッティングコーチをやれと野村さんにいわれた時は、びっくりしました。野村さんは、私が塀づたいにバットを抜くようにスイングして練習していたことや、手首が痛い時に、グリップエンドをゴムで巻いて衝撃を吸収するような工夫を凝らしているようすなどを、じっくり観察してくれていました。私に、アイデアが豊富だな、コーチはアイデアが勝負やぞと、野村さんはいったことがありますが、そういう点で、私を評価してくれていたのかもしれません」

 高畠にとって現役を引退するという痛恨事は、同時に若くして打撃コーチに就任するという”大抜擢”をも意味していた。


 「野村再生工場」は、数々の選手を再生しただけではなく、コーチとしての素質を見抜いて、高畠さんを抜擢したのです。

 当時、まだ20代半ばでもあり、打者としての実績も少なかった高畠さんをコーチにするというのは、大きな賭けでもあったはずです。

 これをきっかけに打撃コーチとして、そして、「戦略コーチ」としての高畠さんの才能が花開くことになります。

 バッターへの指導は、自分の理論や型を押しつけるのではなく、その選手にあった方法を、じっくり考え、長所を伸ばしていくというやりかたで、多くの打者が「高畠道場」から、一流選手になっていったのです。

 高畠さんを恩師と慕う選手の一人である、元ロッテの水上選手は、こんな話をされています。

 水上が思い詰めていると、それを誰よりも早く察知して、自然と肩の力を抜いてくれるコーチ――それが高畠だった。

「コーチには2種類あります。マニュアルコーチと応用コーチです。マニュアルコーチは決まったことしか教えられないコーチ、すなわち引き出しが一つしかないコーチです。実はこういうコーチがほとんどなんですよ。普通のコーチは、しっかりした眼がないから、選手が陥っている”現象”をただ口でいうことしかできません。たとえば、バットが下から出た時、高さんは、単にバットが下から出ていたぞ、と指摘するより、その原因をズバリいってくれます。

 ミズ、スライダー狙ってて、カーブに手を出したやろ? という具合です。アホやなあ、もう一球待てば、おまえの狙ってたボールが来るやないか。待つんやったら最後まで待たんか、アホ、と。高さんはなぜバットが下から出たか、その原因まで全部わかっているんです。高さんは僕のバッティングのことをなんでもわかってくれてましたね……」

 ああ、僕も「マニュアルコーチ」だなあ、などと深く嘆息しつつ読みました。

 世の中には、こんな凄いコーチもいるのです。

 でも、一野球ファンの視点からは、コーチの力量というのは、なかなかわからない。

 こういう人がひとりいてくれたら、それだけで、チームはかなり強くなるはずです。

 もちろん、野球チームに限らず。


 そして、高畠さんの仕事は、「バッターを指導し、打ちかたを教える」という領域を超えるものになっていきました。

 ボールをはさむ時の微かな手首の広がりと、その時に手首の腱に出る微妙なシワ。そこから南海打線は、米田のフォークボールを見てとったのである。

 しかし、素早い投球モーションのなかで、一瞬の変化を見ることのできる能力は誰にも備わっているわけではない。たとえ事前に説明されたとしても、よほどの動体視力と反射神経がなければ、米田のその微妙な変化を捉えるのは不可能だろう。

 だが、高畠にはその能力が備わっていた。いや、それは天才的といった方がふさわしいかもしれない。記事を執筆した会田がいう。

「その道を極めた男こそ、高畠ですよ。野球の奥の深さを知った高畠は研究に研究を重ね、二、三年後には、逆に野村(克也)にピッチャーの球種を教えるほどになっていたんです。高畠の眼は、普通のコーチが太刀打ちできるものではありませんでした。クセを隠そうとしていないピッチャーの投球をじっと見れば、高畠には、次に投げる球種がたちどころにわかりました。


 クセを読むのは、野球規約で禁じられている行為ではなく「駆け引き」のひとつです。

 それにしても、こういう「情報戦」のなかで、ずっと活躍し続けるというのは、大変なことですよね。

 どんなすごいピッチャーでも、球種が読まれてしまえば、打たれる確率は上がります。

 去年活躍できたからといって、同じことをやっていては、今年も活躍できるとは限りません。


 この本のなかでは、「美談」だけではなくて、「相手チームのサインを読み、味方に伝える」というスパイ行為の話も出てきます(これは規約違反ですが、パリーグでは当時どこでもやっていたらしいです)。相手チームのベンチには、盗聴器まで仕掛けられていたのだとか。

 なんのかんの言っても、勝たなければ、結果を出さなければ生き残れない、という勝負の世界。

 高畠さんは「清廉潔白であろうとするために、餓死する道を選ぶような人」ではなく、コーチとして、選手を指導し、守るのと同時に「結果を出すためなら、(スパイ行為などで)手を汚すことも厭わない人」でもありました。

 ただし、高畠さんの場合は、サインなど読まなくても、相手投手のクセで球種がほとんどわかる、と言われていたそうなので、「当時の『あたりまえの作戦』をチームの一員として受け容れていた」という感じだったのかもしれませんね。


 高畠コーチは、南海の野村克也さん、蔭山和夫コーチ、そして、尾張久次という「日本最初のスコアラー」たちの影響で、「データ野球」を駆使していくようにもなります。

 情熱と、職人的な技術と、冷静な分析力、これらを併せ持った、まさに「理想のコーチ」だったといえるでしょう。


 ただ、その存在は「コーチとしては、あまりにも大きくなりすぎた」ために、結果的に多くの球団を渡り歩くことになったのかもしれません。

 監督としては、「役に立つけれど、一緒にやると自分の主導権が危うくなるような存在」でもありました。

 高畠さん自身は、監督に取って代わろうとするような権謀術数には、あまり興味はなさそうだったのですが……


 高畠さんが、高校教師となり、甲子園を目指した、というか、高校生に野球を指導することを目指した理由、そして、そのための努力については、ぜひ、この本を読んでみていただければと思います。

 この本には「本物のコーチ」の生きざまが詰まっていて、自分より若い人とつきあい、指導する立場にある人間にとっては、何かしら得るものがあるはずです。

 「まあ、こんなものだろう」と僕が思いこんでいた、「こんなもの」は、なんて低レベルだったのだろう……そんなふうに、思い知らされます。

 高畠さんは凄いコーチで、センスもあったのだけれども、ずっと研究を怠らず、新しいアイデアを実現するための努力を惜しまない人でした。

「もっと若い人を教えてみたい」という心境に至ったのも、指導者として、選手の「こころの問題」を学んでいったことが、きっかけだったそうです。

 厳しい勝負の世界の真っただ中に身を置きつづけた高畠だからこそ、苦しいけれども野球がいかに楽しいものであるかを誰にも知って欲しかったのである。

 岡山南高校時代からも親友・片山東右は、子供好きの高畠についてこう語る。

「高は、子供が大好きでのう。その子供たちに野球を教えるんが好きじゃった。野球って楽しいからね。高は、それぞれのレベルに合わせて子供たちにもわかりやすく教えるんじゃ。

 チンチンブラブラ打法なんていって、高は子供たちを喜ばせながら、バッティングの基本を教える。子供たちは大笑いしながら聞いとるんですが、しばらく経って、おい、あのバッティングの話覚えとるかと聞くと、子供たちは、ハイッて答えますもんね。

 バットのヘッドを遅らせて出していくなんて教えても、子供たちは誰も覚えられません。それが、チンチンブラブラでヘソをまわして、それについていくんだと教えれば、子供たちはちゃんと覚えとる。高は、楽しい野球を教えてやりたいというとったから、高校野球でそれをやろうとしたんじゃと思いますね」


 高畠さんが率いる高校野球チームを見ることができなかったのは、本当に残念です。

 でも、この本を読んでいると、高畠さんというひとりの人間の素晴らしさとともに、きっと、世の中には、高畠さんのような「悩んでいる人たちを支えている名コーチ」が、まだまだたくさんいるんじゃないか、と勇気がわいてくるような気がするんですよ。

 大きくメディアに採り上げられることはないけれど、彼らは、そこで、ずっと「これからの人たち」に寄り添っているのです。


 野球好きの人、そして、自分が誰かを教えるということに馴染めず、悩んでいるすべての人におすすめです。

 

2014-08-20 【読書感想】ジブリの世界を創る

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内容紹介

「種田さんに美術を頼んでホントによかった! 」――鈴木敏夫(スタジオジブリ)


『思い出のマーニー』で初めてアニメの美術監督に挑戦する種田陽平氏。『スワロウテイル』『キル・ビル

vol.1』『THE 有頂天ホテル』など数々の傑作映画の世界観を実現させてきた日本を代表する美術監督が、『思

い出のマーニー』の制作の裏側を明かしながら、映画美術の仕事と創造の極意を語る。

米林宏昌監督との特別対談も収録。


 日本を代表する美術監督である種田陽平さん。

 『思い出のマーニー』で、はじめてアニメ、それもスタジオジブリ作品の美術監督をを務められたそうです。

 「映画監督」という仕事はだいたいイメージできていると思うのですが、「美術監督」となると、「うーむ、セットとかの責任者、なのかな……」というくらいの感覚なんですよね。

 この新書では、種田さんが「映画美術」の世界に入ったきっかけや、「美術監督」とは、具体的にどんなことをやっているのか?ということについて、わかりやすく語っておられます(本人が書いたのではなくて、インタビューをもとに書籍化したみたいです)。


「アニメーション映画における美術は、映画の品格を決める決定的役割を持っていると思う。ある映画を見た瞬間に、それがどういう志を持った映画か、ということを伝えるのは圧倒的に美術の力だ」


 宮崎駿さんがインタビューの中で語った言葉です。

 「宮崎アニメの素晴らしさの半分以上が美術にある」とプロデューサーの鈴木敏夫さんも言うように、美術の役割がことさら重視されているジブリの世界。そんなジブリの美術の世界に、2008年に三鷹の森ジブリ美術館にて行った「小さなルーヴル美術館展」、2010年に開催した「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」で関わり、今回『思い出のマーニー』では美術監督として、アニメーション映画の美術に飛び込むことになりました。2011年2月、『悪人』の仕事で優秀美術賞を頂いたぼくは、第34回日本アカデミー賞の授賞式会場にいました。そこで、『借りぐらしのアリエッティ』で最優秀アニメーション作品賞を受賞された、鈴木敏夫さんと米林宏昌監督にお会いしました。

 「おめでとうございます」と挨拶すると、鈴木さんは開口一番、「種田さんは、アニメの美術やらない?」とおっしゃった。おめでたい場ということもあって、ぼくは深く考えもせずに「もちろん、やりますよ」と答えました。それがすべての始まりです。


 そもそも、美術監督とは、どんな仕事なのか?

 大きなセットを組むわけでもないアニメーション映画に、美術監督が、必要なのか?


 種田さんは、美術監督の仕事について、こんなふうに説明されています。

(お城や寺院、街などの「大きなセットを造る」ことについての話をされたあと)

 一方で、ぼくは規模の小さい映画美術の仕事もしています。美術スタッフが2、3人という作品もあります。そういう作品の場合は、主に英語で「ドレッシング」とか「デコレーション」と言われる作業がメインです。日本ではあまり適した言い方がなく「飾り」と言っています。

 例えば、ごく普通の会議室で撮影しようとすると、ちょっと味気ないわけです。そこで、テーブルを違うものに替えたり、置物を加えたりする。それがドレッシングです。

 高級感を出すために革張りの椅子に入れ替えようとか、置物を置くなら登場人物のキャラクターに合ったものにしようとか、映画に有効な美術的要素を付加する作業、そういう装飾・小道具的なことも美術の仕事なのです。

 たいしたことに見えなくてもすべてに狙いがあり、その作業を加えることで物語とキャラクターがより鮮明に浮かび上がります。観客に映画の世界観が伝わりやすくなるわけです。実はこれこそが、映画美術の基本なのです。

 そこから派生して、大規模な映画になればなるほど「世の中に存在しないもの」を作ることが多くなります。世の中にないから、作るしかない。セットをゼロから作って、世の中に出現させるのです。出現させたあとで、ドレッシングをして、そこに生活感やキャラクターの物語性を入れていく。


 映画全体の責任者は、もちろん「映画監督」なのですが、その映画の世界観を目にみえるものとして実現していく現場責任者が「美術監督」なんですね。

 考えてみれば当たり前のことなのですが、映画の画面に存在するものには、それぞれの「意味」があるのです。


 種田さんは、撮影のためのロケハンを行うところから、セットの製作、撤収、そして、小物についての判断まで、幅広い仕事をされています。

 『思い出のマーニー』は、アニメ映画で、現地ロケをするわけでもないのに、米林監督たちと一緒に北海道までロケハンに出かけたそうです。

 また、種田さんがつくった洋館のミニチュアのおかげで、かなり絵が描きやすかったと、巻末の対談のなかで米林監督が仰っていました。


 ジブリ作品での「小物」へのこだわりについて、種田さんは、こんな話をされています。

 吉田昇さんというベテランの美術監督が、『思い出のマーニー』にもメインの美術スタッフの一人として参加してくれたことは先に話しましたが、その吉田さんと同じチームで仕事をしてくれた平原さやかさんという方も、ジブリで長年仕事している背景のベテランです。あるとき、その平原さんが描いた背景を見て、ぼくはやけに小物が多いなと感じました。ストーリーには特別な関係もない背景の一部である小物です。それらはかなり克明に描かれていて、どれも何となくかわいらしいのです。

 その絵を米林監督に見せながら、ぼくは明暗などの全体的な話をするつもりでした。ところがその絵を見た監督は開口一番「この棚の上の小物、かわいいですね〜!」と言ったんです。それを聞いた平原さんも、目をキラキラさせて小さくガッツポーズ。ぼくはこの二人の世界には入っていけないなぁと感じました(笑)。

 物語を語る上で必要な小物ではなくとも、ジブリの世界ではその小物が重要なディテールになっています。改めて見ると、『魔女の宅急便』や『となりのトトロ』でも、そうした遊び心を持った美術が映画のなかで大きな役割を果たしていることに気づきます。

 もちろん実写でも、ストーリーと関係しないところで装飾や小道具に凝ったりします。しかし、実写の監督がそれに気づくことはあまりありません。実写の場合、背景の小物が画面のなかで大きな役割を果たすことは少ないからです。また、実写の背景は撮影でピントを合わせなければボケますが、アニメの背景は描いたものがほぼそのまま映るため、観客が気づきやすいということもあるのかもしれません。

 重要度が低いと思われる部分まで、気持ちを込めて作られていることにこのときは驚きました。平原さんの仕掛けたことを、米林監督はキャッチした。「かわいい」小物を愛でる「少女性」、それがジブリの歴史であり積み重ねなのかもしれないと思いました。


 外からやってきた種田さんだからこそ印象に残った、ジブリの「文化」。

 そもそも、宮崎駿監督が「美術にこだわりぬく人」でした。

 実写とアニメという違いだけではなく、ジブリならではの「こだわり」が、種田さんを困惑させ、また、チャレンジ精神をかきたてたのです。

 こういうのが、おそらく「ジブリらしさ」なのでしょうけど、これを伝承していくのは大変だろうなあ、とも思うんですよね。

 

 種田さんが映画の世界に入ったときには、ちょうど日本映画がもっとも苦しかった1980年代のことでした。

 当時の美大の同級生たちは、予算が潤沢に使えて、実入りも良いCMの世界に進んだり、安定を求めて美術教師になったりした人が多かったそうです。

 種田さんは、映画が好きで、映画美術の世界に進んだのですが、「当時は競争率が低かったからね」などと謙遜されています。

 それゆえに、種田さんの同世代で映画美術をやってきた人は少なく、多忙な種田さんに仕事がさらに集まってきているのです。

 「いま、そんなに流行っていないジャンル」を選ぶことが、結果的にはプラスになることもある。

 もちろん、こういうのって、最終的には「運」もあるのですけどね。


 ちなみに、『思い出のマーニー』のある場面で、「種田さんの絵」が使われていることが、この本のなかで紹介されています。

 その他にも、美術監督からみた、『マーニー』の「こだわり」や「見どころ」についても。

 これを読むと、「水の表現」とかに注目して、もう一度映画を観てみようかな、と思えてきます。


 「美術監督の仕事」だけでなく、「外部の人間からみた、スタジオジブリという世界」を知ることができる、なかなか興味深い新書でした。

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2014-08-19 【読書感想】辞書になった男 ケンボー先生と山田先生

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内容紹介

2013年にNHKBSで放映され、ATP賞最優秀賞(情報・バラエティ部門)に輝いた、『ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男』がついに書籍化!

辞書は小説よりも奇なり。 これはことばに人生を捧げた二人の男の物語です。

『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を知っていますか? 両方合わせて累計三千万部の国民的ベストセラーです。お世話になった人、なっている人も多いでしょう。

でも、この二冊を書いた見坊豪紀(ひでとし)と山田忠雄のことはほとんど知られていません。この二人、実は東大の同期生。元々は二人で一冊の辞書を作っていました。

その名は『明解国語辞典』。

戦時中に出されたその辞書は字引の世界に新たな新風を吹き込みました。

戦後も二人の協力関係は続きますが、次第に己の理想を追求して別々の道を歩みはじめ、見坊は『三省堂国語辞典』を、山田は『新明解国語辞典』(赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』でブームとなった辞書です)をほぼ一人で書き上げることになりました。

一冊の画期的な辞書を作った二人の人生が、やがて戦後辞書史に燦然と輝く二冊の辞書を生みだすことになったのです。

しかし――。『新明解』が出された一九七二年一月九日。 ついに二人は訣別のときを迎えます。以後、二人は会うことはありませんでした。

一冊の辞書がなぜ二つに分かれたのか? 二人はなぜ決別したのか? 二人の人生をたどりながら、昭和辞書史最大の謎に迫ります。

ディレクターが番組では割愛したエピソード、取材秘話、放映後に明らかになった新事実などを盛り込んで、書き下ろした傑作ノンフィクションです。


日本の辞書の「雛型」をつくりあげた、二人の巨星、見坊豪紀(ひでとし)と山田忠雄

この二人は、東大の同級生であり、途中まで、同じ辞書をつくってきた「仲間」だったのです。

最初は、見坊先生が編集の責任者で、山田先生は、「手伝い」を頼まれて、辞書編纂の世界に入っていったのです。

ある時点まで、ふたりは協力しあいながら、ひとつの辞書をつくっていたのですが、お互いの個性の違いと、出版社側の事情もあり、袂を分つことになるのです。


僕はこの本を読んでいて、「辞書」には、ここまで編纂者の「個性」とか「主張」みたいなものが込められていたのか、と驚かされました。

 まず、山田先生が記した独特な語釈で知られる『新明解国語辞典』の中で、最も有名な語釈と言えば、第三版に登場した【恋愛】が挙げられる。

れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。  (『新明解』三版)

「合体したい」。日本を代表する国語辞書に、本当にそう書かれていた。

 これは、『新明解』がどのような国語辞書であるかを知る人にはたいへんよく知られた語釈だ。しかし、実際に今では入手すら困難な『新明解』第三版(昭和56(1981)年刊)を手にし、自らの手で【恋愛】ということばを引き、本当に国語辞書にそう書かれていたことを目にしたら、驚きを隠せないはずだ。

 淡々と”正しい意味”を教えてくれるはずの国語辞書が突如、「恋愛=合体論」を語る。

 暴論とも言うべきその解説を、何度も目で追う。


この【恋愛】の語釈、見坊先生が編纂した『三省堂国語辞典』(『三国』)では、こう書かれているそうです。

れんあい【恋愛】男女の間の、恋いしたう愛情(に、恋いしたう愛情がはたらくこと)。恋  (『三国』三版)

こちらは、いかにも「辞書のことばの解説」という感じですよね。

この「個性」が話題になったこともあり、『新明解』は現在「日本一売れた辞書」になっているそうです。


著者は、『新明解』と『三国』それぞれの特徴について、こう説明しています。

 また、【恋愛】の項で述べたように、語釈の書き方にも両者の違いがはっきりと表れている。

『新明解』は「主観的」で、時に「長文・詳細」解説が見られる。

『三国』は「客観的」で、「短文・簡潔」解説が貫かれている。

 実は、こうした二冊の辞書の違いは、後に詳しく述べる山田忠雄見坊豪紀という辞書編纂者の言語観や世界観など、「個性」の違いとそのまま重なるのである。

 国語辞書は人の手によって作られる。その作り手の「人格」が、自ずと辞書の文面にも浮かび上がってくるのだ。


 僕個人としては「合体」は、面白いとは思うけど、辞書の語釈としてはいかがなものか、と思うのですよね。

 ただまあ、語釈そのものに関しては、それぞれの主張もあるだろうし、「他の辞書との差別化をはかる」ことや、「辞書を引くことそのものを楽しんでもらう」という意味では、『新明解』の個性的な語釈には意味があるのもわかります。

 この本を読んでいくと、山田先生の語釈には、あまりにも個人的な主観が入りすぎているのではないか、とも思うんですけどね。

はくとう【白桃】果汁が多く、おいしい。 (『新明解』四版)

はまぐり【蛤】食べる貝として、最も普通で、おいしい。  (『新明解』三版)

あこうだい【あこう鯛】顔は赤鬼のようだが、うまい。  (『新明解』三版)


ちなみに、『三国』では、

はくとう【白桃】実の肉がうす黄色のモモ。しろもも。  (『三国』三版)

あこうだい【赤魚鯛】タイに似た、細長いさかな。  (『三国』三版)

というような記述になっています。

語釈で「おいしい」「うまい」と味について熱く語る『新明解』と、「これぞ辞書」という感じの『三国』。

たしかに、面白いんですけどねえ『新明解』。


さらに『新明解』には、こんな語釈も。

ぼんじん【凡人】自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。(マイホーム主義者から脱することの出来ない大多数の庶民の意にも用いられる。  (『新明解』三版)

どうぶつえん【動物園】生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。  (『新明解』四版)


さすがに、この「どうぶつえん」には、抗議が殺到し、語釈が差し替えとなったそうです。

この語釈は「一面の真実」ではあるのかもしれませんが、辞書があまりにも編者の思想を語りすぎるというのは、やはり、好ましからざることなのでしょう。

「辞書は、正しいことばの意味を知るために引くもの」ですしね。


このように、個性的な語釈を書き続けた山田忠雄先生に対して(とはいえ、個性的なものばかりが話題になってしまっている面もあり、『新明解』も、大部分は「普通の語釈」なんですけどね)、見坊先生は、「データ収集の鬼」というか、「ことばの用例を集めること」にドップリとはまってしまうのです。

それはもちろん「ことばが実際に使われている例を集めることによって、そのルーツや意味、重要性を判断する」という重要な仕事ではあります。

ただ、見坊先生の場合は、その収集への執念が、あまりにも強かったのです。

 現在、八王子の資料室に保管されている145万例のカードを眺めながら、現『三国』編者の飯間浩明さんは、自分とケンボー先生の”圧倒的な量の違い”を語り始めた。

「自分はどのくらいことばを集められるか、と思って用例採集を始めたんです。私の場合、1ヵ月間、最大頑張って400個くらい。一年間で4000から5000語のことばを採集していることがわかりました。計算すると10年で4万から5万語。20年で10万語になる。大体、そこらへんで力尽きると思います。仮に、その想定の倍ぐらい頑張ったとしても、生涯で20万語くらいにしかならない。それだけ集めても到底及ばないんです。145万例なんて、もう、これは……水準を超えてる。しかも、たった30年で145万例も集めたんです。これは人間ワザじゃない。見坊先生はもはや”神”です。辞書に魂を売った人です」

 これはもう、すごいとしか言いようがありません。

 この本のなかには、見坊先生のご家族への取材も紹介されているのですが、見坊先生は「本当に一日中、用例採集をしつづけていた」そうです。奥様が、一緒に出かけるのを嫌がるほど。

 しかしながら、その「用例採集」にハマってしまったがゆえに、肝心の「辞書を改訂する」という仕事が滞ってしまうことにもなりました。

 用例集めは、キリがない仕事ではあるでしょうし。

 そこにも、見坊先生と山田先生の軋轢の要因があったのです。


 これまで見てきたように、『三国』と『新明解』では、収録語数もほぼ同程度の小型国語辞典でありながら、全く正反対の個性を備えている。

「客観」と「主観」、「短文」と「長文」、「現代的」と「規範的」。

 編集方針から記述方式、辞書作りの哲学に至るまで、まるで性格が異なる。

 しかし、すでに述べたが、驚くことにこの二つの辞書の起源をたどると、三省堂からかつて刊行されていた一冊の辞書に突き当たる。

 二つの辞書の源流は、戦中の昭和18(1943)年に出版された『明解国語辞典』、概して『明国』である。

 似ても似つかない姉妹辞書が、同じ親から誕生していたのだ。

 この『明国』を作り上げたのは、昭和14(1939)年に東大を卒業したばかりの二人の若き国語学者だった。その二人とは誰あろう、見坊豪紀山田忠雄にほかならない。

 二人は理想の国語辞書を目指し、協力する良き友であった。

 しかし、一つの大きな源流は、”ある時点”から二つに枝分かれし、徐々に流れを速め、その後再び交わることはなかった。

 ケンボー先生と山田先生。二人の編集者に一体、何があったのか。

 わずかな手がかりを頼りに、40年前に起こった事の真相に迫ろうと歩みを進めた。

 だが、闇は深く、なかなか光明を見出せずにいた。肉声テープが残されていたものの、すでに二人は多くを語らず、世を去っていた。それ以上、もはや二人の心情を探る手立ては残されていないかに思われた。

 しかし、ある日突然、思いもよらない重要な証拠にぶち当たった。

 それは、二人が作り上げた辞書の記述に刻まれた「ことば」だった。

”昭和辞書史の謎”を解く鍵は、まさに【時点】ということばの用例に隠されていた。


じてん【時点】「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」  (『新明解』四版)


「一月九日」。妙に具体的な”謎の日付”が書かれていた。

 これは、山田先生が晩年に刊行した『新明解』第四版に新たに加えられた用例だった。

 ここに書かれている、判明していなかった「その事実」とは、何のことなのか。

 意味深な記述で、他に比べてどこか異質な、奇妙な印象を与える用例だった。


この「一月九日」に、いったい何が起こったのか?

盟友だったはずのふたりは、なぜ、袂を分かつことになったのか?

著者は、綿密な取材で、その謎に迫っていきます。

その結果、見えてきたものは……


興味を持たれた方は、ぜひ、「真相」をこの本で、たしかめてみてください。

それは悲劇ではありましたが、ふたりが決別したからこそ、日本に、この二つの個性的な辞書が生まれた、とも言えるのです。


そうそう、この本を読んでいて、僕は長年信じていたことが覆されてしまったんですよね。

僕には、辞書=金田一京助先生、というイメージがありました。

『明国』の表紙にも、背表紙にも、「見坊豪紀』という名は一言も書かれていなかった。ただ、「文学博士 金田一京助編」という文字だけが大きく書かれていた。

 生前のケンボー先生や山田先生にインタビューを行った評論家の武藤康史さんは、後世のためにもこの問題の真実を明らかにしておくべきだと考えていた。

「『明解国語辞典』は、金田一京助編とあるが、本当はすべて見坊先生が書いた辞書だった」

 国文科出身の武藤さんは、長年、辞書界にはびこる”名義貸し”の噂をたびたび耳にしていた。

「国語辞書は一般的に、”名目上だけ”の監修者や共著者であるケースがたくさんあって、インタビューでそういうこともはっきりした」

 この件に関しては、金田一京助先生の息子さんの金田一春彦先生も、はっきり証言されているそうです。

「(京助先生は、辞書の原稿を)一行も書きません。そういうこと向きませんよ、あの人は。二、三枚読むと、もう飽きちゃうんです」

 金田一京助先生の「本職」はアイヌ語研究を中心とした言語学で、すばらしい仕事もたくさんされているのですが、「名義貸し」の辞書のほうで、有名になってしまったのです。

 それも、金田一先生が「自分の名前を入れろ」とゴリ押ししていたというわけではなく、「辞書といえば、金田一京助」というブランドになってしまったがために、出版社側も事実は承知していながら、名前を外すわけにはいかなかったようです。


 考えてみれば当たり前のことなのですが、「辞書って、人間によって作られているんだなあ」と、あらためて思い知らされますし、そのことに、せつなさと愛おしさも感じてしまう本です。

 最近はネット検索ばかりで、ほとんど辞書を引かなくなった僕ですが、一冊くらいは紙の辞書を手元に置いておこうかな、と思っています。

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2014-08-18 【読書感想】泡沫候補: 彼らはなぜ立候補するのか

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内容紹介

マック赤坂羽柴誠三秀吉外山恒一……彼らはなぜ負けるとわかって戦うのか? 有名候補者たちの真実がここにある!


内容(「BOOK」データベースより)

彼らは本当に当選すると思っているのか?国政選挙や有名自治体の首長選挙には、必ずといっていいほど「泡沫候補」と呼ばれる人々が名乗りをあげる。当選する見込みがほとんどないにもかかわらず、なぜ彼らは立候補するのか?気鋭の映画監督が、異例の大ヒットを記録した「映画『立候補』」での取材を基にして迫る、泡沫候補者たちの真実。


泡沫候補」はなぜ、立候補するのか?

立候補する、という行為だけなら、「ああ、目立ちたいんだな」とか「世の中に物申してみたい人なのかもしれないな」とか、想像することは可能なんですよ。

ただし、知事選以上の「大きな選挙」に立候補するには、300万円の「供託金」が必要となります。

この「供託金」は、一定割合以上の得票がなかった場合、没収されてしまうのです。

僕たちが「泡沫候補」と言われて、思い浮かべるような人たちは、まずこの「一定割合」に達しません。

「供託金300万円+選挙費用」というお金をかけて、「当選」は夢のまた夢、マック赤坂さんのような「目立つ人」を除けば、ほとんどメディアに採り上げられることもないのに、なぜ、彼らは選挙に出るのだろうか?

著者は、大阪府知事選の「泡沫候補」たちに取材をしているのですが、彼らは一様に「客観的にみたら、自分が当選するとは思えない」と答えているのです。


この新書の主役は、ネットでは話題になることも多い「マック赤坂」さんでした。

著者のドキュメンタリー映画の主役のひとりがこの人なのですが、なんというか、「こんな人が出馬していいのかよ!」と言いたくなるような傍若無人っぷり。

 さっきまで松井一郎氏が出陣式を行っていた大阪府庁舎前には、代わって白のロールス・ロイスが横付けされた。車の横には大きく「スマイル党・マック赤坂」という安っぽいステッカーが貼られている。6000万円するロールス・ロイスのボンネットの上には、選挙でよく見かける車載用のスピーカーが2つ、無造作に置かれていた。

「はい。それでは、ピー」

 マック氏の声が建物に跳ね返り「ピー」とハウリングした。櫻井秘書は落ち着いてスピーカーの向きを調整する。

「大阪府庁! 万歳!」

 マック氏は両手を大きく広げ大阪府庁に向かって叫んだ。目の前には、NHKの取材クルーとスポーツ紙の記者と私たちがカメラを構える。一般の聴衆は1人もいない。

「それでは、挨拶代わりにスマイル党マック赤坂がスマイルダンスをやります」

 少し間をおいて、車の中から櫻井秘書がCDの再生ボタンを押した。

「ドュンドュンドュン♪ ハア〜〜♪」

 低いベースのリズムが刻まれ、女性の神秘的な声が入ってくるイントロが流れ始めた。曲はVan McCOYの「The Hustle」。1975年に流行ったディスコミュージックで、団塊の世代にはたまらなく懐かしい音楽らしい。マック氏は小さな踏み台に乗り、マラカスを両手に持ち音楽に合わせてリズムを刻む。

「タッタッタッタ♪ タッタッタッタ ♪たかじん、たかたかター」

 基本的には音楽に合わせてマラカスを振るだけだが、時折、小ギャグを挟み込む。NHKのカメラマンはカメラを上下に振って、スマイルダンスを一生懸命撮影していた(NHKは初日のみ、第一声を候補者平等に報道する)。

「なんじゃこりゃ」

 私は離れたところからカメラを回しつつ、心の中で思った。強面のNHK記者が私に言った。

「この人、真面目にやったらそこそこ票とれると思うんだよな。話もできるし、頭も良いんだし。なんで、踊っちゃうのかな〜」

 そのNHK記者は、前日に行われたマック氏の出馬表明記者会見にも参加していた。

 他に、踊り以外でもマック氏が街頭活動として力を入れていることがあった。演説中に美人を見つけると、

「スマイル美人!」

 と叫ぶ。すると櫻井秘書が名簿を持ってその女性に近づき、メールアドレスと連絡先の記入をお願いする。マック氏が言うには、スマイル美人のナンバーワンに選ばれると「マック赤坂と行くロサンゼルスの旅プラス100万円」がプレゼントされるとのことだった。私の調べた範囲では、実際に100万円をプレゼントした形跡はないので、ただのナンパだと思う。たとえ100万円をあげていたとしてもナンパだと思う。

 自由気ままに行動して、歌って、踊って、ナンパする。本当にどうしようもない人。これが初日から数日間密着したマック氏の印象だった。


 なんなんだこの人は……

 京大卒で伊藤忠商事に入り、実業家としても、ロールス・ロイスに乗れて、供託金300万円をドブに捨てる(って言うのは失礼なんでしょうけど)くらいの資金力もある人だし、政見放送でのパフォーマンスにしても、かなり研究してやっているようなんですよね。

 いきなり知事とかは無理かもしれませんが、地方議会の議員レベルであれば、「真面目にやれば、そこそこ票をとれる」のではないかと、僕も思います。

 ただ、その一方で、有名人でも、二世でもなく、政党の推薦も得られない人は、「真面目に」立派な政策を主張したとしても、ほとんど見向きもされない、という現実もあるわけです。


 マック赤坂さんのような「パフォーマンス系泡沫候補」というのは、僕にとって「納得はできないけれど、そういう人がいるのは、理解できなくもない存在」なんですよ。

 「選挙」という形で、自分をアピールし、世の中を変えようという積極的な意思は感じるので。


 しかしながら、この大阪府知事選挙には、マックさんの他にも「泡沫候補」が出馬しています。

 この選挙に出馬した、元大阪府職員の岸田修さんへの取材。

――岸田さんの選挙活動についてですが、どこで演説とかされますか?


岸田「いやー、そんなん。そりゃーあんまし、せーへんよ。説教はしないけどな。届出までやな」



――届出だけで選挙活動をする?


岸田「お金いるやん。掲示板とかあんなん。ポスター枚数1万2000なんぼとか、お金いるやんか。選挙ビラとか8万枚のはがきとかな。使うたら見返り求めるしな、人間やったらやっぱり。100円、1000円使うても見返り求めるやろ?」



(中略)


ーー供託金は府庁の退職金ですか?


岸田「そりゃやってきて、35年間働いとったしな」


――その300万円を出されて。


岸田「うんうん、しゃあないわな。高い。まぁ難しいけどな、そこんとこは。内容のある候補がたくさん出てきたらええと思うけどな。せやないと、承認みたいになるやん、投票が。せやから選挙の投票率が落ちていっとるやろ?」


……この人、何のために出馬したんだろう……

岸田さんは「政見放送も原稿の棒読み」だったそうです。


うーむ、「そんなにやる気ないのなら、出馬するなよ!」と腹が立つというよりは、「なぜ、この人が300万円を捨てて、出馬するに至ったのか?」と、疑問でなりません。

本気で当選すると信じ込んでいるという人や、落選しても世の中に風穴をあけてやる、政見放送で言いたいことを言ってやる、仲間を増やしてやる、という外山恒一さんのような人の頭の中は「想像可能」なんですよ。彼らに投票はしませんけど。

でも、こういう「あまりにもやる気のない記念出馬」だと感じる人のことは、不可解だとしか言いようがありません。


しかし、マック赤坂さんや羽柴誠三秀吉さんみたいに、負けても負けても懲りずに出馬しつづけている人がいることを考えると、「魅力」もあるのだろうなあ、「選挙に出ること」には。


マック赤坂氏が母校である京都大学の学園祭に自主的な演説のために行った際(大阪府知事選なのに、です)、運営側にさんざん迷惑がられながらも、酔っぱらって上機嫌のマック氏をみて、ある男子京大生は、こう言ったそうです。

「一言で言えば陽気なおっちゃんやな、と。若者に良い意味でも悪い意味でも政治に親しみを感じさせてくれてるんじゃないかなと思います。たとえ、有名じゃなくてマックさんのことを知らんかったとしても、マックさんみたいな人と実際に会って喋ったら、政治に興味を持つきっかけになるんじゃないかなと。僕自身、1回も投票に行ったことないですから。

 でもやっぱり、ここで飲んでいることが、どう選挙活動に結びつくのか全然わかんないです。マックさんには投票しないです」

そりゃ、そうだよね。

むしろ、この京大生のほうが出馬したほうが良いんじゃないかな、と思いました。


この新書を読んで、僕はちょっと考え込んでしまったんですよ。

彼ら、「泡沫候補の足掻き」は、観ていて微笑ましかったり、理解不能だったりするのですが、彼らと「当選していく候補」の違いは、どこにあるのだろうか、と。

それが「政治家としての資質や能力の違い」であれば良いのだけれど、結局のところは、所属していたり、支援してくれていたりする政党の力が無ければ、ごく一部のタレント候補以外は「泡沫」なんですよね。

その人が、どんなに立派な政策を掲げていたとしても。

それが「現実」であり、政党や組織のなかで、うまくやっていくのも「能力」ではあるのでしょう。

とはいえ、「面白くない選挙活動を粛々とこなせて、バックに大きな組織がついていること」が、当選するための条件であるとするならば、「面白みがない、無難な人」や「二世議員」ばかりになってしまうのが当然ではあるのです。


巻末の著者と『ドワンゴ』会長の川上量生さんの対談のなかで、川上さんはこんなことを仰っています。

川上:今の社会って「××したい」とあるベクトルに向かって明確なビジョンを持てる人は少ないと思うんですよね。世の中をすごく単純化して見て、ビジョンを持てる人はいるかもしれないけれども、実際世の中はそんな簡単でもないし単純でもないじゃないですか。おそらく世の中を変えようとするために必要な知識量を、ひとりの人間が得ることは、もはや無理だと思うんですよ。複雑すぎて。そうすると、逆説的ですけど世の中を変えていくのは根本的に「わかってない人たち」ですよね。世の中を変えられると「勘違いしている人」たちですよ。じゃあそういう人たちが実際に政治の世界に行って、勉強して、十分な知識量を身につけられるのかっていったら、それもまた難しいんだろうなって思いますね。


「面白い政治家」が出てくることを期待してしまうところが僕にはあるのですが、実際は「面白い人が組織に推されて出馬し、当選し、政治の世界でやっていく」ことは、難しいのです。

「勘違いしている人」がみんなを連れて行くのは、必ずしも良い方向とは限りませんし。


「なぜ、泡沫候補は出馬するのか?」というのは、知らなくても自分が生きていくうえでは、何のデメリットもありません。

 そして、この新書を読んでみても、その明確な理由というのは、よくわかりません。

 でも、「そういうこと」が気になってしょうがない僕にとっては、なかなか面白い本でした。

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2014-08-17 【読書感想】第151回芥川賞選評(抄録)

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文藝春秋 2014年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2014年 09月号 [雑誌]


Kindle版もあります。


今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった柴崎友香さんの『春の庭』と芥川賞の選評が掲載されています。

恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。


高樹のぶ子

「吾輩ハ猫ニナル」は大変な労作だが、小説のエネルギーが主として翻訳に使われ、異文化言語のかなたから日本を視るという、小説本来の苦労が足りなかった。漢語にふられたルビだけで読み下してみれば、さほど新鮮な発見は無かった。小説の苦労は手法ではなく手法はあとからついてくる。

宮本輝

 今回の候補作五篇は巧みなところといい、足りないところといい、なにもかもほぼ拮抗していて、二回の投票でも決まらず、三回目ではさらに混沌として結論が出ず、四回目でやっと柴崎友香さんが受賞ということになった。

 それぞれ独自の手練さを発揮してはいるものの、小説が終わりに近づくにしたがって、主題そのものから逃げ腰になっていくという歯がゆさを感じた。


(中略)


 柴崎友香さんの「春の庭」が、反対意見もありながらも受賞作となったのは、デビュー作から今作に到るまでの、しつこいまでの主題へのこだわりを、これまでとは異なる目線に変えたことで明晰になったからだと私は思う。

村上龍

(『春の庭』『どろにやいと』『メタモルフォシス』の三作が、受賞の当落線上でせめぎあったのを紹介したあとで)


 わたしは、三作いずれも評価できなかった。『春の庭』には、冒頭に、”「”のような「はじめカギ括弧」に似た「記号」のようなものが文中で示される。「アパートは、上から見ると”「”の形になっているという文章だ。わたしは、その一行で、感情移入がまったくできなくなってしまった。言うまでもないが、描写は、作家にとって、もっとも重要で、ほとんど唯一の武器である。描写によって、作家は読者を虚構の世界に引きずり込む。

 他にも、「記号」のようなものが示される箇所があり、どうしてそんなことをしなければいけなかったのか。わからない。


(中略)


 長い選考会だったが、スリリングではなかった。どの作品からも、切実さが感じられなかった。この「生きづらい社会」で、伝えるべきこと、つまり、翻訳すべき無言の人々の思いが数多くあると思うのだが、どういうわけか、「不要な洗練」「趣味的」という二つの言葉が、全体的な印象として残った。

山田詠美

 この賞の選考委員の中には、先の震災、原発をテーマ、モティーフにした作品を検閲する者がいる。そんなもっともらしい言説があるのを知って呆れるやら、おかしいやら。私たちは、小説の質に言及する仕事しかしない。していない。この先、それ以外をする気もないので、ここでお断りしておく。まったく徒労感とはこのことだ……と、いう訳で。

奥泉光

 しかし、自分が推した作品はこの三作品ではなく、すなわち最初の投票で○を付したのは「吾輩ハ猫ニナル」であった。「日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説」という奇抜な構想に貫かれた一篇は、カタカナをほぼ排し、日本語のルビをふった中国語の言葉が多用されて、その異装の文章には、日本語で読み書くという、日本語国民にとって「自然な」行為を反省の俎上に載せ上げるだけの批評性がある。いまある言語の外へ逸脱していく言葉の運動性には文学の名がふさわしくもある。選考会では、物語内容が物足りないとの声があって、たしかに企みが引き寄せずにはおかぬ虚構の動きがもっとあってよいはずで、その点に弱さはある。が、とにかくこの徹底ぶり(さらなる徹底を!)は評価できると考えた。

小川洋子

 柴崎さんは自分が書くべきものを確かにつかんでいる。それを掌の肉に食い込むまで強く握り締めている。その痛みを決してこちらに見せようとしない柴崎さんの粘り強さに、祝福を贈りたい。

島田雅彦

 私は羽田圭介の『メタモルフォシス』を強く推した。

 

(中略)


 SMという使い古された素材を選んだ時点でアウェイの戦いを強いられ、SMには一家言ある選考委員たちの厳しいチェックに晒されてしまった。

川上弘美

『春の庭』には、不穏さが満ちていて、その不穏さはこの作者の作品にはいつもたゆたっていたものではありますが、たくらみを凝らした見せよう、というものを作者が試してみたことが面白いと思ったのです。ただ、今回はなぜだかわたしは、この作品の文章を読むのを、少し難しく感じることがありました。読みにくい、というのではないのです。読みにくさは小説にとって決して欠点ではないので、そうではなく、難しい、と感じたのです。それがこの作品にとってどういうことなのか、わたし自身も考えてみたく思います。

堀江敏幸

 ラジウム226の半減期は1600年。同時代の人間がすべて消えたあとにもまだ半生を終えていないこの光に、人々の記憶が貯蔵されている。小林エリカさんの「マダム・キュリーと朝食を」は、原発事故後に生まれた「わたし」と光る猫を結びつけて光のトンネルを抜ける清新な発想の一篇だが、出入り口にせっかくの言葉の粒を沈ませるような暈(かさ)が散見された。


今回の候補作が発表されたときの率直な感想は、「ちょっと地味かな……」だったのですが、選評も、良く言えば個々の作品にまんべんなく言及した人が多くて、悪く言えばどの選考委員にも、「熱さ」を感じませんでした。

「受賞作なし」にするほど低レベルではない(+できれば「受賞作なし」は避けたいでしょうしね)けれども、「上手い人が、自分の土俵でそれなりに書いた作品」ばかりで、「問題作」といえば『吾輩ハ猫ニナル』くらい。

その『吾輩ハ猫ニナル』も、形式の新しさを評価する選考委員はいたものの「物語としての弱さ」を指摘する声もあり、受賞対象として議論になった3作にも入ることはできませんでした。


しかし、2010年2月の第142回の芥川賞、『ミート・ザ・ビート』で、山田詠美さんに、

 『ミート・ザ・ビート』


 <大雨が、駅舎の屋根やアスファルトに降り注ぎ、厳かな音を立てている――中略――雨音のシンフォニーに彼は虚脱感さえ覚えた>……あ、ほーんと? 読む側としては、<雨音のシンフォニー>と書いてしまうセンスに虚脱感を覚えましたよ。この作者が「文学的」描写と思い込んでいる箇所は、すべて、おおいなる勘違い。どこぞの編集者に入れ知恵されたのではないかと勘ぐりたくなって来る。全部外すべき。あ、それだと<すべてのものが、無に返>っちゃうか。

と一蹴された羽田圭介さんが、今回は『メタモルフォシス』で、けっこういい線までいったみたいで、文章というのも成長していくのだなあ、なんて、ちょっと感慨深かったです。

島田雅彦さんによると「SMには一家言ある選考委員たちの厳しいチェックに晒されてしまった」そうで、「誰だそれ?」という感じです。いや、何人かは見当がつきますけどね。


今回は、この「SMに一家言」とか、山田詠美さんの選評の冒頭の「震災、原発関連作品を『検閲』している選考委員がいる」とか、ちょっとした暴露大会みたいになっていたのが、読みどころかもしれません。

でも、作品について、あんまり書くことなかったんだろうなあ。


受賞作も、「柴崎友香さんらしい作品で、これまでの実績もあって、ゴール前で頭半分くらい抜けて受賞した」という感じです。

まあ、なんというか、すごく丁寧な小説なんだけれど、読み終えると「だから、何?」って言いたくなりました『春の庭』。

僕みたいに「文章表現の巧みさよりも、ストーリーの面白さ重視」の読み手には、あまり向かないかも。


今回のなかでいちばん興味深かったのは、村上龍さんが、柴崎友香さんの作中の「記号みたいなもの」について言及されていた部分でした。

『春の庭』には、冒頭に、”「”のような「はじめカギ括弧」に似た「記号」のようなものが文中で示される。「アパートは、上から見ると”「”の形になっているという文章だ。わたしは、その一行で、感情移入がまったくできなくなってしまった。言うまでもないが、描写は、作家にとって、もっとも重要で、ほとんど唯一の武器である。描写によって、作家は読者を虚構の世界に引きずり込む。

 他にも、「記号」のようなものが示される箇所があり、どうしてそんなことをしなければいけなかったのか。わからない。


僕も、この”「”を作中でみて、ちょっと違和感があったのですが、「でも、このほうがわかりやすいよね、たしかに」と、ネガティブな感情は抱きませんでした。

(ちなみにこの”「”は、アパートを上からみた形を描写するのに使われています)

考えてみると、「わかりやすくするために、こういう記号とか、図みたいなものを挿入するのって、ライトノベルでは、よく使われている「表現」です。

それを「手抜き」とみるか、「そのほうがわかりやすいんだから合理的」と判断するかというのは、ライトノベル文化への接点の有無、みたいなのもあるんじゃないかな。

柴崎友香さんは1973年生まれですから、黎明期のライトノベルに間に合った世代ですし(僕とちょうど同じくらいの年齢なので)、村上龍さんは1952年生まれですからねえ。

限りなく透明に近いブルー』で、「こんな背徳的な作品が許されるのか?」という批判も受けた龍さんが、いまや「守旧派」的なことも仰っているのです。

しかし、いまの時代の「純文学」って、何なんでしょうね。

「純文学」を書いている人だって、おそらく「純文学しか読まない」なんて人は、ほとんどいないはずですし、既存の形式への挑戦をしている作品が評価されるのに、”「”くらいで「ダメ出し」されることもあるのだよなあ。


正直、「選評フリーク」にとっては、あまり楽しくない回でした。

『春の庭』も、「うまいなあ、とは思ったけど、それに続く感想が出てこない作品」だったんですよね、僕にとっては。