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2014-11-23 【読書感想】骨董掘り出し人生

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骨董掘り出し人生 (朝日新書 80)

骨董掘り出し人生 (朝日新書 80)


Kindle版もあります。

骨董掘り出し人生

骨董掘り出し人生

内容紹介

カネのない辛さにも、ニセモノをはめられるのにも、古伊万里をひろめたのにも、すべてに意味がある……。「開運!なんでも鑑定団」の名物鑑定士が、流転の少年時代、つらい修行時代を振り返る。失敗も人との出会いも、すべて自分の糧に……骨董を掘り出すように、人生も掘り出してきた著者の実践的骨董修行記。目利きの成り立ち、ホンモノとニセモノの見分け方、真のお宝のみつけ方など、実践から生まれた豊かな知恵と生きるヒント。骨董に限らず中島美学の神髄が満載。


 7年前に出た新書なのですが、お正月のセールでKindle版が安くなっていたので購入。

 僕自身は、『なんでも鑑定団』は「ときどき観るくらい」なんですけどね。


 この新書では、中島さんの少年時代から、修業時代、独立して店をはじめ、「古伊万里」を世間に認知させ、『なんでも鑑定団』に出演するまでが書かれています。

 中島さんへの興味というよりは、

 どういう人が「骨董屋」になるのか?

 そして、「目利き」になるには、どんな修行が必要なのか?

 そんな興味から、読み始めたのです。


 中島さんは、けっして「ぬるい人生」を送ってきたわけではなくて、少年時代から肉親との別れや養家での「生きて行くための駆け引き」をしてきた人なんですね。

 そして、審美眼を養うためには、「良い品物を観る」ことも必要だけれども、それだけでは十分ではないようです。

 庭で作った野菜を浅漬けにしておかずにしていたような生活でしたが、おやじならではの習慣で、我が家では物事すべてに形が定まっていました。たとえば、キュウリの浅漬けは三角に切らないといけない。ちゃぶ台は畳の目に合わせて置かないといけない、箸を使う時は箸の先から一寸以上汚してはいけないとか。おやじはそういった決まり事を、水戸幸の小僧時代にたたき込まれていました。そのお陰で、いまだに私は弁当を使うとき、箸の元まで汚したことはありません。

 三角に切られたキュウリの浅漬けが、焼けただれた乾山の手鉢に盛られる。乾山とキュウリを毎日眺めながら、私は美しいとか美しくないの問題ではなく、ものを愛惜すること、慈しむことを学びました。

 ここでの「おやじ」は、有名な骨董商であった、中島さんの養父をさしています。

 そういえば、僕の知り合いにも「食事をするときに、箸の先の短い部分しか汚れない人」がいたんですよね。

 たしかに「育ちのよさ」を感じる人でした。

 生来のセンスというのも必要なのでしょうが、こういう「後天的な要素、日常の過ごし方」が大事なのだろうなあ。


 また、こんな話も紹介されています。

 風呂敷の包み方がきちんとできるかどうかで、どれだけ仕込まれているかが判断できます。以前は競り市の記念品は必ず風呂敷だったことからも分かるように、骨董屋にとって風呂敷は、商売になくてはならないものでした。

 私はそろそろ70歳になりますが、日本で風呂敷が完璧に結べる五人のうちの一人だという自負をもっています。私に真田紐と風呂敷と道具を持たしたらすごいですよ。私の風呂敷包みは個性があります。どこに置いてあっても、すぐにこれは中島のものだと分かります。だから今でも、風呂敷包み一つ見ただけで、番頭さんや小僧さんの修業の度合いが分かります。きちんとした風呂敷包みは、高級旅行トランクのようにびしっと決まり、とても丈夫です。

 ちなみに、いまではダンボール箱が使われるようになり、「風呂敷の技術」は伝承されていないそうです。


 中島さんのテレビ出演については「宣伝にもなるし、だいぶ得したんじゃないか?」と思ってしまうのですが、実は「出演するには、かなりの思い切りが必要だった」そうです。

 テレビに出て鑑定することを恥ずかしいと思ったのはそこです。プロの骨董業者、まして伝統的な目利きの家に育った人間にとって、素人のためにする鑑定は芝居のようなものだったのです。

 鑑定は自分のためにして秘する行為であり、他人のためにするものではない。ましてペラペラ喋るものではないのです。

 第一、我々の商売は、真贋をはっきりいったら成り立ちません。いいものは黙って安く買い、ニセモノは買わない。ただそれだけです。ニセモノだと断定して、相手から顰蹙や恨みを買うような馬鹿なことはしないで、ニセモノだとわかった時は「大切にお持ち下さい」と言うだけです。今でこそ皆さんは当たり前のように、私の顔を見ればイクラですかと聞きますが、本筋の業者にはそんなことは聞けません。彼らが本当のことをいうわけないじゃあないですか。

 1994年の当時、収録に協力するのは、今の方々が考える何十倍もの度胸や思いきり、踏ん切りが必要でした。まして、私の後ろには、親の代から私を知っている数百人のプロの業者が控えているのです、中島誠之助は、ずいぶん身を落として、恥かきをしたものだと言われるに決まっています。でも、あえてそこに踏み切ったのは、私の未知の世界に対する探究心と時代への進取の気風だとしか考えられません。

 言われてみれば確かにその通りで、「鑑定結果をガラス張りにする」というのは、業界にとっては、かなり大きな影響があったはずです。

 あの番組によって、「骨董が身近なものになった」のは確かですが、その一方で、目利きの言い値だった世界に、「適正価格」が明示されるようになりました。

 商売というのは「利ざや」を稼がなければなりませんから、「安く買って、高く売らなければならない」のです。

 無知な相手に対しては、けっこう悪どい商売をしていた「目利き」もいたはず。

 番組の影響で、そういうのが、かなり難しくなってしまったのは、間違いないでしょう。

 いまは、ネットなどでの「評判」も参考にされるでしょうし。


 この新書のなかには、島田紳助さんの、こんなエピソードが紹介されています。

 普通美術骨董を扱うプロ同士は、壁を作って相手を観察してから、こちらの手を打ちます。それがいきなりテレビカメラの前に初対面の五人で机に並ばされて、さあこれはいくらですかとやられたのにはたまらんと思いました。誇り高き青山の「からくさ」店主が何をやってんだ、こんなものに出られるかと、いいかげんに済ませて帰ろうと思ったら、司会の島田紳助が私の顔をじろっと見て開口一番、「まず中島先生を鑑定しましょう」と言ったのです。

 これで私ははっとしました、島田紳助という人はすごい。私の心中を読まれました。こう言われたら、嘘や適当なことは言えません。本当のことはあいまいにし、いいものが提供されても、「ご趣味がいいですね」ぐらいにして、いい加減に済まそうと思ったのが、紳助の言葉でやる気が出ました。

 この紳助の一言が、今までの発想をまったく変えたスタートの始まりでした。

 そして、収録が終わった時に紳助が発した言葉が、「20年はこの番組はいく」でした。私は半年も続けばいいと思っていたので、二度びっくりしましたが、その後の展開を見ていると紳助の言った通りになりました。

 島田紳助さんは、現在謹慎中です。

 僕も「暴力団とのつながり」が事実であるならば、謹慎やむなし、と思います。

 ただ、「出演者をやる気にさせる能力」や「ヒットするものを見極める力」というのは、やはりすごい人だったのだな、と感じました。

 島田紳助という人もまた、「目利き」ではあったのでしょう。

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2014-11-22 【読書感想】総理メシ

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内容紹介

日中国交正常化、40日抗争、消費税導入、PKO、非自民連立政権加藤の乱、郵政解散……。1972年から2008年まで、時の総理たちが「日本の一大事」に際し、なにを食べ、なにを考えてきたのかを振り返る「食の政治史」。織田信長が桶狭間に臨む前に湯漬けを掻き込んだように、「腹が減っては戦ができぬ」。昭和後期から平成の日本社会を形成した政治史の真実!


 2013年から朝日新聞に連載された「あのとき、総理メシ」を書籍化したものだそうです。

 安倍総理とアメリカのオバマ大統領が鮨の名店『すきやばし次郎』で会食をしたことが話題になりました。

 安倍総理といえば、「3500円のカツカレー」、麻生元総理は「帝国ホテルのバー通い」など、日本のトップの食生活というのは、なにかと話題にされがちです。

 ちょっと前に「国会議員になったら、料亭でごちそう三昧」という発言をしてひんしゅくを買った候補者がいましたが、「おまかせ」のみで、ひとり3万円はする(らしい)『すきやばし次郎』に行ける総理大臣って、うらやましいなあ、きっと、毎日ごちそうばっかり食べているのだろうなあ、って、僕も思っていました。

 でも、この本を読んで、「総理大臣と食事」についてあらためて考えてみると、少なくとも「食」に関しては、総理大臣はそんなに幸せではないのかもしれないなあ、という気がしてきました。

 「首相動静」などをみると、毎日のように各国、政財界の要人との会食のスケジュールが組まれており、安倍総理の場合、それ以外のときには、中井貴一さんたちとの食事、なんていうのもありました。

 いくらごちそうが多くても、要人との会食では気が抜けないでしょうし、そもそも、メニューも、その場の自分の好みでは選べません。

「いま、食べたいものを食べる」ことがほとんどできないというのは、かなりのストレスなんじゃないかなあ。


 政治家というのは「何を食べるか」も、他者から見られているのです。

 当然、政治家の側も「見られている」ことを知っています。

 (2012年)9月26日、自民党本部近くにあるホテルニューオータニ。午後から行われる自民党総裁選の投開票に備え、安倍氏は支援する議員たちと昼食のテーブルを囲みました。験を担ぐためにと選ばれたメニューは、ふだんは同ホテル内のコーヒーショップ「SATSUKI」で供されたカツカレー。その様子は、報道陣にも紹介されました。

 カツカレーの値段が3500円だったことが、すぐに話題になりました。

「そんな高いものを食べるとは庶民の気持ちがわかっていない」

「体調が回復したことを示すアピールではないか」

 そんな憶測がインターネットやメディアを賑わせました。

 安倍総理の「3500円のカツカレー」に関して、僕は「ちょっと高いけど、日本のリーダーになろうという人が、そのくらいの食事をしても別に構わないだろうに。あれこれ言うほどのことじゃない」と思っていました。

 この本で、第一次の政権を手放すきっかけとなった「潰瘍性大腸炎」という持病に対して、食生活にふだんから気をつけている安倍さんの様子を知ることができたのです。

 あの「カツカレー」は、「勝つ」と縁起を担ぐだけではなくて、「自分の体調は、カツカレーを食べられるくらい良いのだ」と見せるため、だったのかもしれないな、と。

 安倍さんは「カツカレーを食べたこと」が報道されるのを見越していたのでしょう。


 安倍首相はほとんど下戸ですが、その飲み口にも周りは強い関心を寄せます。

「本当に安倍さんの体調は戻ったのか」

 政治家のつきあいに酒はつきもの。安倍首相も会合の席では、ビールやワインをたしなみます。同席者が首相の「体調回復度」を推し量るバロメーターとして、自分が手にしたグラスに注目していることを、安倍首相は誰よりもわかっています。

 冒頭に紹介した首相動静からうかがえるように、夜の会合は首相の義務のようなものです。1軒で済むこともあれば、2軒、3軒と複数の会合に顔を出す「2階建て」「3階建て」もしばしばです。

 相手にもよりますが、夜の会合での安倍首相は、食べる時間よりも話している時間が多いというのが同席者の共通した感想です。じっくりと杯を交わしながら政治談義に花を咲かせるというよりは、饒舌に冗談を交えながらしゃべり続ける……安倍首相の「総理メシ」は、そんなスタイルと言えるかもしれません。

 これも、「しゃべり中心にすることによって飲み食いする量を調節し、胃腸への負担を減らす」という意識のためなのかな、と。

 いずれにしても、「日本の総理大臣」というのは、「好きなものを、好きなときに、好きなだけ食べたい」「たまにはベロベロに酔っぱらってぐっすり寝たい」という人には務まらないのです。

 食事の時間は「仕事」か「オフ」か、と問われたら、多くの人にとっては基本的には後者のはず。

 総理大臣というのは、ほとんど毎日結婚披露宴や接待に参加しているようなもの、なんですね。

 僕などは、それだけでも、「自分には絶対無理だ……」と嘆息せずにはいられません。


 この本では、歴代首相の、さまざまな「食事の場面」が、当時の関係者の証言で再現されているのですが、小泉純一郎元首相は、食事の際も「異色」だったそうです。

 東京・高輪にある『壇太』というラーメン店が、小泉首相行きつけだったのだとか。

「小泉総理は突然、『壇太に行きたい』と言ったものです」

 小野氏(小野次郎参院議員・小泉政権下で首相秘書官)は席に座ると、懐かしそうに店内を見回しました。

 小泉首相は来店すると、いつも席に着く前にベルトを緩め、「店長、ギョーザ人数分!」と自ら注文しました。首相就任前は生ビール、在任中は焼酎のお湯割りが多かったそうです。2時間かけてゆっくり2杯。店主の安達実さん(73)は「みんなと話さなければならないからトイレには行けない。気配りだったのでしょうね」と振り返ります。

 小泉首相は「どうせ待つなら一緒に」と店内に警護官(SP)たちも招き入れました。焼きたてのギョーザがSPに運ばれるのを見ながら、腕組みして「うんうん」とうなずく。彼らがギョーザを食べ終えたと見れば、「ラーメンおいしいから食べろ」と勧めました。

 締めはタンメンやしょうゆラーメンで、野菜たっぷりのあっさり味を好んだそうです。小野氏はこう振り返りました。

「いつも気さくで、食事の時間を本当に楽しんでいました」

 郵政選挙で大勝してから1年後、小泉首相は退任しました。あれからずっと、安達さんは小泉氏が愛したギョーザの味を守っています。

 ああ、小泉さんは、食事のときも、小泉さんだったんだなあ、と。

 安倍さんの「食事に対する細心の注意」を読んだあとに、この小泉さんの「普通のおじさんのように」食事を楽しんでいる様子を読むと、なんだかホッとしました。


 この本では、14人の歴代総理の「勝負メシ」の様子が綴られているのですが、「何を、どんな様子で食べているのか?」というのは、たしかに、「人となり」をあらわしているようです。

 

 そうそう、食事とは関係ないのですが、この本のなかで、一度目の首相の座から降りたあとの安倍総理の、こんなエピソードが採り上げられています。

 不遇を託っていた安倍氏がある日、飛行機に乗り込んだときのことです。すぐ近くに座った中年男性が、フライトアテンダントを呼びました。

「安倍の近くは嫌だ。席を変更してくれ」

 そのやりとりを耳にした安倍氏は、「ここまで嫌われたのか」と胸を痛めたそうです。政治家・安倍晋三にとって、どん底の時期でした。

 僕は安倍総理を積極的に支持しているわけではないのですが、このエピソードは、読んでいてすごくつらかったのです。

 Facebookでときどき拡散される話(実話ではないようです)に、こんなのがあります。

 黒人男性の隣がイヤで、「席を変えてくれ」と要求した白人男性がいました。それに対して、キャビンアテンダントは「わかりました。席を変えます。ただし、こちらの(黒人の)お客様をファーストクラスへ」と答え、機内は拍手喝采に包まれました。

 こういう「あからさまな人種差別」であれば、抗議の声も上げられます。

 でも、この「元総理差別」に、安倍さんが「差別だ!」と声を荒げる、というわけにはいかないですよね。

 立場ってものもあるし、最高権力者だっただけに、差別の被害者としてふるまっても、周囲はあまり共感してはくれないでしょう。

 この中年男性も、安倍さんが反撃してこない(立場上できない)と予想して、こんな嫌がらせめいたことをしているのだから、下衆の極み。

 たぶん、この話は、あの時期の安倍さんに起こっていたことの一例でしかなかったはず。

 

 総理大臣をやるのも、ラクじゃない。

「本来の仕事」以外もこんなに大変というか、食事も含めて、家から出ての行動のすべてが「仕事」みたいな感じなんだろうなあ。

 日々スケジュールに追われ、息抜きの時間もほとんどなく頑張っているのに、嫌われたり、批判されたりすることも多いのです。

 そんな姿を間近にみているはずなのに、自分もなりたいという人が、あんなにいるのだから、権力が「魔物」だというのもわかります。

 

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2014-11-21 【読書感想】どんな球を投げたら打たれないか

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Kindle版もあります。


 オリックス・バファローズの、というよりは今や前田健太投手と並ぶ、日本球界のエース・金子千尋投手が野球観、そして投球術について述べている新書です。

 多彩な変化球を操る金子投手が、それぞれの球種について、写真も添えてボールの握り方から使い方まで詳細に述べている章もあり、実際に野球を、とくにピッチャーをやっている人にとっては、かなり参考になると思います。


 金子投手というのは、僕のイメージよりもはるかに、クレバーというか、「考え続けるピッチング」を実戦し続けてきた人なのだなあ、と、読んでいて感じました。

 金子投手は高校時代には、2年生のとき、背番号10で甲子園に一度出ただけで、そんなに目立つ存在でもなく、社会人野球のトヨタ自動車で頭角をあらわしたものの、怪我もあったりして、順風満帆の野球人生ではなかったんですよね。

 当時のドラフトで、自由枠として金子投手の獲得を発表していたオリックスは、金子投手の怪我を知って、ドラフト直前に「自由枠指名を取り消せないか」と野球連盟に申し入れたと僕は記憶しています。

 そういうリスクも込みの「自由枠」ということで、その申し入れは却下されましたが、もし許されていれば、オリックスは現在ロッテにいる涌井投手を指名するつもりだったと聞いたことがあります。

 国内FA宣言をして、ポスティングでのメジャーリーグ移籍の可能性もあり、いまや、日米で大争奪戦となっているエースは、あやうく「見放される」ところだったのです。

 入団した年はほとんど投げられなかったそうなので、オリックスの気持ちもわからなくはないのですけどね。

 入団後も、金子投手は、二軍のピッチャーたちをみて、「こんなすごいボールを投げる人たちでも、一軍に上がれないのか……」と驚いたそうですし。

 まさか、ここまでのピッチャーになるとは。


「ストレートを投げないピッチングをしてみたい」――。

 2014年のプロ野球オールスターゲームに選手間投票で選出されたとき、僕はメディアの人たちにそう伝えました。「ファンのみなさんに、全力で変化球を投げているところを見てもらいたい」と。

 自分の性格を自己分析すると、あまのじゃくと言っていいかもしれません。

 チームメイトやメディアの人たちから「変わってる」とよく言われるのですが、その”他の人とは違う発想”を明確に意識したことが、僕がプロ野球の世界でエースと呼ばれる存在になれた大きな要因の一つだと思います。

 どういうボールを投げれば、打者に打たれないのか。

 そのテーマと向き合い続けた結果、他のピッチャーとは違う、自分だけにしかない価値観を見つけることができたのです。

 全球変化球宣言をしたのですから、変化球に絶対的な自信を持っていると思われた人も多いかもしれませんが、それは違います。僕には自信があるから、変化球を投げるという意識はありません。 

 ストレートだけでは抑えられないから、変化球をたくさん投げるしかない。自信を持っているのではなく、打者を抑えるために、必然的にいろんな変化球を投げ分けているのです。

 変化球をたくさん投げることで、ストレートを打ちづらくしているという言い方もできるかもしれません。


 金子投手のストレートに威力がない、というわけではないんですよ。

 一流のストレートだと、僕は思います。

 でも、金子投手は、「それぞれのピッチャーが自分のベストを尽くすのがオールスターなら、自分は変化球で勝負する」と、ありがちな「ストレート一本勝負」に背を向けて、我が道を行くのです。


 入団2年目のシーズン前の紅白戦で、イチロー選手と対戦したとき、金子投手は、初球に、当時いちばん自信があったというカーブを投げました。。

 それをみて、当時オリックスにいた清原和博選手が「ストレートをほうらんか!」と怒りをあらわにした、というのが、翌日のスポーツ紙の記事になりました(金子投手は記事をみるまで知らなかったそうですが)。

 入団2年目の若手なんだから、イチロー選手とストレートで「真っ向勝負」してみろ、と。


 このエピソードは、今年のオールスター戦で”全球変化球宣言”したことと、少し重なるところがあるかもしれません。真っ向勝負=ストレート勝負という感覚が、僕にはないからです。

 最高の打者を打席に迎えたとき、自分の最も自信のあるボールを投げることこそが、プロの真っ向勝負だと思うのです。

 だからこそ、僕は今年のオールスターで変化球を投げ続けましたし、プロ2年目の宮古島キャンプでの紅白戦では、世界のイチローさんを相手に一番自信のあったカーブを投げたのです。

 結局、イチローさんには3球目か4球目を打たれて、ファーストゴロでした。一塁のベースカバーに入ったあと、ベンチに戻るイチローさんとすれちがったのですが、このときイチローさんと言葉をかわす機会がありました。

「最後の球種はスライダー?」

 イチローさんがそう声をかけてくれたので、「そうです」と答えました。

 すると、イチローさんは少し笑みを浮かべて「ナイスボール」と言ってくれたのです。

 時間にすればほんの数秒の短いやりとりでしたが、イチローさんの言葉は、プロに入ってからずっと自信を持てなかった僕に、前を向く勇気を与えてくれました。


 三振をとるよりも、効率的にアウトを取りたい。

 それを信条としている金子投手は、合理的な思考の持ち主です。

 これは、清原選手を代表とする「体育会系の真っ向勝負をよしとする野球観」「ストレートを投げることが真っ向勝負だという野球観」と、「アスリートとして、とにかく結果を出すことを突き詰めていくという野球観」の世代交代の象徴のような場面だったような気がします。

 イチロー選手は、「ストレートによる真っ向勝負」なんてどうでもよくて、ひとりの対戦相手として、この若手の「ナイスボール」を称賛したのです。

 

 金子投手は、最初から「すごいピッチャー」ではありませんでした。

 しかしながら、類まれなる向上心や研究熱心さで、ずっと進化しつづけ、エースとして君臨するようになったのです。

 スプリットという球種を習得したことが、金子投手の大きなターニングポイントとなりました。

 いかにボールを変化させるか。

 スプリットを習得するまでは、そのことを強く意識して変化球を投げていました。しかし、ボールを挟まずに投げるスプリットの場合、しっかりと挟み込んで投げるフォークに比べると、落差は小さくなります。それでも、斉藤和巳さんや、ソフトバンクのセットアッパーとして活躍したブライアン・ファルケンボーグは、その小さな変化のスプリットで打者を封じ込めていました。

 なぜ、小さな変化なのに、打者は打てないのだろう。

 そのことを突きつめて考えていくうち、まったく逆の推論が頭に浮かびました。

 小さな変化だからこそ、打てないのではないか、と。


 同じフォームで、さまざまな球種を投げ分けられること、変化が小さくでも、バットの芯を外すことによって、内野ゴロに打ち取れること、なるべく力みを取ることによって、安定した投球ができること。

 ピッチャーというのは、なるべく速い球や、よく曲がる変化球を追い求めがちなのですが、バッターを効率的に打ち取る、という観点からは、それが「最適解」ではないのです。


 野球ファンにとっては、とても興味深い新書だと思います。

 それにしても、金子投手、いったい、どこへ行くのだろう……

2014-11-20 【読書感想】創価学会と平和主義

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創価学会と平和主義 (朝日新書)

創価学会と平和主義 (朝日新書)

内容(「BOOK」データベースより)

公明党が賛成した集団的自衛権。しかしそれは“名ばかり”のものにすぎない。閣議決定を骨抜きにしたのは、創価学会の平和主義だった。「公明党」「創価学会」と聞いた瞬間、思考停止してしまう人が多いが、目を凝らしてよく見てみよう。はたして、その「平和主義」は本物か?組織の論理と「池田大作」の思想に、知の怪物が迫る。


 宗教がらみ、それも「創価学会」となると、この新書を手にとるのも、ちょっと身構えてしまうところがあるのです。

 これをレジに持っていったら、「ああ、学会員の人なのか」と思われてしまうのではないか、とか。

 

 僕は創価学会員ではありません。周囲にも熱心な学会員は(認識している範囲では)いません。

 選挙のときに「とりあえず面識くらいはある人」から、投票依頼の電話がかかってきて、「ああもうめんどくさい。この候補者には入れないようにしよう」と少し憂鬱になるくらいのものです。

 しかし、多くの会員がいて、全国各地に立派な集会所みたいなものが建てられているこの「宗教」の信者と、社会生活上あまり接点がないというのも、それはそれで不思議なものではありますね。

 というか、実際には多くの学会員たちと日常的に接しているはずなのに、それを実感させられるのは選挙のときくらいのものなのです。

 そういう意味では、創価学会の人たちは、みんなうまく現実に適応している、と言えるのかもしれません。


 なぜ、あの佐藤優さんが、創価学会や公明党をテーマにした新書を上梓したのだろう?

 何か利益を供与されたのでは?

「洗脳」されないようにしなくちゃな、と思いながら読んだのですが、これはそんな「プロパガンダ」ではありませんでした。

 キリスト教・プロテスタントカルヴァン派である佐藤優さんが、同じように「信仰を持つ人間」という立場から、なるべくフラットに「創価学会」そして「公明党」が日本の政治に与えている影響について考察した親疎なのです。

 

 特定の信仰を持たない僕としては、「宗教団体が政治に関与している」というだけで、なんだかもう「気持ち悪い」というか「宗教による国家支配」につながっていくようなイメージを持ってしまうのですが、佐藤さんは「宗教団体が、その思想を政策に反映した形で政治に関与するのは違法ではない」と説明しておられます。

 ヨーロッパにも「宗教と結びついた政党」はたくさんあって、ドイツなどでは、与党として国を動かしています。


 二十条第三項の条文を読めば、飯島、石破両氏の認識が決定的に間違っていることがわかる。


<国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない>(日本国憲法第二十条第三項)


 憲法二十条全体の趣旨は、あくまでも国家、つまり政治が宗教に介入することを禁じているのであって、宗教団体の政治活動を禁じているのではない。

 

 問題は「宗教団体が政治に関与することによって、特定の宗教やその教義を国民に押しつけようとしたり、信仰によって差別を行うこと」なのです。


 佐藤さんが辿っていく「創価学会の歴史」を読むと、たしかに「徹底した平和主義」ではあるんですよね。

 それも、社会党(現・社民党)や、共産党のような「無防備都市的な、超性善説の平和主義」というよりは、

現実に沿った「なるべく平和主義」。

 とくに今回の「集団的自衛権」に関しては、法案を「骨抜き」にしてしまうくらい、その自衛権が現実に発動することを難しくしたのは、公明党の力だったそうです。

 本気で集団的自衛権を使えるものにしようとしていた人たちは、何のために無理に無理を重ねた憲法解釈の変更を行ってきたのか、と無力感にさいなまれているのではないだろうか。

 このように、集団的自衛権を行使しようにも、あちこちに「縛り」がかかっていて、ここまで手続きが煩雑で使いづらい集団的自衛権は他の国にはないのではないか。

 公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。

 ではなぜ、公明党だけが、集団的自衛権の行使に「縛り」をかけることができたのだろうか。

 閣議決定に賛成したために、公明党は「平和の党の看板に傷がついた」「平和主義の看板を下ろした」などと批判された。連立政権を離脱して、きれいな平和論を主張するという選択肢もあったはずだ。

 もし、公明党がその選択を行っていたら、私は、公明党の平和主義は本物ではないと批判したと思う。平和の党の看板に傷がついても、現実に戦争を阻止し、平和を維持することが重要なのである。少なくとも現時点で公明党はその機能を果たしている。


 公明党は「連立与党」の一員だからこそ、集団的自衛権に「実質的な歯止め」をかけることができたと、佐藤さんは仰っています。

 この新書を読むと、そのプロセスと、公明党の「現実主義」がよくわかるのだけれど、僕としては、公明党のその「現実主義」が、ちょっと気持ち悪いな、とも感じるのです。


 佐藤さんは、『新・人間革命』から、次のような言葉を引いて、創価学会の政治へのスタンスを解説しています。

 憲法二十条の精神に照らし合わせれば、創価学会が学会員を政界に送ることも、学会自体が政治活動を行うことも自由だとしながら、宗教と政治では、現実に起きている問題に対するアプローチが異なると続ける。


<たとえば、核兵器の問題一つとっても、核兵器は、人類の生存の権利を脅かすものであり、絶対に廃絶しなければならないという思想を、一人ひとりの心に培っていくことが、宗教としての学会の立場である。それに対して、政治の立場は、さまざまな利害が絡み合う国際政治のなかで、核兵器の廃絶に向かい、具体的に削減交渉などを重ね、協議、合意できる点を見いだすことから始まる。

 また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ>(『新・人間革命』第5巻)

 宗教と政治は位相を異にするという認識から、池田(大作)氏は「政教分離」を捉えている。


 ああ、こういうのって、敬虔なキリスト教徒であるのと同時に、権謀術数うずまく外交の世界で活躍してこられた佐藤優さんにとっては「しっくりくる」のだろうな、と思うんですよ。

 でも、宗教的でも、政治的てもなく、1970年代はじめに生まれ、「平和教育」を受けてきた僕にとっては、この池田さんの言葉というのは「宗教家としては、あまりにも現実に妥協しすぎているというか、これはもう宗教家ではなく、『政治家』の発言なのではないか」という違和感があるのです。

 宗教家であれば、自分の信仰に基づいて行動するべきではないのだろうか?

「教えの絶対性」を貫くべきではないのか?


 言い方は悪いかもしれませんが、「あまりにもうまく現実社会に適応しすぎている」と思ってしまうんですよね。

 前述したように「宗教を基盤として、政治活動をすること」に対して、諸外国ではむしろ「当然のこと」と考えられており、だからこそ「政教分離」の徹底が重視されているのですが、日本の場合、宗教と政治が結びつくことそのものに、ものすごく危機感があるような気がします。

「公明党と創価学会の関係」について、池上彰さんがテレビ東京の選挙特番で言及したことが、ネットを中心に大きな話題となったのは記憶に新しいのですが、考えてみると、「創価学会が日本という国から受けている具体的な恩恵」というのも、思いつかないんですよね。

 ただ、「あそこは『宗教』だから、理解不能というか、気持ち悪い(気がする)」という感情は、なかなか打ち消すことができないのだけれども。

 僕自身「ある宗教を徹底的に信じている人は、取っ付きにくい」というイメージがありますし。

 逆にいえば、キリスト教をちゃんと信じている佐藤優さんは、他の宗教を信じている人への抵抗感が少ない、あるいは、その心のうちが理解しやすい、というのもあるのでしょう。


 いま、公明党は躍進の好機だと私は思う。

 10センチの定規を思い浮かべてほしい。5センチの目盛りが、政治的に中道だとしよう。そこに、公明党を除く、日本の主な政党を並べてみよう。

 最も右、10センチの目盛りのところに小さな点でいるのが、日本維新の会(2014年9月21日から維新の党)や次世代の党。

 その少し左の大きな塊が自民党。

 自民のすぐ横から4センチくらいのところまで、かすかにかかっているのが民主党

 最も左、ゼロの目盛りが共産党。

 その少し右寄りの小さな点が社民党だ。

 この定規を俯瞰すると、日本の政党は、5センチの目盛りよりも右に集中している様子が見えるだろう。

 一方、国民の政治意識は世論調査などから推測すると、極右、極左を除いたところに均等に分布しているのだ。

 つまり、政治意識が中道左派にある国民の利益を代弁する政党が存在しないことになる。

 国際基準で言えば、オバマ米大統領の出身母体である民主党、イギリスの二大政党の一つで中道左派の労働党、ドイツの中道左派政党で、現在連立政権に参加している社会民主党が占めている位置がそうだ。各党の勢いを見れば、マーケットとして十分に成立している。

 しかし、日本の政治においては、このゾーンが、ガラ空きなのである。日本の有権者で、中道左派のゾーンに投票したい人にとっては、マーケットに”ほしい商品”が置かれていないのだ。

 いや、正確に言えば、このマーケットには公明党がいる。しかし、支持者以外に広がりにくい”商品”だから、一見さんが手に取るには抵抗がある。

 だからといって現在の社民党では影響がなさすぎる。

 結局、選挙のときに、5センチの目盛りから右にいる政党に投票したくない有権者にとって、現実に影響を与えうる政党という観点からの選択肢は、消去法でいくと公明党と共産党しか残らない。


 ああ、これは本当によくわかる。

 僕自身も、この目盛りでいくと「中道左派」に属する人間だと思うのですが、選挙のときに「入れたい政党」が無いんですよね。

 共産党の政策は非現実的で、勢力的に国政へのインパクトが小さいし、民主党は自民党と似たり寄ったりだし。でも、公明党は「創価学会」だから、論外……

 このゾーンに共感する日本人は、少なからずいると思うんですよ。

 ところが、ニーズが満たされていないのだよなあ。

 佐藤さんが考えているよりも、日本国民のなかに「公明党」「創価学会」への違和感は浸透していると思うので、「じゃあ、公明党にしよう」という人は、そんなにいないような気はしますけど。

 

 正直、これを読んでも、半信半疑ではあるのです。

「そうか、創価学会を、あまり特別視しすぎるのも『洗脳されている』ようなものなのかもしれないな」というくらいのことは考えたのですが、突然、信仰に目覚めるなんてこともなく。

 池田大作という人が、あまりにも崇拝されているのも、信者ではない僕にとっては、なんだか気持ちが悪いのも事実です。


 それでも、日本の平和主義が、創価学会の恩恵を受けているということは、これを読んで理解できたような気がします。

 というか、その他の「平和主義者の日本人」は、何やってるんだろうな、と自戒せずにはいられませんでした。


 

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2014-11-19 【読書感想】ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン

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内容(「BOOK」データベースより)

「働け、そして愛せよ」彫刻家の父と画家の母を持ち、世界中で愛されるムーミン一家を創った稀代の芸術家、トーベヤンソン。その知られざる側面と色鮮やかに生きた姿を丁寧に描いた決定版・評伝。


 トーベ・ヤンソンさんを御存知でしょうか?

 タイトルですでに「ネタバレ」しているのですが、トーベ・ヤンソンさんは、フィンランド生まれの作家・画家で、あの「ムーミン一家」の生みの親なのです。

 この本の表紙には、彼女の写真が大きく載せられています。


 そう、「彼女」なんですよね。

 僕はけっこう長い間、トーベ・ヤンソンは、北欧の人だから、サンタクロースのような優しいおじさん、というイメージを勝手に抱いていたのです。


 この本は、トーベ・ヤンソンさんの生誕百周年の記念展のキュレーターである著者が、ヤンソンさんのアトリエに遺されていたたくさんの手紙や関係者への取材をもとにして、この作家の生涯を描いたものです。


 ヤンソンさんは、彫刻家の父と、裕福な家庭に生まれた優しい母のあいだに生まれ、、ふたりの弟がいました。

 当時のフィンランドでは、男尊女卑が「当然」とされていて、アーティストとしての才能があった母親も「家事・育児を最優先にするのが当然」だったそうです。

 そんななか、生き方にも恋愛にも「自由」を追い求めたヤンソンさんは、子どもの頃は父親と衝突し、母親が亡くなるまで、ずっと「母親と強く結びついていた」のです。


 僕は『ムーミン』以外のヤンソンさんのことをほとんど知らなかったのですが、彼女は画家として身を立てようとしており、挿絵画家としての才能も評価されていました。

 また、フィンランドの政府がナチスに協力していたさなかも、雑誌の表紙に、ずっと反戦のメッセージを色濃くにじませた絵を書き続ける、硬骨の人でもありました。


 戦争や、異性・同性との恋愛に翻弄されながら、作品を描き続けていた彼女が、その「息抜き」として描いたのが『ムーミン』だったのです。

 挿絵の仕事が増えると、トーベは挿絵に時間をとられ、自由に絵を描く時間がなくなってしまうことを心配した。しかし画家を本業として生きていこうと考えていた才能ある芸術家が、なぜムーミン物語を書きはじめたのだろうか。少なくとも最初は経済的な理由からではなかった。トーベは文章を書くことでまとまった収入を得ようとは考えていなかったからだ。ムーミン物語はもともと、自分のために書きはじめたものだった。書くことによって、世の中や戦争の悲惨さから逃避していたのである。当時は多くのフィンランド人が、自宅や戦地で、大量のアルコールや麻薬の力を借りて心を麻痺させていた。トーベにとってムーミン谷について書くことは、残酷な現実から逃れられるちょっとした寄り道のようなものだった。

 つまり、以前にモロッコの芸術家コロニーの設立やトンガへの移住を計画したのと同じ意味をもっていたのだ。


 『ムーミン』のはじまりは、「お金のため」ですら、なかったのです。

 根っからの「アーティスト体質」であるヤンソンさんは、「ちょっと違う作品を書く」ことで、気分転換、あるいは戦争という辛い現実から「逃避」していたのだそうです。

 ところが、この作品が、世界中から評価されるようになり、イギリスで7年間連載されました。

 そのことは、ヤンソンさんの経済的な安定と引き換えに、「作品を連載することによる消耗」をもたらしたのです。


 『ムーミン』というと、なんとなく「のどかな世界」のイメージがあったのですが、この本を読んで、あらためて思いだしてみると、ムーミン谷は、必ずしも「桃源郷」ではないんですよね。

 そこでは、登場人物たちが大きな災害に翻弄されたり、さまざまな悩みを抱えたりしているのです。

 いまの世の中では「文部省推薦」的なイメージがある『ムーミン』が小説として最初に発表された際(1945年)からしばらくは、かなりの反発があったそうです。

 そもそも、『ムーミン』は、「子ども向け」でさえなかったんですね。

 ムーミン物語を書きはじめた動機が現実逃避だという点については、理解しがたいという声が多かった。1970年代のフィンランドでは、本にはなんらかのメッセージを込められているのが当たり前の時代だったのである。ムーミン物語の第一作目が刊行されたときも、最初のうちは保守層の家庭を描いていると批判され、ストーリーが子どもの教育にふさわしくないという否定的な意見が出た。問題視されたのは、ムーミンの言葉遣いや、ヤシ酒を飲んだり煙草を吸ったりする場面だ。登場人物が罵り言葉に近い”不適切な言葉”を使っているのも大きな問題とされた。

 教育的な意味合いを持たせることについては、作者のトーベ自身がはっきりと否定している。

「私は自分が楽しめるものを書いているつもりです。子どもたちを教育するために書いているわけではありません……」。トーベは、こう語っている。「ムーミン物語を通じて特別な考えや哲学を表現しようとしていたわけではありません。自分にとって興味深いと感じられることや、怖いと感じたものを表現したかっただけです。ある家族を中心にそうした出来事が起こるように物語を構成しました。ムーミン一家の一番の特徴は純粋さです。自分たちと違う世界を受け入れること、登場人物が互いに仲が良いことが大きな特徴なのです」

 トーベは、子どもの世界にあるもの――不思議さ、やさしさ、残虐さなど――を何ひとつ締め出さなかった。「まっとうな児童文学には、必ず何か怖いものが書かれていると思います。その部分に、怖がりの子も自信たっぷりな子も引きつけられるのです。怖いものだけでなく、”混乱”や”破壊”にも同じことがいえます」。


 トーベ・ヤンソンさんは、『ムーミン』で世界的な名声を得てからも、自分は「画家」だと考えていたようです。

 この本には、彼女の作品がカラーでたくさん掲載されているのですが、たしかに、『ムーミン』は、ヤンソンさんの仕事の一部でしかなかったのです。

 それも、本人にとっては「現実逃避」だったはずの。

 ただ、ヤンソンさんは画家として評価されることを願ってはいたようですが、『ムーミン』の世界を嫌悪し、遠ざけることもありませんでした。

 『ムーミン』の登場人物は、ヤンソンさんの家族や恋人がモデルにもなっているようです。

 彼女は、『ムーミン後』にも、絵や小説を発表し、晩年まで活動を続けていました。

 「創作すること」が生きがいだったのでしょうね。

 人生でいちばん大事なのは仕事で、その次に恋愛だと、言っていたそうです。


 ちなみに、『ムーミン』の世界的な人気の広がりには、日本が大きく関わっています。

 『ムーミン』は、日本で一度アニメ化されたのですが、これはヤンソンさんの世界観に合わないもので、いまでは版権切れで観ることができなくなっています。

 それなりに人気はあったようなのですが。

 最初のムーミンアニメシリーズに人気が出ると、日本では新たなムーミンアニメ映画の製作が期待されるようになった。今回は、トーベとラルス(トーベの弟)が仕上がりを入念に確認し、製作のコンサルタントとしてデニス・リプソン(1946〜2013)を送り込んだ。デニスは、フィンランドの子ども番組のプロデューサーであり、それまでに日本人と仕事をした経験もある。そして、デニスとラルス、そしてトーベの厳しい監視のもとに新しいシリーズが完成する。とはいえ、日本のアニメ製作者たちの献身的な作業なくしては決して完成までこぎつけられなかっただろう。結局、このアニメは二段階を経て製作され、合計100話を超えるシリーズとなった。同シリーズは1990年から多くの国のテレビで放映され、その後何年にもわたって再放送された。デニス・リプソンの協力を得て、1992年にはさらに映画版『ムーミン谷の彗星』が完成する。こうして、世界中の多くの人々は、小説ではなく、日本のアニメシリーズやその登場人物を見てムーミン一家を知ることになった。同シリーズの映像は、今でも入手することが可能だ。このアニメによって空前のムーミンブームが起き、そのブームは全世界を駆けめぐる。最初のムーミン小説が数千人に読まれ、ムーミン絵本はさらに多くの人に読まれ、ムーミン・コミックスは何千万人もの読者を獲得した。そして日本のアニメを介し、ムーミン一家は一億の家庭で愛される存在となった。その人気を裏づけるように1990年に訪日したトーベは、ハリウッドスター並みの歓迎を受けている。


 日本で製作されたアニメがなければ、『ムーミン』は、これほど世界に知られることはなかったのです。

 男尊女卑の風潮や伝統的な家族観の影響が長く続いているという意味では(そして、技術立国という点でも)日本はフィンランドと似ているのかもしれませんね。

 

 『ムーミン』の話ばかりになってしまいましたが、この本の魅力は、むしろ、『ムーミン』以外のトーベ・ヤンソンさんの活動や人物像が丁寧に紹介されているところなのです。

 カラーで大きく紹介されている絵も多く、装丁も華やか。本棚に並べておきたくなります。


 ただ、この本、3800円+税と、それなりに値が張るので、ファン以外には、ちょっと手が出しづらいかな。

 トーベ・ヤンソンは、読者に礼儀作法を教えようとはしない。たとえ読者が子どもであろうと、それは変わらない。愛と思いやりに溢れたムーミン世界では、禁止すること以外は何も禁止されていないのだ。


 僕も、大人の目で、もう一度、『ムーミン』を読んでみたくなりました。



 いま、日本でトーベ・ヤンソンさんの生誕100周年記念展が行われているそうです。

(2014年11月30日までは横浜・そごう美術館。以後全国各地を巡回)

 僕も北九州会場に、行ってみるつもりです。


参考リンク(1):「生誕100周年 トーベ・ヤンソン展」公式サイト

参考リンク(2):「生誕100周年 トーベ・ヤンソン展」がとてもよかった - インターネットもぐもぐ

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