不惑で上京

★不惑で上京

リストラ解雇された後に、東京で再就職したブラック企業を退社した後に、実家に戻らされた田舎者の独り言。

帰京(今季通算7回目)。

同じ金魚。


見舞いに帰ったっても
起きたら「おーい」と声を掛けに行き
寝たら起きるまで待機。


その間は、部屋の整理。
家を出て人生の半分を経過したが、年間で14日間程度は帰宅するので
言うても散らかっているわけではない。

旅の思い出の品や、人生で輝いていた時代の写真などは
見ると悲しく(笑)物体は少しずつ廃棄。


学生時代に使っていた楽器、打楽器(カバサ、アゴゴベル等)や
ギター4本(クラシック、アコースティック、エレアコ、エレキ)
電子ピアノやマンドリンなどの珍品も、音が出るかの点検も。

関西人時代に貸した楽器、大事に使ってくれてるかな?
(先輩に貸した12弦アコギや、好意のあった女性に貸した某金管楽器など)


父や母が人生の終焉を迎えた時の色々なども少し話す。
四十代とはそういう年齢なのよ。
孫が見せられなかったのは申し訳ないが、もう仕方ない。



そんなこんなで、帰京。

お盆にも帰ること告げると、やや間を置いても反応したので一安心。
手を握って声を掛けると握り返すので、意思疎通は健在。

IPS細胞でもSTAP細胞でも何でもいいから
この状況、何とかならんかいな?



いい天気。


帰りはB737-800で
中型機を入れろとボヤいたのが効いたのか
戻りはB767-300だった。

(幾分斜めに駐機してた)
機材変更かと思ったら元々この機種だった。
何か月も前、父がやばいという時にチケットを取ったので
そんなこと覚えてなかった。


保安検査は、いつも以上に流れが悪かった。
かくいう私も、手荷物のX線検査が不鮮明だったとかで
更に一回、通された。
母が持たせてくれたサバ缶が爆弾にでも見えたのかな。


2本の通路のある中型機ということもあったのか
客の乗り込み自体はスムーズだった様子。


軍拡まっしぐら。

写ルンですです)

出発・プッシュバックは定刻だったと思うが
米軍(海兵隊)の訓練(本業)のせいか
丘珠から横田経由で帰って来るオスプレイ待ちだったのか
誘導路に向きを変えてから随分と長い時間、止まったままだった。


離陸はノンストップのローリングスタート
瀬戸内海に面した飛行艇の船着き場(?)とスロープの有る港を過ぎると

上昇し、クルッと左旋回して東に向きを変える。


上空は帰りと同じく
厚くはないものの薄く多くの雲が漂っており
余り景色は楽しめず、同様に仮眠と起床の繰り返し。


しまなみ海道

(デジカメですです)

瀬戸大橋。

(見えないよ)

明石海峡大橋

(見えないよ)

神戸空港大阪平野

2年ほど前までの生活圏。


セントレア手前で並走する飛行機が下方で交差した。

(色合いからANA機と思うがよく分からん)

御前崎を越えて、いつものように南東へ進路を変えた。


無料飲料の配給では
実家でアイスコーヒーを飲んだので
いつものようにコンソメスープにした。


富士山を回り込むような飛行コースだが
房総半島上空に入ってからもほとんど下界が見えず

富士山には嫌われ続ける。


着陸までに3回ほど左旋回をしたと思う。
こちらの「滑走路22に荒天時に北東側から着陸する場合の周回ルート」参照。
http://ntv.rgr.jp/rjtt/wind-s.html
 ↓
ここ何処だろうね?

(暫く写ルンですです)
市川市鬼越駅らへんかな?

雲が切れたと思ったら江戸川の上空。
(旧江戸川の例の中洲が見えた)

手前に葛西臨海公園、奥に東京ディズニーリゾートと、いつもとは逆。

随分と内陸を飛んでいたのね。

東京ゲートブリッジを至近に眺めつつB滑走路(22)に静かに着陸。

(いつもは緩やかな左旋回をしつつ降下中の右舷に見える)


国際線ターミナル側を迂回する形で誘導路を移動。
A滑走路の離陸待ち。


定刻から3分ほど遅れての到着。


それにしても・・・
終始、子供の泣き叫ぶ声の大合唱が酷かった。
あんな子は、脳か精神に重大な病気を抱えていると思われるので
親子揃って不幸な話。
もっとも、周囲にとっては、ただただ迷惑な話だが。


今日は、いつもの、魅惑の「連絡バス移動」ではなく
今季初(ではないか?)ボーディングブリッジつきゲートに到着した。

ささやかな優越感。


京急線も待たずに乗れて、比較的スムーズに帰宅できた。



明日から社会復帰。
今週は4日の勤労なので、とりあえず頑張ろう。