異端者の家 (監督:スコット・ベック、ブライアン・ウッズ 2024年アメリカ・カナダ映画)
みぞれ交じりの雨の降るある夕方、末日聖徒イエス・キリスト教会の布教を務める若いシスター2人が、森の中の一軒家を訪ねたのでございます……出てきた男は2人を家に招き入れますが、なんだか微妙に話の内容がおかしい……一見快活なのですが、それもどうもわざとらしい……危険を察知し隙を見て逃げ出そうとした2人でしたが、ドアが開かない!そんな2人に男は、「じゃあ君たちの信仰心を試そうか?」と目をギラつかせながら迫ってきました!そう、実はこの家、布教者が入ったら二度と出られない、布教者ホイホイの家だったのです!
配役はアタオカ親父にヒュー・グラント、2人のシスター役に『ブギーマン』のソフィー・サッチャーと『フェイブルマンズ』のクロエ・イースト。監督・脚本は「クワイエット・プレイス」の脚本家スコット・ベック&ブライアン・ウッズが手掛けております。製作は今を時めくA24で、微妙にニッチな部分を突いてくるのは確かにA24ぽい映画です。
【STORY】若いシスターのパクストンとバーンズは、布教のため森の中の一軒家を訪れる。ドアベルに応じて出てきた優しげな男性リードは妻が在宅中だと話し、2人を家に招き入れる。シスターたちが布教を始めると、リードは「どの宗教も真実とは思えない」と持論を展開。不穏な空気を察した2人は密かに帰ろうとするが、玄関の鍵は閉ざされており、携帯の電波もつながらない。教会から呼び戻されたと嘘をつく2人に、帰るには家の奥にある2つの扉のどちらかから出るしかないとリードは言う。実はその家には、数々の恐ろしい仕掛けが張り巡らされており……。
何かの間違いでサイコパスの住む家に閉じ込められ、迷路の如きその家をサイコパスに追い詰められながら延々逃げ惑う、といったタイプの脱出スリラー/ホラー作品はそれほど珍しくはありません。ホラー映画の金字塔とも呼ばれる『悪魔のいけにえ』もそうった構造を持った映画だといえるでしょう。これらスリラー/ホラー作品の”追い詰める側”は、瞬殺も有り得る凶悪な暴力手段を持っているというのが前提となります。しかしこの『異端者の家』がユニークなのは、”追い詰める側”となるアタオカ親父が、暴力ではなく延々と小理屈を並べることで、相手を”精神的に追い詰めてゆく”という部分でしょう。
そういった構造の物語なので、シスター2人を前にしてアタオカ親父が天婦羅でも食ったみたいにペラペラペラペラよく喋る。そしてその喋る内容というのが宗教とは何ぞや!信仰とは何ぞや!真の神とは何ぞや!といったような、まあ要する御託です。つまり宗教オタが頭一杯に詰まったゴミを御開陳し、さあどうだどうだとイキッている、普通なら聞く気にもなれない戯言なんですよ。ただし、ゴミなりに情報量は豊富で、分かっている人間ほどなんだか正しいことのように聞こえてしまうんです(例のオウムもこの構造です)。だからシスター2人も、いやだわーキモイわーこのオッサン、と思いながらも、問い掛けに対してまともに考えたり反論したりしてしまうんです。
しかしこれがアタオカ親父の手なんですよ。自分のペースに乗せて相手を攪乱し洗脳し自滅させようと目論んでるんです。そして相手のシスターも一応は敬虔な信仰者であり信仰者なりのモラルを是としており、さらには”シスターである”という女性的な弱みも持っているので、昨今のホラーに登場する逞しい女主人公みたいに「クソキモじじいぶっ殺す!」とか言って暴力で応酬ということができないんです。そしてアタオカ親父と分かっていながらギリギリまで謙虚に振舞っちゃうんですね。そういった設定部分がよくできているしユニークな着眼点だなあと思えるんですよ。
宗教についていくらもっともらしいことを言っていようと、アタオカ親父の話の内容は詭弁と戯言でしかありません。ここからこの物語は、そもそも宗教ってのは詭弁と戯言の賜物なのか?という問題提起のようにも一見思えます。また、信仰者を詭弁と戯言で誘惑するアタオカ親父の姿は、キリストや仏陀を誘惑しようとした悪魔の姿とも被ってきます。しかし映画の本質は宗教とは関係なく、もっともらしいことをペラペラくっちゃべってる奴ってェのはたいがい怪しいし信用できないし何某かの邪な魂胆を持っているに違いないから、そいつが戯言をほざき始めたら速攻無視するかそこから逃げ出せ、という趣旨の物語なんじゃないかと思いましたね。あーこれ、正論のような顔して陰謀論が流れ出す昨今のSNSみたいですね!