あぶな坂HOTEL / 萩尾望都

あぶな坂hotel (クイーンズコミックス)

あぶな坂hotel (クイーンズコミックス)

あの世とこの世の間に建つ「あぶな坂HOTEL」。ホテルオーナー藤ノ木由良と生と死の狭間にある魂たちとが織り成す物語。短編4作収録(他にシリーズ外のショートストーリー1編)。登場人物たちは自分が死んだことに気付かないままこのホテルを訪れ、そしてその事実に気付いた後、自分の生とはなんだったのかをこのホテルで独白し、ある時は逡巡し、あるいは錯綜し、そして慟哭する。そしてある者は死という自分の運命に抗おうと哀願し、または怒号を上げ、もう一度生きたいとホテルオーナー藤ノ木に訴え、その中には本当に生の世界へと戻ることの出来るものもいる。そしてある者はその運命を受け入れ、自らの人生を心の中で清算して、本当の”あの世”へと旅立つのだ。
この”生と死の中間の領域に存在する架空の場所でのドラマ”というのは結構ありがちなものだし、”死”そのものを題材に描くことは非常に生臭く、ある意味ドラマを作りやすいものであるが、そこは萩尾望都、非常に巧く物語をまとめ、実に驚きと感動に満ちた人間ドラマを作り出している。しかしこの物語、中島みゆきの曲をモチーフに描かれたというだけあって、狂言回し役の藤ノ木由良がとても中島みゆきに似せて描かれている。死んだら一回中島みゆきに出迎えられる、というのもある意味怖いよな。言ってみれば三途の川の前の賽の河原で待つ奪衣婆ってことだろ。だいたいオレ中島みゆきの唄って怖いもん。死んでからあれ聴かされたら嫌だよなあ。

天気晴朗なれども日は高し / 山上たつひこ

山上たつひこ撰集第3巻は山上の時代劇ギャグ作品を中心に収められている。しかしこれまで意識したことはなかったが、山上の時代劇ギャグがこれほど高水準の面白さを持っているとは思わなかった。確か作家の半村良が、現代を舞台にした物語を描くよりも時代劇のほうが実は自由に描けるものなのだ、と言っていた様な気がするが、山上のアナーキーな発想が時代劇という自由さの中でさらに活き活きと遊びまわっている、ということなんだろうか。取りあえず登場する人物の殆どが気が狂っている。ごみくずを捨てるように人を殺すし、男も女も獣の様に淫乱で、モザイク入りの性器が画面のあちこちに飛び交う。しかしそれでもこの漫画はギャグ漫画なのだ。
「仇討ちミコちゃん」は天然の姉と理屈っぽいがネジが1本外れているミコちゃんとの仇討ち行脚のお話。「さるとび佐助 修行編」「さるとび佐助 活劇編」は少年さるとび佐助の活躍を描いたものだが、がきデカのような少年誌ノリがなんだかほんわかして和んだ。「天気晴朗なれども日は高し」は宮本武蔵佐々木小次郎を陥れる為に巌流島にピタゴラ装置のような罠を作る話。「幕末お笑い三人組」「いやだなぁ沖田くん」は新撰組を題材にした作品。沖田総司が完璧な変態馬鹿野郎として描かれている。「八百八町青空侍」は江戸の様々な基地外や変態や馬鹿が登場する。「鬼刃流転」は邪気放つ天才剣士・柳左近の流浪の旅の様子が描かれるが、これもギャグテイストの裏にギラギラした狂気の輝く傑作連作短編である。

ギャラクシー銀座 / 長尾謙一郎

ギャラクシー銀座 1 (ビッグコミックススペシャル)

ギャラクシー銀座 1 (ビッグコミックススペシャル)

なんというか、シュールさの衣を被っているが、80年代・90年代あたりの風俗を、それがいかにダサいものなのか、といまさらのようにギャグにして取り上げたような漫画。こういうのってその当時から既にあったし、何で今こんなもんが描かれなきゃいけないの?とオヂサンは思いっきりシラケながらこの漫画を読みました。

それはそれはお忙しく

いややっぱ忙しいです。なるべくストック日記使わないようして原稿書いてますが、部屋に帰っていざ書こうとするとコテッと寝てしまいます。正確には酒飲んじゃって酔っ払って日記どころではない、という感じなんですが。あと女子にチマチマとメールを(ry 今日の日記は朝早起きて書いてそのまま更新しました。早朝日記…。下書きはしてあったけどね。
あとY女史に教えていただいた「カチョカヴァッロのオリーブオイル焼」というのを作ってみました。油の温度が低かったらしくちょっとグズグズになっちゃいましたが、焦げ目の付いた熱々のチーズってちょっとした珍味ですねえ。表面パリパリなぐらいが美味しいのかもしれない。まだチーズ半分残ってるから再挑戦してみましょう。