自然とは何ぞや

台風からこちら朝晩は寒いくらいだったが、今日は夏が戻ってきたような陽気だ。こうやって行きつ戻りつ季節は進んでいくんだな。九月九日といえば、ぞろ目の節句の最後にあたる重陽節句だが、最近はあまり顧みられることがないような気がする。
重陽節句といえば菊。マイフェイバリットノベル「三四郎」にも、三四郎がマドンナ美禰子や広田先生、与次郎たち主だったメンバーで団子坂の菊人形を見に行くくだりがある。明治の昔ではあるが、東京の秋を代表するイベントを舞台にしたグループデートにはちがいない。行間から秋の匂いが漂ってきそうな小説の季節は旧暦九月。残暑真っ只中の新暦の九月じゃ菊には早すぎるね。
▼さて、出勤してもいよいよすることがないので今日は休んだ。妻も休みなので喜んでデートしてくれると思っていたらずいぶん迷惑そうな顔をする。「わたしにも都合があるんだから平日は休まないでくれる」と不機嫌丸出し。亭主元気で留守がいい。午前中はネールとまつ毛パーマが入っているという妻。ランチだけはしぶしぶOKしてくれた。

▼車で出かけた妻が後から電車で街に出た僕をピックアップ。ちょっと動いただけで汗ダクになってしまった僕を見て、妻が住宅街の中にあるエスニック料理の店を提案してくれた。こんな蒸し暑い日にはピッタリだ。

お店の外にも広く飲食スペースがとってあるが、生い茂る木々やアジアンテイストの屋根で直射日光が遮られ、居心地も悪くなさそうだ。若いカップルが寝そべっていても違和感がない。迷った末店内を選択。
▼「新婚当初ならオレたちもあっちでイチャついてもよかったね」と妻に言うと「バカじゃないの?」とつれない返事。入口には原田芳雄の遺作となった映画の舞台、大鹿村から届いたばかりの野菜が積まれている。雰囲気は申し分ない。

▼インドかインドネシアかどこの国の人かわからない外国人が注文を取りに来た。日本語も流暢だし、日本人が作った店にしてはできすぎなので「彼がオーナーかも」と妻と囁き合う。妻はナシゴレンを食べる気満々だったが、なかったのでランチプレートとタコライスをオーダー。ドリンクは妻がベリージュース、僕がパイナップルラッシーをたのんだ。


お客さんは外のカップルのほかに店内に3組。僕らと同じ年恰好の夫婦が二組と、女性ばかりの3人連れ。注文を取りに来た彼がひとりでホールとドリンクを担当しているようだ。
▼料理を待っている間に不思議なことが起こった。ホール担当の外国人が、床が一段上がったスペースの客に配膳したときのことである。料理を持って座敷に上がるときに脱いだクロックスのような草履を彼は、戻ってくるときに完全に忘れてしまったようなのだ。

これは我々が忘れ物をするときのうっかりとは忘れ方の質が違う。なぜなら彼は裸足で土間に降り立ったのであり、その後しばらく裸足のまま仕事を続けていたからだ。

彼は裸足に違和感がない。ここから言えることは、彼は普段裸足でいる方が自然であるような生活をつい最近までしていたということである。つまり彼はオーナーではない。
▼やがて調理場の若い日本人が二人とも出てきて、ひとりが僕らの席にやってきてランチプレートの中身を説明し始めた。どれも野菜だということは見ればわかる。そうこうするうちに店内の客たちも帰り始めた。もう午後も2時を回っているので、ランチの客は僕らが最後だろう。でも入口でチラシを整えていた女性のスタッフは「ランチは3時半まで」と言ってたけどな。
▼すると髪の毛も髭も何十年もわざと伸ばしているような、年なのか若いのかわからない男がやってきて、先刻外人が草履を脱ぎ忘れ、客が帰ったばかりの座敷に腰かけて携帯で大きな声で話し始めた。買物袋を下げた最初に見たのとは別の若い女性が入口から入ってくる。店内は完全にランチ終了、次はディナーモードだ。男も女も外人も、全員ゆったりした麻の服を着ている。
スローフードの店ではあったが、元々勝負が早い僕たちは、おそらく昼ごろからいたであろう他の客たちに続いてレジに立った。料理の説明をしてくれた男が、妻が支払をしている間にも、スタッフ全員で大鹿村に行った話や、9.11に9.11と3.11のことを考えるイベントのことや、種油で走る車の話をしてくれた。
▼外に出ると、エスニック料理から菜食レストランに変わったことを知らせる貼り紙が目に入った。この店は自然食を研究する前に、まず接客のマナーを学ばなければならない。ナチュラルライフもけっこうだが、靴を履いているのを忘れるくらいにならないと本物とは言えないだろう。