つれづれなるままに、

昨日、土曜に引き続きやってきた二度目の春の嵐は、超大型台風並の激しいものとなった。昼過ぎの降り始めまでタメにタメたエネルギーが一気解放されたような降り方も、土砂降りのあと一晩中吹いた強風もまさに台風のそれだった。
爆弾低気圧が過ぎ去ったあとは一時強烈な冬型の気圧配置になる。第二節に入った昨夜のプロ野球巨人広島戦は、ブラウン管ならぬ液晶パネル越しにもいかにも寒そうだった。巨人の選手はほぼ全員がネックウォ―マーをしていた。ヒゲや長髪はともかく、ネックウォ―マーをした紳士なんているんか?
▼広島に乗り込んだ巨人ナインの大半は雲行きを見て中止だと思ったんじゃないかな。早い時間から薬研堀あたりにくりだすつもりだったところを、自主トレ中のような低温の野戦場に引き戻されたとしたら誰だってやる気をなくすだろう。そうでなければジャイアンツのこの体たらくをいったい誰が合理的に説明できる?
プロ野球を久しぶりに見たせいもあるが、広島に知った選手はひとりもいなかった。全員が若く、まだ教育リーグの選手のようだ。わずかに知った顔といえば監督野村謙二郎くらい。その彼とて「外角高めに放っておけばレフトフライ」程度の選手である。対する巨人の先発は昨年のパリーグ最多勝ホールトン、打っては長野、阿部に続いてミスターベイ村田が打席に立つ。まるでオールスターだ。いかん、かなり疲れてるよ。疲れてくるとどうでもいいようなくだらないことばかり頭に浮かんでくる。
▼さて、うちがとっている日経は他紙と同じ日曜版のほかにも、水曜夕刊に書評コーナーが設けられている。今日の読書欄に江中直紀氏の「ヌーヴォー・ロマンと日本文学」という本が紹介されていた。その陣野俊史氏の書評で、僕は江中先生が一年前に亡くなったことを知った。還暦過ぎで亡くなったと書かれていたから、僕が先生の授業を受けていた頃は30代半ばだったことになる。授業中に平然と教室でタバコを吸うようなスカした教師だった。講義とか講師という語感は似合わない気がする。
▼僕は当時この江中先生やトクサンこと平岡篤頼先生、千葉文夫先生なんかの教室の末席に必死にしがみついていたのだが力及ばず、今では平然と店の床でタバコを揉み消すような土建屋たちとモツ焼き屋でクダを巻いている。酔いが回った頭には、彼らの戯言がフランス語のようだ。
▼先生の授業で覚えているのは、専門のヌーヴォーロマンやヌーヴェルクリティックの演習ではなく、一般教養の第二外国語のフランス語の授業だったりする。先生はタバコをふかしながら「君たちが動詞の活用を覚えてくれば前期は一度も授業しなくてもいいくらいです」とか、初歩的な質問に答えられない学生に対して「僕が学生の頃は何かわからないことがあったらそのことを調べてわかるようにならないうちは眠れなかったけどね」と言ったりしたものだ。
▼もっと素敵なことをいっぱい教えてくれていたのだろうけど、そんなことしか記憶に残らないんだから、センスとしては仏文学というよりやっぱり土建屋だね。もう本なんて数か月に一冊くらいしか読まないけれど、久しぶりにこの本は読んでみようかな。


一昨日は豚肉と春菊のパスタにビーンズクリームスープ。

昨日は春菊の豚肉巻にナポリタン。

そして本日はビーンズカレー。こうして振り返ると同じものを手を替え品を替えって感じになるが、リアルタイムでは全然そんな風に感じさせない。まさに妻のマジック、いや愛のマジックだ。